脱★根暗宣言 -4ページ目

不可解な

ここ1ヶ月ちょい、私の感覚は少しおかしくて

どこかふわふわしている感じが続いている。

おかしいのは今の方じゃないかもしれないけど。



布団に入ると

前は、あ~今日も一日疲れた~~とか

暖かい布団~~~幸せ~~~

って感じだったけど、

今は何も考えなくて、

身体が自動的に布団に入っていって、

眠りに落ちるのをただ待つ。



悲しいとか、辛いとか、嬉しいとかそういうのはなくて

自動的に物事が進んでいく。

そしてそれが当たり前になって、

なんの疑問も持たなくなってくる。



でもやっぱりおかしい。

それには気づいている。

息が苦しくなったり

動悸がしたりして物理的に苦しくはなっても

胸が締め付けられる様な

悲しみとか苦しみはなくて、

突発的な苛立ちや憎しみに似た感情が

一時的に空間を歪めるだけだ。



なのに無意味に自分を罰したくなったり

他人を拒絶したくなったり

身近なのものに興味がなくなったり

そういうことが実際に起きる。

そうなる明確な原因が見つからないから

この一連の現象は私には不可解に映る。



ただ少しずつ緩和されてきている。

ちょっと前までは振れ幅が大きかったが、

今は突発的な感情が緩やかだ。

身体的にも不調が減ってきて

全身が重たい感じもなくなってきた。

あとはただただ待つしかないんだろう。




私はどこに向かいたくて

何を目指しているのか。

今の私にはもはや判断することもできないけれど、

意識がはっきりと戻った時に

たどり着いていた場所から

また歩き出すしか私には術が無い。

アウラ

私は異常な程に正気だ。

そこには狂う事のできない、狂気がある。




異常でもなく正常でもなく

私はどちらかのカテゴリーに属して安心したいけれど

両極を望む二人の私に同じ強さで引っ張られて

境界線上を漂い続ける事になる。

どこにも属する事ができない。

属する事を望んでいるのに、

属する事への恐怖で私は属さないという選択をする。




一つのカテゴリーに属する事は

嘘をつく事になってしまうから。

私の全体性を失うとても恐ろしい事。

それは本物を本物でなくし、

唯一のものを色あせた代替品に変えてしまう。




私が訳も分からずベンヤミン言うの「アウラ」に心惹かれたのも

こういうことなのだと思う。

本物と偽物という2つのカテゴリーに分けてしまうのは

あまりにも軽率だろう。

それでも私は広義の意味で「本物」を突き詰めていきたいし

「偽物」を軽蔑しつづける。

例えそれが慢性的な吐気を伴う作業であり、

同時に他者を傷つけ続ける生き方だとしても。

冬の存在意義

今日は久々になにも予定のない日で
色んなことをした。



まず昼食を家族で食べにいって、
そこで父親がかなり心配げに私の将来の話を始めて、
本当に大丈夫なのか、
ちゃんと考えてるのか、
本当に働く気はあるのか、
親なんだから心配して当たり前だ、
等と延々と持論を説かれた。


最初は本気でイライラして
なんで私は「幸せ」を押し付けられなきゃいけないんだ
親の「期待」に忠実に応えなきゃいけないんだ
私が大丈夫なことをいちいち「証明」しなきゃいけないんだ
って悲しい気持ちになった。
その場から逃げ出したかったし、
実際ちょっと泣きそうだった。


でも段々冷静さを取り戻して
父もきっと不安でいっぱいなんだろうなとか
本当は私に幸せになって欲しいだけなんだけど
上手く伝えられないんだろうなとか
私があまりにものんびりしてるように見えるから
焦ってるんだろうなとか
客観的に事態を把握することができて、
そうしたら対等な人間として
私も持論を展開しながら議論することができた。


我ながら成長したというか、
昔だったら大泣きしながらキレてただろうな
とか考えながら話していた。
でもそんな自分がちょっと自分じゃないような気もして
怖かったのも本音ではある。





その後はカフェで色んな雑務をこなした。
溜まっていた家計簿の記入から、
修論の研究調査で集めたデータの入力、
今関わっているダンス公演の通しの動画を何度も見返して、
改善策やダメ出しをまとめて、
気づいたら4時間が経っていた。


普段の集中力の持続時間が3分とかいうレベルなのに、
今日は謎の集中力で休憩も間食も無しで
4時間ぶっ通しで作業してた。
家に帰ってからも作業の続きをして、
溜まっていた印刷物を出力し、
今後数週間の予定を時間単位で整理して、
ダンス公演のウェブサイトを更新して、
ダンス団体の方のブログを更新して、
指示されてもいない仕事までこなして、
気づいたら0時を回っていて、
お風呂入って、出たらまた仕事が増えていたから
それにすぐに対応して・・・


という予定が一つもなかったはずなのに、
脳内で普段使わない部分をフルに稼働させた1日だった。
いつもはくだらないネガティブな事とか
自己嫌悪とかイライラとか
そういう感情ばかりが頭の中で渦巻いて
歪んだ認知で物事を捉えがちだけど、
今日はもっと頭の中がすっきりしてて
色んな事がすんなりと入ってきた。


ただ集中し過ぎて
すでに頭がぼーっとするし
目も相当疲れているのは実感している。
本当に私は
何もできない時と
何でもできてしまう時との差が
とてもに大きくて
自分でもその差に驚いてしまう。


一体何が原因なんだろう?
何が私を完全なる使えない人間に陥れたり、
何が私を効率の良い仕事人間に変身させたりするんだろう。
今日の能率の良さは、
そろそろ春が見えてきたからなのかな。
今年の冬は割と本気でキツかったし
落ち方が例年に比べても激しかったけど、
もしかしたら私の中にも
その転落を経て何かが
春の訪れと共に生まれているのかもしれない。

