五十路は人生半ばなり -32ページ目

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

平常時58kgだった体重は地元の病院から国立病院への転院が決まった時点で51kgに。転院から1週間で46kg、さらに翌週には43kgと下がり続けた。都合15kgもの減量になったわけだが、もともと脂肪が多い体質ではなかったから、ほとんど筋肉が減ったことによる減量だったのだろう。そんなに筋肉質ではなかったがそれなりに意識して鍛えていたし、おそらく10kg以上であろう失われた筋肉に思いを馳せて「100g500円として・・」などと馬鹿な計算をしたものだ。

プレドニン投与によって症状が治まり体調も良くなってからは、体重が戻ることが楽しみのひとつになった。身長も高い方ではないが170cmあるから、43kgの体重では骨と皮だ。筋力云々ももちろん大事だが、いちばん気になったし不便だったのはお尻が無くなってしまったことだ。初めて・・というわけではないが、病気になってから自分の体を確認する余裕ができて初めて、お尻に触れた時・・動揺しない方だが、しばし愕然とした。「こんなになっちゃうんだ」という感慨と言うかなんと言うか。お尻があった場所の皮膚がたるんで、皮膚のすぐ下にごつい骨が触れる。お尻・・骨盤と大腿骨の間の関節ということになるだろうか、すごいゴツイ。愕然とした次の瞬間には「頼もしいなあ」と感じていたのだから、立ち直りは早い性格なのだと思う。しかし良い経験だ。普通はこの部分の骨に触れることなどないだろうから。

体重は43kg付近で下げ止まったようで、一度42kg台になった時は「まだ下がるか」と心配したが、それ以上下がることはなかった。退院した時には44kg台になっていたから、少しは増え始めていたわけだ。退院後は病院の食事のように万全の管理ができないので体重もがんがん増えるかと思いきや、1週間たっても10日経っても44kgから増えず「ちょっとまずいのでは」と心配になった。しかし2週間目になってようやく45kg台に乗ると翌週には46kg、翌々週には47kgと順調に増え始めた。退院して1ヶ月半になる頃には念願の50kgを超えて、退院2ヶ月で52kg。そこから一気に週1kgのペースで体重増加が始まる。

こうなると人間というのは(私という人間は?)勝手なもので、ちょっと待てよ・・と。入院前と比べれば筋肉量がかなり少ない状態だ。その状態で入院前と同じ体重に戻ってしまったら、それってつまり脂肪太りなんじゃ・・。そう思うと今度は、体重をセーブするために食事のメニューを考えていかなければならないことになる。ちなみに我が家の食事当番は私。レストラン勤務の経験もあるし、飲食店経営の経験もあるから調理は得意だ。入院前から食事を作るのは私と決まっていたから、入院中に妻と息子がちゃんとした食事をしているかが心配の種だった。着替えなどを持ってお見舞いに来てくれるたびに息子に「ちゃんとしたもの食べてる?」と聞くが、息子は「うん大丈夫」・・「今日のお昼は何食べたの?」「ラーメン」・・「昨日は?」「昨日もラーメン」・・「今日の夕飯は?」「かっぱ寿司!」という具合だから、私も「うーん」とうなってしまう。妻が慌てたように「あ、でも明日はすき焼きにしようと思ってるから」と言うので「なるべく野菜も食べさせてあげてね」と言いつつ、「早く退院しなければ」という気持ちは強くなる。

退院してから私が始めたのが、松花堂弁当などに使われる小分けされた弁当箱(30cm四方くらい)の活用だ。夕食などではどうしてもドカッとメインの料理を作って付け合わせをちょぼちょぼ、それに野菜を付けておけばいいやというノリになりやすいのだが、病院食で健康を実感した私としてはこの健康を家族にも分けたい。色々なおかずをバランス良く提供できて、なおかつ洗い物が楽で、少量ずつでも見栄えが様になって、作りおいても冷めにくい・・などなど、わがままな希望を総合した結果、この弁当箱に行き着いた。しかしまあ実際に作り始めてみると毎日4品、5品と作るのは意外に面倒ではあるのだが、現在のところ仕事もしていないし何とか・・と言いつつも、最近は寒いのを良いことに鍋物の回数が異常に多くなっている。

