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旅に出たのは

一人旅をしていました。


けっこう長い期間です。10日以上かな?

こういう時間の使い方ができるのは、こういう仕事の特権ですね。
でも、ま、収入は減るんで、来月は苦しいでしょうが。

あ、でも取材(何の?)を兼ねてです。そういうことにして。



今回は、九州を周りました。
ま、大体、暖かい所が好きなんで、北へはあんまり行きませんけど。

鹿児島、宮崎、大分です。




これくらいの期間いると、「旅」というより「暮らし」ですな。

考えてみれば、けっこうずっと旅してるんですが、なんていうのかな、こういう地方都市にしばらく行くと、そこで暮らしてみたくなります。


これは、なぜかな?ってずっと思ってました。


今までは、ものめずらしさ、その土地の風土や、人情に惚れて、とか思ってました。

でも今回、なんかわかった事があります。



地方都市ってね、ないのですよ。

なにが?って、「競争」が。生存競争というか、そういうの。


結局、いつも旅に出るときって、多かれ少なかれ、何かに疲れたりしてます。
そりゃそうです。生きてるんだし。
旅は癒しのものサ。


都会(関西)で生まれて、都会(東京)に出て行って、「一旗上げたる!」ってがんばって、また生まれた場所に帰ってきて。
これが、生まれた場所が、地方都市なら、何かホッとして、緩やかに暮らせるんでしょうが、帰ってきても競争を続けることには変わりなかった。

それなりにがんばって、いろいろ失敗して、そこから学んで、それでも、わかっているのにまた失敗して…

そんなことやってるうちに、自分も少しはエラくなってきただろうし、結果も残してきました。

だけど、それで自惚れたりなんかして、誰かを傷つけて、自分も傷ついて。

得るものと失くすものが、巧くいかなくて。



去年あたりから、そんな「勝つぞ!」みたいな自分を辞めたいと思ってたんです。




…そういうのが地方都市には、あんまりないですよ。
(だから、みんな都会に出て行くのでしょーか?)


なので、旅先で「暮らし」てみたくなるんだ。
ささやかにつつましく。
それが解ったみたいデス。



ささやかな暮らしでもいい、って自分と、男なら勝て!って自分が交錯しちまってる。それで去年はずいぶんと辛かった。

なにか新しい生命でも、孕んでるみたいでした…。


その答えを求めて九州まで来て見た(のかな?)けど、結局よくわからん。
あー!もう!西郷どんならわかるか?ん??


で、見に行きました、桜島。



「おお!すげえ迫力!かっこいい!」

そんでも、もっと煙がもくもく出てると思ってたのに、そうでもない。
普段はこんなもんらしい…。

肩に積もった火山灰を払いながら、歩く自分を想像してたのにヨ。


じゃ、またねって、一旦立ち去って、なんとなく振り返ったら、

「どかぁぁぁぁぁーん!」

え、うそ?噴火した?


後でニュースで、「7ヶ月半ぶりの噴火です」って言ってました。

生まれてはじめて桜島見たら、噴火しやがった。
こんな決定的瞬間、見るなんて。



やっぱり、「なにか持ってる」男なんだ。オレ。



だから、旅はオモシロい^^

そして、オレも。な。^^

沖縄のお話のつづき

沖縄には30歳の誕生日を迎えるために行った、と書きましたが、もうひとつ大きな目的があったんです。

音楽家のクロダですから、もちろん、沖縄の民謡をはじめとする、琉球ミュージックに触れたかったのです。

なかでも、
「花」 (♪泣きなーさーいー、笑いーなさーーい♪というヤツです)、
「ハイサイおじさん」 (♪変なおじさん♪の原曲)、
を作った、喜納昌吉さんに会いたかった。

この人、日本より外国で有名なミュージシャンで、「花」は全世界でカバー発売されて3000万枚も売れてるとか。
実際に「花」は日本で売れるより先に、フランスで売れたというから、スゴイです。

こんな、ミュージシャン日本では他に見ないなあ。

こんなすっごい人だからなかなか会えないだろうと思ったら、なんとゲンさんの奥さんがミュージシャンで、喜納さんのバックバンドのチャンプルーズのメンバーを知ってる、という。

