酒とホラの日々。 -24ページ目

お気に入りの日常

酒とホラの日々。-杯01

ある展示会でお気に入りの酒器を手にいれた。  

(弘前市にある彩漆工房 の造形作家中村さんの作品らしい)

 
盃なのだろうが、お猪口のように小さすぎず、ぐい飲みほど無骨でなく、
この大きさがいい。  (直径は8センチほど)


漆器であるが内外とも表面がざらざらとしたつくりで、外面は森の樹の木肌を思わせると同時に器の内側に生き生きと躍動する刷毛目とあいまって、樹の幹に連なる根から大地に通じるような生命力を感じさせる。


酒とホラの日々。-杯2

 

日常普段使いのものこそ、お気に入りの特別のものをあつらえるべきであると言う意見に私は賛成だ。なぜなら、学生や社会人の新人のようにごく若くて人生のまだ訓練養成員であるうちは毎日の我慢も先送りも意味があるだろうけれど、成人したのち、社会的にも経済的にも自立に至った人の毎日の生活こそは自分で考え作り上げていく芸術であるべきだからである。

 

自分という立場で、自分のおかれた環境という重荷を抱えて、自分という人生を日々構築してを生きるというのはただそれだけで唯一無二の作品であることは疑いがない。

だから、自分だけの人生が大量生産の既製品の押し付けやCMのコピーであってよいはずがない。 
だから、自分の周囲の日常は本当のお気に入りで満たしたい。



なお、私はこの酒器を「生命の樹」と勝手に呼んでいる。
盃に満たした酒を通して、大地に根を張る樹木のエネルギーが私の中に流れ込む、そんな気がする。そんな気がするだけで、ありふれた日常のささいな酒盛りも特別の意味ある瞬間になる。

 







 

 

  

一刻値千金の春の宵に回想する


晴れた日でも春の夕時というものは、どこかなまめかしさをたたえた、かすんだ空気が中空を満たしている。
私はそんな春の空に、何をするでもなくぼんやりと視線と想念を漂わせていることがある。

ただ、言うまでもなく春は動と変化の季節だ。
受験・進学・会社の異動。冬の間から準備を進めてきたものが春の訪れとともに一気に次のステージへと移り身の回りに変化をもたらす。卒業して、入学して、引っ越して、目の回るような変化の毎日がようやく新しい生活の風景に溶け込んで来る時期が今頃だ。
季節とともに動き始めた身の回りのことが、春の進展とともにようやく落ち着きを見せ始めたころは春もだいぶ深くまで進んで桜の主役の時期から新緑とサツキの季節へと移ってきている。
 
そんなすっかり暮れ時も伸びた一日の終りに一息ついてあたりを眺めると、どこか潤んだ暖かさをたたえた春の空気にほっとするとともに、これまで幾年も積み重ねてきた春の夕べが重なって見えることがあるかもしれない。
 
何年であっても過ぎてしまえばあっという間のことだが、私たちが年月の重なりをわざわざ振り返ってみるということも稀だ。
ところが、気ぜわしい動きからつかの間解き放たれて、ほっと眺める春の夕べの空気には、去年の春、おととしの春、五年前十年前の春の記憶が重なっていることがあるものだ。


こちらからはこんなによく見えるのに、十年前の春の夕に、遠い将来のことなど想像もできず、ただ毎日を過ごすのに懸命だった自分の姿が見えたりもする。
 
いつのまにか年月を重ねて今日こんなところまで来てしまったという感慨を覚えるのは、張り詰めた毎日の一段落したこの時期に、春の夕時のやさしい空気があることときっと無縁ではない。 

    遅き日の 積もりて遠き むかしかな。 (蕪村)
 





 

春の夢想


酒とホラの日々。-つくし

慌ただしい日を過ごすうちに、春がいつの間にかもう緑の季節へと移行しつつある。桜は散ってしまって、もうサツキが咲き出した。 
春になったらやってみたいと思っていたことがあったのだけれど、今年も果たせぬまま、またしても春に置いてけぼりを食ってしまったようだ。


やってみたいことと言うのは実はツクシ摘みである。
ぽかぽかと暖かな陽光の下、やっと萌え始めた野原に出かけ、ツクシをひと抱えも摘んできて、味噌汁や佃煮を作ってそれを肴に一杯やってみたいものだ、と言うのが冬越し中のわたしの春待つ気分の象徴のようなものであったのだ。
 