そんなこんなでカロリー制限も始めて、増え続けていた体重も小康状態に落ち着いて現在に至っている。これからは筋肉を増やしつつ脂肪を燃焼させる体作りに移行していくつもりだが、いかんせん運動量が限られてしまうものだからのんびりじっくりと取り組むしかないだろう。自分なりには運動しているつもりだし、足を鍛えるために毎日必ず買物などに出かけるようにしているが、足の力が弱かったり痺れの影響で上手く歩けず苦労したとしても、だからと言って普通に歩ける人より多く運動をしたことにはならない。自分では一生懸命歩いているつもりでも、運動量としては普通の人の散歩程度でしかないのだ。効率の良い運動方法を考えて・・そう最近気になり始めたこの腰回りの脂肪を何とか退治したいものだ。
最近は出かける時に玄関でふと考えることが多い。杖を持って行こうかどうしようか。かなり普通に歩けるようになってきたので、階段や急な坂道以外は杖なしでも歩くことができる。傍から見ていれば変な歩き方なのかも知れないが、本人は普通に歩いているつもりでいる。杖に体重の一部を預けることに慣れてしまったから、杖なしで歩くと腰に負担が掛かるように感じる。しかし近場ならば、問題なく杖に頼らずに買物に出かけられるようになった。退院した当時には最大の難関だった4階の自宅までの手すり無し階段も、杖付きではあるが難なく上れるようになったことを考えると凄い進歩だと思う。

最初に杖を手にしたのは、入院していた病院のリハビリ室だ。ようやく始まった歩行訓練のときにトレーナーさんが「これを使ってみてください」と黒い杖を持ってきた。それまで杖など手にしたこともなかったが、いざ使ってみると非常に歩きやすい。たった1本の杖がこんなにも心強いものなのかと嬉しくなり、さっそく妻に頼んで自分専用の杖を買ってきてもらった。私が入院していた病院は敷地内にコンビニエンスストアがあり、入院などに必要なほとんどのものが売られている。杖もそのコンビニで売られているものだが、コンビニで売っているだけに院内で同じ杖を使っている人が多い。色々な患者さんがいるからトラブルの元にならないように、名前を書いておいた方が良いだろうと思った。その当時はまだ院内を自由に歩けなかったし、一人でコンビニに行く許可も出ていなかったので、検温に来てくれた看護士さんに白マジックを貸してもらえないか尋ねてみた。黒い杖だったから、白マジックならどこにでも名前が書けると思ったのだ。その看護士さんは「白マジック・・何に使うんですか?」と怪訝そうな顔をしたが、私が杖に名前を書きたいのだと説明すると少し考えてから「それじゃ、名前のシール作って来ましょうか」と提案してくれた。「こんなの」と言って見せてくれたのは院内の各器物に貼られている病棟名が記されたシールだった。看護士さんがニコニコして言ってくれるものだから、忙しいのに悪いなと思いつつも「ありがとうございます」とお願いしてしまった。

その日の夕方にでき上がったシールを持った看護士さんが来てくれて、まだ指先が定まらない私の代わりに杖にシールを貼ってくれた。さすがは病院という感じで、何のてらいもなく如何にも堂々と私のフルネームが書かれている。翌日リハビリにその杖を持っていくとトレーナーさんが名前のシールに気付いて「病院でやってくれたんですか」と驚いていた。結構なサービスだったようだ。入院中は少しずつ端がめくれてくるシールを押し付けながら剥がさないように大事に使っていたが、退院してから剥がしてしまった。代わりに名前を書こうと思いながら、未だにそのまま使っている。

杖の卒業時を決めるのは、なかなか難しそうだ。普通に歩く分には歩けるが、素早い動きはできない。杖を持っているとそれが目印になって、周囲の人が「こいつは早く動けないだろう」と察してくれる便利さがある。そのために私がもたもたしていてもトラブルが起りにくい。杖を手放すということは、そうした甘えができなくなるということだ。また予期せぬ階段や坂道にも対処しなければならなくなる。普通の人にとっては当たり前のことなのだが、当たり前を当たり前と思えるようになるのに少しばかり勇気が必要なのだ。リハビリのトレーナーさんによると、杖は意外と置き忘れが多いのだと言う。それはつまり杖なしで歩けるようになっても、なかなか杖が手放せない人が多いということでもある。私にしてもどこかに杖を置き忘れたりしたら、たぶんまた買おうとは思わないだろう。杖の卒業の切っ掛けとしては、置き忘れもまた良いのかも知れない。
今朝は割と暖かいなと思って室内の温度計を見ると、18度。ついこの前まで室温20度になると肌寒く感じていたことを考えると、体が寒さに慣れてきたのだと解る。東京でも真冬になれば零度近い朝も多くなる。体が勝手に機能を調節してくれるから、冬も夏も変わらずに生きていけるわけだ。