「おおお!すげー!じゃ、紹介してよ!」
というと、
「那覇に行ったら会えるよ」
と、ものすごく大雑把なことを言いやがる・・・。うー。
ま、だまされたと思って、行ってみた。

・・・で、那覇に着いたが、どこに行けばいい?
しょうがないので、国際通りで、適当にビラ配ってる兄ちゃんに聞いてみた。
「すいません、喜納昌吉さんはどこにいますか?」

こんな質問して、答えられるわけないでしょ。

すると兄ちゃん、
「???」という顔を、

・・・するのかなー?と思ったら、

「あ、今、ツアーに出てますよ。沖縄にはいません。」

「なにぃぃぃぃ?!」

沖縄人はみんな、喜納さんのスケジュール知ってるのか?まさか?!

と思い、兄ちゃんの後ろの看板を見たら「チャクラ」とありました。
そう、チャクラは、喜納さんが本拠とするライブハウスです。そこの兄ちゃんだった。

なんやー兄ちゃん言うてぇなあ。


でも、その数日後、喜納さんが帰ってきた時に、ライブがチャクラであって、そのライブが終わった数時間後には、なぜかクロダ、喜納さんと一緒に酒を飲んでいました。
関係ないのに勝手に打ち上げに乱入して、しかも意気投合しちゃったわけです。
(↑途中のいきさつは、だいぶ、はしょってます。長くなるので^^)


方言で酔っ払っていて何言ってんのか、よくわからなかったけど、
「アメリカに楽器を積んだ船で行く。黒船の反対で『白船』だ!君も一緒に行こう!」と、繰り返しおっしゃってました。

スケールがでかくて、こういう人としゃべってるとワクワクします。

実際には船じゃなくて、飛行機で行ったとか聞きました。(結局クロダは行かなかった)

この沖縄滞在のとき以来、喜納さんには会ってなかったけど、数年後に事務所から便りが来ました。

「国会議員に立候補するから、応援よろしく。」
で、実際に沖縄まで行きました。そのとき以来、沖縄には行ってないなぁ。


ま、喜納さんも当選されて、晴れて国会議員のセンセです。

クロダは、行政書士のセンセになって。

ミュージシャンが、センセになるなんて。
あの時はへべれけになって、バッカな話してたのになぁ。

クロダは、いまだに、「センセー!」と呼ばれると、なんだかケツの穴がこそばゆいです。
もともと、ろくなもんじゃなかったしな。

喜納さんは、ケツこそばゆくないですか?

そうか、もともと、スケールがでかかったからなー。

また、でかい事やっちゃってくださいよ。

ゆっくり、ゆっくりね。

沖縄の旅のお話をしましたが、そうです、この旅が人生観を変えてしまったんですね。

旅に出ると人生観が変わるなんてコトは、これまでにも何度かありましたが、大きな節目と言えば、東京に出てった時と、東京から戻ってきた時、そして、この沖縄での暮らしでしょう。

東京では、なんというか、音楽に捧げた、青春の輪郭の色づけをするために、毎日、毎日、必死に生きていましたね。

「明日どうなるンかな?」
「明日は生きてるのかな?」
「それとも、明日はスーパースターになっているのかな?」

そんなこと考えながら、月総額6万円の暮らし続けていました。
唄ってれば幸せだったし、夢を食べて生きていけた。

自ずと、目つきは鋭くなり、獣のようだとさえ言われてましたね。
実際にいろんなこと、起こったなあ。
TVのドラマなんかじゃ太刀打ちできないような、ドラマチックな青春だった。


いろんな町で過ごしたけど、東京は今でも特別です。
東京のことを思い出すと、泣けてきますよ。ホントに。
でも、そこにいるときは、大っ嫌いで。

何とかこの街でのし上がってやる!
東京なんかで、東京なんかで・・・って思ってました。


そして、阪神大震災があって、止むを得ず東京を引き払うんですが、神戸に戻ってきたころは、まだまだ怖いもの知らずだったな。

で、そんなときに沖縄に行って。
ゲンさんたちに会った。

こんな出会い方して、一緒に生活をしているにもかかわらず、ゲンさんとは、ほとんど口を聞きませんでした。
別に仲が悪いわけじゃなく、ゲンさん、いつもニコニコして、とにかく優しい男なんです。

一緒に住んでいても、起きる時間も寝る時間も自由だし、鍵なんてかけないから、見たこともない人が、時々一緒に、寝てたりもしてた。
沖縄って、こんなもんなのかな?