しかしながら、春を迎える時期というのは私的にも社会的にも忙しく、ツクシの時期などは多忙に紛れてあっという間に過ぎ去っていってしまうのが毎年の習いとなってしまっているので、何年も願望だけで実現したことはない。

ところが、そんなささいなことでも何回も繰り返していると、つまらない気分的な淡い願望がいつの間にか積年の課題というか宿願のようになってきてしまうらしい。まるで、年取った猫が妖怪猫又になってしまうようなものだろうか。 
きっとそのせいなのだろう、今年はツクシを逃したのがことさら悔しいのである。
  
また来年まで待つしかないのではあるけれど、来年もツクシ摘みができる保証もない。もう青々と茂ってきたスギナを植木鉢に移植しておけば、来年の春にはプライベートつくしの原となって、窓辺でつくし摘みができるだろうかな。 

窓からどこかなまめかしい春宵の空を眺め、たわいもない空想にふけっている。



 

私も今では ついったらー

出遅れたが、私もTwitter(ツイッター)を使いだした。
忙しいので、今はこれくらいが適当だ。
知らない人がTwitterとは何かと聞くならば、

ごく簡単にいえば相互参照型のミニブログと言うところだろうか。
 
使い方はきわめてシンプルである。
TwitterのIDを手に入れ、一回あたり140文字以内で発言する。これがブログのように自分のページに蓄積されていく。

 
気に入った他人のページがあれば「フォロー」する、というボタンを押していわばお気に入り登録しておくと、その人の発言が自分のページにも流れ込んでくる。
 
お互いにフォローしたりフォローされたりして相互の発言が流れていくのだが、
特定の人にだけメッセージを送ることもできるし、特定のメッセージに反応して発言を返すこともできる。 
 
誰かの何かの発言がきっかけで一斉にみんなの発言がある方向を向いたり、また分散したり、まるで勝手気ままにさえずる鳥の群が、
何かをきっかけに集散を繰り返すようだからTwitter(さえずり)というらしい。
 
フォローの対象もフォローしてくれる人も大人数を抱えている人もいれば、仲間内でひっそりとやっている人もいる。何かの発言に反応するのも返事をするのもしないのも義務感はない。きわめてゆるいつながりの相互参照関係が「フォロー」である。
 
これのなにがおもしろいのか。集中して熱中するようなおもしろさではない。
言いっぱなしの発言がゆるゆるとリアルタイムで流れて、たまに気になる情報があったり、気が向けば会話に成立したり、その誰かといつもつながっている、つながることができる、でも義務感や拘束力はない、というところが極めて現代社会のニーズにあっているようだ。


事実近来、Twitterは欧米では爆発的なブームであり、日本でも本家Twitterばかりでなく類似サービスも拡大を見せている。


現代は産業や技術、社会システムはどんどん高度化する一方で、個人は会社や業種で分断されたり、地域社会の連帯が薄まったりして、人と人との関係にも閉息感が漂う。

家と会社・学校との往復だけでなく血の通った誰かとつながりたい、でも面倒や義務的なものはいやだ、というような、今を生きる誰もがなんとなく感じているような心の隙間をちょっとだけ埋めてくれる気がするサービスがTwitterだったということなのだろうか。
  
まだ私にはTwitterのおもしろさが本当にわかったとは言いがたいが、個人ユースだけでなく、企業ユースや社会的なコミュニケーション基盤としても、なにやら
今後とも気になるツールである。しばらくは目を離せない。
 
 
なお、captain-jackはこのところ多忙を極めてこのブログの更新もほったらかしであるが、Twitterの携帯から更新ツールも手に入れてこちらは日に何度かタワゴトをたれ流している。
 
Twitter自体は注目サービスであるので気が向いた方はIDを手に入れてさっそく試してみてほしい。
また、私のIDは kuuma(captain-jackの日常)であるので、これも何の得にも成らないけど、気が向いたらフォロー登録してもいいかもしれない・・・。
 
