スリランカ出張の仕事の合間に、コロンボにある古いモスク、
「ウル・アルファー・モスク」—―通称「レッド・モスク」を訪ねました。
このモスクは1909年に建てられた古いものだそうですが、
2013年3月現在は増築工事中で、中はがらんどうでした。


外観。ラズベリーとクリームのケーキのような色合いです。

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中庭に入ったところ。

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高いところで作業をしている兄ちゃんやおっちゃんたち。
カメラを構える東アジア娘を見るや、腰巻きをおもむろに直し始めました。
このアングルで写真を撮るとパンチラするのではないか、と思いつつ結局撮っちゃう私。



しばらく中庭の階段に座って、ぼーっと工事を眺めていました。
世界のどこにいっても、一番宗教施設が落ち着きます。(熱烈勧誘を受けない限りね)


と、そのとき、ひげひげのおやじに声をかけられました。


「ムスリムかい?」



ううん、ちがうの。
私はムスリムではないんだけど、
アラビア語を勉強して、パレスチナで暮らして、
コーランもちょっと読んだりしたから、
いろんな国のムスリムの暮らしに興味があるの。



「そうかそうか! なら、せっかくだし建物の中に入って見ていったらいい」


えー、いいよ~。お祈りしてるの、邪魔したくないもの。
私、ムスリムじゃないし。



なんて押し問答をしている間に人がわさわさ集まってきて、
「見てけよ!」「今改装中でお祈りしてないから!」
「この子、ムスリムなのかい?」
「いや、違うんだけどアラビア語喋るんだよ! コーラン読んだんだってよ!」
「マーシャッラー!(それは凄いね!)」

とかいう話になり、調子に乗ってお邪魔することにしました。


うーん、芸は身を助くというか何というか、
どこ行っても大体アラビア語のお陰でプチ人気者になれます。



改装工事は2014年まで続くそうですが、
5階建てだか6階建てだかになり、
女性用の部屋も作られ、これまでより多くの人を収容できる建物になるのだそうです。
(今までは人を収容しきれず、道路で祈る人も多かったらしい)



入り口になる場所。工事は南インドの人たちが担当していました。出稼ぎか。

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古い方の建物。メッカはあっちか。

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タイルが色とりどりで綺麗です。中東のものとは大分雰囲気違うなぁ。

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おやじたちが一生懸命説明してくれました。


「アルカイダとか、ああいうのは本当のムスリムとはいえないよ。
 全く間違っている。本当のイスラームは、他宗教に寛容なんだ。
 
 イスラームが女性を家に閉じ込めて、抑圧しているだって?
 とんでもない。 本当のイスラームは、女性だって学ばなければならないといっているよ。
 だってそうだろう? 子どもを育てるのは、多くは女性なんだ。
 母親が物事を知らなければ、子どもは正しく育たない。
 学ぶ機会を与えないのは、イスラーム的にはおかしいことなんだ」
 



うん、そうだね。

本当はそんなに、どの宗教だって一枚岩じゃない。
アルカイダとか、抑圧とか、
きっと私たちが、知らないものを単純化して安心したいだけだ。
ごめんね。




ありがとう、と改修工事のためのザカート(喜捨)をボックスに入れる私に向かって、
おやじの一人がいいました。


「来てくれてありがとう。
 もっとイスラームを知ってほしいんだ。
 改宗してほしいわけじゃない。
 君の勉強にとっても、いいはずだから」




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うん、私はイスラームの授業中に居眠りこいちゃう怠け者大学生だったけど、
もうちょっと勉強してみるね。
また来るよ、写真持って探しに来るからね。インシャッラー。


2006-7年のパレスチナ・イスラエル留学中も、授業は英語で受けていたのですが、
最近は当時より英語をうまく喋れるような気がしています。


元々発音は悪くない(これはアラビア語も同じ)ものの、
以前は英語を話し出すのに躊躇していました。(去年くらいまで)
最近は、ほぼ100%考えるより先に口が動いています。
話しながら、所々考えている感じ。
口火を切れば、あとは脳の方で勝手に単語を繋いでくれます。
不思議といえば不思議なのですが、やっと英語もこのレベルまで来たか…といった感じ。




この最近の変化は何故なのか!と自分で考えているのですが、思うに、



「自ら英語で発信しないと何も始まらない状況に置かれているから」



というのに尽きます。
海外のホテルに電話して諸々確認したり、
なかなかメールの返事をくれない相手のケータイに突撃で電話かけたり、
わいわい話している海外出身の先生方に向かってスケジュールを伝えたり。
これを自分の言葉でやらないと、お給料をいただく理由がなくなるのです。
本格的に自分にこの作業を課した(課された)のは先秋くらいからです。