で、あるとき、海辺のバーで、ゲンさんと、たまたま隣り合わせになったんです。
別に申し合わせたんじゃなく、ホントにたまたまカウンターの隣に座ってきた感じ。
一緒に暮らしてるのに、変なの。

すでに酔っ払ってたゲンさん、くりかえし、くりかえし、おんなじことばかり言っている。


「ゆっくり、ゆっくりね。」   「ゆっくり、ゆっくり・・・」


何のことかと尋ねたら、ゲンさんこう言った。

「クロちゃん、初めて会ったとき目が鋭かったよー。あ、この人、ものすごいスピードで生きてきたなー、と、思ったねー。でも、沖縄に来て、オレのところ来たら、ゆっくりしていきなよ。」って。

この最後の、「ゆっくりしていきなよ」が、

「行きなよ」 なのか、

「生きなよ」 なのか、定かではない。

でもありがたく、「ゆっくり生きよう」って、この日から思った。
すると、ホントにガツガツやってるより、ものごとがちゃんと形になっていくんです。

気の持ちようだ。

・・・それで、こんないいかげんな人生になったんだけど^^(プロフィール参照)

でも、クロダ、この人生しか知らない。
だから、また生まれ変わっても、オレに生まれて、この人生がいいなあ。


聞けばゲンさん、昔、東京でボクサーだったらしい。チャンピオンになりたくてがんばってたけど、胸に大きなタトゥがあって、ダメになったらしい。ルールで試合に出られなくなった。

沖縄じゃ暴れん坊で有名だったゲンさん、今じゃ、こんなに優しくなって、クロダのような名もない旅人に、何かを分け与えてるんだ。

ゲンさん今日も嘉手納で酔っ払って、戦い疲れた旅人に優しく繰り返してるんだろうな。



「ゆっくり、ゆっくりね・・・。」  って。

沖縄にも住んでいた(他人の家)

前回のブログで、福岡の穴に住んでいたと書きましたが、「旅屋」のクロダは、もちろんいろんなところに、お世話になっていました。

20歳の誕生日を旅の途中、福井県の日本海の近くで迎えました。
なんとなく、旅館で住み込みで働いて、その最中です。
そのときに思いました。
「30歳の誕生日も海の近くで迎えよう。どうせなら南の島にしよう。」と。

こんなくだらない自分自身への約束って、妙に守ってみたくなるのです。
だけどさすがに、10年も先のこと、覚えてるはずもない・・・。
と思っていたら、なんと、29歳と7ヶ月のときに思い出しました。

よし行こう!

Q: でも、仕事はどうする?
A: 幸い、フリーランスの身、仕事くらい断ればいいさ。
Q: 住む場所は?
A: そこらへんで寝ろ。

以上、会議終了。出発決定。

当時の愛車ミニクーパーに、布団だとかギターだとか、荷物を詰め込んだら、もう運転席くらいしかスペースがない。
大きくなれよ。ミニクーパー。

それでも、決めたら聞かないところがクロダのいいところ。
大阪南港から42時間かけて、フェリーで那覇に行きました。

着いたはいいが何をする?誕生日まであと何ヶ月もあるぞ。
いくらなんでも、早すぎたか・・・。

しかし、行き当たりばったりもクロダのいいところ。
そして、それでなんとなく上手くいってしまうのは、クロダの最高なところ。

はじめの数日間は、やることがなくて、住み込みの仕事を探して、実際にホテルのビーチボーイとかやったんだけど、なーんか馴染めなくて・・・。
少し働いてすぐ辞めました。

で、誕生日はまだまだだけど、もう帰ろうって思い、翌日のフェリーの予約もしたんです。
その夜、嘉手納の安ホテルに泊まっていて、最後の夜だから、目の前のビーチで、弾き語りをやろう、ってことになりました。1人でね。

おもいっきり、おもいっきり唄ってやった。

するとまたまた、ギャラリーが集まってきて、ま、もともと音楽が生活に根付いている沖縄ですから、そりゃもう、大騒ぎになりました。

どこからかベニヤ板もってきて、テトラポッドの上に簡易ステージを作ってるし、泡盛は何本も並んでる。誰かが三線やハーモニカまで持ってきてる・・・。

米軍の兵隊の人もたくさん来て、ワンナイトショーとなってしまった。

こ、こんな楽しいとこ、帰りたくない!

