一刻値千金の春の宵に回想する
晴れた日でも春の夕時というものは、どこかなまめかしさをたたえた、かすんだ空気が中空を満たしている。
私はそんな春の空に、何をするでもなくぼんやりと視線と想念を漂わせていることがある。
ただ、言うまでもなく春は動と変化の季節だ。
受験・進学・会社の異動。冬の間から準備を進めてきたものが春の訪れとともに一気に次のステージへと移り身の回りに変化をもたらす。卒業して、入学して、引っ越して、目の回るような変化の毎日がようやく新しい生活の風景に溶け込んで来る時期が今頃だ。
季節とともに動き始めた身の回りのことが、春の進展とともにようやく落ち着きを見せ始めたころは春もだいぶ深くまで進んで桜の主役の時期から新緑とサツキの季節へと移ってきている。
そんなすっかり暮れ時も伸びた一日の終りに一息ついてあたりを眺めると、どこか潤んだ暖かさをたたえた春の空気にほっとするとともに、これまで幾年も積み重ねてきた春の夕べが重なって見えることがあるかもしれない。
何年であっても過ぎてしまえばあっという間のことだが、私たちが年月の重なりをわざわざ振り返ってみるということも稀だ。
ところが、気ぜわしい動きからつかの間解き放たれて、ほっと眺める春の夕べの空気には、去年の春、おととしの春、五年前十年前の春の記憶が重なっていることがあるものだ。
こちらからはこんなによく見えるのに、十年前の春の夕に、遠い将来のことなど想像もできず、ただ毎日を過ごすのに懸命だった自分の姿が見えたりもする。
いつのまにか年月を重ねて今日こんなところまで来てしまったという感慨を覚えるのは、張り詰めた毎日の一段落したこの時期に、春の夕時のやさしい空気があることときっと無縁ではない。
遅き日の 積もりて遠き むかしかな。 (蕪村)