それに比べれば、中東の大学での授業は、
たまに質問をしてレポートを出せば、案外受け身で済むものでした。
(今考えるとちょっと勿体ないけれど、プライオリティが高くなかったね…)




英語を話すよりアラビア語を話す方が緊張しない時期があったのですが、
思えば、アラビア語がそこまで伸びたのは、同じ理由でした。
留学中は、自分で言葉を紡がないと、どんどん流れが妙な方向へいってしまったため、
自分の意志で「Yes」「No」「こうしたい」「こうしたくない」を
1から10まで、拙くても伝える必要がありました。
現地の人たちと同じように、できるだけ感情豊かに、本気で。
それを重ねていたら、周りの人が間違いを正してくれて、
もっと自由に自信をもって喋るようになっていました。




英語圏に留学したことないのを若干コンプレックスに思っていましたが、
何だか霧が晴れた感じがします。
とはいえ、アカデミックなボキャブラリーはインストールされていないので、
単語は引き続きニュースや本で詰め込んでいこうと思います。
議論の機会も必要だな~。




次はヘブライ語と中国語。どのタイミングで自分に課すかが問題です。
単語だけは細々とインストールしていこうと思います。
ナミキが大好きな海外の脱力系日本語!
今回はタイの空港編。


同僚の先輩が発見してマジウケしていました。
うーん、隅々まで読めば読む程に脱力できます。
真ん中右下辺りに致命的な間違いも。

何か全てがどうでもよくなるので、
皆さんもお疲れの際に是非写真をご参照ください。
タイの某国際空港にあります。


クリックで拡大
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※毎週1回はブログを更新することを目標としている私、
 ここぞとばかりに件数を稼いでおります。あしからず。

コロンボで飛行機を待つ時間ができ、市内観光に出かけました。


ロンプラも歩き方もないので、ホステルで地図をコピーしてもらい、
そのへんのガイドブックを斜め読みしてゆるゆると準備。
スパイスも宝石も紅茶もそんなに興味ないため、
モスクと教会、鉄道の駅を歩くプランにしようと決定。
地図のコピーを握りしめて宿を出ました。


ドアを出たら雑談中のおやじドライバー達が一斉に駆け寄ってきて

「タクシー? タクシー???」


ナミキ:「うん、タクシー。メーター付きのトゥクトゥクがいいんだけど。
     Pettahにある、赤い大きなモスクわかる?」

おやじ1:「モスク?」

おやじ2:「モスク! ペラペラペラ」←(解説しているらしい)

おやじ1:「あー! カム! カム!!」←(超自信満々)




うーん。一抹の不安。まぁ、おやじ張り切ってるし、いいかなぁ。。。


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そしてトゥクトゥクに乗り込んで15分後、不安が的中。



おやじ:「着いたぜ!!!」




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どーん




おやじ1:「モスク!!!!!」(キリッ)


ナミキ:「いや、これちゃうから。教会だから。」(ズバッ)


おやじ1:「えぇっ、違うのか?!」


ナミキ:「うん、残念ながら」


おやじ1:「よしきた! まかせろ!」





おやじ1、道で聞き込みを重ねつつ更に10分疾走。





おやじ1:「モスク!!!!」(鼻息荒め)


ナミキ:「いや、門にministryって書いてあるけど…」


おやじ1:「違うのか! テンプルに行きたいのか??」


ナミキ:「違ーうの! イスラームの、赤い古いモスクに行きたいの!
     もう、ここから歩くよ…。ありがとう」


おやじ1:「ちょ、ちょ、ちょっと待て! 相談してくる!!」





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見知らぬおやじーずと必死で相談しているおやじ1。
なんかその必死さを見ていると、しょうがないかなぁという気もしてくる。笑
目算では300ルピーのはずが、これはもうちょっとかかりそうだなぁ。。。






そこに他のおやじ登場。



おやじ3:「ハロー。どこに行きたいの?」


ナミキ:「レッド・モスクって分かる? 古いやつ。赤くてしましまの」


おやじ3:「赤い…しましま…あれだね! ここから近いよ! ちょっと待っとりなさい」




数分後、おやじ1が頭をかきかき苦笑いして登場。



おやじ1:「今度は大丈夫!! (苦笑)」





3分後、





着いた!
この時点で、メーターは517ルピーを指していました…。



長かった道のりの末の到着に2人で笑いつつ
500しか受け取ろうとしないおやじ1の胸ポケットに20を押し込みながら、

何だかこの人たちの、
「分かんないけど人に訊けば何とかなるだろう!」精神と
「根拠はないけど何故か自信満々な感じ」が
とても愛しく懐かしいと思いました。
私が中東で慣れ親しんでいたものと似ています。