 なお、利用登録は:Twitter/ホーム

 また、利用解説は:Twitter総合案内所   など

 携帯からの利用は:Tmitter   など
 


ついでにある日の私の更新ログはこんなんだった。
フォロー登録するとこんなゴミのようなゴタクが流れてくるので、
フォローはよく考えてから登録すべきではあろう。


・ ・ ・ 

 

起きたら今朝は冬世界だった。。。 寒い。手がかじかむ。鼻が冷たい。  
こないだ買った春物のジャケットを着れる日はいつ?(7:16)
 
おはようございます。寒いながらも穏やかな朝。庭のロードデンドロンとクリスマスローズが満開。でも咲いてからもうだいぶ経つとのこと。歩みの遅い春がしばらくこの眺めをとどめていてくれるらしい。(7:29)

  

東京は冬同然の寒さ。 霜柱踏んで踊ろう。 で、会社行こう。(8:40)

 

公園のカリンが花をつけはじめた。このピンクの可愛らしい花が秋にはあの大きな実になるのだなあ。。人間の感慨とは無縁に季節は巡る。 (10:01)

  

本日のランチはイタリアン。ワカサギのカルパッチョ、ハムと春野菜のパスタ、帆立のソテー、紅茶と苺のケーキ。 (11:44)

  

最近意識してよく歩くようにしているのだけれど、一方で前にも増してよく食べて、おまけになんでもすぐ忘れるようになった気がする。 健脚力・健啖力・健忘力、三拍子揃った私はもうすぐジェダイになる日も近い、かも。(13:11)

  

今日の夕食。タケノコの刺身 アボカドとポテトのサラダ ひじきとニンジンの煮付け 春野菜の煮浸し メンタイコと芋の生ハム巻き(19:14)

  

忙しかった一日が終わり、夕食後何をするでもなく暗くなった窓の外をぼーっと見つめていると、とめもない想念がわいては流れ、私はこれを追いかけもせず、ただ外の景色と同じように眺めやるだけ。 

これを誰かは瞑想と言うらしいが、新しい発想と活力の元になるのは確かか。(21:59)
 


                       

 

 

 

 

ルビーの指輪

またしばらくブログほったらかしているうちに、すっかり春になってしまって、

今日などは今にも桜が咲きそうな陽気だったな。


桜と言えば花見。新入生歓迎コンパ、新入社員歓迎パーティー・・・

また飲む機会が増える。

車の走行距離が増えれば交通事故が増えるのと同様、

酒の上のふらちな事故もまた増える季節である。

 

もちろん新入りでなくとも春のなまめかしい空気に煽られて、

気分が高揚し浮かれ酒にはまることもある。

事故を避けるためにも当たり前だが、酒の上の軽率な行動は

いかに慎まねばならないかということを、今日はちと話してみるとしよう。。。



私がまだごく若かりしころ、数人のグループで飲んではしごの途中、道端で露店を広げるで外人の兄ちゃんから、友達の中川クン(仮名)が千円の指輪を買ったことがあった。
 「わーこれ海賊の指輪みたい」
 「なんだかローリングストーンズのキースがこんなのやってたよな」
などといいつつ、夜店で買った髑髏の指輪をして飲みにいったのだが、この時点で中川クン(仮名)が悲劇に見舞われるとは誰も想像していなかった。
 
三次会で入った狭い居酒屋はうなぎの寝床のようなカウンター席が並び、その一番奥にドアがあってトイレになっていた。そのトイレから身の毛のよだつような悲鳴が上がったのである。
もっとも、悲鳴が上がってもしばらくは誰も席を立たずにほうっておいたのだが、しばらくするとトイレのドアが開き、中川クンが困った顔をして救急車を呼んでくれという。
 
さすがにみんな色めき立っていったいどうしたと聞いたのだが、中川クンは答えない。それでも救急車を呼ぶにも事情を話さねばならないからと重ねて問うと、しぶしぶ説明したのは次のようなことである。
 
したたかに酔っ払って、トイレに入った中川クンは、酔いに任せて勢いよく紙で尻を拭こうとしたらしい。そこで例の髑髏の指輪、これはフリーサイズのためスリットの入った指輪だったのだが、このスリットの部分が尻の、もっと正確には肛門の肉を挟みこんでしまっていたのだった。

