脱★根暗宣言 -22ページ目

諦めと受容

今日は暖かかったからカフェでご飯を食べて、まったりして

そのあと駅から駅までお散歩しました。

きっとまだそう簡単に暖かくなったりはしないけど

少しでも春の兆しが見えてきたのは嬉しいなぁ。

小さな幸せを感じた一日。




それにしても今学期はぐだぐだだな~。

なにこんなにまったりしちゃってるのやら。

本当はやる事たくさんあるはずなんだけどね。

読むべきリーディングを完全に放置してるんだけどね。

期末レポートもそろそろ取りかかった方がいいんだけどね。

修論の計画とかたてないといけないんだけどね。

なにしろ私はギリギリにならないと物事を始めない。

もうそんな自分にもなれてきて、

いかにギリギリになるまで無駄に焦らずにリラックスするか

っていう方向に思考を集中させている。

焦ったり苦しい思いをするのは

本当にギリギリになってからでいいや。

っていうのは諦めなんだろうか。

受容なんだろうか。




諦めと受容の違いがわからない。

妥協とかさ。

自分には色々な可能性があるのかもしれないけど

どうがんばっても自分には向いていない物とか

どうがんばっても力を発揮できない物とかってある。

でももしあとほんの少し努力したら

その魅力に気づけたり、

自分の力を発揮できるレベルに達するんじゃないかって

そう考えると、どこまでが諦めで

どこからが受容なのかなんてわからなくなってしまう。




昨日は友達と久しぶりにゆっくりご飯食べれて

幸せいっぱいな反面、現実的な話題でリアルに色々考え込んでしまった。

なんで人って結婚するんだろう。とかね。

子孫を残すためなら一人の人と一生添い遂げるなんて非合理的。

もちろん安定が得られるという点では結婚した方がいいけれど

より良い遺伝子を残していきたいと思ったら、

一人の人で決めちゃうより、

どんどん新しい魅力的な人を捜していった方が良いんじゃないか。

そしたらもう結婚って一人の人で諦めてしまうっていう

この人といればとりあえず心配ないだろうって言う

妥協にもなり得るんじゃないかと思った。




きっと人間は一人の人を愛しつづけられるように出来ていない。

浮気や離婚も当たり前のように起きているし、

若い男性アイドルに夢中な主婦とか、若い女性と不倫に走る夫とか。

それが悪いとかじゃなくて、やっぱり人間には本能的に

一人の人だけじゃ満足できないようになってる。




そう考えるとやっぱり結婚はとても不自然だけど

結婚にはとても大切な意義と言うか、

私たちが結婚したがる理由と言うか・・

決定的な安心感とか帰属感があるんだろうなぁ。

もし自分が死ぬ時に、自分の事を一番に考えてくれる家族が

隣に寄り添っていてくれたらどれだけ幸せだろう。

もし自分が死ぬ時に、誰も自分の事を一番に考えてくれなかったら

どれだけ寂しく惨めな気持ちになるだろう。




その安心感や帰属感を手に入れるためには

私たちに一人の人に忠誠を誓うという条件が課される。

それはとても不自然であるから、コントロールが必要になるんだろう。

そういった労力を払ってでも得たい安心感がそこにはある。

こんな言い方をするとロマンチックな要素の無い

契約とそれに伴う義務のような、

妥協にも諦めにも見える結婚だけれど、

私はそれでも良いかなって思ってしまう。




情熱的な愛情はきっと一生続く物じゃない。

愛してるから結婚するって、すごく素敵な感覚だけど

そう簡単に愛なんてわかるのか?

愛って一生かけて相手に示していくもので

自動詞的に使える物じゃない気がしている。

これは考え方色々だろうけど。

私は例えそれが契約であり、義務であり、妥協のような物であっても

それでもずっと一緒にいる事が出来る人がいることは

とても幸せな事のような気がしてならない。

幸せってなに?って言われたらそれもまた人それぞれだけどね。

もしかしたら諦めもその状態に価値を見いだすという意味では

受容であり、私にプラスのパワーを与えてくれる物なのかもしれない。




なんだか無駄に熱く語ってしまったけど、

とにかく私はいつか結婚したいんだなーっていうことでしょうね笑

昔は一人で生きていける人になる!!なんて言ってたのに

人間ってほんと調子いいなw

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最近自分の中で頑張ってる事は

毎日お風呂上がりにストレッチを欠かさずしている事。

たまに出来ない日とかがあったとしても

長期的に続けたいなー

ということでさらばっ!

