間に合った
明日も6時半起きだ。
そう思って昨夜は0時にしっかりベッドに入った。
それなのに
明け方、解体工事現場のような騒音で眠りが妨害された。
うるさいなと思いながら時間を確認するとまだ5時過ぎ。
何事かと思ってカーテンのかかっていない方の窓をに目をやった。
赤かった。
その時ただ事じゃないと気づいた。
火事だった。
しかもかなり私の家に近い場所で起きているみたいだ。
窓から炎が見える。
騒音はどんどん激しくなってきて、
爆発音みたいな物もしていた。
飛び起きてまだ寝ていた両親を急いで起こした。
玄関のドアを開けると、
斜め前の工場が激しく炎上し、
隣の鉄筋の住宅にも燃え移っていた。
その燃えていた住宅は、まさに私の部屋の目の前だった。
燃えて建物が崩れる音と、煙と、けたたましい消防車のサイレン。
本気でやばいなと感じた。
ロンドン滞在時の通学時間に爆破テロが起きた時より、
チュニジア行きの飛行機がガタガタと酷い音を立てていた時より、
そしてこの間の地震よりなにより、
今日の火事は命の危険を感じた。
とっさに地震以来部屋に用意してあったスニーカーを履き、
お財布とかMP3プレーヤーとかの日用品が入ったリュックに、
充電器ごと携帯電話、眼鏡、大切にしてるぬいぐるみ、
大切にしてる手紙、ラップトップ、外付けハードディスク、
通帳、ダンス用具、厚手のコート、マフラー等、
身の回りにあった物を瞬時に詰め込んで、
マンションの外に避難した。
地震以来脳内でシミュレーションしていた以上にテキパキと行動した。
その時にはもう自分の部屋が燃えても仕方ないと思った。
命が助かればいいと思った。
見ていられなかったから家族と一緒に安全な場所に移動。
本当に家とか、洋服とか、高価なものとか、車とかも
一瞬にして灰になってしまうこともあるんだな。
父親が一生懸命働いて、手に入れた家。
所有している財産は皆が身を削って手に入れたもの。
こんなにあっけなくていいのだろうかと思った。
でも風がなかったからか、消防車の到着が早かったからか、
消防士の人達が優秀だったからか、
ただ単にラッキーだったからか、
うちのマンションには火は移らずに済んだ。
煙が酷くて部屋も焦げ臭かったけれど無傷だった。
車が危なかったけれど、ぎりぎり大丈夫だったみたい。
生きててよかった。
そう思った。
本当にいつ何が起きるかわからない。
いつ何を失うかもわからない。
自分が明日生きているかもわからない。
大切な人達が明日生きているかもわからない。
怖い。
自分たちがなんとか助かればいいと思ってたな。
工場や隣の住宅の人には気の毒だけど、
きっと私はそんなことあまり考えていなかった。
今でもパチパチっていう木が燃えるような音とか、
救急車とか消防車のサイレンの音がしている気がして、
心臓が強く打って、手が少し震える。
別になんの被害もなかったのに、
目覚めた時に見た赤い窓が未だに鮮明に残っているし、
思い出す度に寒気がする。
私にも来たか。
運命に自分の無力さを思い知らされる時が来たのかと思った。
そして私がそれに抗おうとする力が人一倍強いとも感じた。
自己を保存しようとする本能。
自分を守ろうとする本能。
生きたい。
絶対に死ねない。
何が何でも生きてやる。
そう思ったのを覚えてる。
結局私は生に執着しすぎて生を見失った人間なんだ。
今日は桜が奇麗だった。
なぜだろう。
また満開の桜を見れて嬉しいと
素直に思った。
そう思って昨夜は0時にしっかりベッドに入った。
それなのに
明け方、解体工事現場のような騒音で眠りが妨害された。
うるさいなと思いながら時間を確認するとまだ5時過ぎ。
何事かと思ってカーテンのかかっていない方の窓をに目をやった。
赤かった。
その時ただ事じゃないと気づいた。
火事だった。
しかもかなり私の家に近い場所で起きているみたいだ。
窓から炎が見える。
騒音はどんどん激しくなってきて、
