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変わりゆく砂町銀座…不燃化まちづくりが「食べ歩き」を促す?変わらぬ古民家
今回の記事は、賑わう商店街でお店自慢のお惣菜を食べ歩きしてみたいと思っている人…
特に、名が知れている東京都江東区「砂町銀座商店街」の現況について知りたい人には参考になるかも?
先ずは、仙台堀川公園(砂町運河跡)にある江戸時代に建てられた区内最古の民家建築「旧大石家住宅」からお散歩スタートです♪
「安政の大地震(安政2年=1855)」でも倒れなかったと言われているのだそうですよ。
その後、大正の大津波や関東大震災、戦災といったいくつもの災害をまぬがれ、建築当初の姿をとどめた貴重な住宅として、平成6年3月に江東区の有形文化財(建造物)に指定されました。
この大石家では大正時代以降、旧「砂村」と呼ばれていた地区の前面に広がっていた遠浅の海で海苔養殖を手がけていたそうです。
広く造られた屋根裏は、水害時の緊急避難場所で、水が引くまでの数日間、家族が生活する場として使わたとの事。
近いところでは千葉県の浦安とか・・・
同じ都内の荒川に近い場所では北区の事例と同様に、万が一浸水時には梯子を使って屋根裏へ上ったのだそうですよ。
元は運河
仙台堀川公園は、「区民の森」をテーマに整備した、延長3.7km×面積10.4haの規模を誇る都内最大の親水公園。
かつて江戸時代(寛永以後)に開削され、運河として利用されてきた川の北岸には、米などの特産物を運び入れた仙台藩邸の蔵屋敷があったそうですよ。
「昭和」になり周辺が工業地帯として発達すると、地下水の汲み上げによる激しい地盤沈下がおこり、水害が頻発するようになりました。
この治水のため1982年に「海抜ゼロメートル地帯」の概ね木場公園から東部の区間を堰き止めて、常時排水機場から排水することにより水位を下げる工事を実施。
その後で埋め立てて、仙台堀川親水公園として整備したのが現在の姿なんだそうですよ。
砂町銀座
それではいよいよ、東西670mというロングストリートに、現在180店舗(100mあたり店舗密度26.8店)が営業している砂町銀座商店街へ足を運んでみましょう!
旧大石家から商店街の中心までは、北西へ直線距離約720m。
品川区の「戸越銀座」や、北区の「十条銀座」とともに都内“三大銀座”の1つとして知られ、平日でも約15,000人、休日で延べ20,000人ほどが訪れるという、非常に活気ある商店街です。
分類上は、廉価な生鮮3品(野菜、肉、魚)を売る店がメインの「近隣商店街」になります。
過去記事でも取り上げた、商店街西側にあるお肉屋さんに再訪♪
※㈱田無肉の宝屋 砂町銀座店…東京都江東区北砂4-7-18
相変わらずまだ午後1時半過ぎなのにもかかわらず、既に半額シールが貼られたモノが並んでいましたよ!
青空休憩所あり♪
以前は、商店街の中で食べ歩きをすると「迷惑行為」扱いされることもあったのですが・・・
最近では商店街の中の空き店舗を取り壊した後の空地に、テーブルと椅子を並べて休憩所として開放しているみたい!
なるほど・・・
これって、江東区とUR都市機構が進めている木造密集市街地における不燃化都市計画の一環なのですね!
確かに、狭く細い路地を囲んで古い木造の建物が多く、しかも家自体も狭小で人がたくさん住んでいる状態では、防災上問題があることは間違いないけど・・・
昔に比べて「歯抜け」「櫛抜け」状態になった商店街というのは、景観的な魅力の面ではむしろマイナスイメージになるのではないかと思いながら、購入したお惣菜をその場で頂きました♪
広場の利用可能時間は、午前6時から夕方7時まで・・・
そう、商店街の中にこういう広場を設けるというのは、近年の街づくりのテーマとして「今の流行」ではあるけれど、マナーの悪い輩が夜中に騒ぐのは近隣住民にとって非常に迷惑ですよね。
今回も、「禁酒」がルールのはずなのに、昼からビール飲んでいる奴が居たぞ(笑)
ワークショップでは、将来的な無電柱化や自転車「押し歩き」ルールの徹底も含めて検討されたみたいですね。
モデルとされた亀戸香取勝運商店街は、本ブログ内でも過去記事で取り上げていますよ♪
但し、道幅を広げてしまうのと「街に賑わい感」は相反するから、慎重に事業を進めたほうがよいのではと私個人的には思いました。
お稲荷様を発見!
テーブルとベンチが用意されていて自由に「買い食い」ができた広場の、商店街の通りを挟んで向かい側にお稲荷様を見つけました!
砂町銀座商店街振興組合の事務所が入る建物の2階に鎮座するのは、高平稲荷神社さま。
※東京都江東区北砂4-18-14砂町銀座会館
小さな社殿の横は、砂町銀座商店街の事務所の入口になっています。
創建は江戸時代の元禄年間(1688~1704年)で、かつては30坪の境内があったそうです。
この街に「砂町銀座」という名前が生まれたのは遡ること昭和7年で、当時日本一の商店街であった銀座通り商店街に負けないようにとの思いを込めて命名されました。
戦前は30軒程度の小さな規模でしたが・・・
昭和20年の東京大空襲で焦土と化し焼け野原になってしまいます。
現在の形にまで復興を果たしたのは、終戦から18年後の昭和38年ごろのこと。
廉価な生鮮3品(野菜、肉、魚)を筆頭として、近隣住民と共に少しずつ発展していきます。
昭和50年代に入ると、大規模な公団住宅やマンション建設が進んで、周辺人口が一気に増加したことに伴って、様々な業態の店舗が増えていきました。
今は小さな「祠」になってしまいましたが、昔も今も変わらぬ神威で商店街を行き交う人を見守ってくれています。
いかがでしたでしょうか?
今回の記事は、賑わう商店街でお店自慢のお惣菜を食べ歩きしてみたいと思っている人…
特に、都内近郊「3大銀座商店街」の1つとして名が知られ、平日・休日問わず賑わっている東京都江東区「砂町銀座商店街」の現況について知りたい人を念頭に書いてみました。
災害に強い広い道のある街に造り替えることは、確かに重要ですが・・・
現在の賑わいの要因となっているのは、細長い道沿いに続く店舗密度(26.8店/100m)という商店街の景観であることは疑いのない事実。
この密度を今後も維持していく観点からの議論も、是非とも加えて頂けたら幸いと存じます。
では、今回も長文雑文乱文記事に最後までお付き合い頂いた方には感謝申し上げます。