寒さのせいかも知れないが、最近は足のしびれや痛みが強くなったように感じる。大丈夫かなと思うくらい、割と思い切ってプレドニンの投与量をがんがん減らしていく医師で、2週間ごとの定期健診の度に10mgづつ、5mgづつ減らして前回はとうとう1錠(5mg)、今は1/2錠(2.5mg)にまで減っている。学者肌のとても優秀な医師なのだが体に厳しいところがあって、いつまでも薬に頼らせることを好まない。ある意味、体のことを良く知っているということもできるだろう。薬についての知識が深いから、薬の怖さも良く知っている。薬の投与によって体が本来の働きをしなくなってしまうことを嫌うから、常に一定のプレッシャーを体に与え続けようとしている。・・・ように私には思える。

医師にも治そうとする医師と、治さない医師がいる。医者だから皆がみな病気を治そうとするかと言えば、それは否だ。ただ薬だけを出し続け、患者の希望は全部聞き入れてさらに薬を増やし、いつまでも習慣のように通院を続けさせる医師が多い。軽快しても「もう来なくていいですよ」とは絶対に言わない。患者を顧客としかとらえていないのだ。病院の運営は患者の医療費によってまかなわれている。常時どれだけの患者数を確保できるかが、病院の運営を左右していると考えて差し支えない。例えば非常に腕の良い医師がいて、来る患者を次々と全快させてしまっていると、やがてその病院の待合室は閑古鳥が鳴くようになる。そうなれば病院の運営は続けられないだろう。患者の治療を長く引き伸ばして数を溜め込むことで、運営が成り立っている病院・医院が多いのだ。当てずっぽうで言っている部分もないとは言わないが、ある仕事で医院の新規開業に関して調査をしたことがあるので多少は医院経営の内情を知っている。

話が逸れたが、最近強くなったように感じる足の痛みやしびれには、2つの考え方があると思う。良い方が1つ。今まで無感覚に近いしびれ(麻痺)があった部分に感覚が戻り始めている。今まで感じなかった部分の痛みやしびれが感じられるようになったのではないかという考え方、つまり楽観論。もう一つはもちろん、症状が悪化しているのではないかという考え方。しかし症状の悪化に関しては素人では何もしようがないし、仮に担当医に急きょ連絡をして心配を訴えたところで「様子を見ましょう」となるのがオチだ。医師としてもハッキリした変化が無ければ何もできないのは一緒で、特に私の担当医は患者の心配などに左右される人ではない。こう書くと冷たい医者のようだが、入院中に一度ぶつかり合ったことがあって、そのときにこの医師の仕事に対する真剣な取り組み方や底の深い人間愛とでもいうものに触れたことで、今では全面的に信頼するに至っている。

その医師がおそらく言うだろう言葉が「様子を見ましょう」なのだから、私も様子を見ることにする。どちらにしても好酸球が増えているかどうかということなのだから、来年早々の検査でハッキリすることだ。しかし・・ある程度の期間続けてプレドニンの投与を受けている人は皆同じように感じているかも知れないが、プレドニン投与量を減らしたいと思う反面、実のところプレドニンの投与が終了してしまうのを恐れる気持ちもある。ある種の依存症なのだろうが、現在の健康はプレドニンによって維持されていると自覚しているため、それが無くなってしまうことが不安なのだ。現在の1/2錠の次は・・と考えると、おそらくその医師のことだ「プレドニンをやめて様子を見ましょう」ということになるはずだ。特に好酸球が増加したりしていなければ・・ということだが。

これからどうなるか解らないが、私と同じ道をたどるかも知れない人のために簡単にデータを残しておこうと思う。

9月2日  退院 プレドニン30mg(好酸球0%)

9月16日  外来 プレドニン20mg(好酸球0%)

9月30日  外来 プレドニン15mg(好酸球0%)

10月21日  外来 プレドニン10mg(好酸球1%)

11月11日  外来 プレドニン5mg(好酸球2%)

12月9日  外来 プレドニン2.5mg(好酸球3%)

他の方のブログなどを拝見していると、私の場合のプレドニンの減らし方がかなり早いように感じている。これが正しいのか否か、もちろん検査の結果によって投与量を加減するから一概に比較することはできないが、このままプレドニンの投与が終了しても再発などの事態が生じないなら、一つの参考にはなろうと思う。