爆発音みたいな物もしていた。
飛び起きてまだ寝ていた両親を急いで起こした。
玄関のドアを開けると、
斜め前の工場が激しく炎上し、
隣の鉄筋の住宅にも燃え移っていた。
その燃えていた住宅は、まさに私の部屋の目の前だった。
燃えて建物が崩れる音と、煙と、けたたましい消防車のサイレン。
本気でやばいなと感じた。
ロンドン滞在時の通学時間に爆破テロが起きた時より、
チュニジア行きの飛行機がガタガタと酷い音を立てていた時より、
そしてこの間の地震よりなにより、
今日の火事は命の危険を感じた。
とっさに地震以来部屋に用意してあったスニーカーを履き、
お財布とかMP3プレーヤーとかの日用品が入ったリュックに、
充電器ごと携帯電話、眼鏡、大切にしてるぬいぐるみ、
大切にしてる手紙、ラップトップ、外付けハードディスク、
通帳、ダンス用具、厚手のコート、マフラー等、
身の回りにあった物を瞬時に詰め込んで、
マンションの外に避難した。
地震以来脳内でシミュレーションしていた以上にテキパキと行動した。
その時にはもう自分の部屋が燃えても仕方ないと思った。
命が助かればいいと思った。
見ていられなかったから家族と一緒に安全な場所に移動。
本当に家とか、洋服とか、高価なものとか、車とかも
一瞬にして灰になってしまうこともあるんだな。
父親が一生懸命働いて、手に入れた家。
所有している財産は皆が身を削って手に入れたもの。
こんなにあっけなくていいのだろうかと思った。
でも風がなかったからか、消防車の到着が早かったからか、
消防士の人達が優秀だったからか、
ただ単にラッキーだったからか、
うちのマンションには火は移らずに済んだ。
煙が酷くて部屋も焦げ臭かったけれど無傷だった。
車が危なかったけれど、ぎりぎり大丈夫だったみたい。
生きててよかった。
そう思った。
本当にいつ何が起きるかわからない。
いつ何を失うかもわからない。
自分が明日生きているかもわからない。
大切な人達が明日生きているかもわからない。
怖い。
自分たちがなんとか助かればいいと思ってたな。
工場や隣の住宅の人には気の毒だけど、
きっと私はそんなことあまり考えていなかった。
今でもパチパチっていう木が燃えるような音とか、
救急車とか消防車のサイレンの音がしている気がして、
心臓が強く打って、手が少し震える。
別になんの被害もなかったのに、
目覚めた時に見た赤い窓が未だに鮮明に残っているし、
思い出す度に寒気がする。
私にも来たか。
運命に自分の無力さを思い知らされる時が来たのかと思った。
そして私がそれに抗おうとする力が人一倍強いとも感じた。
自己を保存しようとする本能。
自分を守ろうとする本能。
生きたい。
絶対に死ねない。
何が何でも生きてやる。
そう思ったのを覚えてる。
結局私は生に執着しすぎて生を見失った人間なんだ。
今日は桜が奇麗だった。
なぜだろう。
また満開の桜を見れて嬉しいと
素直に思った。
桜
毎年楽しみにしている桜の季節。
この時期になるとだいたい冬の鬱期が終息するからだ。
暖かくなって、余裕が生まれるからだろうか。
でもなぜか
今年の桜は全然奇麗じゃない。
感動しない。
桜にはなんの責任も無い。
見る側に問題があるんだろう。
楽しみにしていたのに
なんかがっかりだな。
期間限定なのに。
私はやっぱり未だに精神的に弱い人達
いわゆる精神疾患や精神障害を持つ人達を
心のどこかで見下したままなんだ。
自分は別格だから、強いんだと
思いたくてしかたがない。
思わずにいられない。
演技っぽい人が苦手だ。
気持ち悪い。
演技は本物じゃない。
純粋じゃない。
だから嫌。
演技は演技なのに。
自然じゃない。
気持ち悪い。
さめてしまう。
私は騙されない。
見抜いてやる。
全部演技だって知ってるんだよ。
なんで皆は気づかないの。
全ては私の妄想なの。
もうほんとに気持ち悪い。
皆嘘つき。
桜が散るまでに私は間に合うのかな。