生への執着

今学期は厳しい授業が無いため

日々ぐだぐだしてしまう癖がついちゃったな。

特に何をする訳でもなく、PCいじったり、テレビ見たり、メールしたり。

悪い事じゃないのかもしれないけど、

後々なんか恐ろしい事になるんじゃないかと不安。




最近、というか大分昔から思っている事ですが

自分は「不安感」というものが人一倍強い気がしている。

何事に関しても常に最悪の情況を想定しようとするため

その情況に今にも陥るんじゃないかって言う恐怖と直面することになる。

特に根拠がない時もあれば、ちょっとした気がかりな事があると

それが一気に最悪のパターン想定を起こさせて

たちまち小さな種が巨大な不安になって私を脅え上がらせる時もある。




飛行機に乗るのが怖いのは、

それがもしかしたら墜落するんじゃないかと思うから。

墜落する確率がものすごく低い事も頭ではわかっているけど

その確率は決して0%にはならない。

そこに0.0000000000001%でも可能性がある限り、

そこには最悪のパターンが変わらず存在している。




人は本能的に「生きよう」とするみたいだけれど

私の「生」への執着は異常な気がしている。

毎日のように「今日が人生の最後の日だったらどうしよう」

「もう明日には大切な人達に会えなくなってしまったらどうしよう」

「もし近い未来に大切な人達が死んでしまったらどうしよう」

生きているってことは、本当に恐ろしい。

それは、常に死の危険にさらされている。




それもこれも現状を維持しようとする本能のせいなのだろうか。

こんなに日々小さな可能性を掘り起こして

勝手に不安でいっぱいになっているなんて

人生と神経を無駄にすり減らしているような気もするし

よくよく考えてみると馬鹿馬鹿しいのだけど

私にとって事故とか病とか死とか喪失とか

私を支えている現状を一気に崩し得るものが

あまりにも恐ろしくて、その可能性を秘めた「生」自体が

恐怖に満ちたものとして認識される。




別に私は死へと向かう宿命自体を悲観している訳ではない。

誰しもが死へと向かっているのは事実だし

いつかは私だって死ぬし、大切な人達も死ぬ。

でも生きている事と、一度も生きなかった事とは違うし、

死ぬ前に少しでも自分の足跡が残せればいいなと思っている。

ただこれも頭ではわかっているけど、感覚的には理解出来ない。




みんないつかは死ぬんだって。

そう。

みんないつかは死んじゃうんだ。

私も?

そうみたい。

死ぬってどういうこと?




どうしてだろう。

なにがそんなに怖いのだろう。

まだやり残した事があるから?

本当はまだまだ死なない「はず」なのにって思ってるから?

死んだらどうなるかが未知だから?

大切な人達に会えなくなってしまうから?

私たちはやっぱり独りきりだって気づいてしまうから?




みんないつかは死ぬんだから。

精一杯生きていれば、きっと大丈夫よ。

早く死ぬからって悪い訳じゃないわ。

みんなあなたの事忘れたりしないから。

あなたが生きた事は、ちゃんと意味があったわ。




そう自分に言い聞かせてみる。

恐怖は消えない。

なぜ?