できる子

今行っているダンスのレッスンは
初心者が多くて、あまりスキルのレベルは高くない。
むしろ3才から踊っている私は
若干浮いているともいえる感じだ。



やっぱり何かを教える時に
「できない子」には自然と目がいく。
注意もしやすいし、成長の伸びしろが大きいからだ。
でも「問題のない子」にはなかなか目がいかない。
放っておいても大きな問題がないし、
すでにそれなりにできているのだから、
その人の相手をする時間を「できない子」に向けた方が
生産的なように思える。



でもこのレッスンのインストラクターの先生は違う。
初心者ではない私にも的確なアドバイスをしてくれるし、
もちろん初心者で前も後ろもわからないような人にも同じだ。
その時その時で周りを見回して、
個々人の初期値が0だろうが、30だろうが、100だろうが、
一人ひとりが+1でも成長出来る様にしてくれる。
皆をなんとなく50前後にしようという訳でもなく、
それぞれが自分に必要なものを見つける手助けをしてくれる。
それが私はもの凄く嬉しくて、励まされるんだ。



いつだって私は学校の成績も問題なかったし、
家の外ではなんだって迷惑かけずに一人でこなしてきた。
一度でも注意されたところは、
必死になって努力して自分で治した。
もう注意されずに済むように。
もう迷惑かけずに済むように。
もう面倒な子だと思われないように。



でもその努力が実りすぎて
幸か不幸か、大人は私に注目しなくなった。
放っておいても大丈夫。
一人でもちゃんとする子だから心配ない。
そうやって大人は私を見なくなった。



そうやって放っておいてもらえるのが
「できる子」のステータスであり、特権だとも思った。
「面倒をかけない子」「手のかからない子」
というレッテルは心底嬉しいはずだった。
誇りに思っていると自分でも思っていた。



でも違うんだ。
本当は誰よりも注目されたかった。
悪い意味では注目されたくなかったけど、
秀でていると認められたかったし、
より上を目指せる環境が欲しかった。



ちゃんと見てもらえる事。
ちゃんと私に合った指摘を受けられる事。
それがどれだけ私の望んでいた事か、
ようやく、というか今更気づいた。
注意されたりするのは恐ろしい事だと思っていたけど、
その注意のおかげで自分が成長するのを実感出来たとき、
やっとそれはただ「ダメな子認定」を受ける事とは
違うんだって感覚的に理解する事ができる。



その人はダンサーとしても尊敬出来るし、
コレオグラファーとしても尊敬出来るし、
インストラクターとしても尊敬出来る。
未だに警戒心が強くて自分からほとんど話しかけられないけど、
陰ながら追いかけていたいし、
いつかは私も自分のスタイルを確立して、
対等な立場になりたい。
それは表現者としても、教育者としてもだ。

領域

今の家の成員は父方の祖父母と私の父と母と私だ。
狭い3LDKに5人。
価値観も全然違う3世代がこんな狭い空間で
平和に一緒に暮らせると思ったら勘違いだ。


父方の祖父母はかなり神経質だし
持っている文化が大分違う。
祖父に関しては相当な心配性と頑固な性格で、
父親ともしょっちゅうぶつかっている。
私も日本に帰ってきて一緒に暮らし始めた頃は
何から何まで心配されて本当に嫌だった。


母親はパートはしてるものの
一番家にいる時間が長いし、
気の合わない祖父母とずっと過ごすのは
相当なストレスになってるだろう。
一日中気を使って、プライベートの時間も持てない
それに加えてもう年なのに週3で肉体労働なパートで働いて、
帰ったら一人で家事。


そんな最中私は一人で大学院まで行って
ろくに家事も手伝わずにダンスばかりして
モラトリアムを謳歌してる。
自分がどれだけ恵まれてるかも知らずに
不満ばかりを募らせる。


もっと家族が仲良く生活出来たらいいのに。
もっと皆気兼ねなく生活出来たらいいのに。
もっと居心地の良い場所にできたらいいのに。


でも祖父は相変わらず頑固で無駄に人の生活に介入してくるし、
祖母はいつも眠れなくて辛そうだし、祖父と喧嘩してるし、
父親は祖父と喧嘩したり、母親をなだめるので大変だし、
母親はいつも疲れていて、この生活に不満そうでいるし、
私はどうしたらいいのかわからない。


皆に変わる気があるならいいかもしれない。
でももう祖父母の年になれば変わるのは至難の業だし、
かといって私の方が柔軟に取り繕えるかといったら
私はそこまでできた人間じゃない。


みんな居心地が悪そうで
みんな不満そうで
みんな自分がかわいそうだと思っていて
そういうのが全部伝わってきて
気持ち悪くて逃げ出したくなる。


こんな生活がそもそも上手く行くはずがないんだ。
必要なパーソナルスペースが確保されていなくて、
狭い空間に押し込められて、
息苦しくて、不満にならざるを得ないんだ。
そしてそういった不満は充満して、
互いを傷つけたり、負担になったりする。


どうしてこんなことになってるんだろう。
お金がないから?
年を取った祖父母を養うため?
よくわからないよ。
だれも幸せじゃないなら
意味がないじゃないか。


あまりにも文化が違う場合、
お互いに理解し合ったうえで平和を築くより、
それぞれの領域を保ちながら、
その領域を侵すことなく、適切な境界線を引いて、
別々の空間に居続けるほうが互いの為になる事は
いくらでもあるんだ。


もう不満をぶつけ合って
かわいそうな人アピールをし合うのは
本当に嫌。