社会の黙認
近況をさくっと。
まず凄く自分の成長を感じたのが、イライラしてどーしようも無い時に
今自分が何に対してイライラしていて、
どうしてそれが自分にイライラをもたらすのかを
冷静になるべく客観的に分析できるようになった事。
例えその場でイライラを解消する事が出来なかったとしても、
少し落ち着けば出来るはずだから大丈夫。
そう思えるってことが「自信」を持つってことなのかな。
何かが出来ない時に、「それでも大丈夫。」
そう思えるって事なんだろうか。
そしてそんな自分が前の自分より凄いとかじゃなくて、
きっとイライラに対する反応の種類と言うか、幅が広がって
前よりも凄くていい子な私になったんじゃなくて
前よりも選択肢が広がって豊かになったと言う事はできるのかな。
昔は成長すれば自分がどんどん「完璧」に近づくんだって思ってたけど、
それは実はとても恐ろしい事で
本当はただ自分の新しい部分を開拓し続けているだけで
無限に広げて行く事ができて、
しかもそれは良い悪いで評価できる物ではなかったりするんだろうな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
二つ目の出来事は、塾講師の2次試験で模擬授業をしなければいけなくて
でも準備も心構えも中途半端でぼろぼろだった時。
しかも採用担当の人はめちゃくちゃスパルタで怖くてヒステリーな感じ。
この試験で確かに授業に関してとか、子ども達はどう感じるかとか
そういう面で勉強になったのもあるけれど、
人材育成とか、採用過程とか、社会の在り方について凄く考えさせられた。
私は社会に出て行った時に、こうやってスパルタな上司とかに
めっためたにされて、悔しい!って思ってふんばれるのかな。
それとも、怒られたりするのが怖くて、いい子ちゃんを演じるのかな。
それとも、こんな酷い人の下で働けるものか!ってやめちゃうのかな。
わからない。
社会に生きていれば理不尽だと思ったり、不公平だと思う事だらけだ。
自分の主張が出来ない情況が多々ある。
でも社会に適応するっていう事は
理不尽なことや不公平なことを「仕方ない事」として飲み込む事じゃない。
きっと理不尽なことや不公平なことを仕方なく抱えてしまう社会と
コミュニケーションをとっていくことじゃないのかなぁ。
社会は自分も他者も含めた、それを取り巻く環境全て。
理不尽な事を理不尽という事の出来ない社会をただ黙認するんじゃなくて
どうして現状はそういう情況になってきたのか。
なぜ私はそれを変えたいのか。
もしそれを考えて、伝えて、意見を戦わせたら納得できるのかな。
「理不尽だ」とか思ったり、ただ言ったりするだけで
自分を何も出来ない非力な存在として決めつけて
社会側に責任を押し付けて逃げ続けるのも嫌だってだけなんだけどね。
あーーーわからない。
社会は理不尽で不公平だ。
でも社会は変わっていける。
誰が悪いかを決めるんじゃなくて
一緒に生きていくにはどうしたらいいか考えたいんだけどな。
でもこんなこと言葉で言うのは簡単でも
こちら側に対話をする気があったとしても、相手に無かったら?
よく企業とかの研修で新入社員を「とりあえず怒る・叱る」とか聞く。
活をいれるためなのか。ビビらせて言う事きかせるためなのか。
社会は厳しいんだから、このぐらい耐えられなきゃ困るっていう主張か。
私はきっと厳しくされてのびるタイプだからいいのかな。
負けず嫌いだから、
こんなんで負けてたまるかっていう無駄なプライドが活性化する。
ただ同時になんか凄く違和感があるのも確か。
学校で試験にでる勉強ばかりするのと同じ違和感なのかな。
社会に出た時に必要になる技術を社会に出る前に養おう的な。
理不尽と戦う資質とか、社会をより良くしていこうとする態度って
どうやったら養えるんだろう?
