わたしと元夫が出会うきっかけになった友人?から

コロナ以前ぶりに着信があって、気付いてはいたけれど

電話に出ることはできませんでした。

 

そのあとLINEで着た要件については

すでにあの町を出ているわたしには応じられないもので

応じられない理由に離婚を伝えるのか迷った挙句

伝える方を選びました。

 

電話で離婚の話をすることを想像したら

動悸がしたので、LINEで。

 

高校生の頃の元夫を知っているひと。

わたしたちが出会った瞬間にいたひと。

結婚や出産を祝ってくれたひと。

 

なんででしょうね、もう過去になった離婚なのに

彼女の目に映っていた若かった自分たちを想ったら

少しツライ気持ちになり、苦しくなってしまったけれど

 

さらっと伝えたそれに過剰に踏み込むことなく

わたしの知っている彼女のままで応対してくれたことに

感謝したいような気持ちにもなりました。

 

20年近く暮らしたあの町にも

建てた家にも

関わったひとにも

なんの未練もないのはまったく変わらなくて

なんの後悔もなくて、やり残しもなくて

 

ふたりの子どもを得ることができたあの町での

20年とは別の人生?なんかもとくに想像する気もなくて

 

想うのは、若かったよねということ

ずいぶん時間が経って、

ずいぶん歳をとったなということ

 

今をシアワセと感じていることはシアワセなこと

 

なのに若かった自分はもういないことに

黄昏る、というね、変な日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか悲しくなったよね、と

下の子どもが見せてくれた画像。

 

父親が、その姉の娘、息子を撮った画像。

今は〇〇で働いています、という言葉と共に

送られてきたのだ、と。

 

は?知らんがな。

(思いきり顔が歪む)

 

もう成人した元義理の姪っ子と

いくつか覚えていないけど十代後半の元義理の甥っ子

片手ほどしか会ったことのないふたり。

 

(ふたりには何の罪もないけれど)

そんな人間の近況?え近況て。

昔のことも知らんのになんで近況?

 

笑顔も浮かべていないし、不自然な姉弟の距離から

撮られて嬉しくないモノだったのでは?と推測

 

〇〇に居るとか〇〇の仕事してるとか

どーでもいーっちゅうねん。

 

なんなんこれ。

なんのため。

なぜに?

 

冒頭のセリフ、姪や甥と父親が過ごしたという事実に

下の子が打ちのめされて悲しくなったと想像したあなた。

 

ちがいます。

 

これをへらへらと送ってきた父親のうっすい人間性に

哀しくなるほど呆れたのだそうです。

 

合掌するから成仏しろ。

離婚後、弁護士に相談したとき

もう先を見てるのに、なんでこだわるん?

というようなことを問われ

 

恨み?と疑問形で答えたけれど

恨んでるのとは違うな、とずっと思っていました。

 

地位とか名誉とかプライドとか

そういうカッコいいものとも違う、とずっと思っていました。

 

 

 

このたび3年越しで、ピースが嵌った感覚です。

 

 

 

 

 

 

 

離婚はおすすめしないよ、と言いました。

 

わたしはたぶん、やっぱり、結婚という言葉や形に

シアワセをイメージしていて

家族や家庭が、結婚の中にあって

それらがひとを形成するひとつの要素になることを

疑わないからです。

 

だけどじゃあ、子どもたちが大きくなって

己を以て生きるようになり、暮らしの形が変わったら。

 

夫婦ふたりになったとき

信頼や期待が皆無で、嫌悪や不安しか持てなかったら。

 

 

学生時代からの友人の、のっぴきならないあれこれ

軸が自分に戻る今、身体が動くうち、能力が枯渇しないうち。

 

飛ぶのもアリなのではないでしょうか、と

考えるようになってきたのは

 

今のわたしが不幸ではなく、

穏かな気持ちで生きているからかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

4月から新しい職場に移り、一通りのことを覚えて

新しい課題に向け勉強を始める時間も持てるようになってきました。

 

そんな独身3年目は有意義と言っていいかもしれない。

下の子どもは、わたしとは完全に別人格で

信じられないずぼらさんだけれど、それはそれで

 

こうして毎日一緒にご飯を食べておしゃべりして

時にはお出かけして、疲弊したとしても

 

それなりの日々を過ごせているのではないかと思います。

うん。

離婚してよかったのだと思わざるを得ません。

 

 

やっぱり、あの町の出身でないわたしにとって

あの町の閉鎖感は異様だったと感じます。

 

元夫と出会って、過ごした独身時代。

大阪にいた彼は、容姿も言動も土地に馴染んで

価値観については掴みどころなく、語らないひとだったけれど

スマートに適応していた。ように見えたし、実際そうだったのでしょう。

 

ということは。

地元に戻れば元通り、秒でしっくりするのも当然というか

だって、これという軸も意思もないわけで。

 

だいたいの人間がそんなもんだとして

 

わたしが、わたし自身を見誤って

ドのつく田舎を見くびっていたのでしょう。

 

 

田舎町でのことは、子どもに絡んだことだけ

思い出すような感じです。

自分自身が田舎町に居たこと?いたっけ?というくらい

何もない、ひとり、ただ子どもを育て子どもの生活を支え(金銭以外)

子どものためだけにあった、ということで

 

結婚していたことは、夢だったのかもしれない

という独身3年目です。

 

 

生まれたての赤ちゃんを連れて幼稚園の迎えに行ったら

生みたてで動いていることを周囲に驚かれ心配された、という

あるコミックエッセイの一部分をみて、過去に思いを馳せていました。

 

