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五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

もう5年前になるのか、しつこい咳が出始めたのも正月休みの頃だった。色々と心労があり気力も落ちていた時期だったから、結核?肺炎?などと思いながら病院を受診もせず、そのままにしてしまった。咳は数ヶ月続いて治まっては再発する繰り返しだった。今にして思えばそれが好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(チャーグ・ストラウス症候群、アレルギー性肉芽腫性血管炎)の始まりで当時は気付くはずもなかったが、仮に受診していたとしても喘息と診断されるだけでそれ以上のことは解らなかっただろうと思う。喘息の症状は悪化するわけでもなくただ延々と続くだけのようだったから、呼吸の仕方を工夫すれば咳き込むこともなく、見逃してしまいやすかったのだ。

アレルギーと思しき症状が出始めたのは、咳からさらに3年ほど経った頃。入院の2年前頃からだ。まず豆乳でハッキリとしたアレルギー症状があらわれた。胸焼けのような・・と言っても胸焼けの経験がない人には解らないだろうが、飲み過ぎた翌朝のひどい胸焼けのように胸から首にかけた辺りが痛苦しくなる。その後、冷ややっこを食べた時にも同じ症状が出たので単に大豆アレルギーなのかなと思っていた。アレルギーを起こす食物は徐々に増えていき、特にフルーツ系では梨やメロン、キウイ、桃など日を追うごとに種類が増え続けて、終いにはフルーツは全種類NGと考えるまでになっていた。歳をとると以前は大丈夫だった食品にアレルギーが出るようになることも珍しくないと生半可な知識があったために、特に異常なこととも思わずそれも見過してしまった。いよいよ異常と認識することになったのは、毎日欠かさず飲んでいたお酒でアレルギー症状が出たことによる。

お酒に対する反応は日に日に強くなり(それでも飲み続けていた)、そのうちに誇張でなく1滴でもお酒が喉を通ると即座に激しい症状が出るようになった。これはいよいよ深刻な事態・・と思ったものの、実のところ酒飲みというのは「どこかやられてるだろうな」という妙な諦観を持っているもので、なかなか病院に行こうとしない。さらに腹痛が出始めて、食後には必ず胃の辺り・・私の場合は胃の少し下の辺りが痛むようになり、ふと気付くと足の筋肉が萎縮して筋力が無くなってきているところまで来て、ようやく青い顔をして病院を受診することになった次第だ。

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症は何年にもわたって少しずつ進行して行く怖い病気で、喘息などの前駆症状だけでは病気に気付きにくい特徴がある。もちろん何か症状が出たら取り敢えず病院を受診するようにすることが最善なのだが、個々の症状がそれぞれに別のものではなく関連しているかも知れないと認識することは非常に重要だ。しつこい咳が続いたり、アレルギーと思われる症状が増えてきていると思ったら、なるべく早い時期に病院で血液検査をしてもらうと良いかも知れない。好酸球性多発血管炎性肉芽腫症では神経細胞の破壊が起るので、治療は可能な限り早く始めるに越したことはない。特に酒飲みの方へ・・これぐらいどうってことないなんて意気がってる場合じゃないかも知れませんよ。
退院してから困ったことのひとつに、皮膚がぽろぽろと剥けるということがあった。最初の内は・・汚い話しだが入院中は十分に入浴ができないため(予約制で30分限り)、垢がたまっているとまでは言わないが洗い切れていない老廃物が残っているためかと思っていた。一週間もすればなくなるだろうとタカを括っていたが、状況は良くなるどころか日増しに悪くなっていった。下着を脱ぐと剥けた皮膚がぱらぱらとフケのように付いている。着替えや歩くだけでも落ちるので、床も頻繁に掃除しなければならない有り様だった。一日に何度も掃除機をかけ、お風呂も家族の最後にしてもらって掃除してから出ることにした。日焼けの時のような剥け方ではなく、フケのように細かくぱらぱらと散るのが余計に汚く感じて嫌だった。

思えば入院中からそんな感じではあったが、入院中は皮膚の状態よりも病気の状態に注目しているから、特に気にはならなかった。さてプレドニンの副作用のひとつか、はたまた急激に痩せたことによるものかと考えたが、もちろん解らない。自分でできることとしては入浴後に全身に入念にクリームを擦り込むことくらいだが、それも気休めのようなものだった。クリームを擦り込んでしばらくはシットリしているが、その内に乾いてくる。乾くと粉を吹いたように肌が白っぽくなり、軽く手の平でこすっただけでも粉が舞う。またクリームを塗り込む・・の繰り返しだった。

ようやく皮膚が剥けるのが収まったのは、退院してから2ヶ月ほど経ってからだ。プレドニンの投与量も減り、体重も戻り始めている時期だったから、結局どちらが原因かは解らず仕舞いだった。皮膚が剥けるのが収まるとやっと人心地・・・いや、大げさだと思われるかも知れないが、いくら家族が気にしない素振りでいてくれようとも全身至るところの皮膚がぱらぱらと剥けて散らばるのだから、掃除や洗濯のみならず料理やトイレに至るまで本人は気になって仕方ないのだ。皮膚が剥けなくなってやっと、気楽に生活ができるようになった。