日本にも、こんな不完全でめんどくさくて愛くるしい時代があったんだろうか?
「へへへ、バイバーイ★」と去ってゆくトゥクトゥクおやじ1を眺めながら思いました。







余談ですが、その後モスクを経て教会から出てきた私の前に何故かおやじ2が現れ
「ほら! これだったろう、モスク!!!」
と自信満々に言い放っていました。
うーん、後で同僚のおやじに真相を聞いといてね。笑



※更に余談ですが、モスクはこっちの言葉で「マスジッド」と言うらしいです。
 最初からアラビア語式でいけばよかったね…。
スリランカのトイレには「アレ」がありましたよ!


photo:01




そう、中東を旅される方ならご存知の
水洗ホース。(便器左)
このホースのレバーを引くと先から水が勢い良く出まして、
用を足したあとに紙で拭く代わりに、
ホースで水をかけて流すのです。
(ホースがない場合はジョウロに水を汲んで流す)



何を隠そう私はこの水洗システムが大好きなので
スリランカ滞在中ほぼトイレットペーパーを使いませんでした。
こっちの方がスッキリしてヨイですよ。(本気)



余談ですが、以前ドイツ留学経験のあるパレスチナ人教授の国内アテンドをした際、
彼が興奮気味に熱く語ったアラビア語が私の心に深く残っています。


訳しますと、


「いやー、日本はいい!
何といってもあのトイレのウォシュレットがいい!
きみ、知ってるかい! 僕はドイツにいたけどねぇ、
ドイツ人は紙で尻を拭いて、それで平気な顔で歩き回ってるんだよ!
まったく信じられない! 野蛮だ!
それに比べて、自動で水が飛び出す日本はすごい!!」




日本の全てのトイレにウォシュレットがあるわけではないんですよ、
という真実を伝えるのはやめておきました。


そういうわけで、世の中には様々な価値観がありますね。
皆さんも是非一度、お水でどうぞ。
スリランカでは熱を出したりお腹を壊したりしながら頑張り、
もうすぐ帰路につくナミキです。
ほぼ仕事だらけで、象も海も見てません。w


「ここの人たちは穏やかだね~」と、キャンディを走り抜ける車の中で
某先生が何度も呟きました。
インド人と同じ顔してるのに(!)、道路で道は譲り合うし、
謝るし、ホームレスいないし、スラムも見当たらないし。


どうやら大都市コロンボでは少し事情が違うようだと私は思ったのですが、
それでもとてもマイルドな性格のひとたちに思えます。イスラエルと比べても。笑
この人たちが戦争してたなんて、何だか想像できないくらい。
(まぁ自分でも、この感覚は変だと思う。日本人だって戦争してたんだから。)



そんな中、たまたま知り合ったマイノリティ系の出自のお兄さんがいました。

数年前に内戦を終えたばかりのスリランカ。
今ではすっかり平和に見えるけれども、
彼は「ここは依然として何でもマジョリティが強い」といいます。



「自分はマイノリティとして暮らしてきたなかで
 あまりに多くの嫌な経験をしてきたから、
 それらを簡単に話し始めることはできないのだけれど、
 いつも自分がマイノリティって実感させられるんだ。
 それは紛争が終わっても変わらない」



停戦して、誘拐も殺しも無くなり、
観光客が増え、世界中からバカンスを過ごしに人が詰めかけ、
地元の人々は安心して笑って穏やかに暮らしているように見えるけれど、



治安が落ち着いた水面下では、まだきっと問題は山積しているのだ。
観光客にとっては常夏のバカンスの地でも、新聞には載らなくても、
ここのマイノリティにとっては毎日悔しいことが連続する地なのだ。
差別だったり、侮辱だったり。



世界の注目を失いつつあるこの火種を分析することも、平和構築・紛争予防学の役割。
マジョリティ/マイノリティの枠を超えて活躍できる人材が
この国にもっと現れますように。
うちのコースも、頑張らなきゃなぁ。
飛行機の中から、地上の夜景を見るのが好きです。

ヨーロッパの遥か上空を飛んでいくときに見える街の夜景は、
橙色の宝石の、黒い岩に埋まった原石のようです。
薄いナイフを差し込めば、オレンジの光が零れ出てきそうな、
そんな眩い塊です。

