脱★根暗宣言 -2ページ目

作り物

昨日は凄く気持ちが落ち着いてて

色んな事を冷静に客観視出来ていたのに

今日は朝からダメだ。

怖い夢をみたということだけ覚えている。

私は夢の中でパニックを起こしていた。

何が起きたのかはよく覚えていない。

ただ死にものぐるいで何かを拒絶していた。




感情の振れが大きい。

昨日は「もう乗り越えたんじゃないか」

「もうあの感覚は戻ってこないだろう」

と半ば確信をもっていたけれど

全然そんなことはなかった訳で。

まぁ一生そんな感覚が戻ってこないと言う方が

あまりにも安易で非現実的だ。

そのくらいわかってるけど。




何もしたくない。

気持ち悪い。

またこれか。




一人になりたい。

今の私に能動的な意志があるとすれば、

それは一人になりたいということくらいだ。

人に見られたくない。

他人の目線が怖いとかじゃない。

私は人に見られていると

自己を保てない。

私の自由をいとも簡単に奪い去っていく。




今の私にできる事は

抑圧の中で自由を謳歌する事ではなく

逃避によって、つかの間の自由を求める事だけだ。




今書いてて思ったけど
なにからなにまで馬鹿馬鹿しい。
なんでこんなことをわざわざ書いて示すんだ。
偽物だ。
本当の事なんて何一つ書いていない
言葉を書き出した瞬間に
それは私の入念な計算によって導きだされた
作り物になる。
今この瞬間も私は気持ち悪い産物を
次々に生み出していて
私はその罪悪感に飲み込まれそうになりながら
それでも書き続けている気持ち悪いんだ。
いつまで私は可哀想な子を演出しつづけなければいけないんだ
いつまで私は痛い子でいつづけなければいけないんだ
私は心配されたくない心配されるのは嫌
それは私を縛って私を制限するから
なのに私は心配されたくて
私を救ってくれる人が欲しくて
こうして可哀想な子を演じ続ける気持ち悪い