社会をより良くなんてそれもまた曖昧な概念なんだけどね。
何言ってるかわからなくなってきた。
歪んだ社会でも数多くの優れた芸術作品が生まれる。
社会は真っ直ぐになる事はない。
社会でどのように生きるかは人それぞれ。
反発したり、順応したり、観察したり、
社会は敵じゃない。
社会は自分だし、大切な人だし、私達みんな。
だから「対社会」っていう考えその物がそもそもおかしいのかな。
私達は自分で勝手に敵を作り上げてしまうんだろう。
それも生きる本能なんだとしたら私は何ができるんだろう。
ランカ・リー=中島愛 「そうだよ。」
この曲好き。劇場版第一弾の方のエンディング曲。
今日はおととい公開のマクロスFの劇場版(完結編)を見に行って
歌声に癒されて、勇気づけられて、心動かされたな。
菅野さん凄いなやっぱ。
音楽って本当に凄い。
この世に本物のランカとシェリルが舞い降りて、
歌で世界を震わせてくれたら良いのになーなんていう
最終的に他力本願な考えに至ってしまう私でした。
考えがまとまらなくて色々もやもやするけど、
それはきっと今自分を広げている途中っていう証なんだろう。
まず凄く自分の成長を感じたのが、イライラしてどーしようも無い時に
今自分が何に対してイライラしていて、
どうしてそれが自分にイライラをもたらすのかを
冷静になるべく客観的に分析できるようになった事。
例えその場でイライラを解消する事が出来なかったとしても、
少し落ち着けば出来るはずだから大丈夫。
そう思えるってことが「自信」を持つってことなのかな。
何かが出来ない時に、「それでも大丈夫。」
そう思えるって事なんだろうか。
そしてそんな自分が前の自分より凄いとかじゃなくて、
きっとイライラに対する反応の種類と言うか、幅が広がって
前よりも凄くていい子な私になったんじゃなくて
前よりも選択肢が広がって豊かになったと言う事はできるのかな。
昔は成長すれば自分がどんどん「完璧」に近づくんだって思ってたけど、
それは実はとても恐ろしい事で
本当はただ自分の新しい部分を開拓し続けているだけで
無限に広げて行く事ができて、
しかもそれは良い悪いで評価できる物ではなかったりするんだろうな。
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二つ目の出来事は、塾講師の2次試験で模擬授業をしなければいけなくて
でも準備も心構えも中途半端でぼろぼろだった時。
しかも採用担当の人はめちゃくちゃスパルタで怖くてヒステリーな感じ。
この試験で確かに授業に関してとか、子ども達はどう感じるかとか
そういう面で勉強になったのもあるけれど、
人材育成とか、採用過程とか、社会の在り方について凄く考えさせられた。
私は社会に出て行った時に、こうやってスパルタな上司とかに
めっためたにされて、悔しい!って思ってふんばれるのかな。
それとも、怒られたりするのが怖くて、いい子ちゃんを演じるのかな。
それとも、こんな酷い人の下で働けるものか!ってやめちゃうのかな。
わからない。
社会に生きていれば理不尽だと思ったり、不公平だと思う事だらけだ。
自分の主張が出来ない情況が多々ある。
でも社会に適応するっていう事は
理不尽なことや不公平なことを「仕方ない事」として飲み込む事じゃない。
きっと理不尽なことや不公平なことを仕方なく抱えてしまう社会と
コミュニケーションをとっていくことじゃないのかなぁ。
社会は自分も他者も含めた、それを取り巻く環境全て。
理不尽な事を理不尽という事の出来ない社会をただ黙認するんじゃなくて
どうして現状はそういう情況になってきたのか。
なぜ私はそれを変えたいのか。
もしそれを考えて、伝えて、意見を戦わせたら納得できるのかな。
「理不尽だ」とか思ったり、ただ言ったりするだけで
自分を何も出来ない非力な存在として決めつけて
社会側に責任を押し付けて逃げ続けるのも嫌だってだけなんだけどね。
あーーーわからない。
社会は理不尽で不公平だ。
でも社会は変わっていける。
誰が悪いかを決めるんじゃなくて
一緒に生きていくにはどうしたらいいか考えたいんだけどな。
でもこんなこと言葉で言うのは簡単でも
こちら側に対話をする気があったとしても、相手に無かったら?
よく企業とかの研修で新入社員を「とりあえず怒る・叱る」とか聞く。
活をいれるためなのか。ビビらせて言う事きかせるためなのか。
社会は厳しいんだから、このぐらい耐えられなきゃ困るっていう主張か。
私はきっと厳しくされてのびるタイプだからいいのかな。
負けず嫌いだから、
こんなんで負けてたまるかっていう無駄なプライドが活性化する。
ただ同時になんか凄く違和感があるのも確か。
学校で試験にでる勉強ばかりするのと同じ違和感なのかな。
社会に出た時に必要になる技術を社会に出る前に養おう的な。
理不尽と戦う資質とか、社会をより良くしていこうとする態度って
どうやったら養えるんだろう?