自分の死に際を想像する。

それはやはり、もう取り返しのつかない何かを示している。




損な生き方かもしれない。

日々恐怖を感じているなんて

ほんとそれこそ寿命が縮む。

現代人は「死」を生活から排除したがる。

私もその一人だろう。

でも「死」は私を捕らえて放さない。

歩いていても目の端にいつも陰を落としているのは「死」だ。

それを直接見ないように歩こうと努力する事も出来るけど

それは説明のつかない不安感となって私を襲う。

それならいっそ直視して、不安の根源を凝視してやりたい。

でも結局直視したところで

私はその恐怖に耐えられるほどの強さを

どこにも備えていないことに気づかされるだけなのだけれど。

気づけなかったもの

気づいたら誕生日も終わり、クリスマスも終わって、年もあけて、1月も後半。

年末は2年半通ったバイト先が閉店したり、

色んな人と話したりご飯食べたりする機会があって

なんだか本当に師走っていう感じだった。



そして今日。

今日は日記を書きたくなったんだ。

なんでだろう。

最近このブログを始めた意義とか目的とかを考えていて

なんで最近あまり書かなくなったんだろうとかも考えていて

いろいろとぐるぐるしているからかな。




このブログを始めたのは、自分をもっと知って

溜め込むだけじゃなくて、もっと人にも自分にも優しくなれるように

思ったこととか、素直になってみてわかったこととかを

自分なりに綴ってきたつもり。

今でもそれは変わらない。



でもなんで最近エントリーが無かったのかって考えると

一つには、大きな精神的苦痛とか、

溜め込んでおけないほどのものが無かったのがある。

もちろん浮き沈みはあったし、辛いと思うことが全くなかった訳ではないけど

何日にもわたって気分があがらないことはなかった。

きっとそれは、周囲に私の性質を理解して、

私が上手く表現できなくても汲み取ってくれる人達がいたから。

不器用ながらに表現してみようと思わせてくれる人達がいたから。




もう一つには、もう少し溜めておきたいという気持ちが産まれたからだろう。

以前は心の中の真っ黒なものは私に取って毒のようなもので

溜め込めば溜め込むほど身体中を蝕んでいく邪悪なものとして捉えていた。

でも今は溜め込むことが一概に悪いとは思わない。

実際に溜め込むことで色んな人に迷惑をかけてしまうことがあるのも事実だけど

迷惑をかけることを「いけないこと」にしてしまいたくなかった。

自分が「迷惑をかけない人」になろうとすることは

「迷惑をかける人」を無意識に排除することになってしまう気がした。

迷惑をたくさんかけてしまう。駄目なこと、悪いこともしてしまう。

それでも私が生きていることを、誰かが生きているということを

ただそのまま認めることができたら、きっと素敵だなって。



"Love me when I least deserve it,
      because that's when I really need it." ー Nail Gaiman