と思ってたら、ゲンさんというヒゲもじゃの、いかにも沖縄って人が、
「えー?明日帰るのー?さっき知り合ったのに早いよー。ゆっくりしていきなよー」
というので、
「でも住む所ないんですよ」というと、
「うちに来ればいいさー」
・・・。

はい、住む場所決定。フェリー、キャンセル。

聞けばこのゲンさん、酔っ払っては見知らぬ旅人を自分の家に住まわせてしまう癖があるらしい。
実際、クロダが住み始めたころも、先輩の旅人が2人いましたし。
あとから後輩も1人来た。

さらに、ゲンさん、家には、お腹に赤ちゃんがいる若い奥さんがいて、この奥さんも、島根県出身の旅人で・・・。
^^; んー♪


で、クロダ、この日からしばらく、ゲンさんの家で奇妙な共同生活をすることになった。

でも、この沖縄での暮らしが、人生観を変えちまったことは、確かだなぁ。
その辺はまた後日。

みなさんも旅に出よ!





昔、穴に住んでいた

昔、穴に住んでいた男として、一時期クロダは有名だった。(?)

ま、穴といっても児童公園などによくある、コンクリートの山に、土管が通してある遊具の中です。砂場なんかにあるやつね。

まだ、20歳くらいの頃、バイクで日本中を旅していまして。
ま、そんなお年頃ですから、宿泊費だってままならない。
じゃ、どうする?野宿する!
当たり前だ。

いろんなところで(特に穴)で勝手に泊まったけれど、一番長くいたのは、福岡市の、ある団地の公園だろう。
ざっと、2ヶ月はいたかな・・・

これはもう住んでいたと言えるでしょう。

だって、朝ごはん付きでしたから^^

もちろん、公園にご飯なんか付いていません。
じゃ、どうして?と言いますと・・・

穴の生活といっても、けして快適な時ばかりではありません。(え?!快適な時があるの?というあなたは、一度穴に行ってみてください。)

ある時、ものすごおおおーく退屈な日が続いて、なんかないか、とその辺をうろうろしてたら、ボロボロのギターが捨ててあったんです。
で、次の日、天神の楽器屋で弦を買ってきて、張ってみました。
その夜から、「穴前ステージ」でライブを繰り広げたわけです。

エライもので、何日間かやってると常連のギャラリーさんが出来てきます。
人の世はありがてぇ。


そうです。その人たちが、毎朝毎朝、枕元(枕か?着替えの入ったカバンです)に、飲み物と、パンなどの食べ物と、歯磨き用のガムを置いて行ってくれてました。
で、晴れて、朝食付きの棲家を手に入れたのでした。


芸は身を助けるということを、身をもって知ったクロダは、この後まもなく、芸大を中退して、ギター片手に花の都に旅立つのでした。
芸術なんて、ガッコで習うよりこの方が早えぇもん。

・・・あのころは真っ直ぐだったなあ。

今は?

ぐにゃぐにゃよ・・・。


よしだたくろう

去年の七夕のブログで(こんな風に書くと、ものすごーく更新しているみたいだがそうでもない)、「クリスマスより七夕がロマンチックだ」と断言したのですが、あんまり賛同してくれる人はいません・・・。

それでもやっぱり、七夕の方がいいなあ。
何がいいって、浴衣で過ごす(はず)んですもの。
去年はよくブログに写真を添えてましたが、今年はあんまりないです。
で、去年の七夕、大阪の天神橋筋というところの七夕の飾りつけを写真に撮って載せてました。

で、ですね、ここで日本三大祭の一つ天神祭が行われるのですが、今年初めて(!)行って参りました。
やはり夏祭りっていいです。言葉の響きもいい。
浴衣姿もいい。
カキ氷も、お化け屋敷もとってもいい。


