米蔵の跡に建つ新興住宅地…浜野の「澪」近くで微かな歴史の痕跡を探し、パチンコ屋さんで格安ランチ♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

米蔵の跡に建つ新興住宅地…浜野の「澪」近くで微かな歴史の痕跡を探し、パチンコ屋さんで格安ランチ♪

 

今回は、今からちょうど139年前の明治16年(1883)8月30日に発生した落雷に伴う火災から、数次に渡り社殿を再建し現在に至る浜野諏訪神社からお散歩スタートです。

※千葉市中央区浜野町446-1

 

この神社は、市原市養老における当時の領主であった村上周防守義清が大永元年(1521)に信濃国の諏訪神社を勧請するため、家臣を信濃国へ派遣した復路で当地に止宿・・・

 

当地村民の合意により諏訪神社を勧請創建したと言われています。

 

先ずは御神木のパワーを浴びてから、この神社の周辺にある江戸時代の米蔵と、河岸(横澪)の痕跡を巡り、2本の国道が交わる交差点角にあるパチンコ屋さんでランチしちゃいますよ♪

※宝暦5年(1755)「浜野地先澪絵図の集落部分」(茂呂町鴇田博幸家所蔵資料)より引用

 

掘割が残存?

先ずは、古絵地図中に「5」と表記された「御蔵(米蔵)」の痕跡を探しに行きます。

 

千葉市街地(東京方面)を背に、旧国道の浜野橋を越えて地区内に入ると・・・

 

旧国道に並行して良い感じに曲線を描いた、幅広めの暗渠化された水路が出てきましたよ♪

※千葉市中央区浜野町1232-3付近

 

上掲した古地図に描かれた掘割跡のように見えますけど、いかがでしょうか?

 

浜御蔵跡

掘割の内部は新興住宅街になっていましたが、藩政時代に生実藩の米蔵として利用されていた場所は、ココで間違いないようです!

■本ブログ内関連記事参照

 

晩秋には年貢米5千俵余りが収納され、後述する浜野河岸から江戸に廻米されたとの事。

 

幕末には異国船に備えて海防の砦にもなったのだそうですよ。

 

さらに時代を遡って中世には城郭として使われていた場所のようで、グーグルマップや現地に設置された小公園内では「浜野城跡」として案内されています。

 

千葉氏絡みの中世時代における城館は、東に隣接する本行寺の範囲まで含まれる大きさだったようですね。

 

如意山本行寺は、法華宗日什門流の日泰が東京品川の泰師河岸から船便で房総布教を目指し、文明元年(1469)に廃寺を布教道場として興す目的で開創されました。

 

浜野河岸跡

こちらは既に過去記事でもご紹介していますが、少し曲線を描く細長い形をした「浜野公園」として現在は利用されている場所は、かつて浜野河岸と呼ばれた横澪跡です。

※上掲の古絵地図中に「4」と表記された場所

 

浜野川(旧名「塩田川」)の河口に位置する浜野湊は中世戦国時代から利用されはじめ、さらに江戸時代には五大力船で生実藩の年貢米だけでなく、茂原大原方面の海産物や米も輸送。

 

また、旅人の乗船場としての他、この横澪は漁船の船溜まりとしても使われて、造船所もあって昭和36年(1961)における海岸埋立まで利用されてきました。

※同年12月25日に生浜漁業組合が漁業権を放棄

 

江戸後期の寛政4年(1792)に番船会所が設けられ、明治13年(1880)に浜野在住者20人による発起で共和汽船会社が設立され、後に東京湾汽船に引き継がれて、大正中期までは蒸気船の寄港地として栄えたのだそうです。

※現在のJR内房線の前身となる蘇我駅 - 姉ケ崎駅間の鉄道開通は明治45年(1912)

 

パチ屋のランチ

今回もウロウロ歩き回って知識を詰め込んだので、お腹が空いてきた頃に偶然通りがかったパチンコ屋さんの入口で見つけた「お食事処 がっつり食堂」。

※千葉市中央区村田町893-196パチンコ「フラミンゴ」浜野店内

 

景品交換所のような窓口の前にあるので、少しだけ入るのに勇気が要るけど、よく見るとパチンコ屋さん本体とは出入口が別々なので、球を打たない人でも大丈夫、利用OK

 

「腹が減っては戦はできぬ!」の幟旗に誘われるまま入ると、週替わり定食「豚丼600円味噌汁付き」の看板があったので、食券購入してカウンター席に陣取ります♪

 

お冷はコップだけ渡されるので、卓上にあるピッチャーから客がセルフで注ぐスタイル。

 

日曜日の昼12時過ぎに行って先客5名の状況から、待つこと15分で豚丼が到着!

 

家庭料理的?

出てきた豚丼の上に載る肉は、大手チェーン店のような柔らかさ×ジューシーさを強調したモノとは1線を画し、家(自宅)で軽くフライパン調理したような堅めの焼き加減。

 

でも、タレは醤油と味醂がバッチリ効いていて、美味しかったですよ♪

 

減塩の白味噌に軽く出汁風味を付けた味噌汁も含めて、良い意味で「家庭の味」的な感じ。

 

これで600円なら、まぁこんなモノかな?・・・また近くを通りかかった際には、リピ利用も有りかなと思いましたね。

 

いかがでしたでしょうか?

今回は、ちょうど139年前の雷による火災から再建した浜野諏訪神社からスタートして、浜御蔵跡(浜野城跡)と浜野河岸跡を巡り、最後にパチンコ屋さんの併設食堂でランチしてみました。

 

残念ながら普通の住宅地化していましたが、残存していた掘割(水路)の跡から何となく微かな痕跡が掴めたという事が伝わりましたでしょうか?

 

最後にご紹介した、パチンコ屋さんの食堂にあるコスパに優れた週替りメニューは、入ってすぐ右手にある券売機番号38番(券売機中段)のボタンを押して購入してくださいね♪

 

このパチンコ屋さんは、国道16号と357号が交差する村田町交差点の北東角にあり、自動車交通にシフトした現在でも、この浜野・村田地区が交通の重要な結節点であることが判ります。

 

皆さんも是非とも、古地図を片手にお散歩して、今まで見過ごしてきた街の歴史を紐解くことで知識はもちろん、道中のランチでお腹も満足してみてはいかがでしょうか?