友達のブログにあった言葉。

ずっと自分の中にあったのに気づけなかった言葉なのかもしれない。

愛されるのに資格はいるのでしょうか。

どんな努力をすれば私は愛に値するのでしょうか。

私は愛されるためにそれに値する人間になろうと努めてきた。

どんなことをすれば値する人間になれるかもわからずに。

でも本当はそんなことで得られる愛なんて欲しかった訳じゃなかった。

そうやってただもがく私をそのままに認めてほしかったんだね。

もう23年も生きてきていたのに

気づくの遅いな。

いや、生きているうちに気づけただけでよかったのかな。




なんでこの人達、私のそばにいてくれるんだろう。

無理してるのかな。

私のいいところしか見えてないのかな。

私がかわいそうだからかな。

あまりにも非力に見えるからかな。

義理かな。

神みたいな懐の広い人だからなのかな。

よくわからなかった。



なんでこの人達、私を認めてくれるんだろう。

こんなに駄目な所ばかりなのに。

人を傷つけてばかりなのに。

迷惑かけてばかりなのに。

虚勢と欺瞞のかたまりなのに。

特に人に比べて優れている訳でもないのに。

心の中真っ黒なのに。

よくわからなかった。



今でも「そっか、そういうことか」って思える訳じゃない。

でもちょっと、そういうこともあり得るのかなって思い始めた。

同時にそうやって自分に甘くなっていく自分にも警戒し始める。

「努力なんてしなくても、そのままで人は私を愛してくれる。」

そう思ったら最後な気がしているから。

でももしかしたら失敗しても許される場所があるなら、

きっと私はもっともっと頑張れる。

だからそこにはずっといることは出来ないけど

頑張りたい時には少し力を借りさせてもらえる場所にしていけたら。




でも私はこれまで手に入れることなんて不可能な気がしていた

ずっとずっと昔から欲しくて欲しくて堪らなかったものを前に

それをただひたすら貪る他、術が無い。

浸って浸ってもう気持ち悪くなるくらいに満たされたい。

そう願ってしまう。

いつか底尽きて無くなってしまうのかな。

きっとこの調子で貪っていたらきっと早いうちに枯渇してしまうだろう。

そして私は失ってから気づくのだろうか。

それはあまりにも恐ろしくて

私を余計にしがみつかせる。

それでも私が少し客観的にしがみついたまま

自分を引きはがそうという激しい反発力を生まないのは

そこに何かありのままの自分というものを見いだしているからかもしれない。

終わって、また始まる

お久しぶりです。かなり。
報告。

・てんやわんやだった秋学期もなんとか単位も落とすことなく、
無事大学院1学期目を終えることができました。

・終わってからはお金がなさすぎたため、バイトに明け暮れ
今月で閉店してしまううちの店との別れを惜しんでいます。

・最後の課題をやっている時に5年間愛用したPCさんが天に召されまして、
新しいものを購入してなんだかんだして今日にいたる。




あー濃かったな。

そしてまた新しい学期が始まりました。

いろんなことが終わって、また新しいものが始まっている。

ダンスも、授業も、悩み事も。

そしてまた新しい私に出会う。



この間カウンセリングセンター主催の映画鑑賞会に参加したんだが

「Into the Wild」っていう映画。なかなか面白かった。

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]/エミール・ハーシュ,マーシャ・ゲイ・ハーデン,ウィリアム・ハート

¥3,990
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生きるってどういうことなんだろう。

真実ってなんなんだろう。

自由ってなんなんだろう。

自然ってなんなんだろう。

愛ってなんなんだろう。

許しってなんなんだろう。


そんなようなことが頭の中をぐるぐるする映画。

よろしければ、ぜひ。


あーなんか書きたいことたくさんあったはずなのにな。

もっと日常的に書かないと、

どんどん消えていってしまう。

それはそれでまた刹那的でいいのだろうけど。

書きたくなったとき、

アウトプットしたくなったとき

それが、自分との向き合い時なんだと思って

マイペースに綴っていこう。

値する

人のケアとか思いやりとかを受けるに値するのか


人を傷つけたり迷惑をかけてまで生きていくに値するのか


きっと人間ってそういうもの


生まれながらにして価値があって


許されているもの



でもそれを実感できない人がどれほどいるだろう


人を頼ることが恐怖に溢れているという人が


どれほどいるだろう



勇気をふりしぼって頼ってみても


もし拒否されたらどうしたらいい


途中で嫌われたらどうしたらいい


ただの重荷になってしまったらどうしたらいい




私はそれに値する何かを人びとに与えられているのか


社会に必要とされる何かを与えられているのか






昔頻繁に感じていた心が締め付けられる感覚を


今もたまに感じるけれど


昔より当たり前になっていて


もしかしたらこのまま感覚は慣らされて


いつか気にも留めない何かになるのかな




ありのままで受け入れられている感覚


どこで身につければよかったんでしょうか


どこで感じられるんでしょうか


今からでも遅くないんでしょうか


心から安心できる場所は見付かるんでしょうか


頑張らなくても大丈夫な場所は見付かるんでしょうか




理由のわからない涙がよく流れる


何に対して悲しいのか


何に対して悔しいのか


何に対して不満なのか


何に対して苦しいのか


何に対して辛いのか


よくわからない




人は一人では生きていけないのでしょう?


人は一人では寂しくて悲しくなってしまうのでしょう?


誰かに受け入れてもらっているという実感が無ければ


それは一人ぼっちと同じことなのでしょう?




一人で生きていけるようになれればいいのに


そうすれば失敗しなくて、傷つかなくて済むのに


自分で自分を支えられれば


いつでも必要なときに寄り添ってあげられるのに




私は重すぎるから


この世で一番自分が大切な私自身でしか


支えきれない


それも勝手な思い込みなのかもしれないけど


怖がって預けられないだけかもしれないけど


だったら怖くないようにしてよ


どうして毎回こんな恐怖を感じていなければいけないの


毎回毎回元々無い勇気振り絞ってたら


本当にいつか枯れてしまうよ





こういう思いをしている人がきっと沢山いるんだろう


私だけじゃない


きっと沢山いる




治るものなのかな


こういうのなくなるのかな


それまで一人で居たほうがいいのかな


またぶつかってみようと思う元気が出るまで


ひきこもってるのがいいのかな


それでもまた寂しくなって


懲りずに外に出て行くんだろう。