社会をより良くなんてそれもまた曖昧な概念なんだけどね。
何言ってるかわからなくなってきた。
歪んだ社会でも数多くの優れた芸術作品が生まれる。
社会は真っ直ぐになる事はない。
社会でどのように生きるかは人それぞれ。
反発したり、順応したり、観察したり、
社会は敵じゃない。
社会は自分だし、大切な人だし、私達みんな。
だから「対社会」っていう考えその物がそもそもおかしいのかな。
私達は自分で勝手に敵を作り上げてしまうんだろう。
それも生きる本能なんだとしたら私は何ができるんだろう。
ランカ・リー=中島愛 「そうだよ。」
この曲好き。劇場版第一弾の方のエンディング曲。
今日はおととい公開のマクロスFの劇場版(完結編)を見に行って
歌声に癒されて、勇気づけられて、心動かされたな。
菅野さん凄いなやっぱ。
音楽って本当に凄い。
この世に本物のランカとシェリルが舞い降りて、
歌で世界を震わせてくれたら良いのになーなんていう
最終的に他力本願な考えに至ってしまう私でした。
考えがまとまらなくて色々もやもやするけど、
それはきっと今自分を広げている途中っていう証なんだろう。
金欠耐性
金の切れ目が縁の切れ目とか言うけれど
本当にそうなって欲しくないな。
大学院に入って、学費は自分で返済していかなければ行けない。
大学院の授業も、教職の授業もで大学院生にしては忙しいスケジュール。
ついでにお小遣いも無くなって、
これまでの調子で出費を繰り返していたら
やっていけないってことにようやく実感を伴ってわかってきた。
趣味のダンスにもやっぱりお金がかかる。
友達との外食も、遠出も、買い物も、お金がなければ出来ない。
でもそれは自分で選んだ事。
もちろんそれを選んだ時の自分には想像もできなかったんだろうけど
やっぱりなんとかしてやりくりしていかなければならない。
自分の場合は幸いな事に実家があって
生活に必要な最低限の食費や生活費はかからない。
これまでのように頻繁に贅沢を出来なくなっただけであって
貧困で生活に困っているという訳ではない。
ただ私にはやっぱり甘やかされて育ったこともあって
お金がなくて、贅沢もできない情況への耐性がなくて
どうしても必要以上にケチになってしまったり
その結果として、心まで貧困になったり、
ちょっとした想定外の出費でイライラしてしまったりする。
「こんなにお金なくなるはずじゃなかったのに・・」
って思う事がよくある。
でも実際は必要だからお金がなくなっているんだよね。
突発的な贅沢や突然の出費も含めて、
それは必要だったから使った。
その必要性を認識するまでは個人的には大変だけど
いかにお金を使わないようにするかではなくて、
いかに重要なものを選択して、
それらにいかに上手くお金を分配するかを考えていく必要がある。
お金がないと何かと心も満たされなくなってしまいがちだけど、
お金で手に入る幸せと、
お金がなくても手に入る幸せの両方で
少しずつバランスを取っていければいいのかな。
本当に私に取って大切な物はなんなのか。
お金がなくなった事によって
自分の本当に大切な物に出会えるかもって思って
前向きに頑張るしかないね。
金の切れ目が縁の切れ目になったり
懐の貧困が、心の貧困にならないように
言葉にして記録に残す事によって、
自覚して調整していこう!っていう意気込み表明。
金欠耐性を養っていこうと思います。
本当にそうなって欲しくないな。
大学院に入って、学費は自分で返済していかなければ行けない。
大学院の授業も、教職の授業もで大学院生にしては忙しいスケジュール。
ついでにお小遣いも無くなって、
これまでの調子で出費を繰り返していたら
やっていけないってことにようやく実感を伴ってわかってきた。
趣味のダンスにもやっぱりお金がかかる。
友達との外食も、遠出も、買い物も、お金がなければ出来ない。
でもそれは自分で選んだ事。
もちろんそれを選んだ時の自分には想像もできなかったんだろうけど
やっぱりなんとかしてやりくりしていかなければならない。
自分の場合は幸いな事に実家があって
生活に必要な最低限の食費や生活費はかからない。
これまでのように頻繁に贅沢を出来なくなっただけであって
貧困で生活に困っているという訳ではない。
ただ私にはやっぱり甘やかされて育ったこともあって
お金がなくて、贅沢もできない情況への耐性がなくて
どうしても必要以上にケチになってしまったり
その結果として、心まで貧困になったり、
ちょっとした想定外の出費でイライラしてしまったりする。
「こんなにお金なくなるはずじゃなかったのに・・」
って思う事がよくある。
でも実際は必要だからお金がなくなっているんだよね。
突発的な贅沢や突然の出費も含めて、
それは必要だったから使った。
その必要性を認識するまでは個人的には大変だけど
いかにお金を使わないようにするかではなくて、
いかに重要なものを選択して、
それらにいかに上手くお金を分配するかを考えていく必要がある。
お金がないと何かと心も満たされなくなってしまいがちだけど、
お金で手に入る幸せと、
お金がなくても手に入る幸せの両方で
少しずつバランスを取っていければいいのかな。
本当に私に取って大切な物はなんなのか。
お金がなくなった事によって
自分の本当に大切な物に出会えるかもって思って
前向きに頑張るしかないね。
金の切れ目が縁の切れ目になったり
懐の貧困が、心の貧困にならないように
言葉にして記録に残す事によって、
自覚して調整していこう!っていう意気込み表明。
金欠耐性を養っていこうと思います。
2月病
今日は練習から大学時代の友達と鍋。
最高に楽しい予定のはずなのに
朝は寝坊してすごい勢いで準備して
家に鍵かけたか覚えてなくて不安だったし
そのあとも練習中にある一時を境に
集中力がぷつんと切れて
何も頭に入らなくなったりして
次の予定だった鍋に行くのも凄く嫌になったり
早く家に帰ってお風呂でも入って寝たい気分だった。
けどやっぱりみんなにあって沢山笑えてよかった。
それでもやっぱり帰り道はなんか気分がどんよりしていて
全てを誰かのせいにして泣きたくなる。
赤ん坊みたいに
自分のわがままだったりしても
不快なことに素直に嫌な顔して
大声で泣き叫べたら良いのにね。
大人にならなきゃって思う反面
ずっと子どものままでいたいと願ってしまう。
人の幸せを喜べない自分は
いったい何がどうしてそうなっちゃったんだろうか。
今の自分には何も出来る気がしない。
自信の問題なのか。
いったい何が原因で?