 
乱暴に尻を拭いた弾みで、緩めの指輪が外れてそのままケツの穴の肉がリングの金属の隙間にがっちりとくわえ込まれてしまったのである。
 
それでもあまりの痛みとあきらめに中川クンは尻を出してみんなにその惨状見てもらったのだが、いったいどうやってはまったのか、髑髏の指輪はしっかりと中川クンの肉ひだをくわえ込み、引っ張れば中川クンに激痛をもたらす上、場所が場所だけに力任せの対応は困難な状況だった。


「どうする? 指輪を助けるか?肛門を助けるか?」


 
「取れなくなった指輪は消防署で切ってくれるらしいけど、柔らかい貴金属に限るらしいよ。こんな千円の、鉄だかなんだか素性の知れない金属は無理じゃない?」

 
「いっそ爪切りで肉を切ったら簡単に外れるんじゃないかな」

 
「いや、指輪に紐をつけて柱にでも結んで、中川クンに焼きごてでも当てて走らせるというのが正しいやり方だよ」
 
中川クンのケツを前にしてみんなが勝手な話をしていると、顔面蒼白の中川クンが尻の向こうから世にも恐ろしい視線を送ってっきた。
  
それを見たみんなはこれはいかんと、すぐに店主に頼んで救急車を呼んでもらったのだが、痛みがひどくなって歩行も不能となった中川クンは、尻を突き出したうつぶせの格好のまま担架に乗せられ、野次馬環視の中、夜の繁華街を運ばれていったのだった。 
 
サイレンを鳴らし去っていく救急車を見送った後、誰かがつぶやいた。
「リングの先の肛門は真っ赤だったねえ。なんだか大きなルビーの指輪みたいだったよ・・・」
 


教訓・・・酒が入ると気が大きくなり、行動がぞんざいになることがあるものだが、酒の上の事故はとても多い。飲んだときこそ行動は慎重に。

 

 

 

  

 

黒いドレスの女

初めての大量飲酒は、

大学に入って見学に行ったサークルの初めてのコンパのことだった。
先輩方のかもす大人の雰囲気は高校生とはまったく異なっていたが、中でもとりわけ目を引いたのはM先輩と呼ばれていた女性で、ロングヘアにきっちりと隙のない化粧して、ブランドモノの服とアクセサリーで身を固めた妖艶な美人だった。
聞けばそれもそのはず、一度短大を出てOLとして就職した後に思うところがあって再度今の大学に編入したと言うのだから大人っぽさも色気も一際だったわけである。
 
どうしたわけかコンパで私は彼女に気に入られ、いつの間にか横に並んだふたりで
サシで飲むことになったのだが、私が精一杯虚勢を張ったところで、彼女にしてみれば高校出たてのほんのボクちゃんにすぎなかったことだろう。しかも飲酒経験のほとんど無い私に対して、彼女は「女帝」と呼ばれるくらい酒が強いのが自慢でもあることが分かった。
 
私は男子校出だったから当時は女性にも免疫がなく、正直年上の鼻血モノの美女の隣で緊張気味にひたすら冷静な大人の男を装うとしていた。
彼女はからかい半分、自分の酒自慢半分に、「ほらボク、ついておいで」と言うかのようにどんどんと酒を勧めまた自分も強い酒を水のように飲んでいた。 
 
が、どうしたことかいくら飲んでも私はいっこうに顔色も変えず、さして酔った風でもないのだった。彼女は怪訝そうに聞いた。
「Captain-jack君、ひょっとしてものすごく酒強いの?」

 
大量飲酒など経験の無い私にそんなことが分かるわけがないが、ふと思い当たる節があった。

「・・・そういえば僕の祖父が田舎の酒の飲み比べで横綱だったと聞いたことがあります。ビールひとケースに日本酒を一樽飲んだところで対戦相手が泡吹いて運ばれて村の横綱になったそうです。

ずっと後になっても、祖父を負かせるのは人類ではアンドレ・ザ・ジャイアントだけだったろうと言われた伝説の酒飲みだったそうです・・・」


その時彼女の目に狼狽の色が浮かんだのを見たような気がするが、その後覚えているのは、ムキになったようにさらにピッチを上げて酒をあおる彼女と私と周囲の呆れたような目だけである。

 