この時期になるとだいたい冬の鬱期が終息するからだ。
暖かくなって、余裕が生まれるからだろうか。
でもなぜか
今年の桜は全然奇麗じゃない。
感動しない。
桜にはなんの責任も無い。
見る側に問題があるんだろう。
楽しみにしていたのに
なんかがっかりだな。
期間限定なのに。
私はやっぱり未だに精神的に弱い人達
いわゆる精神疾患や精神障害を持つ人達を
心のどこかで見下したままなんだ。
自分は別格だから、強いんだと
思いたくてしかたがない。
思わずにいられない。
演技っぽい人が苦手だ。
気持ち悪い。
演技は本物じゃない。
純粋じゃない。
だから嫌。
演技は演技なのに。
自然じゃない。
気持ち悪い。
さめてしまう。
私は騙されない。
見抜いてやる。
全部演技だって知ってるんだよ。
なんで皆は気づかないの。
全ては私の妄想なの。
もうほんとに気持ち悪い。
皆嘘つき。
桜が散るまでに私は間に合うのかな。
もう
皆が楽しんでいる物を楽しいと思えない事
皆が笑っている時に笑えない事
皆が凄いと思っている事を凄いと思えない事
皆が支持している物を支持できない事
団結している場で心から団結できない事
そして人の幸せを喜べない事。
きっと悪い事じゃないんだろうけど
そんな自分に気づくと
悲しい気持ちになる。
結局自分が上にいないと気に食わないんだな
自分に注目してくれてないと嫌なんだな
人の事見下してるんだな。
出来る事なら私も皆と笑いたい
心のそこから楽しいって思いたい
でもできない。
「だから私を見て」
いつまでそんなこと叫び続けなきゃいけないんだろう。
誰にも聞こえないように。
でも届いて欲しくて。
でも聞こえないようにしか叫ぶ事が出来ない。
臆病だから。
本当は見る価値なんてないこと気づいてるから。
甘え上手な人。
時と場合関係なく甘える人。
いっつも甘甘な人。
どんな自分も受け入れてもらえるっていう自信がある人。
見ててイライラするんだよ。
おおっぴら甘える事なんて自分に許してこなかったから
羨ましくてしかたないんだね。
私は受け入れてもらえる自信なんてこれっぽっちもないから
妬ましくてしかたないんだね。
本当は一番甘ったれてるのは自分の方だと気づいてるけど。
なにそんな甘えちゃってんの。
心許し合っちゃってんの。
気持ち悪い。
そんなこと思っちゃってる自分が
いちばん気持ち悪い。
皆が笑っている時に笑えない事
皆が凄いと思っている事を凄いと思えない事
皆が支持している物を支持できない事
団結している場で心から団結できない事
そして人の幸せを喜べない事。
きっと悪い事じゃないんだろうけど
そんな自分に気づくと
悲しい気持ちになる。
結局自分が上にいないと気に食わないんだな
自分に注目してくれてないと嫌なんだな
人の事見下してるんだな。
出来る事なら私も皆と笑いたい
心のそこから楽しいって思いたい
でもできない。
「だから私を見て」
いつまでそんなこと叫び続けなきゃいけないんだろう。
誰にも聞こえないように。
でも届いて欲しくて。
でも聞こえないようにしか叫ぶ事が出来ない。
臆病だから。
本当は見る価値なんてないこと気づいてるから。
甘え上手な人。
時と場合関係なく甘える人。
いっつも甘甘な人。
どんな自分も受け入れてもらえるっていう自信がある人。
見ててイライラするんだよ。
おおっぴら甘える事なんて自分に許してこなかったから
羨ましくてしかたないんだね。
私は受け入れてもらえる自信なんてこれっぽっちもないから
妬ましくてしかたないんだね。
本当は一番甘ったれてるのは自分の方だと気づいてるけど。
なにそんな甘えちゃってんの。
心許し合っちゃってんの。
気持ち悪い。
そんなこと思っちゃってる自分が
いちばん気持ち悪い。
解放は痛い
気分の波が酷い時期が月にだいたい1度か2度ある。
女性ホルモンのせいだと96%くらい確信している。
一度は排卵期の数日で、最大の波がくるのは生理前1週間くらい。
