私も今では ついったらー
出遅れたが、私もTwitter(ツイッター)を使いだした。
忙しいので、今はこれくらいが適当だ。
知らない人がTwitterとは何かと聞くならば、
ごく簡単にいえば相互参照型のミニブログと言うところだろうか。
使い方はきわめてシンプルである。
TwitterのIDを手に入れ、一回あたり140文字以内で発言する。これがブログのように自分のページに蓄積されていく。
気に入った他人のページがあれば「フォロー」する、というボタンを押していわばお気に入り登録しておくと、その人の発言が自分のページにも流れ込んでくる。
お互いにフォローしたりフォローされたりして相互の発言が流れていくのだが、
特定の人にだけメッセージを送ることもできるし、特定のメッセージに反応して発言を返すこともできる。
誰かの何かの発言がきっかけで一斉にみんなの発言がある方向を向いたり、また分散したり、まるで勝手気ままにさえずる鳥の群が、
何かをきっかけに集散を繰り返すようだからTwitter(さえずり)というらしい。
フォローの対象もフォローしてくれる人も大人数を抱えている人もいれば、仲間内でひっそりとやっている人もいる。何かの発言に反応するのも返事をするのもしないのも義務感はない。きわめてゆるいつながりの相互参照関係が「フォロー」である。
これのなにがおもしろいのか。集中して熱中するようなおもしろさではない。
言いっぱなしの発言がゆるゆるとリアルタイムで流れて、たまに気になる情報があったり、気が向けば会話に成立したり、その誰かといつもつながっている、つながることができる、でも義務感や拘束力はない、というところが極めて現代社会のニーズにあっているようだ。
事実近来、Twitterは欧米では爆発的なブームであり、日本でも本家Twitterばかりでなく類似サービスも拡大を見せている。
現代は産業や技術、社会システムはどんどん高度化する一方で、個人は会社や業種で分断されたり、地域社会の連帯が薄まったりして、人と人との関係にも閉息感が漂う。
家と会社・学校との往復だけでなく血の通った誰かとつながりたい、でも面倒や義務的なものはいやだ、というような、今を生きる誰もがなんとなく感じているような心の隙間をちょっとだけ埋めてくれる気がするサービスがTwitterだったということなのだろうか。
まだ私にはTwitterのおもしろさが本当にわかったとは言いがたいが、個人ユースだけでなく、企業ユースや社会的なコミュニケーション基盤としても、なにやら
今後とも気になるツールである。しばらくは目を離せない。
なお、captain-jackはこのところ多忙を極めてこのブログの更新もほったらかしであるが、Twitterの携帯から更新ツールも手に入れてこちらは日に何度かタワゴトをたれ流している。
Twitter自体は注目サービスであるので気が向いた方はIDを手に入れてさっそく試してみてほしい。
また、私のIDは kuuma(captain-jackの日常)であるので、これも何の得にも成らないけど、気が向いたらフォロー登録してもいいかもしれない・・・。
なお、利用登録は:Twitter/ホーム
また、利用解説は:Twitter総合案内所
など
携帯からの利用は:Tmitter
など
*
ついでにある日の私の更新ログはこんなんだった。
フォロー登録するとこんなゴミのようなゴタクが流れてくるので、
フォローはよく考えてから登録すべきではあろう。
・ ・ ・
起きたら今朝は冬世界だった。。。 寒い。手がかじかむ。鼻が冷たい。
こないだ買った春物のジャケットを着れる日はいつ?(7:16)
おはようございます。寒いながらも穏やかな朝。庭のロードデンドロンとクリスマスローズが満開。でも咲いてからもうだいぶ経つとのこと。歩みの遅い春がしばらくこの眺めをとどめていてくれるらしい。(7:29)
東京は冬同然の寒さ。 霜柱踏んで踊ろう。 で、会社行こう。(8:40)
公園のカリンが花をつけはじめた。このピンクの可愛らしい花が秋にはあの大きな実になるのだなあ。。人間の感慨とは無縁に季節は巡る。 (10:01)
本日のランチはイタリアン。ワカサギのカルパッチョ、ハムと春野菜のパスタ、帆立のソテー、紅茶と苺のケーキ。 (11:44)
最近意識してよく歩くようにしているのだけれど、一方で前にも増してよく食べて、おまけになんでもすぐ忘れるようになった気がする。 健脚力・健啖力・健忘力、三拍子揃った私はもうすぐジェダイになる日も近い、かも。(13:11)
今日の夕食。タケノコの刺身 アボカドとポテトのサラダ ひじきとニンジンの煮付け 春野菜の煮浸し メンタイコと芋の生ハム巻き(19:14)
忙しかった一日が終わり、夕食後何をするでもなく暗くなった窓の外をぼーっと見つめていると、とめもない想念がわいては流れ、私はこれを追いかけもせず、ただ外の景色と同じように眺めやるだけ。
これを誰かは瞑想と言うらしいが、新しい発想と活力の元になるのは確かか。(21:59)