気がつくといつの間にかコンパはお開きになったのか、私は彼女の肩を抱えてどこかを歩いていた。いいかげん重くなって裏通りで座り込むと、彼女は泥酔してすっかり人事不省な上に、良く見るとゲロを戻したうえに失禁までしとても人目に触れさせるわけは行かない有様だった。 
 
一方私にはまだ最低限の「人間機能と判断力」が残っていた。

これはいかん、女性をエスコートする義務がある男としては彼女に恥を掻かせるわけにはいかない、まずは着替えだ、と考えたが、わたしの服の肩口も彼女のゲロで汚れている。ハテどうしたものかとと思ったところ、近くに回収を待つゴミ袋の山が目についた。
私は迷わず彼女の服も下着もはぎ取るとゴミ袋(当時はまだ不透明な黒のビニール袋だったのが幸いした)の中身をぶちまけ、適当に三つの穴を開けて頭・右腕・左腕を通して即席の服を作って着せた。同様に即席のパンツもはかせた。糞尿にまみれたブランドモノの衣服はぶちまけたゴミに混ぜて始末した。
 
これで身なりは大丈夫、彼女の名誉も守られる、あとは家に送っていくだけだと思ったのだが、裏通りに入ってくるタクシーはない。
仕方なしに、私は彼女を人目につかないよう近くのトラックのほろのかかった荷台に一時寝かせて表通りにタクシーを呼びに行ったのだったが、われながら泥酔してもなんという冷静な行動と配慮であろうか。
酔っぱらって職務遂行不能になったどこかの国の大臣とはエライ違いである。
 
・・・もっとも表通りでタクシーを見つけた私は、そこでカラータイマーが切れたのか、
姫を守る騎士の役目を放念し、ひとりだけタクシーで自分の家に帰ってしまったのではあるけれど。。。
え、ひどい? 仕掛けた彼女は大人、私はまだいわば子供だったのだから、これまでが精一杯だったのだ、まあ仕方ないだろう。。。
 
そこで美人のM先輩はどうなったのか。
ふつか酔いも抜けた翌々日、私は入会のお断りに行ったサークルの部屋で、彼女の件で函館の警察から電話が来たらしいという話を聞いた。 あのトラックは彼女を乗せて東京から北海道まで行ったのだろうか。函館で黒いゴミ袋をまとった酔っぱらい女を見つけた人たちの狼狽ぶりは如何なるものだったことだろう・・・。

 

 

あれからだいぶ経って、私は案の定大酒飲みとなったが、人間機能を失うほど酒に飲まれることは決してしないのは、何パーセントかはあの彼女のおかげかもしれぬ。

 

 

 






 

 

 

萌え萌えのエホバ

このところいろいろ忙しくて、その忙しさの質も精神活動を占有される事柄が多く、
しばらくほったらかしにしているがまだブログをやめる気は無いゾ。
  

 
先週など会社でも風邪をひいている者が多く、みんなマスクしてでひっきりなしに誰も彼も咳き込むものだから会議も打ち合わせも円滑に進めるのが難しかったところ、D君が良い方法があると言った。
 
何でも咳というものは、多くの場合のどにイガイガ虫がとりついて生じるものだから、この虫を下してやれば咳は治まる。だから、適当な虫下しを飲めば良いのだ、と。
そんな馬鹿なと思いつつD君がくれた薬を飲んだところ意外にも咳は治まったのだが、下った虫は肛門にとりついたらしく、こんどははじけるような屁が止まらなくなって会議はやっぱり中止となった。 
ああ忙しいのに仕事も進まない。。。
  
それでも久しぶりにこの週末は、新聞を読むことができた。でも新聞は、毎日「詐欺」「戦争」の話題ばかりでとても悪態つかずには読み進められるものではなく、「なんだこいつバカじゃん」、「ふざけんなー」、「バカヤロウ!」とわめきつつ読まねばならない新聞って、人に「不幸志向」を植え付けるいわば「悪徳練習帳」だっけ?と思ってしまった。
 
詐欺、円天、こんなの一見してネズミ講に物販と電子マネーもどきのポイント制がくっついただけと普通の人はすぐわかると思うのだけれど、いまだもって多くの被害者(被害者と思っていないのだからこの場合関係者というべきか)は、これを認めない人が多いというのも不思議。
大金を貢いだ婆さんが
「あんんたねー、ちょっと見ただけで円天の仕組みが理解できるわけないでしょ、
自分で理解できないものをむやみに批判しないでくれる」

