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五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

最近は朝5時になると明るくなってくるので、ついつい一日の始動も早くなりがちだ。目覚ましのようなもので無理やり起こされるのが嫌いなので、自然に起きる時間が起床時間と決めているが、ここ数日は早めに目覚めるので少々寝不足気味になっている。体調は相変わらず。好酸球性多発血管炎性肉芽腫症の主要患部だった胃腸関係は極めて快調。足の痺れはもう常態のように慣れてしまっているので気にならないが、歩き過ぎると夕方から夜にかけては痛みが強くなる。プレドニンの処方が無くなってから出てきた筋肉痛と関節痛は相変わらずだが、特に悪化するでもなくそのまま継続しているような状態だから、つまり良くも悪くもないのだろう。

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という病気になって(私は特別に軽症だったというわけではないと思うのだが)私のように早期にプレドニン投与が切り上げられる例は、やはり少ないようだ。好酸球が悪さをする病気だからプレドニンで好酸球を抑え込んでおけば症状は緩和される。緩和されるというより好酸球による組織の破壊が行われないから、病状自体はストップすることになる。あとは後遺症の治療が残るだけだ。医者としては無理にプレドニンを減らしたりストップしたりして症状がぶり返すことが怖いから、様子を見ながら少しずつプレドニンを減らして行く。プレドニンの長期投与が依存症を招いてしまうことになるのは知っているし副作用も深刻な薬だから、減らしたいしできれば無くしたいのはやまやまだが、無理をして病気がぶり返せば元も子もないし責任問題にもなってしまうから難しい判断なのだと思う。結果的に長期の投与になってしまうことが多いということなのだろう。

それならなぜ私の場合は、1カ月半の入院後わずか4カ月でプレドニンがゼロになったのだろうか。通算しても半年足らずだ。ここからは全くの推測なので確証はないのだが、妻によると国立病院では臨床的なデータを取ることが義務づけられているから、試験的な意味合いもあるのではないかということだ。私の妻は看護士で(現在は幼稚園勤務だが)神奈川県の大手の医療機関に長年勤務していた経験もあるので、医療関係に関してはあながち素人とは言えない。わりと言うことに信憑性があると、私は思っているのだ。国立病院では病気の治療に対するデータを取得するために、様々な治療方法を試みることがある。好酸球性多発血管炎性肉芽腫症は全国でも年間100人程度しか発症しないから、その1人である私がたまたまその病院を訪れたのは、医師からしてみれば貴重な実験材料が舞い込んだに等しい(言い方が悪いが)。実際に私自身、入院生活では随分と特別扱いされて最高の医療が受けられた気になっているのだが、背後にはそのような事情があったのかも知れない。

普通の病院にとっては指定難病というのは面倒な患者・・・治療が難しく責任が重い患者かも知れないが、国立病院にとっては貴重な患者だということはあり得る。だから普通の病院が再発を恐れてプレドニンを長期投与するのに、国立病院ではプレドニンを短期に切り上げて様子を観察するということが行われても不思議ではない。もちろん危険も伴うわけだが、国立の機関であるということは、そういう義務と責任も負っているということなのだ。そのようなデータの蓄積によって、将来的にはこの病気のもっと効率的な治療方法が確立されるかも知れないということを考えれば、仮に治療に際して実験的であることが明かされて承諾を求められたとしても私は承諾しただろうから、特に問題はない。ただひとつ、私がデータにもならない特異体質でないことを願うばかりだ。

私の推測が(ほとんど妻の推測だが)正しければ、来月の診察で好酸球がさらに増えていたとしても、身体症状に危険がなければプレドニンの再投与は行われない。これが実験的(試験的)なものなら、そのまま変化を観察して行かなければ意味がないからだ。できれば、奇跡的に全快しましたという最初のデータになりたいものだ。
早いもので、ふと気が付くと退院して6ヵ月が過ぎていた。杖を付きながら必死の思いで階段を上ったのも過ぎたこと。今では手すりにも掴まらずに、重い荷物を持って4階までの階段を一気に上れるまでになっている。たぶんこの病気にしては回復が早い方なのだと思う。私は何でもそうだったから・・体が基本的に強いのだろう。

若い頃から見た目は一見ひ弱そうなので、他の人に気づかわれたりすることが多かったが、その実は頑丈で健康診断などでも異常があることはなかった。車に乗らないで歩いてばかりいるせいか(免許を持っていないので)足腰も頑丈で、長い距離を歩き通しても大して疲れないのが普通だった。この病気になって歩けなくなってしまったときはショックというか・・・人生にはこんなこともあるのだなあと妙な感慨にふけったものだが、今また歩けるようになると悪い癖で「もっと速く」とつい急ぎ過ぎて疲れてしまう。特に最近は少々腰の関節に来ているようで、姿勢に注意しないと腰が痛くなる。歩いているよりはじっと立っている方が苦手のようだ。

足の痺れはなくならないものの、さすがに半年も付き合っていれば慣れるもので時々ビリッと電気が走るように痛むのでさえ、気付かない風にやり過ごすことができるようになった。一日の疲れが出るのだろう、夕方以降には足(土踏まずから指先にかけて)が痛むことが多いが、それがかえって入浴で足を温めることを楽しみにしてくれる。退院当初は立ったり座ったりが多い風呂場の掃除が非常に苦痛だったが(妻はやらなくていいと言ってくれたが、私がリハビリを兼ねてやることに決めていたのだ)、今は口笛を吹きながらさっさとこなせる。人間進歩するものだ。今またそれが味わえるとは、果報とも言えるのかも知れない。

