看護士さんは凄い | 五十路は人生半ばなり

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(チャーグ・ストラウス症候群、アレルギー性肉芽腫性血管炎)のため地元総合病院から国立病院に転院したときは、すでに一週間食事が断たれていた。点滴だけで栄養補給している状態だ。転院先の国立病院でも入院から一週間は食事がなかったから、都合2週間なにも食べなかったことになる。だから「明日から食事が出ます」と告げられた時は嬉しかった。点滴で栄養補給されているとは言え、やはり何も食べられないことは辛く、毎日看護士さんや医師から「便は出てますか」と聞かれて「いいえ」と答えるのにもうんざりしていたからだ。食べてないのに出るわけがないと思うのだが、医師が聞くからには何か意味があるのだろう。

2週間もの断食の後の食事だからお粥のようなものを想像していたら、いきなり普通のご飯に納豆が出てきて驚いた。本当に食べていいのかなと恐る恐る箸を口に運び、半分方残したが何とか胃に収めることに成功した。2週間にわたって全く咀嚼を行っていなかったので顎の筋肉が弱くなり、噛むのが非常に疲れる。飲み込むと異物がお腹に入ったような違和感を覚える。食べた後いつまでもお腹の中の食物が、違和感として意識され続けてしまうのだ。そしてその夜、私は激しい腹痛に苦しむことになる。

お腹が痛いとはこんなにも苦しいものかと・・この病気になってからも腹痛の症状はあったが、こんなに苦しくはなかった。お腹に入った食物・・異物が暴れているような感じ・・お腹に入れてはいけないものを入れてしまったような感じと言えば良いだろうか。拒絶反応のようなものなのかも知れない。普通の感覚ではお腹が痛い時はトイレに行けば収まることが多いだろうが、全くそのような気配も見られない。おそらく良くあることなのだろう。看護士さんも気遣ってはくれるが、これといった手は打たない。なるほど耐えるしかないのだなと理解はしたものの、だからと言って痛みが治まるものでもない。

その病院では夜間は1時間ごとに看護士さんが巡回してくるのだが、夜勤の看護士さんが回ってきた時には、私は為す術もなくベッドの上でうずくまっていた。看護士さんにも色々な人がいるが、その看護士さんは特に一生懸命な方と言うか・・後にも大変お世話になったのだが、とにかく自分にできることはなんでも頑張ってしまう人だった。「何かできることは有りませんか?」「お腹を温めたら楽になると思いますか?」などと親身に聞いてくれて、温めたアンカのようなものを持ってきてくれた。何だったかあまり記憶に無いがすぐ冷めてしまうもので、その度に看護士さんが温め直したものと交換してくれて、結局一晩中掛かり切りのような状態で世話をしてくれた。温めたからといってそれほど痛みが治まるわけではないのだが、私はその看護士さんの一生懸命な姿が感動的と言うか・・嬉しくて、つまりは耐える勇気をもらったように思う。看護師というのはすごいな、必要な職業だなと身にしみて感じた。実は私の妻が看護師で、喧嘩などするとときどき職業を軽んじるような暴言も吐いたことがあったのだ。大いに反省させられた一幕だった。

お腹が食物を受け入れられるようになるまでには、一週間ほどかかった。最初の時のような酷い痛みこそ無かったが毎日がお腹の不快感との付き合いだったので、食物が自然に体に入ったと感じられた時は嬉しかった。異物感が無くなったのだ。食べるってこういうことだったと、再認識した。お腹にスッキリ食物が収まるようになるのと同時に、それまで不調の限りを尽くしていた便通の方も改善した。他人の便通の話など聞きたくないだろうから詳しくは書かないが、あまりの改善にショックを受けたほどだ。「ここ30年ばかり、これほど健康だったことはない」と言い切れると思った。もっと言えば、人間の機能ってもともとはこんなに優れたものだったのかということだ。看護士さんに話すと「そうですよね。気持ちいいですよね」と同意してくれるのも嬉しかった。やはり看護師は凄い。

その病院ではそのように教育しているのだろう。医師も看護士も、何かの区切りには必ず「ありがとうございます」と口にする。診察でも検温でも、こちらが面倒な用事を頼んだ時でも、終わると「ありがとうございます」と言う。自然、患者の方もそれに応えて「ありがとうございました」と言うようになる。なかなか良い方針だなと思った。だから退院した今でも、私はごく自然に「ありがとうございます」と言うことができる。