下の子が生まれたとき、上の子どもは幼稚園児。

出産日当日、幼稚園に上の子を送ったあと

産科に予定入院し(産科まで片道2時間のド田舎のため)

予定通り退院した翌日から

 

下の子を乳児用のキャリーに寝かせ、抱え

上の子の幼稚園の送り迎えをしました。

 

生まれる前から、生まれた後わたしひとりで

上の子の生活までをどうやって守るか

いくつも想定し、実際に動いたそれを

 

わたしはたぶん当たり前に思っていました。

 

元夫は穏やかでにこやかでやや控えめで

周囲に「いいひと」と言われ自認している

好々爺のようなひと。

言葉のとおり「招待された祖父母」のような立ち位置で

奮闘する妻子をただやさしく見守っている、という。

 

 

 

わたしひとりが奮闘すること、を疑問に思っていなかった

あの頃のわたし、を思っていたたまれない気持ちになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

仕事で行く、と下の子どもに連絡があったそう。

 

元夫は、現在のわたしたちの住まいを知らないけれど

(聞かれないので教えていない、聞かれても隠しますが)

わたしの実家のある場所については当然知っています。

 

子どもたちが父親と連絡を取ることや会うことは自由

ただ、会うのであれば会うことは事前に聞いておきたい

というくらいの感覚。

だけれど、会う?と父親が連絡を寄越したのはなぜ?

なんのタイミング?どんな心境?

いやいやいやいや、なんにしてもただ気持ち悪い。

 

子どもたちにもしっかり不倫が知られていて

女性の意地悪でエロメールも見られている

 

そんな男が思春期の下の子どもに会う?

母は、ぞっとしますが。

 

 

 

会いたくない見られたくない

(なんなら気持ち悪い)

とこぼす下の子に、当日

 

少し先の特急停車駅で待っている、と

連絡があり、下の子どもは出掛けたようです。

 

帰宅した下の子、ひどく不機嫌でした。

 

駅のロータリーに他府県ナンバーで路駐していた父親が

自分を見つけ降りてきて、背中を押して車に乗せた

それを、周囲に怪訝な顔で見られていた、と。

 

このご時世に、元夫という人間はホントに

考えナシな田舎者のおバカさん。

周囲がおまえを知らないここでは、そんなことしたら

おまえは不審人物と疑われるのだよ?

 

ものともせず、向かったのは、スーパー

おやつを両手に抱え、スーパーでサヨナラ。

 

けっこう遠い場所から、歩き帰宅した下の子は

そのすべてに物申したく(物申せず)不機嫌で

 

母に当たり散らしました。

まあ、でも会うと決めたのは下の子なので。

 

 

元夫はほくほくで住まいに戻っていったのでしょう。

飲む酒は、さぞ美味しかったことでしょう。

 

下の子どもがしたという会話については、また後日。

 

 

 

職場で読んでいるママさんがいて

読んだことのある、50代既婚者40代既婚者そしてわたし。

 

読んでると辛くなる

胸が痛くなる

 

らしいのです。

 

わたしは、といえば。

エンタメにありがちなハッピーエンド風に

冷静に突っ込んだ、記憶。

 

作者の方が離婚したと聞いたときは

(本は自身のお話ではないらしいけれど)

そりゃな、とか思っていました。

 

夫婦をやり直す、ことに対して熱がありません。

そこに期待したり、悶々とすることにも。

 

文句や愚痴がでるのは、中にいるから。

外に出たわたしは、ただ、あーとかへーとか

 

誰かのご主人に対してのそれを聞かされても

どーでもいー。とは言わないけれど

 

まったく心は動かないみたいです。

 

 

元配偶者の現在の様子など露ほども興味ないのに

いちいちいちいち教えてくれる、というか

 

知ってしまったこれは事故。

 

下の子どもは、生まれ育った町の同級生だった子たちと

そりゃ令和の時代、情報ツールで距離なく繋がっていて

 

わたしたちが暮らしたあの家に

洗濯ものが干してある、とのこと。

 

や、いいんです。どうでもいいんです。

あ、住んでるんだ?と一瞬思っただけ。

 

ただ一瞬。ほんの一瞬。

この一瞬が、なんだろう、無駄。

 

あの家のあったあの地区の、わたしは副長を最後の2年勤め

住んでいた期間ずっと近所づきあいをし、子どもたちとイベントに参加し

あの家のあるあの場所に根付けるように

そんなことを意識して暮らしていました。

 

わたしと子どもたちが住んでいて、いなくなった家

今そこで暮らしている?元夫?その関係者?親族?

どんな顔して…と想像しそうになったけれど

 

ちがうな。

あそこが地元の元夫、

離婚とかゴシップはすっかりなかったことになって

わたしがいたことがすっかりなかったことになったんだ。

 

わたしも、あの町のことはもう

良かったことだけ思い出せばいい。

 

 

 

 

上の子どもが別の土地で暮らしていて

そうそう帰省しないこと。

 

下の子どもと母子で暮らしていること。

 

やー、さみしー

寂しいですね…

 

と言われ、思わず

母子のわりとシアワセな日常を話しそうになって

でもなんだか言い訳っぽくて、抵抗してるようで

これなんだなんかどうでもいいなと思い直し

 

そうですねえ+微笑みで片づけてしまいました。

 

職場でのランチはひとりで食べたい、だけど

コミュニケーションをとりたくないとか(コミュ力高めだし)

避けているとか(かなり平和主義だし)

そういうことではなくて

 

心をフラットにするひとり時間を要すタイプ?

とかなんとか言ってみても理解しないひとにはされないわけで

 

うん、どうでもいい。

 

 

4月からの職場も変わらず穏やかです。