なんてのたまっている。
 
むしろすぐにネズミ講だとわからないあんたの頭が不思議だが、まあ、円天というのは仮想ゲーム世界の仮想のお金で、破綻と会長の逮捕とともにゲームオーバーで円天ポイントは無くなった、ということくらい理解できるのだろうか。
   
まあ、ネズミ講の会員や詐欺にはまったひとたちには理屈で理解することなく狂信者になっていることはよくあることらしい。そこで見えてくるのは金集めの王道としての、出資者~会員~信者~霊感商法~宗教で上がりの構図。
そしてどんな宗教にしても神様は世間きってのケンカ好きのナマケモノときている。
だから、新聞からは戦争とロクでもないニュースは無くならない。
  
円天にはまったひとたちも宗教による戦争がやめられない人たちも、基本的には宗教による慰めに逃げ込んだ結果うすらバカになってしまったということ代わりはない。宗教による思考停止のおぞましさ。

 

宗教がないと自分の人生の基本的な構造も日常の骨格すらもつくれない人はいるのでその最低限の必要性もわかるが、この世に私たちの存在理由など転がってもいないし、与えてくれる神様もいない。だから私たちはそれを自分で作り出さなければならない。自分自身で。

 

 



 



   


 

愛と拷問の映画館

大人になってからというもの、いつもやたら忙しく、ゆったりと過ごすなどということは、モナコに別荘を建てて毎日王侯貴族とパーティーをして暮らしたい、ということと同じくらいの手の届きそうもない単なる憧れの域に去ってしまったような気がすることがある。

  

それ故に子供の頃を懐かしむこともあるのだが、実際わたしの子供の頃は今の子供達のように塾やクラブに追い立てられるような事はなかったから、様々に自由な想像を働かせるゆとりがあったとことは確かだ。現代の子供やスケジュール中毒症の大人たちのように、自ら密雑なスケジュールの繁忙の中に逃げ込んでは、これが人生の充実だと「錯覚」することに慰めを見いだすような種類の「精神的貧困」に陥ることがなかったのは幸いだ。

  

しかし子供の時分にそんなことを考えるはずもなく、実際は子供の頃は退屈こそが大きな問題だった。
夏休みや冬休みなどには時として巨大な暇をもてあまして圧倒的な無為と向きあうことに多少の苦痛を感じていたのも事実である。

   


 
そんな子供の退屈を思いやったからと言うわけではないだろうが、長期の休みの前には小学校で市中の映画館で上映される教育委員会推薦映画の優待割引件がよく配布されていた。映画をみて暇つぶしをしろというわけでも、映画を見て情操教育の足しにしろという意図も無いわけではなかったろうが、単に地元の商店街と教育委員会のタイアップだったと思うが、いずれ退屈をもてあます小学生としてはいくらかは暇つぶしのネタになったの確かではある。

  

どうせ、映画館としては最新の人気映画は配給を受けるにもコストがかかるから、名画と称したすり切れた古映画のリバイバルでも「教育委員会推奨と銘打って割引券を配る子供だまし」で小銭を稼げれば、スクリーンを遊ばせておくよりはいいという営業的配慮だったのだろう。実際、教育委員会推奨映画は子供にはいつもあごがガクガクするくらいつまらなかったが、それでも長い休みの一日友達と集って映画館に出かけて行くのはちょっとしたスペシャルなありがたいイベントだった。
  
ある冬休み、いつものように映画の割引券が配られたが、なぜかその映画は「007」だった。
「007」が小学生にとって教育的にどのような意義があるのかは疑問だが、小学生だったわたしの第一印象は「うへっ、またハズレだよ」である。いうまでもなく「007」はチャチな発想とご都合主義と色気過剰な女スパイと情けないガジェットの道具をミキサーにかけて出てきたクズ映画シリーズだが、商業的には続いているのだから、子供はだませなくともなぜかだまされて喜ぶ大人は多いらしい。
 
