ずるい
海外でも盛んに「頑張れ日本」みたいな事が言われている。
WE ARE WITH YOU!!!
って。
でも一方で来るはずだった美術品がこなくなって
展示会がキャンセルになったり
来るはずだったアーティストがこなくなって
イベントがキャンセルになったり
別に怖いならこなくていいし
死ぬ気で来いとか思わないけど
なんか結局その程度ねって思ってしまう。
自分の身の安全を守りながら支援するのもいいよ。
むしろむやみやたらに危険に身を晒すのも
無責任だと思うし。
でもなんか
がんばれー!一緒に戦おう!皆がついてるよ!!!
って騒いでる割に
みんなそれだけ。
そんなん言われても
実際は安全なところで
テレビ見てあーかわいそうとか
応援してあげなきゃとか
思ってるだけじゃんって。
むしろ私はそういう一人だと思う。
怖いの苦手だし
身の安全確保したくてしかたないし
見てるだけで何も出来ない。
だから余計にイライラするんだろうね。
私は騒げないけど
一見応援してる人達はそれだけで貢献してるっぽく見えるから。
私はただのダメ人間にしか見えない。
ずるいじゃん。
だからイライラする。
まぁ、私もそれだけの人間ってことですね。
WE ARE WITH YOU!!!
って。
でも一方で来るはずだった美術品がこなくなって
展示会がキャンセルになったり
来るはずだったアーティストがこなくなって
イベントがキャンセルになったり
別に怖いならこなくていいし
死ぬ気で来いとか思わないけど
なんか結局その程度ねって思ってしまう。
自分の身の安全を守りながら支援するのもいいよ。
むしろむやみやたらに危険に身を晒すのも
無責任だと思うし。
でもなんか
がんばれー!一緒に戦おう!皆がついてるよ!!!
って騒いでる割に
みんなそれだけ。
そんなん言われても
実際は安全なところで
テレビ見てあーかわいそうとか
応援してあげなきゃとか
思ってるだけじゃんって。
むしろ私はそういう一人だと思う。
怖いの苦手だし
身の安全確保したくてしかたないし
見てるだけで何も出来ない。
だから余計にイライラするんだろうね。
私は騒げないけど
一見応援してる人達はそれだけで貢献してるっぽく見えるから。
私はただのダメ人間にしか見えない。
ずるいじゃん。
だからイライラする。
まぁ、私もそれだけの人間ってことですね。
鏡
鏡を見れない日。
気持ち悪い顔。
今日もこんな面を社会に晒しているのかと思うと
寒気がする。
下手クソな踊り。
冗談は顔だけじゃないのか。
不快になる。
顔はもうこう生まれてしまったから
どうしようもない。
それでも少しでもまともに
不快にならない程度になるように
努力はしてるんだけどね。
鏡は見るに耐えない。
生殺し。
見えてしまうたびに
どこかに隠れたい気持ちになる。
普段はあまり気にしないようにしてるけど
突然鏡の見れない日はやってくる。
強烈な罪悪感。
気持ち悪い顔。
その顔で笑顔とかほんとになんかもう。
自分で自分がかわいそうになってくる。
この顔と、この身体と一生付き合っていかなきゃいけないんだって。
だから我慢して、受け入れなきゃいけないんだって。
随分と酷だな。
こんなに容姿重視の世の中で
どうやって自尊心もてばいいのか私にはわからない。
そしてこれも甘えなんでしょう。
頑張れば良いじゃん。
元が悪いなら努力すれば。
いや、してきたんだけど。
いい加減に諦めたくもなるわ。
気持ち悪い顔。
今日もこんな面を社会に晒しているのかと思うと
寒気がする。
下手クソな踊り。
冗談は顔だけじゃないのか。
不快になる。
顔はもうこう生まれてしまったから
どうしようもない。
それでも少しでもまともに
不快にならない程度になるように
努力はしてるんだけどね。
鏡は見るに耐えない。
生殺し。
見えてしまうたびに
どこかに隠れたい気持ちになる。
普段はあまり気にしないようにしてるけど
突然鏡の見れない日はやってくる。
強烈な罪悪感。
気持ち悪い顔。
その顔で笑顔とかほんとになんかもう。
自分で自分がかわいそうになってくる。
この顔と、この身体と一生付き合っていかなきゃいけないんだって。
だから我慢して、受け入れなきゃいけないんだって。
随分と酷だな。
こんなに容姿重視の世の中で
どうやって自尊心もてばいいのか私にはわからない。
そしてこれも甘えなんでしょう。
頑張れば良いじゃん。
元が悪いなら努力すれば。
いや、してきたんだけど。
いい加減に諦めたくもなるわ。
適性
