脱★根暗宣言 -20ページ目

防音室が欲しい

思い切り歌いたくて発狂しそうだー


なにこれ



防音室が欲しい!!





ダンスと違って

歌は強制された事が無い

だから本当に好きでやってるだけで

苦しい思いとかしたことない。




だから対して上手くもならないけど

嫌いにもならないのかな~。

公にさらさないから批判される事もない。

人と比べられて悔しい思いする事も無い。

んーそれはそれでいいんだけど

なんか物足りなくもなるのよね。





家は祖父母と父母と自分の5人暮らし。

しかも明らかに2世帯用じゃない3LDKのマンションに。

だからだいたい私が家に一人になる事はなくて

思い切り歌えることが滅多に無い。



イタリアにいた頃は広い家に3人だったし

1人になれることも多かったから

天井の高いリビングで思いっきり歌いまくっていた。

それも贅沢だったんだなぁ





あーーーーーー防音室!!!!

ほんと発狂しそう。

今すぐ歌いたい。

なんで歌いたいんだろう。

人間ってなんで歌ったり踊ったりするんだろう。

なんでだろおおお。

せめて、人間らしく

地震以来、メディアも、友人達も

不安やパニック、心の痛みを露にしている。

あれだけ悲惨な情況の報道がなされ

いつ自分が被害に遭うのかもわからない

日本の情況は崖っぷちにしか見えない

そんな情況の中で不安にもパニックにもならない方がおかしい。



でもそういった時にそういう感情が自然と湧いてこない事もある。

自分を守るため。

不安や痛みに耐えられないだろうから、

それをそもそも感じないように本能的に制御されている。

意図的にごまかしているわけじゃない。

これは無意識下で起きていて

私が意識的にどうこうしたところで

表面化してくれる訳でもない。




あれだけ危機的な原発のニュースを見ても

あれだけ悲惨な被災地の現状を見ても

私にはやはりリアリティーがなくて

余震が立て続けに起きていても

買いだめで生活必需品が入手困難になっていても

なぜか日々あたりまえの様に過ぎていく。

別に怖くもなければ、不安でもない。

どこかでなんとかなると思っている。




仕方ないわよね。

起きてしまった事なんだから。

死ぬ時は死ぬのよ人間なんて。

これからこの出来事と向き合っていく事が必要なんだから。



今時の建物なんて皆耐震構造なんだから

そう簡単に倒れたりしないし

津波さえ無ければ、そう簡単に死なない。

放射線なんて日常的に浴びてるんだし

発がん性物質なんてどれだけ知らずに日々摂取してる事か。

がんなんて今やほとんどの人が生きてれば発症するんだし

だったらがんになるまで必死に生きれば良いじゃん。

がんになったら痛みを知って優しくなれる。

そんな理論でガチガチに固められて。



これだけ危険な物を国に沢山抱えて

それのおかげで便利で快適な生活して

でもそんなこと自分では知りもしないで当たり前に生活して

都合が悪くなったら被害者面。



溜め込みすぎたのね。

沢山の迷い。

沢山の恐怖。

沢山の痛み。

地球は、日本は、皆は、私は

見て見ぬ振りして、溜め込みすぎたんだ。




痛みをちゃんと感じたい。

悲しみをちゃんと悲しみたい。

迷いをちゃんと迷いたい。

こんな簡単そうな事が

私達にはとても難しい。

私達は生きていかなければならないから

いちいち立ち止まってる訳にはいけなくて

素通りしなければならない事も多い。

でも素通りしなければいけないのかな。

いけないと思い込んでいるだけかもしれない。




痛がっていい。

怖がったっていい。

悲しんでいい。

迷ったっていい。

そういう社会ができるかどうかはわからない。

でも自分にはそう言ってあげたい。

自分が自分であるために。

人として、人間らしくあるために。




もっと自分に問いかけて。

素通りばかりが推奨されるこんな時代だからこそ

ちゃんと自分と対話したい。

「痛みを感じたいけど、それは怖い。」

それでいい。

こうやって自分を守るために感情をカットしているのも私。

怖いんだから

不安なんだから

当たり前だよね。

若いうちは苦労は買ってでもしろなんて言うけど

私は、苦労は買いたくなるまで買わなくていいと思う。

その代わり、買いたくなったら買いたいな。

それまではがむしゃらにいさせて。

まとまりの無い日記。

きっとそれが今の私の心のありよう。

生きています

生きています。

もっと生きていたいです。

不器用にでも必死に

イライラのレベルが低めの時は

上手い事コントロールできるようになったけど

やっぱりイライラレベルが上がってくると

人を傷つけてから後悔する事が増えるな・・。




傷つけてしまうのは仕方が無い。

傷つけようと思って傷つけている訳でもないし。

もしそうだとしても、それは衝動的だったり

嫌悪感に基づいたものだったりする。

人を傷つけずに生きるのは不可能だし

そんな人生きっと薄っぺらいんだろう。




人を傷つけてしまう自分。

そんな自分を受け入れていくことができたら

私を傷つける他人も許せるのかな。

傷つけてしまうのが必然ならば

傷つけてしまった後どうするかがきっと大切。

それが自分に取って大切な人・物であればある程。




傷つけてしまった事に凹みすぎて

ああ自分は最低な人間だ

ってうちひしがれてしまうのも仕方が無い。

だれだって嫌な人間として存在したくない。

「ほんと酷い人だよね」って思われたら怖い。

怖いのも当たり前。

だってそしたら誰も私を支えてくれなくなるもの。

生きていけなくなるもの。




きっと本能的に自分を守っている。

私達は生きていかなければいけない。

みんな必死に生きてる。

不器用にでも必死に。




傷つけてしまったね。

どうしてだろう。

そうか、だからか。

じゃあどうしよう。




そんな思考が自然に出てくるように

自分に安心感を与える事から始めよう。

傷つけてしまっても大丈夫。

自分の全てが否定される訳じゃない。

誰も自分をそれだけで見捨てたりしない。

だから大丈夫。

大丈夫。

こっち

あーよくよくかんがえてみたら

いきおいでせめたものすべて

じぶんがわにせきにんがある

ねぶそくだとだめだな

ひとのせいにしてばかり。

でもどうしてもむりなんだよ