Stay hungry, Stay foolish!! -27ページ目

政治

最近の政治は云々…という話をよく聞きます。


僕も失望したくはないものの、しかし失望したくなってしまうのは事実です。

今度の参院選、別に投票する意思がないわけではありませんが、投票する意欲は沸いてこないというのが正直なところです。


僕は現状を打開するために


・政治家が癒着や不正を働けない土壌を作る

・そのうえで議員任期を延長する


という改革を行って欲しいと思います。


現在、衆院4年参院6年、参院は3年ごとに半分が改選です。

それに衆院は解散が含まれる。


これはだいたい2年に1回は選挙をやっているということになります。


いくらなんでもやり過ぎでしょう。


税金の無駄というような薄っぺらい議論ではなく、こんなだから日本の政治は長期的視点に立脚したまともな政策ができないのだと思います。


歴史に学べとよく言います。

確かに、メディアをうまく利用し一党体制を築き悪政を行ったナチスのような政党が生じないよう、予防策を張ることは必要でしょう。



しかし、本気で日本のことを考えるなら、国民にも負担を求める政策を切り出す必要はあるのだと思います。

そういう土壌は必要です。


議員と言えども、彼らにとってはそれは職業なのですから、落選しては失職です。

非常に優秀な方が多いのだろうと思う一方、恐らく彼らはプライドも非常に高いでしょう。負けることへの恐怖と言うものは相当なものだと思います。


そういう前提条件を考えれば、選挙ごとに票取り合戦となるのは必至です。

国民受けするマニフェスト、あることないこと人を引き付ける文句ばかり並べる選挙の演説、それも国民本位という皮を被って本当は自身の保身のために。

当選回数を重ねた議員さんになればなるほどそのような傾向があるんじゃないかと思ってしまいます。


このような事をなるべく少なくし、真に日本のためになる政治をしてほしい。

任期を延ばすことを本気で公約に掲げてくれる党は現れないものかと思っています。



以降はぼやきですが…


「5月中に普天間問題が解決しなければ、それ相応の責任をとる」


勝手にしてください。でも首相、本当にそれで日本は良くなると思いますか?

あなたは何のために首相になったのですか?


民主党のため、自身のためであるなら即刻辞めてしかるべきでしょう。

しかし、本当に日本を思って首相職に就いたのなら、あなたのビジョンをはっきり示してそれの実現のために少なくとも5,6年は画策してください。


語弊を恐れずに言いますが、世論は単純です。

手のひらを返して意見を変えます。

長期的に見れば、一時の失敗など笑って飛ばせるんです。

最後が良ければ世論は寛容です。


そのかわり、「終わり良ければすべてよし」になれるよう、その努力は最大限にしてください。

一国の長たるものが短期的な視点ばかりでものごとを語らないでほしい、そう思います。


その点では前原さんの政策は僕は推したいです。

航空政策、ダム政策等、基本的な受益者負担の原則に則った本来あるべき姿を現実を踏まえながら実行に移している、また進めていこうとしているのではないかと感じます。


一方で、


『「高速道路値上げ」はそもそも国民の皆様とのお約束と背くわけですから、そんなもの受け入れてもらえるわけがない』


小沢さんがそう言っていたわけですが、これぞ真の票取りの茶番発言だと僕は思います。

彼には選挙に勝つ能力はあっても、日本を本当の意味でよくする能力はないのではないかと考えてしまいます。


地位に胡坐をかかないでください。

国を動かせる人がそんなものに固執しないでください。


マニフェストが絶対ですか?

