キャンドル屋の1日 -190ページ目

『国家の品格』って何だろう

藤原 正彦
国家の品格

先日、ベストセラー『国家の品格』の著者、藤原正彦さんの講演会へ出かけた。


著者は『国家の品格』の中で、アメリカに代表される論理最優先の思考や競争原理の限界を訴えいる。一方で、日本には古来より独特な情緒的な思想があり、年長者を敬うことや礼節など武士道的なの道徳感こそが混迷する日本において、国家の品格を取り戻す為の拠り所であると述べている。また、日本のゆとり教育における問題点を指摘し、基礎学力と国語教育の充実こそが真の国際人を育てる上で大切な要素であるとしている。


その著者の講演会は満員だった。ちなみに自分の隣に座っていた人は学校の先生らしくしきりにジャパニカ学習帳(懐かしい・・・。)にびっしりと講演の内容を書き込んでいた。やっぱり先生も悩んでいるのかな・・。まあ、それはさておき。


著書の中でなるほどと思える箇所がいくつもある。その中で論理的な思考について解説している箇所がある。それによると、論理的に物事を考える時には必ず出発点が存在し、それは宗教や慣習などから来る形や伝統、道徳心などに由来するというものであるという。


本文の実例というと。
あなたなら、バン泥棒にどう向き合うか?


一週間食事をしていない男がパン屋の前へ来たときに、思わずパンを奪って逃げる。


ある人はこれを見て、『法治国家において、法律は守らなくてはいけない。だから、警察に通報し、男を捕まえなくていけないといい、その男を警察に突き出す』。一方で、ある人は『男は一週間何も食べていないし、このまま食事をしないと死んでしまう。人間の命は法律よりも大切だから、見逃してあげよう』という。この二人、どちらの論理も正しい。論理の出発点が前者は法治国家であるから、警察に突き出す。後者は可愛そうだから、見逃すということになり、その後の行動に影響を与える。そこで、物事を論理的に語る上での出発点がどこに置くかが重要であり、

その出発点をどこに置くかと言うことは慣習や伝統、道徳感に由来すると言うわけだ。


ここで、以前起きたある事件を思い出した。

何年か前から忘れたけど、本屋で万引きをした少年が店主から(警察の車)逃走しようとして、電車に引かれ亡くなった事件。事件の後、店主は一部の人間から人殺し扱いされた挙句、全国から寄せられる誹謗中傷のために店の閉店を余儀なくされた。店主からすれば、少年とは言え、犯罪を犯したので警察に突き出すのは当然だろう。一方で、少年なんだからたかが本を万引きしたくらいで、警察に突き出さなくてもいいし、許してあげればいいという意見。どっちの意見にも論理的な矛盾は存在しなように見える。


問題となるのが、やはり論理の出発点をどこに置くかということ。


法治国家だから犯罪を犯したのだから、捕まえる。もしくは警察に突き出す。

一方で少年だから万引きくらい許してやれということ。しかし、ただ一つ言える事は店主の取った行動に過ちはなく、非難を浴びる行為ではないということ。

少なくても、人殺しだの誹謗中傷を浴びせられるほどの行為ではないのだから。

仮に店主がこの少年は殴り殺したのなら、話は別だけど・・・。店主を責めるということはあまりに筋違いのように思えた。そもそも店主の行動と警察の車から逃走しようとした少年の行動とは全く別次元だと思ったのだが・・・。


話は変わって、本文にいじめの対処法という記述がある。


いじめにどう対処するべきか?


藤原さんの答えはこうである。いじめが起きると、みんな仲良くしなさいと教わる。しかし、世の中、どうしても好きになれない、仲良くなれない人は誰でもいるはずだという。だから、誰とでも仲良くしなさいと言うことは全く意味が無いという。それならば、集団で1人を仲間はずれにしたり、弱い者をいじめるは文句無く“卑怯なこと”であることを徹底的に教える方がいいという。“いじめ=卑怯”を子供たちに植え付けることがまず先だというのだ。そう考えると、そう言った教育の欠如が最近の振り込め詐欺のようなものに結びついているような気がする。それは身内の不幸を装ったり、弱者や年配者を欺くことは道徳的にも武士道精神的にも最も非難されるべき犯罪だから。


ただし、このような卑劣者がいる一方で、藤原さんによるとまだまだ日本の道徳感が生きていると思えるところがあるという。


それは火事場泥棒を是としない国民性。


その証拠に、先のニューオリンズでのハリーケーン被害、またカリフォルニアでの大地震、そしてスマトラの津波被害。それら震災の現場においては必ずと言っていいほど商店からの略奪が行われるという。しかし、10年前起こった阪神大震災。その現場では火事場泥棒が存在したと言う話は殆どないという。これこそが、まだまだ世界に誇るべき日本の倫理観ということであることは間違いない。