排卵期の際はどちらかというと体調不良が
精神の乱れを助長しているだけという感じだが、
生理前1週間はとにかくイライラが制御不能状態。
腹の鈍痛、時に頭痛、極度の眠気、腰痛、肌荒れ、過食気味。
イライラ、憂鬱感、空虚感、不安感、疲労感、集中力の低下。
全ては月経前症候群のせいだとはわかりつつも、
毎月、しかも月の半分くらいをホルモンに影響され続けるのも
結構疲れるものだ。
本当に「私は月経前です。イライラしてます。取り扱い注意。」
とでも書いたTシャツを来て歩き回りたいくらいだ。
そしたら誰も無防備によってこなくなる。
そしたら誰も無差別に傷つけなくてすむ。
本当に嫌だ。
一日の中でも波が激しい。
睡眠をちゃんととれた時は割とましだけれど
寝不足な場合と、空腹な場合はもうどうしようもない。
しかも寝不足も空腹も自分で気づきずらくて
イライラしてる自分に気がついてから、思い返してみたら
睡眠/食事が足りてなかったことに気づいたりする。
ある程度親しくなった人達や、長年の付き合いの人達は
理解してくれていると思う。
それで、「あーまたイライラしてるんだな」くらいに思ってくれる。
それでもイライラしている自分に余計にイライラして
人にあたりまくる自分に更にイライラする自分がもう疲れてしまう。
もう自分の周りにいるあらゆる人がかわいそうになってくる。
この振りまきたくもない爆弾を四方八方に振りまくしかない状態が
どれだけ苦しいかは、経験していただくのが一番良いかと思う。
でも最近気づいたこの症状の良いところは、
この時期に限っては、私は自分の感情に素直になっているという事。
嫌な事はどうしても嫌。
空腹も睡眠不足も我慢できない。
悲しい事は悲しいし、
自分を傷つけようとする物は許せない。
普段はこの年になってわがまま言っていられないと思って
無意識に抑え込まれている感情や欲求が
一度に表面化して、私を驚かせる。
一時的に赤ん坊に戻っているような感覚かもしれない。
お腹がすけば泣くし、独りきりにされたら怒る。
普段は恥ずかしくてそんな事でイライラしてるなんて思われたくない
っていうような事にもれなくイライラできちゃう。
そして最終的に抱えきれなくなって
大人とは思えない勢いで号泣する。
「しくしく」とか「めそめそ」なんてものではない。
「うえーん」とか「ひいーん」なんてものでもない。
小さな子どもが可愛がっていた子犬を失って
恐怖と絶望の中で泣く。そんなイメージだ。
でもこれが胸につっかえていたものを
涙と一緒に外に運び出してくれることに気づいた。
普段抑えられている不満、欲求、悲しみ、
そういったものがその時だけは自由になって
解放される。
泣けない日常よりも、
この時期は確かにとても苦しくて痛いのだけど、
その分私は自分と本気で向き合うチャンスを与えられている。
こんな風に考えられるのも、
症状が治まって余裕が出てきているからなんだけどね。
最後に関係ないけど最近感覚に触れた一曲。
こういうの好きだな~。
"That Man" - Caro Emerald
女性ホルモンのせいだと96%くらい確信している。
一度は排卵期の数日で、最大の波がくるのは生理前1週間くらい。
排卵期の際はどちらかというと体調不良が
精神の乱れを助長しているだけという感じだが、
生理前1週間はとにかくイライラが制御不能状態。
腹の鈍痛、時に頭痛、極度の眠気、腰痛、肌荒れ、過食気味。
イライラ、憂鬱感、空虚感、不安感、疲労感、集中力の低下。
全ては月経前症候群のせいだとはわかりつつも、
毎月、しかも月の半分くらいをホルモンに影響され続けるのも
結構疲れるものだ。
本当に「私は月経前です。イライラしてます。取り扱い注意。」
とでも書いたTシャツを来て歩き回りたいくらいだ。
そしたら誰も無防備によってこなくなる。
そしたら誰も無差別に傷つけなくてすむ。
本当に嫌だ。
一日の中でも波が激しい。