クロダが尊敬している大先輩の吉田拓郎さんの唄に、有名な「旅の宿」ってのがあります。
別に夏祭りの唄じゃないんですが、歌詞が叙情的で、お祭りの日なんかに自然と頭に流れてきます。

あの時代のシンガーソングライターって、よく本を読んでるなー、って思わせる歌詞を書きます。

♪浴衣の君は ススキのかんざし
 
 熱燗徳利の首つまんで

 もう一杯いかが? なんて

 妙に色っぽいね


一番の歌詞がこれだけ!これだけでものすごくたくさんのことを表現していらっしゃいます。
旅情だとか、日ごろどれだけ仕事でストレスをためてるかだとか、恋人と旅に来てそのなんてことない時間のかけがえ無さだとか。
そして昨日のブログで言えば、好きなアイツにどれだけ好きかってことが言えなくて、もどかしくて、たまんなかった気持ちをたったこれだけで表現している。

今のアーティストには残念ながらここまでできる人はいないです。

クロダは、それがただの歌詞であろうと、人様の前に出るんだったら、それは「文学」の域に達してないと失礼だと思うんですね。

今の歌詞ってはめ込み作業、穴埋め作業なんです。
売れないアーティストだったクロダも、ある売れっ子さんに、ワンフレーズ○千円で歌詞を売ってくれと、言われたこともあります。
そういうのをつなぎ合わせて作った歌詞が、実際に出回っていますし。
なめとんのか、って感じでしょ?

さて、吉田拓郎。
昔、下っぱのクロダは、事務所のおつかいで、吉田拓郎さんの事務所(宇田川事務所だったか、宇田川オフィスだったか・・)に書類を持っていったことがあります。

そこに、オべーションと言うギターがあって、事務所の人に「これ、拓郎さんのですか?」と聞くと、「そうよ」と言われ、ガチガチにビビッてしまったことがあります。
ギターにビビッてどうする。噛まれるとでも思ったか・・?

今じゃこんなにずーずーしいのに。


あれは、ハタチ。
つかみどころの無い夢ばかり食べて生きていた、あの青春の日です・・・。

創作意欲が湧く

このブログのテーマのところに「唄のコト」というのがありました。
ありましたって、別に過去形ではない。
見つけましたって意味です。
自分でも忘れていたのです。ごめんよ・・・。

まあ、見つけたからには、「唄のコト」書くかな。


唄を書く、唄う、カラオケなんかで楽しんでる人たちは、そりゃもう娯楽のひとつでしょう。

でもクロダにとって唄は、戦いでした。
自分の言葉で、声で、メロで、どれだけ人を泣かせるか。
それだけでした。

だったら、言葉でしゃべっちまった方が早いじゃん!と言う人もおられますでしょうが、
違うんだなー。そこが。


・・・もう、ずっと昔から、クロダが、厚顔の美少年、神童、と呼ばれてた(?)頃から持ち続けている、芸術論みたいなのがあります。

そうなんです。人間って、言葉をしゃべれるから、たいていのことは人に伝えられる。
でもたいていのことです。あくまで。

でも肝心な事をいえないことって、あるでしょ?
友達に、親に、上司に。
ケンカ相手にもどれだけ腹が立ってるか伝えきれないし、好きなアイツに、いくら「好き」って言ってもまだ足りないし。

人間ってもどかしいもんです。

そのもどかしさを、音にして表現すれば音楽、光と影にして表現すれば彫刻、線と色にすれば絵になる。

つまり芸術って、人間のもどかしい部分を何らかの形に換えて、伝えようとしているんです。
それだけのこと。
でもそうするには、とっても苦しくて、もがいて、あがいて、ってしないとたどりつけない。

だから、クロダはあがいた跡の見えてこない作品は、絵でも唄でも信用しないし、認めません。

そんなのは、商業芸術、サービス業ですね。

・・・・とまあ、立派な芸術論をお持ちのクロダ、こんなこと言ってるから、売れなかったんだ!
でも、こんな調子だから、今、法律とかやって、人様の悩み聞いて、成り立ってるのだと思う。

心の深いところに突き刺さるのは、芸術も、法律もおんなじ。


でも、芸術と法律って普通、対岸にあるもんなんですね。


それを両方持ってるクロダのところに、みなさん、どうぞ来るがよい^^
・・・あれ?ダメ?

