作者かるめろ、身の上話⑥ | 似顔絵マンガ、かるめろの日々。

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40代主婦、8歳と5歳の母です。2013年~香港、2017年~名古屋、同年東京・大森へ、夫の転勤に伴い引越し。日々の暮らしを、最近はマンガ・イラスト少なめで、紹介しています。

 

 

 

第6話「香港での就職」

 

 
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前回の話⇒こちら

 

 

 

春節(旧正月)の香港は、

 

寒くもなく暑くもなく

 

極寒の上海と比べて過ごしやすそうでした。

 

(上海の冬は 何しろ暖房設備がない笑い泣き

 

 

 

 

上海での留学、約2年を終えて

 

そのまま日本に帰ることもできましたが、

 

私は香港で働く道を選びました。

 

 

 

 

なにしろ、まだ

 

日本で働く自信がなかった

 

のです。チーン

 

 

 

 

 

上海に留学して

 

中国語はある程度マスターしたけれど

 

日本では一度

 

留年、就職活動を失敗したので

 

 

主流から外れてしまった

 

感覚があったのです。

 

(若いよねえニヤニヤ

 

 

 

 

香港で知り合った日本人の方々も

 

なんとなく

 

日本での暮らしに息苦しさを感じて

 

香港へ逃れてきた方が 多かったように思います。

 

 

 

 

香港では

 

 

女性お母さんが男性と同じように自由に働き

 

個人お父さんが会社を簡単に設立できて

 

子供赤ちゃんが公共の場で走り回る

 

 

そんなイキイキした虹イメージでした。

 

 

 

 

 

ちょうど1997年に香港が中国へ返還されて

 

中国マネーが香港になだれ込み

 

香港の経済が活性化していた時期と重なります。

 

(今も日本と比べたら悪くはないですよ!)

 

 

 

 

 

これはあくまで私のイメージですが…

 

 

日本では、

 

生活にしろ ファッションにしろ

 

「お決まりの型」があって、

 

それからはみ出ると

 

周囲からちょっと浮いてしまう。

 

 

 

 

浮いてしまうと途端に

 

居心地が悪くなる。

 

 

そんな社会のように感じていました。

 

 

 

 

 

「一億総盆踊り」(※1)

 

「羊の群れ」(※2)

 

 

それが 私の日本のイメージでした。

 

(※1)

皆で同じ型の踊りをする。

型から外れると めっちゃ目立つ。

 

(※2)

皆、秩序正しく大人しいが

何考えてるか分からない。

 

 

 

 

そんな訳で、私は

 

社会人の第一歩を

 

香港で踏み出すことにしたのです。

 

 

 

 

私にとっては、

 

日本で働くよりも

 

香港で働くことの方が

 

 

ハードルが低かった。

 

 

 

 

日本で働いている人は、

 

私から見たら

 

超エリート!!

 

 

 

一方、自分は

 

日本の社会からはみ出て

 

香港に流れてきた

 

落ちこぼれだと思っていました。

 

 

 

 

「海外で働く」という

 

一見、華やかなステータスキラキラを手に入れた割に、

 

私のセルフイメージは

 

依然低いままだったのです。

 

 

 

 

 

さて

 

香港で勤務したのは

 

S物流会社。

 

 

 

ここで転機が訪れたのは

 

2年後、

 

倉庫勤務になった時のことです。

 

 

 

現場の香港人スタッフたちとの交流で

 

どんどん変わって行きました。

 

 

 

その内容は…

 

 

また次回。

 

 

 

 

ここまでお読みくださり

 

ありがとうございます!

 

 

次の記事➔「香港人スタッフに教えられた事」。

 

 

 

◆◆作者かるめろ、身の上話◆◆

はじめ「こんな日には、身の上話を。

第1話 「最初の逆境

第2話 「4コマ漫画のはじまり

第3話 「隠れマンガ人生

第4話 「冬の大学時代

第5話 「リハビリの上海時代

第6話 「香港での就職」 ←今ココ

第7話 「香港人スタッフに教えられた事

第8話 「香港でのリハビリを終えて、日本へ

第9話 「30代半ばの婚活

第10話 「30代後半の妊活

第11話 「駐妻・子育ての孤独

第12話「ブログとの出会い」 

 

 

 

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