睡眠をちゃんととれた時は割とましだけれど
寝不足な場合と、空腹な場合はもうどうしようもない。
しかも寝不足も空腹も自分で気づきずらくて
イライラしてる自分に気がついてから、思い返してみたら
睡眠/食事が足りてなかったことに気づいたりする。
ある程度親しくなった人達や、長年の付き合いの人達は
理解してくれていると思う。
それで、「あーまたイライラしてるんだな」くらいに思ってくれる。
それでもイライラしている自分に余計にイライラして
人にあたりまくる自分に更にイライラする自分がもう疲れてしまう。
もう自分の周りにいるあらゆる人がかわいそうになってくる。
この振りまきたくもない爆弾を四方八方に振りまくしかない状態が
どれだけ苦しいかは、経験していただくのが一番良いかと思う。
でも最近気づいたこの症状の良いところは、
この時期に限っては、私は自分の感情に素直になっているという事。
嫌な事はどうしても嫌。
空腹も睡眠不足も我慢できない。
悲しい事は悲しいし、
自分を傷つけようとする物は許せない。
普段はこの年になってわがまま言っていられないと思って
無意識に抑え込まれている感情や欲求が
一度に表面化して、私を驚かせる。
一時的に赤ん坊に戻っているような感覚かもしれない。
お腹がすけば泣くし、独りきりにされたら怒る。
普段は恥ずかしくてそんな事でイライラしてるなんて思われたくない
っていうような事にもれなくイライラできちゃう。
そして最終的に抱えきれなくなって
大人とは思えない勢いで号泣する。
「しくしく」とか「めそめそ」なんてものではない。
「うえーん」とか「ひいーん」なんてものでもない。
小さな子どもが可愛がっていた子犬を失って
恐怖と絶望の中で泣く。そんなイメージだ。
でもこれが胸につっかえていたものを
涙と一緒に外に運び出してくれることに気づいた。
普段抑えられている不満、欲求、悲しみ、
そういったものがその時だけは自由になって
解放される。
泣けない日常よりも、
この時期は確かにとても苦しくて痛いのだけど、
その分私は自分と本気で向き合うチャンスを与えられている。
こんな風に考えられるのも、
症状が治まって余裕が出てきているからなんだけどね。
最後に関係ないけど最近感覚に触れた一曲。
こういうの好きだな~。
"That Man" - Caro Emerald
臆病な自分がしたい事
2週間以上前から胃の調子がおかしくて、
喉~食道が圧迫されている感じがあったのですが(特に夜)、
ようやく治まってきました。
普段は全然胃にくることがないのでどうしたらいいかわからず
困ったのですが、
キャベツと消化にいいもの食べまくってようやく回復。
まだ原発やら放射能やら被災地支援やら義援金やらPTSDやら
メディアではやっているけれど、
主に使っている電車は通常運転、停電も起きない我が家。
余震の数も減ってきて、テレビさえつけなければ
何事も無かったかのように過ごす事が出来る。
でもどこかで見ないようにしてきた物がまだうずいている事は
やっぱり否定できない。
駅前で大声で義援金を集める人達。
ボランティアで被災地に乗り込んでいく人達。
救援物資を被災地に届ける人達。
遠い土地からささやかな祈りを捧げる人達。
パフォーマンスやスポーツで被災者を励まそうとする人達。
大きなことはしないけど、募金箱を見つけたら募金する人達。
日本人でもないのに励ましの言葉や義援金を送ってくる人達。
私はそのどれにもなれなかった。
というよりも、なっていいのかわからないまま
今日まで来てしまった。
どうして人は知りもしない人達を助けようと思えるんだろうか。
どうして一緒に頑張ろうなんて言えるんだろうか。
どうしてその人達のためを思って行動できるんだろうか。
「今私達にできること」
この言葉は
「今私達が被災者のためにできること」
こう解釈された。
私は自分を守るので精一杯だった。
被災した人達のためになにかするなんて恐ろしくて出来なかった。