ただの一時の疲れによるものか?
寒さのせいなのか
ホルモンバランスのせいなのか
知らないけど。
早くなおらないかなー。
最高に楽しい予定のはずなのに
朝は寝坊してすごい勢いで準備して
家に鍵かけたか覚えてなくて不安だったし
そのあとも練習中にある一時を境に
集中力がぷつんと切れて
何も頭に入らなくなったりして
次の予定だった鍋に行くのも凄く嫌になったり
早く家に帰ってお風呂でも入って寝たい気分だった。
けどやっぱりみんなにあって沢山笑えてよかった。
それでもやっぱり帰り道はなんか気分がどんよりしていて
全てを誰かのせいにして泣きたくなる。
赤ん坊みたいに
自分のわがままだったりしても
不快なことに素直に嫌な顔して
大声で泣き叫べたら良いのにね。
大人にならなきゃって思う反面
ずっと子どものままでいたいと願ってしまう。
人の幸せを喜べない自分は
いったい何がどうしてそうなっちゃったんだろうか。
今の自分には何も出来る気がしない。
自信の問題なのか。
いったい何が原因で?
ただの一時の疲れによるものか?
寒さのせいなのか
ホルモンバランスのせいなのか
知らないけど。
早くなおらないかなー。
欲望と衝動
欲望や衝動を完全に制することが人間に可能だなんて自惚れは危険だ。
抑圧された欲望や衝動は密かに自分をコントロールし続ける。
自分にそのつもりは無くても、節々に現れてしまう。
一時的な抑制は可能であっても、消し去る事はやはり出来ない。
抑制されているだけでまだそこに存在しているということを忘れてしまったら、
コントロールしているのは理性的な自分側ではなく、
欲望や衝動側になる。
こんな肉体と精神の二元論もデューイは批判するだろうか。
と、課題のデューイ著『民主主義と教育』
13~14章を読んでいて思いましたというお話。
ほんと難しいこの本。
理解できたようで全然出来ていないこの感じ。
もどかしいし、悔しいけど、おもしろい。
今日初めてスクールっていうドラマ一話だけ見たんだが、
ほんと色んな先生がいないとなーってつくづく思いました。
熱血先生、冷静先生、おっちょこちょい先生、しっかり先生、
誰が正しいって訳でもないし、
みんながぶつかり合えって支え合えたらきっといいんだろうな
っていう理想 論!
抑圧された欲望や衝動は密かに自分をコントロールし続ける。
自分にそのつもりは無くても、節々に現れてしまう。
一時的な抑制は可能であっても、消し去る事はやはり出来ない。
抑制されているだけでまだそこに存在しているということを忘れてしまったら、
コントロールしているのは理性的な自分側ではなく、
欲望や衝動側になる。
こんな肉体と精神の二元論もデューイは批判するだろうか。
と、課題のデューイ著『民主主義と教育』
13~14章を読んでいて思いましたというお話。
ほんと難しいこの本。
理解できたようで全然出来ていないこの感じ。
もどかしいし、悔しいけど、おもしろい。
今日初めてスクールっていうドラマ一話だけ見たんだが、
ほんと色んな先生がいないとなーってつくづく思いました。
熱血先生、冷静先生、おっちょこちょい先生、しっかり先生、
誰が正しいって訳でもないし、
みんながぶつかり合えって支え合えたらきっといいんだろうな
っていう理想 論!