「007」など映画館で見たのは後にも先にもそれ一度きりだが、問題は同時上映の映画である。映画館に行った小学生は驚いた。なんと併映は「エマニエル婦人」であった。いや正確には「続エマニエル婦人」だったかもしれないし「帰ってきたエマニエル婦人」かもしれないし「エマニエル婦人大行進」だったかもしれないが、いずれにせよ一世を風靡した有名なポルノの再上映であったのだ。

   

どうしてそういうことになったのかはわからないが、田舎の映画館が余剰スクリーンに余り物の古映画を突っ込んで時間のつじつまを合わせるのに適当な在庫がたまたま「エマニエル婦人」だったのかもしれないし、映画館では「教育委員会推薦」の意味を「教育委員会の木っ端役人を招待すること」と勘違いしたのかもしれない。
   
男子小学生はこの思いもよらない「幸運」に喜んだが、映画館の切符売り場でとがめられてはすべてが水の泡と思い、喜びを胸の奥深くに押し込みひたすら真面目で純真な小学生が「教育委員会の推薦で」やってきたのだというスタンスを淡々と貫いて入場したのだった。
 
だが、結論をいえば、期待の「エマニエル婦人」は「007」のジェームズ・ボンドと同様にというかそれ以上につまらない「ハズレ」だった。ストーリーの展開は遅く、場面の設定は訳が分からず、思わせぶりな会話が延々続いた挙げ句、やっときた肝心のシーンはハサミが入って画面のどうでもいい部分が切り貼りされていた。
 
この結果小学生らは「007」から続く退屈をもてあまし、終演までの時間を薄暗い館内の狭いイスの上で格闘するかつてない困苦を堪え忍ぶことになったのだった。
確かにみんな外でボーッとしていたり遊んでいるほうがどんなにかまだましだと思ったものだ。

    

「エマニエル婦人」と「007」という教育委員会の選択は、退屈と不自由に思えた子供の時代を抜け出して大人の世界に達しても、そこは子供が思うほどのパラダイスではないことを教えるための教育的配慮だったのだろうか。


  

やがて大人になった私はひとりで無為な時間と向き合うことが何の苦痛でもなくなり、何もない時間に心を自由に遊ばせることこそ何よりの贅沢とも思えるようになった。
一方で現代の多くの人々は単なるヒマをレジャーやゲーム・テレビなど様々な雑物で埋めようとするが、それは雑物に自分の自由を預けて自らわざわざ不自由
になることでもある。


今にして思えば私たちの子供の頃の様々なヒマと闘う経験は、実は何もない時間と空間でいかに自分と向き合うかを学ぶ貴重な体験だったような気がする。
現代の忙しい子供達が何もしない時間の意味を問う体験のないまま大人になるとしたら、なにか大切なものを学ぶ機会を逸しているのかもしれない。







 

 

 

  

きっとあなたの頭脳は働きすぎだ


久々に自分のブログを開いてみましたら、なにやら元旦の日付でエラソーなことが

UPしてあって、書いていることはだいたいまっとうなことながら、「おいおい、ここってホラのブログじゃなかったのかよ」と自己突っ込みを入れるところから本当の今年のブログ初めとなりました。

 


それにしてもまあ、今日一日をあたかも最後の日であるかのように生きるというのは確かでも、人間というのは一歩づつしか進めないようにできていますから、意気込みで前のめりになって転ばないように注意深く進みたいところです。まして道は段差もあれば障害物もあり登り下りの坂道もあるわけですから。。。


 

 


などとタワゴトを言いつつ、今週はボケておりました。重度の正月ぼけです。
数日の休暇明けのことなのに、少々難しい本や前向きなことを書いてある本を読むのがおっくうになりましたし、ひらめきや物事を関連づける働きが鈍ったような感覚に襲われました。
  
意欲と知識の統合こそが人間の人間らしい活動を支えているとすれば、これは退化の兆候にほかならないのかもしれません。そしてこの意欲と知識のコラボレーションは日常の習慣によってしか維持できないということなのでしょう。

そんなわけで私も現代人としての体勢プチ立て直しに取り組んだこの一週間でもありましたでしょうか。

 

 

勉強だの能力の再開発だのというと、こんな休みボケ回復とは関係なくとも、今時はどんな職業でも自己研鑽と勉強の継続とが求められるせいか、電車の中吊り広告や書店の店頭などは自己啓発や勉強方法、能力の向上をうたう本の花盛りで少々うっとうしいところです。
 