昨日、初めて通過するスリランカの夜景を見た瞬間には、
とある人工石の煌めきを連想しました。
手の中で転がすと練り込まれた銅粉が一つ一つ輝いては消える、
深い紫色のガラスで出来た紫金石です。



現れては消え、消えては現れる光の粒たちを眺めながら、
サン=テグジュペリの「人間の土地」と、
彼へのオマージュで創られたラピュタの「君をのせて」を思い出しました。
彼が序文を書きながら連想したのも、こんな光だったのかしら。



光の塊だったら「まぁきれい」で終わりになるのに、
一つ一つの粒がいちいち瞬くから、どうしても怖くなります。
現地語も覚えて来なかったこの土地で、私は一体幾つの輝きを間近に感じるんだろう。
いや、どれだけ丁寧に拾って、その重みを心に刻もうとするのだろう。


想像力を働かせることにかまけて、地に足がついていない自分を試されるようです。
そんな思いを反芻する、スリランカ滞在2日目の夜でした。
横浜中華街育ちのお父さんと、上海っ子のお母さんの間に生まれただんなくん。
彼や妹さんにとって、上海は小さな頃から毎年のように訪ね、歩き回った場所です。


家族旅行の最終日は、二人できままに上海を歩く時間をいただきました。
夜になって彼が行きたいと言い出したのは、
川沿いの「外灘(Waitan)」という地域。



外灘の辺りは、かつて上海が外国に割譲されていた頃の船着き場で、
借り主の国々が国威を発現したかのような貿易拠点を建てまくった場所です。
今でも100年くらい前の建物が残っていました。



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これをね、小さい頃、毎日見に来ていた時期があったんだ。
一ヶ月上海の親戚のところにいたんだけど、
おじさんおばさんに頼んでね、毎日毎晩だよ。


上海は来る度に色々なところが変わってるけど、
この景色だけは、昔からずっと変わらない。
僕たちが年をとっても、ずっと変わらないはずだよ。


と、景色を眺めながら呟くだんなくん。

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そうだね、中国にとって、これはすごい遺産だね。



そう返したら、



うん、でも、昔この公園は中国人立入禁止だったんだ。
外国人と、その犬は入れたんだけど。
犬は入れても、中国人は入っちゃいけなかったんだよ。

と、彼は付け加えました。








気象塔の上から見下ろすと、
眼下では沢山の地元っ子や観光客が、きゃっきゃしながら写真を撮ったり、
肩を寄せ合ったり、何か押し売りしたり、何か喚いたりしていました。
現代では、当たり前のことです。



100年近く変わらない夜景の脇に彼らを見ながら、
「現代の当たり前」を享受できなかった昔の人たちのこと、
理由をつけては隣に生きる人間を締め出して何かを独り占めしていた昔の人たちのことを
想いました。

そして、内容は違えど、現代の私たちも同じことをしているかもしれないなぁ、
と思いました。






行きたい場所に行けない、
自分の意志を発現することができない、

そんな縛りが、世界中で「昔話」になりますように。
新しい「当たり前」を創るのは、私たちの世代、なんだよね。
2/8-2/13にかけ、旧正月に合わせて上海に行ってまいりました。
目的は、上海にいる義母の親族へのご挨拶、お墓参り、
そして義母念願(だったらしい)の「長男夫婦の結婚写真撮影」です。



中国でウェディング・フォトを撮る…!



噂に聞くところによると、
「安い!」
「フォトショで修正が入りまくる」
「とにかく豪華に撮る」
「化粧もバッチリしてもらえる」

とのことだったのですが、

ネットで検索しまくっても撮影例が出なかったので
戦々恐々としながらその日を待っておりました。

※一度パレスチナで「写真撮影用のバッチリ現地メイク」をされたことがあり、
 アメリカ人に「殴られたの?」と言われる程どぎつい顔にされたトラウマがあったため
 海外でのメイクを異常に怖がる私。




そして当日。


スタジオはフツーの高級マンションの一室にありました。
このマンション、外身はものすごく豪華なのですが、
スタジオの中は「え!」と思う程とても簡素でした…。
聞けば、中国では物件は「箱を買う」イメージで買い求め、
中身は自分の経済力に合わせて内装を一からやるそうです。
(スタジオの写真はありません、ごめんなさい)


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化粧をされるだんなくん。
旧正月の一日目から撮影に付き合わせてしまったメイクさんカメラさん、
すみません…ありがとうございます。
(ちなみにメイクさんはとても可愛い男性でした)

このメイクの後、まさか髪をあんな風にセットされるとは思いもしないだんなくん。


「服は5種類着られるよ! いろんな時代の服があるよ!」と言われ、
最初に着たのは中国の服。(時代は忘れた…)