私にはその人達の苦しみが全くわからなかった。
大切な人を失い、家族はばらばら、
家も大切にしていたものたちも一瞬にして失い、
生き延びても寒く環境の悪い避難所での生活。
これからの生活の見通しがつかず、
時だけが過ぎていき、心はどこかに置き去りになったまま。
どんな思いがするんだろう。
考えようとすると自動的に思考が停止してしまう程恐ろしい。
どんな悲しみがあるんだろう。
どんな苦しみがあるんだろう。
そんな中でも希望を持った人もいるんだろう。
どれだけ頭で考えても、
私の想像のつく範囲を越えすぎているのが現実なんだろう。
そんなことはどうでもいいから募金でもなんでもすれば良いじゃん。
こんな頭でっかちな事言っている場合じゃないだろう。
被災者が求めているのは、下手な同情心じゃない。
復興や生活に必要な具体的な資金や物資であったり励ましなんだ。
そう思っても、私の頭は行動を起こす信号を送らない。
納得できていない。
私はどうしても思ってもいない事を行動に移せない。
世の中にはそれでも早い段階で支援に向けて動き始められる人がいる。
それは支援の必要性を身を以て知った震災経験者かもしれない。
それは想像力と感性の豊かな人達かもしれない。
それはとりあえず社会の流れの中でなんとなく動いている人かもしれない。
理由はそれぞれだが、皆私よりは被災地支援に役立っているんだろう。
世の中には様々なタイプの人間がいる。
迅速に支援体制に入れる人ばかりではない。
私のようになかなか頭と心が結びつかない人もいる。
なんとなく募金とかなんとなく支援ができないのだ。
だからといってそういう支援の仕方が悪い訳でもなくて、
私はたまたまそういうことが苦手なだけなんだ。
逆に私のような人が被災者にとってまったく無意味かもわからない。
もしかしたら何らかの形で意味があるものになりうるかもしれない。
それがどういった形なのかもわからないけれど、
今の私に出来るのは、今の私がしたいと願うのは、
「誰かのため」とはどういうことなのか
「出来る事」とはどういうことなのか
それについてひたすら考え抜く事なんじゃないか。
答えなんて簡単に出ないだろう。
でもそれでも意味が無いとは思えない。
やっぱり私は、とても大切な物のためにしか強くなれない。
大切に思う心は作ろうと思って作れる物でもない。
「あなた達が大切よ」「皆がついてるわ」「協力したいわ」
そんなこと、思ってもいないのに言えない。
だってそれは最後の最後に嘘になってしまうから。
それは人を失望させてしまうから。
それは巡り巡って私を傷つけるから。
結局のところ、私はとても臆病だ。
嘘をつけないのは、私が正義感が強いから、
責任感が強いからという訳じゃなくて、
嘘をつく事によって人を失望させ、傷つけて、
嫌われ、嘘つきの裏切り者というレッテルを張られるのが怖いから。
でも臆病だからこそ、沢山の感情に触れようとする。
臆病だからこそ、痛みに敏感であれる。
臆病だからこそ、孤独と向き合える。
そう信じるしかないというより、
そんな道を自分で選んだんだって
胸を張って言えるような自分でありたいんだろう。
喉~食道が圧迫されている感じがあったのですが(特に夜)、
ようやく治まってきました。
普段は全然胃にくることがないのでどうしたらいいかわからず
困ったのですが、
キャベツと消化にいいもの食べまくってようやく回復。
まだ原発やら放射能やら被災地支援やら義援金やらPTSDやら
メディアではやっているけれど、
主に使っている電車は通常運転、停電も起きない我が家。
余震の数も減ってきて、テレビさえつけなければ
何事も無かったかのように過ごす事が出来る。
でもどこかで見ないようにしてきた物がまだうずいている事は
やっぱり否定できない。
駅前で大声で義援金を集める人達。
ボランティアで被災地に乗り込んでいく人達。
救援物資を被災地に届ける人達。