皮膚と言えばもう一つ困ったことが・・足の裏の皮膚のことだ。この病気では足の先や裏の神経が麻痺する症状があるのだが、それとは別に退院してから気が付いたことが「足の裏の皮膚が薄くなったのでは・・」ということだ。これも最初のころは入院生活でずっとベッド暮らしだったから、足裏の皮膚が薄くなったのではと考えていた。皮膚が薄いから非常に過敏になって歩きにくいのだが、しばらくすれば戻るだろうと思った。ところが一向に戻らない。退院して3ヶ月以上になる今でも足裏の皮膚は薄く柔らかいままで、固いものを踏むと飛び上がるほど痛い。

あそこが痛いここが痛いと愚痴を言えば切りがないのだが、そういう細かいことが気になるようになってきたのも、全体的な症状が緩和されてきたためだと思う。思えば最初の頃の風呂掃除は、大げさに言えば特訓場のようだった。いったんしゃがみ込んでしまうと立ち上がれないから、できるだけ膝を曲げずに掃除できるところは掃除して、しゃがんだらしゃがんだで可能な限り広い範囲を一度に掃除しようとする。座って立つ動作をいかに少なくするかが勝負で、風呂場から出るといつも心臓の鼓動を気にしながらぐったりしていたものだ。それが今は大した苦もなく風呂掃除ができるのだから、良くなったものだなあと思う。
好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(チャーグ・ストラウス症候群、アレルギー性肉芽腫性血管炎)のため地元総合病院から国立病院に転院したときは、すでに一週間食事が断たれていた。点滴だけで栄養補給している状態だ。転院先の国立病院でも入院から一週間は食事がなかったから、都合2週間なにも食べなかったことになる。だから「明日から食事が出ます」と告げられた時は嬉しかった。点滴で栄養補給されているとは言え、やはり何も食べられないことは辛く、毎日看護士さんや医師から「便は出てますか」と聞かれて「いいえ」と答えるのにもうんざりしていたからだ。食べてないのに出るわけがないと思うのだが、医師が聞くからには何か意味があるのだろう。

2週間もの断食の後の食事だからお粥のようなものを想像していたら、いきなり普通のご飯に納豆が出てきて驚いた。本当に食べていいのかなと恐る恐る箸を口に運び、半分方残したが何とか胃に収めることに成功した。2週間にわたって全く咀嚼を行っていなかったので顎の筋肉が弱くなり、噛むのが非常に疲れる。飲み込むと異物がお腹に入ったような違和感を覚える。食べた後いつまでもお腹の中の食物が、違和感として意識され続けてしまうのだ。そしてその夜、私は激しい腹痛に苦しむことになる。

お腹が痛いとはこんなにも苦しいものかと・・この病気になってからも腹痛の症状はあったが、こんなに苦しくはなかった。お腹に入った食物・・異物が暴れているような感じ・・お腹に入れてはいけないものを入れてしまったような感じと言えば良いだろうか。拒絶反応のようなものなのかも知れない。普通の感覚ではお腹が痛い時はトイレに行けば収まることが多いだろうが、全くそのような気配も見られない。おそらく良くあることなのだろう。看護士さんも気遣ってはくれるが、これといった手は打たない。なるほど耐えるしかないのだなと理解はしたものの、だからと言って痛みが治まるものでもない。

その病院では夜間は1時間ごとに看護士さんが巡回してくるのだが、夜勤の看護士さんが回ってきた時には、私は為す術もなくベッドの上でうずくまっていた。看護士さんにも色々な人がいるが、その看護士さんは特に一生懸命な方と言うか・・後にも大変お世話になったのだが、とにかく自分にできることはなんでも頑張ってしまう人だった。「何かできることは有りませんか?」「お腹を温めたら楽になると思いますか?」などと親身に聞いてくれて、温めたアンカのようなものを持ってきてくれた。何だったかあまり記憶に無いがすぐ冷めてしまうもので、その度に看護士さんが温め直したものと交換してくれて、結局一晩中掛かり切りのような状態で世話をしてくれた。温めたからといってそれほど痛みが治まるわけではないのだが、私はその看護士さんの一生懸命な姿が感動的と言うか・・嬉しくて、つまりは耐える勇気をもらったように思う。看護師というのはすごいな、必要な職業だなと身にしみて感じた。実は私の妻が看護師で、喧嘩などするとときどき職業を軽んじるような暴言も吐いたことがあったのだ。大いに反省させられた一幕だった。

お腹が食物を受け入れられるようになるまでには、一週間ほどかかった。最初の時のような酷い痛みこそ無かったが毎日がお腹の不快感との付き合いだったので、食物が自然に体に入ったと感じられた時は嬉しかった。異物感が無くなったのだ。食べるってこういうことだったと、再認識した。お腹にスッキリ食物が収まるようになるのと同時に、それまで不調の限りを尽くしていた便通の方も改善した。他人の便通の話など聞きたくないだろうから詳しくは書かないが、あまりの改善にショックを受けたほどだ。「ここ30年ばかり、これほど健康だったことはない」と言い切れると思った。もっと言えば、人間の機能ってもともとはこんなに優れたものだったのかということだ。看護士さんに話すと「そうですよね。気持ちいいですよね」と同意してくれるのも嬉しかった。やはり看護師は凄い。

その病院ではそのように教育しているのだろう。医師も看護士も、何かの区切りには必ず「ありがとうございます」と口にする。診察でも検温でも、こちらが面倒な用事を頼んだ時でも、終わると「ありがとうございます」と言う。自然、患者の方もそれに応えて「ありがとうございました」と言うようになる。なかなか良い方針だなと思った。だから退院した今でも、私はごく自然に「ありがとうございます」と言うことができる。