それでは、どうぞ!
(まだフォトショは入っていません)




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紅い。


私の頭には合計5個のかつらパーツがつきまして、
頭が1.5倍(当社比)の容積になり、もちろん重さも加わって、
首から上がぐらんぐらんしました。笑


そしてだんなくんの髪が昭和のアイドル風。
いたいた、こんなひと!とついつい笑ってしまったのは内緒ですw





次はチャイナドレスにしました。



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はっ、気がつけば私の頭も昭和風…! Σ(°△°|||)



このシリーズのだんなくん衣装はツッパリの学ランみたいなやつで、
面白すぎて本人の許可を取らないとアップできないレベルなので
画像はなしです、あしからず。




ところで、上海はものすごく底冷えする都市らしく、
暖房はきかず、部屋の中でもコート着用が当たり前です。
家の中でも息が白いし。



周りが上着着用で見つめてくれる中、
半袖で撮影を頑張った私。
チャイナドレスを撮影し終わった頃はすっかり身体が冷えきって、
身体が勝手にガクガクしておりました。




カメラさん:「動かないで! 笑って!」(←中国語)


なみき:「(ガクブルしながら引きつった笑いで)はいぃい」(←ついつい日本語)



というやり取りを300回くらい撮影の間中ずっと続けたので、
周囲は笑い転げていました。。。苦笑




その後ドレスを2種類撮りましたが、
寒かった。ものすごく寒かった。


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最後はピンクのドレスを(昭和風の髪型で)着ましたが、

私の格好も面白すぎるためアップは控えさせていただきます。

ガーデン調のスクリーンの前で色々ポーズを取り、
だんなくんは白いギターを抱えさせられ、
「ちょwww ギターwww」と思っていたら私は造花の花束を手渡され、
弾き語りポーズしたり花をカメラに向かって差し出したりして撮りました。
大変でした。(遠い目)

顔の引きつったカップルの写真を撮らされるカメラさんも大変だったことでしょう。
ごめんなさい。




歯をガチガチいわせながら
「もう5種目の服はいいです…!お家にかえりたい…!」と早々に切り上げ、
結果6時間で4種類の服を着て、300枚強の写真を撮りました。
これから40枚程度を選び、中国でアルバムにしてもらい、
私と彼の実家に1冊ずつ置かれる予定です。
横浜か流山にお立寄りの際は是非ご覧下さい。



ちなみに価格は数万円だと思います。(怖くて義母に聞けませんが)
お義母さん、貴重な体験と記念の写真をありがとうございました!



もし中国で結婚写真を撮られる方がいらっしゃるなら、

冬は避けましょうとアドバイスしたいです。
あったかくなってからトライしてくださいね!
だんなくんが、最近ぼそりと言いました。


「うつを言い訳にして生きてるような気がして、
 何だか嫌な気分がする……」



うーん。また焦りんぼモードになっている気もしなくもないが、
元々馴染んでいた生活リズムに戻りたい意志を感じる良い傾向でもあるのかもしれない。


*  *  *


闘病生活を送る彼の横で暮らして思いますが、
「うつを理由にする」という行為は、
「社会通念との闘い」だったような気がします。
本人と、周りが持っている社会通念との闘い。


うつだから、メールも電話も全くできません。
うつだから、当日来られないことがあります。


一緒に仕事をしていたら、途方に暮れるはずです。意味分からないはずです。
本人も、訳分からなくて悔しくて、途方に暮れるはずです。もがいてしまうはずです。

一緒に生活している私も、たまに途方に暮れたりしていましたが、
途方に暮れようが何しようがダメなものはダメです。
何より彼にとって良くないので、私は最近は笑い飛ばせるようになりました。笑
あーそうかーじゃぁしょうがないね、今あるもので何とかしようか、
と思ってくれる人口がもっと増えるといいなぁと思います。




「うつを理由にしない」という行為は、頑張ることではなく、
「自分の行動の先を読んで工夫する」ことに尽きるかもしれません。


明日ちょっと天気悪そうだから、今日無理しすぎない。
明日ちょっと倒れそうだから、本当に最低限のことだけ今日済ませておく。
相手も心の準備ができるように、最悪の時は体調予報だけでも出す。
そういったことの、小さな積み重ねの先に、
「うつを言い訳にしまくらなくていい日々」が待っているのかもしれません。




多分、それはそのまま、回復期に求められる積み重ね。
だんなよ、気張りすぎるでないぞ。
理想の日々は多分、一足飛びでやってはこないぞ。