こういう勉強ノウハウ本には周期的な流行の繰り返しがあるらしく、いつか見たネタが化粧直ししてまた並ぶことも珍しくありません。人間は忘れっぽくて何度でもだまされることの例証か・・などという軽口は置いておいて、今週よく見かけたのは「あんたの脳はそのごく一部しか働いていないから、眠っている部分の脳を利用すればあなたはまだまだ高い能力を発揮して幸福になることができる」、というたぐいのものでした。
 
普段は脳の一部しか仕事をしていないと言うのはどうやらある程度正しいことのようですが、使っていない部分を働かせればそれで高い能力につながるというのは本当でしょうか
 
だいたい自分のことを考えてみればわかることですが、人間は本当に有意義なことや有益なことに頭を使っていることなんて、頭の働き自体にしても時間の長さにしても、いくらもあるものではありません。一日働いていても、本当にクリエイティブなことに生産的に取り組んでいる場面がずっと続くなんてことはありません。集中して考えたり勉強したりしているときでさえ、なにか頭の中をほかの考えが流れていくことなどよく経験する事と思います。
 
こんな私の眠っている脳が働きだして活動が10倍になったところで、無益なことを今までの10倍垂れ流すことになるだけなのではありますまいか。たとえばいままで一日に一度おやじギャグを披露してひんしゅくを買っていたものが、一日に十っぺんもつまらないダジャレをとばして特大ひんしゅくをかうただの迷惑人間となってしまうだけなのではありますまいか。

 

だいたい脳の活動の量的な増大が、アウトプットの質的な向上につながることの保証なんてどこにもないのではありませんか?

 

 

それに最も重要な疑念は、人間の不幸は人間が作るが、その多くは人間の脳が作り出す妄想によるものであり、人間は自分で勝手に今ここにありもしない過去のこと未来のことをあれこれ悩んで自縄自縛に陥り自ら不幸を拡大再生産しがちなところに、脳味噌が単に活動を拡大したところで人が幸福になれるという保証はなにもないのではないか、ということです。
 
またこうした人間の脳の作る困苦については、作家のカート・ヴォネガット氏などは人間の不幸は大きな脳味噌を持ったことだとして、人類がカワウソやラッコのような動物に退化していく小説を書いていました。(ガラパゴスの箱船)
 
これはグロテスクな未来絵ですが、実際なけなしのエネルギーを食い潰し、廃棄物を溢れさせ、企業の都合で同胞の人間までも排除して人類自らの生存基盤をどんどん貧弱にしてもまだ、わずかな方針の転換すらできない私たちには、

むしろ大脳の働きを極小化させて虫や獣のように生きるのが将来も持続可能な生存基盤として必要なことなのかもしれませんね。。。


 

・・・と言うような妄想を生むほど、今年は厳しい事ばかり予想される年ですが、

皆様どうかご自分の幸福への道は牛のごとくしっかりと着実に踏みしめて歩まれますように。

ゆっくり行きましょう。

 

  


  

 

  
 

日々死に行く皆さんへ

明けましておめでとうございます


年初ら無粋なタイトルですみません。
 
経済も社会も無軌道ぶりが加速して、

いまさらながら一寸先もわからない世の中を実感する当節ですが、

そんな世に浮かぶ私たちの人生においてただ一つ確実なものがあるとしたら、

それは「私たちは皆、遠からず死ぬ」と言うことだけです。

 
私たちは今この瞬間にも死に向って止まらぬ行進をしていることに
異議を唱える人はいないでしょう。
 
それなのに、今やるべきことを忌避して、何かいいことが来ないかと
思っていたとしたら、それは自分で自分の人生を歩んでいるのではなく、

まるで家畜のようにただあの世へと向う荷車に乗せられて

運ばれて行くだけであるということです。

 

自分の人生は自分で歩くために、ささやかでもいいから

牛歩の歩みでもいいから、確かな自分の意志で

一歩一歩を踏みしめたいものです。
その一歩を踏み出すのは常に今この瞬間をおいてほかにはありません。

 

 本年がどうか皆様が大切な時間を自在に存分に生かすことができる一年と

なりますように。



    「不確かな未来に生きることを夢見るな。 今、直ちに生きよ」

                            ~ローマの賢人の言葉