『国家の品格』は日本という国を客観的に捉え、これからどう進むべきかということを示唆しているということで、とても興味深い本だった。



スポーツ選手の潔さ

「トリノオリンピンク」


戦前の目標は「メダル5個」とかって話はあったけど

ここまでのところ残念ながら日本勢にメダルはない。

スポーツは結果がすべてとかいうけど、個人的には

メダルなんかどうでもいいじゃないかなって思う。


それよりもオリンピックを見ていてスポーツをやっている人って

かっこいいな~と思う。


それはどんな時に感じるかというと、試合が終わった後のコメント。

ほとんどの選手は結果に対して、全然言い訳しないし、謙虚に受け止めている。

それってなかなかできる事じゃないなあって。


例えば、スピードスケートの岡崎朋美選手

当日37.8度の熱がありながら、風邪の影響を問われても

「全く問題ない。体調管理をしていない自分の責任」だと言い切る潔さ。


ハーフパイプの国母和弘選手

予選を通らないことについて「ミスしたのは自分の実力がないこと。

すべてが足りなかったからだと思います。」


オリンピックに出ているような人たちは絶対に他人の責任やコース

や天候のせいにしないし、負け惜しみもしない。

非は自分にあると認めるから敗者のコメントを聞いていてもなんか嬉しくなってしまう。

見ている僕らは全力を出し切っている彼らの姿を見るだけで十分だと思うけどね。


中でもジャンプの原田雅彦の失格はとても残念だけど、その後のコメントもカッコいいね。


「完全に自分のミス、残念ですけど、自分のミスです。」

確かに本人の責任もあるだろうけど、本人以上にコーチや周りにいるスタッフ

の責任の方が大きい気もするけど、そんなこと絶対に口にしないもんね。

自分なら、絶対いい訳もしたくなってしまうけど・・・。

コーチやスタッフが言ってくれなかったからってね。


オリンピック選手と比べるのも失礼だけど、

彼らの爪の垢でも煎じて飲ませたいのが、耐震偽装のヒューザーの小嶋社長。

もし、彼がオリンピックに出ていたら、かなり凄いことになるだろうね。


例え、予選落ちしても

“審判の目がおかしい”とか“採点基準があいまいだ”とか“相手の選手が邪魔した”とか

“あいつはドーピングしているに違いないから、調べてくれ”とか

“今日は微熱があって、呼吸が苦しかった”とか

“最終的には相手選手を買収して結果を偽装”しそうな気もするし。


それを批判されると、急に借りてきた猫みたいに大人しくなっちゃって、

うつむきながら小さな声で“ごめんなさい・・・”って。これ東横インの社長か!?


そう考えると、スポーツ選手の潔さってほんとにかっこいいなあって思う。

上村愛子がお母さんから手作り金メダルを贈られた時なんて、ほんと感動しちゃう。

個人的には結果が伴わなくても、みんな胸を張って帰ってほしい。


まあ、そうは言っても努力に対して結果が伴うのが一番なので、実力のある人は

メダルは取ってもらいたいですね。

後半戦も応援しようっと。

続く。


aikoの魅力とは

「aikoの魅力とは・・・」


一昨日は急遽、友人が手に入れたaikoのコンサートチケットを手にZEPP東京へ。

aikoのコンサートは今回がはじめてではないのだけど、常に感じることは女性が多いこと。

まあ、割合で言うと6:4くらいで女性という印象。

芸能人に限らず、一般の世界でも同姓と異性の両方から好かれるのはそんなに簡単なことではない。

ただ、優しいとか親切というだけでは長い間、仲間や同僚を引き付けることは難しいし、一方で知識や経験だけで頭でっかちになっても、まずみんなは付いてきてくれないだろう。


自分の友人にもみんなに慕われる人が何人もいるけど、その人たちに共通しているのは“人間的な魅力”

を持っている。言葉に表現するのは簡単じゃないけど、イメージとしてはその人と一緒にいたいと感じさせるパワーを持っている人だ。


そう考えると、異性からだけでなく、同姓からも好かれるaikoは歌手としては勿論、

人間的にも魅力があるのだろうと思う。(もち、友達ではないので一端しかわからないけど・・・)

コンサートでの観客とのやりとかでもそんなaikoの素顔が垣間見れる時がある。

ほんと、いい人なんだろうって。


振り返って見ると、初めてaikoの歌を聴いたのは6年くらい前かな~。

その歌の名は『花火』


特に、その歌詞にある『夏の星座にぶら下がって~♪上から花火を見てみたい♪』

という部分。なんか妙にその発想力の素晴らしさに感動した記憶がある。

ついでに言えば、音痴の自分が羨む抜群の歌唱力と小さくて可愛らしい容姿!?も好みなので、

それ以来、aikoの歌を聴くようになった。ワーホリ時代、ニュージーランドに唯一持っていったのもaikoのCD一枚だけだった。


aikoのコンサートに話を戻すと、やはりライブハウスという臨場感がいい!!

その熱気やステージとの距離感は格別です。ほんと2時間半を十分満喫することが出来た。

いつも思うんだけど、いちいち観客の声に反応するaikoも凄いと思うけど・・・。
楽しいときは時間が充実して仕事のことや辛い事もそのときだけは忘れてしまうけど、

アンコールが終わり、コンサートが終わると現実が待っている。


コンサートの余韻に浸りながら、帰りの電車の中で、ふと考えてしまった。


人を引き付ける魅力を持っている人はほんと素晴らしい~ってね。

その場を共有したみんなに明日も頑張ろうって活力を与えてくれる。


ほんと、それだけで十分だね。



続く。