今学期は教育実習がある。
3週間。
イタリアに行く前に1年だけ通った中学校で。
教師を目指しているという事が
ぐっと現実味を帯び始めている。
実習事前指導という名の2日間集中講座を受けた。
怖じ気づいた。
いや、やっぱり私には無理っしょ。
そんな弱気な部分が囁く。
でも、これを突破しなければ、教員なんてなれないよ。
そんなのわかってる。
私はとても弱い。
身体的にもすぐに調子を崩すし
精神的にも不安定を極めている。
人間不信で、被害妄想が激しい。
皆私の事が嫌いに決まっている。
生徒だって、先輩の教師達だって、
私が煩わしいに違いない。
そう信じて疑わない。
こんなんで生徒に人を信じる事を教えられる訳が無い。
その場限りの自己防衛術ならいくらでも教えられるけれど。
学ぶ事の楽しさなんて教えられる訳が無い。
上辺で人の機嫌をとる術なら教えられるかもしれないけど。
やっぱり教員としての資質がないに等しい。
私みたいな教員にあたった生徒は哀れでしかない。
でもなんで私は教員を目指したんだろう。
自分でも、変われると信じる事が出来たから。
例えそれが一時の気の迷いだったとしても、
その時の私は
こんな自分でも、人に、誰かに、
希望を与える事が出来るんじゃないか。
そう思えたのは本当なんだ。
こんなに人間不信で、ネガティブで、
卑怯な事ばかり考えてて、反社会的で、
人見知りで、頭もさほど良くない私だからこそ
出来る事があるかもしれないと思ったのは事実なんだ。
やっぱりあれは幻想だったんだとか、
もっと自分に合った事したほうがいいんじゃないかとか、
今でもよく思う。
でも一度本気で体当たりしてみたいと思うんだよね。
私は何としてでも教師になりたいわけじゃないんだ。
それは私が選んだ、
私が人として人らしくあるための手段でしかない。
例え本当に教師として働き始めて
違和感を覚えてやめる事になっても、
それは教員を目指した事実の意味を無にはしえない。
とりあえず
出来る事、全力でやる。
全力がでないのであれば、
私の熱意はそこまでなんだ。
必死になれるのであれば、
まだ先はあるはずだ。
3週間。
イタリアに行く前に1年だけ通った中学校で。
教師を目指しているという事が
ぐっと現実味を帯び始めている。
実習事前指導という名の2日間集中講座を受けた。
怖じ気づいた。
いや、やっぱり私には無理っしょ。
そんな弱気な部分が囁く。
でも、これを突破しなければ、教員なんてなれないよ。
そんなのわかってる。
私はとても弱い。
身体的にもすぐに調子を崩すし
精神的にも不安定を極めている。
人間不信で、被害妄想が激しい。
皆私の事が嫌いに決まっている。
生徒だって、先輩の教師達だって、
私が煩わしいに違いない。
そう信じて疑わない。
こんなんで生徒に人を信じる事を教えられる訳が無い。
その場限りの自己防衛術ならいくらでも教えられるけれど。
学ぶ事の楽しさなんて教えられる訳が無い。
上辺で人の機嫌をとる術なら教えられるかもしれないけど。
やっぱり教員としての資質がないに等しい。
私みたいな教員にあたった生徒は哀れでしかない。
でもなんで私は教員を目指したんだろう。
自分でも、変われると信じる事が出来たから。
例えそれが一時の気の迷いだったとしても、
その時の私は
こんな自分でも、人に、誰かに、
希望を与える事が出来るんじゃないか。
そう思えたのは本当なんだ。
こんなに人間不信で、ネガティブで、
卑怯な事ばかり考えてて、反社会的で、
人見知りで、頭もさほど良くない私だからこそ
出来る事があるかもしれないと思ったのは事実なんだ。
やっぱりあれは幻想だったんだとか、
もっと自分に合った事したほうがいいんじゃないかとか、
今でもよく思う。
でも一度本気で体当たりしてみたいと思うんだよね。
私は何としてでも教師になりたいわけじゃないんだ。
それは私が選んだ、
私が人として人らしくあるための手段でしかない。
例え本当に教師として働き始めて
違和感を覚えてやめる事になっても、
それは教員を目指した事実の意味を無にはしえない。
とりあえず
出来る事、全力でやる。
全力がでないのであれば、
私の熱意はそこまでなんだ。
必死になれるのであれば、
まだ先はあるはずだ。
思い知る
昨日の日記はどうも尻切れだったと思いつつ
疲れて眠すぎて都合よく終わらせてしまったなぁ。
本当はなりたい自分像があったはずなのに
それになっていけば行く程
自分がわからなくなる怖さとか
なりたい自分像ですら
明確にあったところで