架空請求は「架空」なんです

わりと多いのが、架空請求の相談です。

「こんなハガキが来たんですけど、払わないとダメですか?」

TVなどで何度も「払わなくていいですよ」って呼びかけても、いざ自分のところに、請求が来るとやはり焦るんでしょうね。

僕なんか全然なんとも思わずに、ゴミ箱に捨てますが。あたりまえか。
結構うちにも来るんですよ。この手の請求。
電話でもメールでもハガキでも。

一度後学のためにと、まあただ単におもしろそうなのもあって、引っかかってる振りしたことあります。
お金は払いませんけどね。

「そっちまで持って行きます」って言って、場所聞いても、結局姿は現しませんでした。


こういう相談者もいました。
「メールで請求が来て、すでに数十万円払っている。
今日また、メールが来たんですが、払わなくてはいけませんか?」

これ、いわゆる得意客になってしまってます。

対処法は、ズバリ
「ケイタイ、買い換えてください。」

効果のほどはバッチリで(あたりまえです)、
「先生の言う通りしたら、ホントに請求が来なくなりました!」
と、大喜び。

こういうことに気づかないから、騙されるんでしょうが・・・

いいですか、架空請求はあくまで架空なんです。
請求内容も、振り込む相手も。

だから、あなたのケイタイも架空の(過去のもの)にすれば、どこか見知らぬ世界の話になりますよ。



みなさん、お気をつけ下さい。

悲しきJリーガー

プロスポーツ選手って、儲かるらしい。

というのは、もしかして、ごく一部の人かもしれない。

日本のプロ野球は、1軍と2軍があって、基本的には同じチームですよね。
だけど、アメリカのプロ野球チームって、メジャーから3A、2A・・・と全部で300以上あるらしいです。

下位のリーグに降格したものなら、お給料だってガクッと下がる。
日本ではまずありえない、と思っていたら、こんな相談がきました。


そう、Jリーガーからです。

「自分の所属するチームが、J2に降格したので、収入が減りました。
家のローンも、娘を私学に行かせるお金も払えないです。どうしたらいいですか?」



・・・この人、ヘディングで首のヘルニアになっています。


それはしょうがないのですが、それを理由に、他の仕事(アルバイトね)が出来ないといってます。

でも、クロダ、ここは法律屋うんぬんとしてではなく、こう言いました。

「甘えるのはやめましょうよ。チームが負けたのは、あなたの責任でもあるんです。あなた1人の責任ではなくても。そうでしょ?男は責任を取る生き物デス。」

つまり、プロ選手としてのプライドが邪魔して、アルバイトなんかは、できないというのです。
この人、一瞬ムッとしましたが、すかさずクロダ、言いました。

「私だって、ホントはここで、法律なんかやって、あなたの悩みを聞いてる人間じゃなかった。
ホントなら、今もギター、弾いてますよ。
でも首を悪くして、手が麻痺したりして上手くギターが弾けなりました。
悔しくて、情けなくて、つまらなかったけど、手術もして、我慢して他の仕事やって、そしてここにいるんです。」

そして、おもむろにネクタイを緩め、シャツのボタンを外し、後ろを向いて、
「これを見て下さい」
と、首の傷を見せたんです。
そう、手術の痕です。よく見ると残ってます。


するとこの人、ポロポロ泣きはじめて、

「すいません、すいませんセンセ。」
と言いました。
そして、

「その傷触ってもいいですか?」と聞かれたので、
いいよ、と言うと、

「わあー、わあー・・・。この指の感触を忘れないで、がんばっていこうと思います。」
と言って帰って行きました。



これが、クロダ流。


弁護士はやらないですよ。こんなこと。





法律なんて、ここまで届かないサ。

今何月ですか?

前回の更新が去年の11月?

げ!ちょうど半年前か!

筆不精にもほどがある。

大体がめんどくさがりで、向いてないんですよ。法律なんて。

でも、なんでかうちに依頼が来るもんだから、ズルズルとやってます。

で、今までの事件、そろそろ書きます。
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