気持ち悪い

本当に気持ち悪くて嫌だ

全部偽物だし全部演技だ

全部私のものじゃなくて
偽物で消えて欲しい。

自由

昨日の夜は酷く空虚だったし

朝方から夕方にかけては思考が滞っていた。

同じ事をずっと一日中考えていて

よく飽きないものだと自分でも思う程に。





夕方、新宿の大通りのアスファルトの歩道に

男の人が横たわっていた。

どうかしたのかと思ったけど、

見ると苦しんでいるとかいう様子ではなく、

ただ横たわりたくて横たわっているのかと思った。




羨ましく思った。

私も横たわりたい。

意味もなく

今やろうとしている全てを放棄して

人々が通りゆく大通りの歩道に

ただただ横たわりたい。

誰に邪魔者扱いされても

奇異な目で見られても

それでも私は自分の時を止めたい。

そう思っていた矢先の出来事だった。




あまりにも羨ましくて

ずるいと思って、

話しかけようかと思ったけど、

私はレッスンに向かっていた。

もしそれが帰宅中とかだったら

私はまた違った行動をとっていたかもしれない。

その人がそこに横たわっていた真意はわからない。

でも彼は私の見ているものの更に先を見ているんだと、

なんとなく思った。





夕方レッスンに行ってからは

割と気持ちが落ち着いていて、

特に一つの考えに執着する様な事もない。

さっきまで酷く空虚だったのに

ちょっと時間が経てば

何事もなかったかのように

普通に生活をしている。

一体あの感覚は何が原因で起きて

何がきっかけとなって去っていくのか。

知りたいようで

知りたくない。




今日も一日が終わる。

私の意識は複数の世界を行き来して

帰ってきたのは

落ち着きのある世界だった。

また明日が来て

私はまた別の世界に行く。

どこに帰るかはその時その場で決まる。

私は自由だ。

大通りの歩道に無造作に横たわったあの人のように

私は自由だ。

一人

バイトでささやかだけど昇給した。

働き始めて1年以上経ったという事もあるけど、

よく頑張って前向きに働いてくれてるから

職場を良くするために努力してくれてるから

職場の誰よりも欲しい人材の理想像に近いから

だそうだ。




私は着実に社会的に有用な人間になっている。

1、何事も建設的に考え、頭から否定せず、前向きに検討する。

2、思った事を伝わる形で言語化し、感情だけに流されない。

3、注意や言われた事を否定的に捉えず、

  その意味を理解しようと努め、素直に行動に移す。

4、皆いい所と悪い所を持ってるから

  人格を否定せず、その人を包括的に評価し存在自体を認める。

5、仕事が上手く行かなくても極端に落ち込まず、

  次に何ができるか、今自分に何ができるか冷静に考える。

6、思った事があったら溜め込まずに

  相手の気持ちも考慮しながら言葉を選んで意志を伝える。

7、自分ができる事を他人に押し付けず、

  皆違った能力や基準を持っている事を前提に接する。

8、自分の苦手を認め、苦手な事は他の人に頼んで

  一人で全部やろうとしない。

9、媚びない、調子に乗らない、周りに流されない。

10、他人からの評価にいちいち惑わされない。





完璧だ。

完璧に素敵な人間だ。

私が理想としてきた

素晴らしい人間像そのものだ。

こんな人間になりたかった。

そして私はなった。





なのになぜ。

なぜこんなに空虚なんだろうか。

私はこんなにも完璧に見えるのに

しかもそれは欠点をも認めた完璧さであるのに

どうしてこんなに空っぽなんだろうか。




人から見える所ばかりが整えられていって

見えない内側はどんどん隔離される。

外側がまともになればなるほど

それに反比例するかのように内側が脆くなる。

私のゴミ溜めのような自室もそれを物語る。

どんどん内側と外側のギャップが広がっていって

私は空中分解しそうになる。

バイト先の人たちは

まさか私がこんな事を考えているなんて

これっぽっちも思っていないだろう。




人に会いたくない。

家にもいたくない。

できればどこか他者との距離が一定以上に保てる

居心地の良い落ち着けるカフェで

好きな音楽を聴いたり

好きな本を読んだりして過ごせたら

私は多分幸せだ。

気ままに散歩をして自然に触れて

それだけで私はいいんじゃないかと思う。




前にある友人に

私は一人で何かをやる方が向いていそう

と言われた事があった。

その時私は、自分が寂しがりやで他者に依存気味なことを

重々自覚していたから

さすがにそんなことはないと思っていたけど、

もしかしたら私は

本当に限られた人間関係だけを緩く保ちながら

あとはひっそり一人で黙々と何かをしている方が

向いているのかもしれないと最近は思う。




人に見られる事も

人に期待される事も

人と比較される事も

人に評価される事も

私にとっては自我を崩壊させる脅威だ。




私に生きていく術はあるんだろうか。

特に具体的に何もしたくない私に

ただ一人で落ち着いた時を過ごしたい私に

未来はあるんだろうか。

自立して、お金が尽きるまでこのまま生きて

お金が尽きたら潔く死ねばいいんだろうか。

家族にも社会にも申し訳ないけど

この世には何も残せないけど

それはそれで幸せな人生かもしれない。

眺める

なにが変わったって

私は変わらなければいけないというモチベーションを

もはや持ち合わせていないという事だ。




前は変わらなければいけない、

こんな自分では教師にもなれないし、

親にもまともな人間にもなれない。

そう思って必死に変わらなければと思っていた。

でも最近はそういうのが無くなって

なぜ変わらなければいけないのかすらわからない。




それは成長なのかもしれない。

「~しなければいけない」からの解放を意味するのかもしれない。

昔は「まとも」「正常」「善」へのこだわりが強くて

そう在れない自分が許せなかった。

まともさを完璧に作り上げ

正常なふりをして異常を排除し

善人を装って他人を騙す。

そんな不毛な繰り返しに嫌気がさしていた。

でもそれはエネルギーの伴う営みで

私は必死にもがきながら生々しく生きていた。

グロテスクなまでにあがいていた。




今、私はどこにも向かっていない。

なぜ生きているのかもわからないし

これから何をしていくのかもわからない。

何がしたいとかもなければ

この状況をどうにかしようとも思わない。

エネルギーの行き来しない運動の繰り返しに

飽き始めていることだけは確かだ。




死にたいとも思わないし

生きたいとも思わない。

ただ流れていく時間を私は客観的に眺めて

なんてつまらないのだろう。

そう心の中で呟く。

それは不満に満ちた声ではなく

哀れみと同情に満ちた声だ。




一人でいれば私はそこそこ幸せだ。

退屈な平穏の中で

ふわふわとした空気に包まれて

事務的に課せられた責務だけをこなす。

その単純作業は私に安心をもたらす。

でもそれが一生続くかと思うと

私はふと柔らかい絶望を抱く。




こうして私は内側から腐敗していくのかもしれない。

気づけば何もかもが灰色になっているのかもしれない。

別にそれが恐ろしい訳でも

不平をこぼしたい訳でもなく

私はこんなことを書いている自分をまた客観的に眺めて

どうでもいいな。

そう心の中で呟く。

選択

よくわからない気分だ

なにも考えられない

先のことが見えない




嫌だったことを思い出そうとすると

すっと感覚が遠のく

身体がふわふわしはじめて

私は私を必死に守ろうとしているのがわかる




私は自殺とかするような人間ではないし

辛くて苦しくて耐えられないと思っても

この先自ら死ぬようなことはないと思うけど

人生に飽きたら

というか

この人生において

執着するものがなくなったら

ふっと消えたりしても

いいと思うことはきっと誰にでもあると思う。




もちろん育ててくれた家族に申し訳ないとか

なにか責任を背負ったままだったら

迷惑かけてしまって心残りとか

あるんだろうけど

そんなことすらどうでもよいような気持ちになってしまったら

人間は簡単に死んでしまうものだと思う。




当てつけとか

自罰とか

苦しみからの解放とかではなくて

私たちが日々「生きること」を選択しているように

それが正しいがごとく

「死ぬこと」を選択する。

それだけのこと。