何かのきっかけで崩れ去る事だって
あるっていうこと言いたかったんだよな。
自分がこれが「良い」とか「正しい」
とか思う事は確かに必要だし
そうでなければ前に進む事が出来ないけど、
それが時に傲慢になって
「自分だけが」良いとか正しいとかになってしまう事も
あるんだよね。
昨日私がてきとーに作り上げた自分像も
明日振り返ったらしっくりこないかも。
正しいって信じる事は力になるけど
今の自分だけが正しい、他は間違ってるって
思ってる自分に気づけない事もある。
とにかく今出来る事をやるしかない。
それで間違ったら
まだまだ自分が未熟で、
人の気持ちなんてこれっぽっちもわかってないことを
思い知れば良い。
自分は正しい事をやったんだから、いいじゃないか。とか
仕方ないじゃなくて、
あぁ、またやってしまったな、
本当にわかってないな。
そうやって振り返れたら良いんだけどな。
痛みを知る責任がある。
そういう「正しい」ことをする義務がある。
とかそんなことよりも、
いかにそれが出来てないか、
いかに自分がごまかしているか、
そういうことに気づきたい。
疲れて眠すぎて都合よく終わらせてしまったなぁ。
本当はなりたい自分像があったはずなのに
それになっていけば行く程
自分がわからなくなる怖さとか
なりたい自分像ですら
明確にあったところで
何かのきっかけで崩れ去る事だって
あるっていうこと言いたかったんだよな。
自分がこれが「良い」とか「正しい」
とか思う事は確かに必要だし
そうでなければ前に進む事が出来ないけど、
それが時に傲慢になって
「自分だけが」良いとか正しいとかになってしまう事も
あるんだよね。
昨日私がてきとーに作り上げた自分像も
明日振り返ったらしっくりこないかも。
正しいって信じる事は力になるけど
今の自分だけが正しい、他は間違ってるって
思ってる自分に気づけない事もある。
とにかく今出来る事をやるしかない。
それで間違ったら
まだまだ自分が未熟で、
人の気持ちなんてこれっぽっちもわかってないことを
思い知れば良い。
自分は正しい事をやったんだから、いいじゃないか。とか
仕方ないじゃなくて、
あぁ、またやってしまったな、
本当にわかってないな。
そうやって振り返れたら良いんだけどな。
痛みを知る責任がある。
そういう「正しい」ことをする義務がある。
とかそんなことよりも、
いかにそれが出来てないか、
いかに自分がごまかしているか、
そういうことに気づきたい。
自分像
なりたい自分像がないと
伸びていかない時がある。
私は自分の欠点を改善しようと必死になって
もっと感情の振れ幅を狭めようとか、
人に暴言吐くのをやめようとか、
思ってる事内側に溜め込みすぎるのを控えようとか、
ダメなところばっかり目について
そういうの全部修正しないと
人は私を愛してくれないし
社会に存在していいのか確信が持てなかった。
ただそういうものを修正しようとするたびに
私は私らしさを失っているような気にもなる。
でも変わろうと思ったって言うのは
まぎれも無く私の意志であって、
こうやって試行錯誤しながら、
あ、これは自分に合ってないんだなとか
修正後の行動や思考に違和感を感じたなら
また戻すって言う選択を自分ですればいいんだよね。
私はやっぱり「丸い」人でなければ
人から認めてもらえなくて、皆から愛されないんだと思っていた。
だから「丸い」人になりたくて
尖った部分を必死になって削って
誰にでも愛されるように、
社会で居心地悪くならないように努力してきたに過ぎないんだな。
大切なものを守るため。
そんなこと言ってかっこつけてたけど
結局は自分が安心したいだけ。
確かに丸くなれば
きつく嫌われたり、排除されたりする事はないかもしれない。
でもつまらない人だね。
私はどんな人なんだっけ。
そんなの決められていないから定められない。
どんどんと変わっていくから定義できない。
私はどんな人になりたいんだっけ。
それはそれに向かって進んでいく事を許してくれる。
その目標は最終到達地点じゃないけど、
努力する方向性を示してくれる。
棘で人を傷つけてしまう事がある。
それをなるべく避けたいのは本音だけれど、
素直に、自然にしていてそうなってしまったのなら、
自分のした事に対する仕打ちを受けるべきだ。
「最低な人間だ、価値ないから死ねば良いのに」
と自分を責めるのは、結局自分を守る術にもなる。
本当はそんな事するつもり無かったのに。
私の意志じゃないのに。