遠い土地からささやかな祈りを捧げる人達。
パフォーマンスやスポーツで被災者を励まそうとする人達。
大きなことはしないけど、募金箱を見つけたら募金する人達。
日本人でもないのに励ましの言葉や義援金を送ってくる人達。
私はそのどれにもなれなかった。
というよりも、なっていいのかわからないまま
今日まで来てしまった。
どうして人は知りもしない人達を助けようと思えるんだろうか。
どうして一緒に頑張ろうなんて言えるんだろうか。
どうしてその人達のためを思って行動できるんだろうか。
「今私達にできること」
この言葉は
「今私達が被災者のためにできること」
こう解釈された。
私は自分を守るので精一杯だった。
被災した人達のためになにかするなんて恐ろしくて出来なかった。
私にはその人達の苦しみが全くわからなかった。
大切な人を失い、家族はばらばら、
家も大切にしていたものたちも一瞬にして失い、
生き延びても寒く環境の悪い避難所での生活。
これからの生活の見通しがつかず、
時だけが過ぎていき、心はどこかに置き去りになったまま。
どんな思いがするんだろう。
考えようとすると自動的に思考が停止してしまう程恐ろしい。
どんな悲しみがあるんだろう。
どんな苦しみがあるんだろう。
そんな中でも希望を持った人もいるんだろう。
どれだけ頭で考えても、
私の想像のつく範囲を越えすぎているのが現実なんだろう。
そんなことはどうでもいいから募金でもなんでもすれば良いじゃん。
こんな頭でっかちな事言っている場合じゃないだろう。
被災者が求めているのは、下手な同情心じゃない。
復興や生活に必要な具体的な資金や物資であったり励ましなんだ。
そう思っても、私の頭は行動を起こす信号を送らない。
納得できていない。
私はどうしても思ってもいない事を行動に移せない。
世の中にはそれでも早い段階で支援に向けて動き始められる人がいる。
それは支援の必要性を身を以て知った震災経験者かもしれない。
それは想像力と感性の豊かな人達かもしれない。
それはとりあえず社会の流れの中でなんとなく動いている人かもしれない。
理由はそれぞれだが、皆私よりは被災地支援に役立っているんだろう。
世の中には様々なタイプの人間がいる。
迅速に支援体制に入れる人ばかりではない。
私のようになかなか頭と心が結びつかない人もいる。
なんとなく募金とかなんとなく支援ができないのだ。
だからといってそういう支援の仕方が悪い訳でもなくて、
私はたまたまそういうことが苦手なだけなんだ。
逆に私のような人が被災者にとってまったく無意味かもわからない。
もしかしたら何らかの形で意味があるものになりうるかもしれない。
それがどういった形なのかもわからないけれど、
今の私に出来るのは、今の私がしたいと願うのは、
「誰かのため」とはどういうことなのか
「出来る事」とはどういうことなのか
それについてひたすら考え抜く事なんじゃないか。
答えなんて簡単に出ないだろう。
でもそれでも意味が無いとは思えない。
やっぱり私は、とても大切な物のためにしか強くなれない。
大切に思う心は作ろうと思って作れる物でもない。
「あなた達が大切よ」「皆がついてるわ」「協力したいわ」
そんなこと、思ってもいないのに言えない。
だってそれは最後の最後に嘘になってしまうから。
それは人を失望させてしまうから。
それは巡り巡って私を傷つけるから。
結局のところ、私はとても臆病だ。
嘘をつけないのは、私が正義感が強いから、
責任感が強いからという訳じゃなくて、
嘘をつく事によって人を失望させ、傷つけて、
嫌われ、嘘つきの裏切り者というレッテルを張られるのが怖いから。
でも臆病だからこそ、沢山の感情に触れようとする。
臆病だからこそ、痛みに敏感であれる。
臆病だからこそ、孤独と向き合える。
そう信じるしかないというより、
そんな道を自分で選んだんだって
胸を張って言えるような自分でありたいんだろう。