バラマキでは日本が持たないことくらい、ある程度の知識をもった国民なら分かります。

日本の国債だけで見ても国民一人当たりの借金が何百万円もあるんです。

そんなんで受益者負担を行わずにバラマキを続けるというマニフェストを維持しろと言うのは誤った議論だと思います。


僕は、民主党が与党になるまでは小沢さんは党の核心だったと思いますが、今や民主党の癌と化しているように見えます。残念です。


議員は悪名高くていいのです。

クリーンな"悪名高い”こそ本当に必要なものだと考えています。


先頭を走る人は、これまでの慣習・常識の観点からみると道を外れているように見える。

だから悪名高く語られるだけなのです。


新しいこと、改革に挑む本気の人は多かれ少なかれ悪名高いのではないでしょうか。


僕は前原さんのような、ある種悪名高い議員が頑張ってくださる政治を期待します。


政治家のみなさん、がんばるんば。

面接はコミュニケーション

面接練習を以前している際に気付いたことがあります。


それは面接がうまい人(選考通過率が高い人)は、面接っぽくない面接の空間を作っているということです。


一方的に長く話さないとか、緊張しすぎていないとか、相手の目を見て話すとか、表情豊かだとか。


会話になってるんですよね。

時には「~ですよね?」とかを偉そうじゃない程度にうまく使って完璧な対話になってるんです。


例えば「あなたの研究内容を教えてください」という質問に応える際、

「経済学の観点から渋滞の損失について考えました。例えば、通勤電車って疲れますよね?(面接官の同意をGet!)実はそれも経済学で…」

みたいな感じです。


これらって全部普段の会話だと当り前なんですが、いざ面接となるとそうはいかなくなるんですよね。

「伝えたい」という思いや「失敗したくない」という感情が邪魔をするんでしょうか。


好きな人と一緒にいるとき、ぎこちなくなるのと全く同じな気もします笑


話は戻って、僕も通過しなかった面接を振り返ると、どれか欠けていたように思います。

特に僕の場合はダメだったときは長く話し過ぎていたきらいがあると反省しています。


これらを意識すること、それを全部いっぺんにやるのは難しいはずです。

全部に気を配って、結局ぎこちなくなったり、一番大切な話の内容に頭が回らなくなったりしてしまっては、本末転倒です。そんなことではフラれてしまいます、企業にですよ。


一回の面接で一つ、上記のどれかを意識して改善していけばいいんじゃないかと思います。


これから残っている面接は、かなりシビアな戦いになってくるとは思いますが、やはり着実な一歩ずつの成長なしに内定は語れないのだと思います。


自分も含めて、焦ったり、不安になったりすることもあるとは思いますが、自分を良くしていくことに関して、二兎追うものは一兎も得ず、だと心に言い聞かせて一つ一つ自分を磨いていかなければ、と感じます。


成長成長。がんばるんば。


感動すること

さて、タイトルから感動秘話を期待した人、ごめんなさい。

「深イイ話」のようなことは書けません…笑


唯一それに近いことを書くとするならば、


頑張りやで、でも適当で、すっごくいろいろ考えているやつなんだけど、不器用で、これまで全然結果出てなかった友人が、大手広告代理店に内定したことくらいでしょうか。


多分大学に入って一番僕に影響を与えてくれた友人なので、本当に嬉しいです。


マイページのパスワード再発行するための「秘密の質問」で、「親友の名前は」ってやつがあるじゃないですか。

専らその欄は彼の名前です笑


ちなみにその項目がないパターンでは、「好きな観光地」みたいな選択肢を選んで【慶應義塾大学】にしています(^^)


覚えやすいからではありますが、“どんだけ大学が好きなんだよ(汗)” と突っ込みたくはなりますね。



さて、【最近社会で感動したことは何ですか?】


これは先日の選考で聞かれた質問です。


ここに書くくらいなので、非常に答えに窮したことは言うまでもありません笑


うーん、民主党普天間支持率低下たちあがれ日本打ち上がれスペースシャトル山崎さん野口さん宇宙ステーションに居たら筋力低下運動必要プロ野球開幕木村コーチ広島原爆チェルノブイリ北欧ポーランド墜落事故大統領YesYouCan!・・・No I Can't.ダメだ↓


結局その場は苦し紛れの回答をしました。


そういえば自分が感動したことって、何だろう?と思い返したところ、なかなか思い出せない自分を発見。。


小さな感動をすることが大事、何を見ても、何を知っても、何を食べても、感動できる人は心が豊か、とよく言いますが、僕は心の畑にたくさん肥料をまく必要がありそうです。


とはいっても、実際何をすればいいのだろう?と考えていた矢先、読んでいた本にヒントが書いてありました。

これは会話を続けるコツについて書かれたコラムの中にあったので、ちょこっと目的がずれてはいますが。


『テレビを漫然と見ているだけじゃ、話がネタ切れになったって何の不思議もない。…映画を見るのでも、本を読むのでも、美術館に通うのでもいい。…心を動かす時間を日常的に持つことを心がけて欲しい。人は感動すれば、それを誰かに伝えたいと考えるもの』(「フジマキに聞け!」より抜粋)


そういえば俺あんま口数多くないな。。感動してないからか、と気付いたわけです。


「心を動かす時間」を持てているだろうか。

「漫然と」日々同じ生活を繰り返してはいないだろうか。

挑戦することを自己PRで叫んどきながら、普段の生活は何の変化もない生活になり下がってないだろうかと考え始めたんですね。


そこで、考えました。

ゼミの教授が「一度にたくさんのことをやるのは難しいから、まずは一つだけ、変えてみよう」

と仰っていたのも加味して、


一日一つ、何か挑戦してみようと思います。

それがどれだけ小さな事であっても、それがきっかけとなるかもしれません。

きっかけとなる以上、そこには感動やアハ体験があるはずです。


そうやって心の余裕を広げていけば、社会で起こっている自分とは直接関わりがないことでも、感動を覚えられるようになるのではないかと思います。


感動を大切にできる人間はひととのコミュニケーションもうまい

おまけに社会情勢への関心も同時に測れる。

なら、確かに『最近社会で感動したことは』と聞きたくなるのも分かります。

ただ、いきなり社会はちょっと僕にはハードル高すぎたかな笑


感動に関する好きな言葉を一つ載っけておきます。


お願いしたことをやってもらったとき、人は「感謝」する。

言葉にしていないニーズを満たしてもらったとき「感激」する。

自分でも考えていなかった潜在的なニーズを満たしてもらったとき「感動」する。


きっと身の周りには、自分も気付かない隠れた欲求があるのだと思います。

それをさりげなく満たしてもらっていることを気付けたそのとき、初めて感動を認識できるんでしょうね。


社会の出来事は、自分に直接かかわりがなかったとしても、身の周りのことに感動でき、自分のことと置き換えることができるだけの心の余裕が持てたときに、初めて感動できるのかもしれません。


「感動」とは深いです。


がんばるんば。