足がこのままでも、もう不自由はないなと思えるようになった。もっと良くなってくれれば言うことは無いが、このままでも充分だ。どっちみちもう少し歳をとって爺さんになったら、足腰もおぼつかなくなる。贅沢が言える歳じゃないのだ。今は仕事を上手くスタートさせて軌道に乗せて(食えりゃいいと思っている程度だが)息子にひとつの道を示して上げられれば、それで万万歳だ。正直なところ・・そういう生き方を否定はしないが、学校を出て企業に入って定年まで働いて老人になるだけの人生って、自分は選びたくないなと思うとともに息子にもできれば選んで欲しくないなと思っている。安泰が幸せという考え方もあるだろうし、子供を安泰に導いてやるのが親の努めという考え方もあるだろうが・・・私のように生きてきた人が少ないという決定的な事実はあるわけだが、人生ってそれだけじゃないなと私は思うのだ。そりゃお金がなければ苦労するし欲しいものも買えないけれど、だからこそお金を自分で稼ぎだす大切さが解るのだと思う。お金は勝手に毎月決まって入ってくるもんじゃないのだという考えが適度な緊張感を生んで、自分が生きるということ、自分の人生というものを真面目に考えようという気持ちを引き起こしてくれるんじゃないかなと・・ちょっと大げさだが。
治ったなんて勝手に決めつけては危険だが、体調が極めて良好で好酸球が暴れている気配が感じられない。もっとも入院前に好酸球が暴走していた時だって、強いアレルギー症状が出ているのに全く病気のせいだなんて思わなかったくらいだから、私の勘など当てにはならない。前の時は消化管に障害が出たが、次はどこに出るか解らないのだし・・。心臓や脳だと嫌だなと思うけれど、嫌がっても出ないものでもないから嫌がるだけ無駄なことだ。取り敢えずは前に強く症状が出た消化器系統は、今のところ大丈夫なようだ。

ちょっと思い出していたのだが、その時には解らなかったことが今になると面白い。地元の総合病院に入院して1週間。これは駄目だというので隣りの市の国立病院に転院を決めた時・・・全く治療が行われなかったから体調が最悪で車イスで苦痛をこらえながらという有り様だったので、気にしている余裕もなかったのだが・・。国立病院に行くために車イスでナースステーションの前を通りかかると、看護士さんたちがバラバラと駆け寄ってきて「良かったですね、良かったですね」と口々に言ってくれる。何が良かったのかって国立病院に転院できることになったことが・・なのだが、その時は気にもしないで「おかげさまで」なんて答えていたが、今になって考えると・・あの病院の看護士さんたちって自分の病院の医者を信頼していないのかな、など思えて可笑しくなった。

考えてみると転院の切っ掛けになった私のクレームを医師に伝えてくれたのも看護士だし(ま、それは当たり前のことだけど)、クレームを聞いた医師が私のところに来た時にも看護士が3人も付いてきて、私の言葉を都度補足して医師に伝えてくれた。だから国立病院に転院が決まった時の「良かったですね」は、彼女たちの本心からの言葉だったのかも知れないなあ・・・などと。看護師が内心で「この病院にいたら、この人は治らない」とか思っていたとしたら怖いなと思った。看護士は自分だけの言葉としては、医師に物申すことはできないのだろうから。

実際に私がその病院で色々な検査をされて、白血球が2万越えという異常な数値なのは解ったのだけれど、最初はその原因が消化器のどこかにあるのだろうという推測で徹底的な消化器の検査が行われたが原因は全く解らなかった。ひと通り検査を終えて尚「来週からまた消化器のもっと詳しい検査を行います」なんて言われたものだから「ちょっと待て」とクレームになったのだ。それで初めて一般内科の方で血液検査をして、好酸球が50%を越えていることが解った。その時の医師の解釈が「好酸球はアレルギーに反応する白血球です。しかし寄生虫にも反応することが解っています」ということで、私の病気の原因は「寄生虫を疑っています」と告げられた。海外に旅行しなかったか、動物は飼っていないか、最近動物などに触れるような場所にいったことはないかなど根掘り葉掘り聞かれたものの、答えは全てNO。最後には「もしかすると珍しい病気かも知れません」とは言っていたので、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症にたどり着きそうだったのか全然違う方向だったのかは、転院してしまった後となっては解らない。

しかし曲がりなりにも医師が、好酸球が異常に増えていることを知りつつ、それでもなかなかたどり着かない病気だということは解った。そうなるとたった1日の検査(1日で10以上の検査を行ったが)で病気の方向性を突き止めた隣町の国立病院は、それほど優秀だったということになるのだろうか。病気の「方向性」というのは、最初は血管炎性ニューロパチーという見立てだったということがリハビリトレーナーさんの言葉から解ったからだ。もっとも好酸球との因果関係が1日の検査ではハッキリ解らなかっただけで、血管炎性の末梢神経障害(ニューロパチー)という見立ては正鵠を射ている。

ときどき思うが、あのとき大人しく素直に(かつ愚かにも)地元病院で続けて消化器科の検査を受け続けていたら、私はどうなっただろうか。内視鏡やら何やらの辛い検査を連日やられながらも病状は日に日に進行するから、もしかするとさらに重症化して初めて「これは胃腸関係の病気じゃない!」と馬鹿な医者もようやく気付いたかも知れない。・・・それでも気付かなかったら怖いが。今こうして、のうのうとブログなど書いているような、こんな状態にはなれなかったかも知れない。プレドニンを投与するまでは好酸球は血管や神経組織の破壊を続けるのだ。私の担当医によると、破壊された神経は復活しない(別の神経が代用されることはある)から、一生杖なしでは歩けなくなっていたことも考えられる。

運が良かったんだなあと・・・もう運でしかないんだろうなと思っている。