そういって相手に殴られる前に
自分で自分を傷つけて、もう殴らないでくださいと請う。
でもそれよりも自分の非を認めて
罰を受ける。
それはずっと私にとって他者からの完全なる否定を意味してきた。
もう私の事好きじゃないのね。
もう私の事いなくなった方が良いと思ってるのね。
それは恐ろしい事だった。
でもそんなことはないんだよね。
確かに悪い事をしたら、怒られる。
そのつもりが無くても、人を傷つける事は沢山ある。
そしたらやっぱり相手の怒りや苦しみを目の当たりにする責任が
私にはあるのだろう。
結果として相手から批判されたり、
距離を置かれたりするかもしれない。
でも本当に欲しい関係は
それでも続けていける関係なはずなんだよね。
確かに怖くて、心が痛むけれど
それをまた次に活かしていく事で責任を取ろうとしてみたい。
昔はそもそも傷つける事を避けようと思って
削っても削っても生えてくる棘を
必死になって覆い隠していたけれど
今は棘で傷つけてしまった人の痛みを少しでも感じて
これからに繋げていきたい。
そして私という統合された一人の人間が
棘以外の部分にも磨きをかけて
自分として人として胸を張って生きれるようになりたい。
それが今の私の「なりたい自分像」なのかもしれない。
伸びていかない時がある。
私は自分の欠点を改善しようと必死になって
もっと感情の振れ幅を狭めようとか、
人に暴言吐くのをやめようとか、
思ってる事内側に溜め込みすぎるのを控えようとか、
ダメなところばっかり目について
そういうの全部修正しないと
人は私を愛してくれないし
社会に存在していいのか確信が持てなかった。
ただそういうものを修正しようとするたびに
私は私らしさを失っているような気にもなる。
でも変わろうと思ったって言うのは
まぎれも無く私の意志であって、
こうやって試行錯誤しながら、
あ、これは自分に合ってないんだなとか
修正後の行動や思考に違和感を感じたなら
また戻すって言う選択を自分ですればいいんだよね。
私はやっぱり「丸い」人でなければ
人から認めてもらえなくて、皆から愛されないんだと思っていた。
だから「丸い」人になりたくて
尖った部分を必死になって削って
誰にでも愛されるように、
社会で居心地悪くならないように努力してきたに過ぎないんだな。
大切なものを守るため。
そんなこと言ってかっこつけてたけど
結局は自分が安心したいだけ。
確かに丸くなれば
きつく嫌われたり、排除されたりする事はないかもしれない。
でもつまらない人だね。
私はどんな人なんだっけ。
そんなの決められていないから定められない。
どんどんと変わっていくから定義できない。
私はどんな人になりたいんだっけ。
それはそれに向かって進んでいく事を許してくれる。
その目標は最終到達地点じゃないけど、
努力する方向性を示してくれる。
棘で人を傷つけてしまう事がある。
それをなるべく避けたいのは本音だけれど、
素直に、自然にしていてそうなってしまったのなら、
自分のした事に対する仕打ちを受けるべきだ。
「最低な人間だ、価値ないから死ねば良いのに」
と自分を責めるのは、結局自分を守る術にもなる。
本当はそんな事するつもり無かったのに。
私の意志じゃないのに。
そういって相手に殴られる前に
自分で自分を傷つけて、もう殴らないでくださいと請う。
でもそれよりも自分の非を認めて
罰を受ける。
それはずっと私にとって他者からの完全なる否定を意味してきた。
もう私の事好きじゃないのね。
もう私の事いなくなった方が良いと思ってるのね。
それは恐ろしい事だった。
でもそんなことはないんだよね。
確かに悪い事をしたら、怒られる。
そのつもりが無くても、人を傷つける事は沢山ある。
そしたらやっぱり相手の怒りや苦しみを目の当たりにする責任が
私にはあるのだろう。
結果として相手から批判されたり、
距離を置かれたりするかもしれない。
でも本当に欲しい関係は
それでも続けていける関係なはずなんだよね。
確かに怖くて、心が痛むけれど
それをまた次に活かしていく事で責任を取ろうとしてみたい。
昔はそもそも傷つける事を避けようと思って
削っても削っても生えてくる棘を
必死になって覆い隠していたけれど
今は棘で傷つけてしまった人の痛みを少しでも感じて
これからに繋げていきたい。
そして私という統合された一人の人間が
棘以外の部分にも磨きをかけて
自分として人として胸を張って生きれるようになりたい。
それが今の私の「なりたい自分像」なのかもしれない。