なんだか最近

不思議なことがたくさんたくさん起こります



うれしい出会いに恵まれていますが

痺れるような出会いは何年もありませんでした




私はずっと芸術活動をしていて

これから何年もしていくことになるんですが


あまり展覧会に行くことがありません

行ってもおもしろいなと思うことがないからです




美術館で閉塞的に並べられてる作品って

いまひとつバシっときませんでした



これを人に言っても

芸術の新しい道は無いようなことを言われます




しかし

ある人にあって

考えが変わりました



まるで暗い道にライトを当ててもらってるかのようで



まだまだ

これから

新しい道は

有り続けることを

教えてもらい



それは

私がまさに

ほしかったもので

喉の渇きがすこし

潤ったような気がします





















おもしろいので

メモ代わり


http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A%E6%96%87%E6%98%8E


今日というか今

とってもうれしい話がきました


私の友達に難病のALSになった友達がいます


とってもステキな人で

その人の周りには

ステキな人が集まります



その中に

小林さんという人がいます




昨年の夏

小林さんは癌になりました


骨まで癌細胞がいき

レベル4と診断され

半年の命だと医者から宣告されました




とっても体が大きくて

元気な人なので


涙目でその話を伝える友達が

嘘を言ってるんじゃないかと思いました





入院する前夜

みんなでお酒を飲むことになったんですが

骨まで癌がいってるので

数分置きに苦しむ姿は今も忘れません





ステキな小林さんが

入院して

約1ヶ月の間に

お見舞いに来た人は

250人



さらに外泊届けを出し

仲のいい人達で

旅行に行ったり

食事に行ったり

普段よりも楽しくて忙しい毎日を過ごしました



お見舞いの人達の中に

一度だけ飲み会で一緒になった人が

毎日来たそうです





あっという間に

半年が経ち

何度か抗がん剤を打ち

病院に通っていたら癌細胞が

全く無くなり

5年以内に再発しなかったら

完全に治ると

今メールがきました





小林さんの人柄が

周りの人達の強い愛情をつくり

信じられない奇跡を起こしました





純粋な想いと

豊かな愛情ほど

強いものはありません





今日もドラマのある人生を学び

生きていく楽しさを知りました




なにかがどこからか

溢れ出す今









中学2年生の時

嶋本昭三を初めてテレビで見て

衝撃を受け

どうゆう人なのか

探し続け

高校3年生の進路の時期

ある雑誌と出会い

嶋本の大学まで走り出し

勇気がなかったので

遠目で見て帰りました


大学を卒業してすぐに

教授にアトリエの場所を聞き

連絡もせず

アトリエのドアをノックしました


感動で泣きじゃくる私を

やさしく受け入れてもらったことは

今も鮮明に覚えています




あの時

勇気が無く帰ってしまってたら

どうなっていたんだろう



心は蛸に吸われて苦しくて

想いは凧に飛ばされ嬉しくて

颯爽と歩く自分の型が

大気の中に初めからあるかのように

とても自然で運命的でした




昨日

ある人に久しぶりの衝撃を受け

連絡もせず

アトリエのドアをノックしました



緊張して

なにから話していいのかわからない私を

やさしく受け入れてもらったことは

一生忘れることはありません




なにかが始まる予感

あまりにもすばらしい考えに出会い

メモ代わりにここに



世界の最小単位が「笑いの原子」であることについて ■  アルバート・アインシュタイン


ーーーーー以下、引用ーーーーー

タイトルを読んだだけで驚かれる方もおられるかも知れないが

これは真実と呼んでも差し支えないのである。これから発表するのは

私が極秘裡に10年に渡って行ってきた研究の結果なのである。

さて、先の大戦後、物理学は悩める学問となった。

その理由は、もちろんあの原爆である。物理学は、真理を探究する過程で

人類自らを全滅に追い込む ほどの大量殺戮兵器を生み出してしまったのである。

その事実に関する私の責任は重い。

なぜなら、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに親書を 送り

ナチスより早く核兵器の研究と製造を行うようにけしかけたのは

他ならぬ私だったから。

戦後の私は、広島・長崎の悲劇に目を覚まされ、核廃絶運動に取り組む

ようになった。と、同時に、原子を最小単位として成り立っている世界の

見方も、根本的 な疑問を持つようになった。私は思考を重ねた。

そして遂に、これまでとは根本的に違う、全く新しい世界の見方を得ることができた。


それがつまり、「世界は笑いの原子からできている」ということなのだ。


ジョークの言語とさえ言われることのあるイデッシュを母語とする私は

幼い頃から、ユーモアに親しんできた。否、イディシュ語に媒介される思考

そ のものがユーモアを内包していたと言っても過言ではないほどだ。

イデッィシュの世界では、言葉はユーモアであり、従って、世界もユーモアなのだ。

そんな私であるから、このようなことを思いついたのかも知れない。

長い前置きは、この辺にして、そろそろ本題に入ろう。

私が最初に着目したのは、フランス南部に残された2万年ほど前の石器時代人が

描いた壁画の中にある「昇る朝日を浴びながら大笑いしている人々」の絵だ。

当時の人々は、なぜこんな風に笑うことができたのだろう?

私は衝撃を受けた。と、同時に、この壁画の中に究極のハーモニーが存在する

ような気がしたのだ。 私は物理学者であるから、もちろん、このハーモニーの

意味を物理学的なアプローチによって確かめることにした。

私は、その後の人類史に残された笑いの記録を世界中から取り寄せた。

エジプトのファラオを風刺した落書きや、戦時中の英国がナチスを皮肉った

プロパガンダ・ラジオ・コメディや一連のイーリング・コメディ。中国は漢

帝国の時代に編まれたジョーク・ブック「笑府」日本からは7世紀に建てら

れた五重の塔の天井の隅に残された当時の為政者のカリカチュアした似顔絵

浮世絵 を生んだ江戸時代の落語、小津のサイレント映画。 東南アジアの影絵

コメディの記録フィルム。中世ヨーロッパの非キリスト教徒白人奴隷たちが

イスラム帝国の首都コルドバで流布させたジョーク。 17世紀のロシアで政争に

破れてシベリアに逃れ1950年代までロシア革命のことも知らずに代を重ねていた

貴族たちが語っていたコメディ叙事詩。ベトナム 戦争中、ナパーム弾が降り注ぐ

大地の下の手掘りのトンネルに潜むベトコンたちが互いを笑わせあっていた水牛

ジョーク。ハリウッドのコメディ映画は、サイレ ントからアニメ、最近のものまでを

網羅した。サンプル数は、12万を突破した。そして、各サンプルが生まれた社会に

おけるエネルギーのあり方と社会システ ムについてのデータを調べあげ、整理を行った


そこから、笑いとエネルギーに関する法則を導き出せないかという訳だ。整理が終わると

様々な数式を用いた 検証作業を進めた。

そして浮き彫りになってきたのが、「笑いの原子」の存在だった。世界は「笑いの原子」

からできている。

そして当然のことだが、「笑いの原子」は、「笑いの分子」を構成し、「笑いの分子」は

例えば、やがて人体の器官など、様々なモノを構成するに至る。 そして複雑多様な世界が

できあがる。そうこうするうちに、私は「笑いの原子」を見ることに成功した。

それは、特殊なガイガー・カウンターのようなセンサー?のコンピューターで、ある対象

の中における「笑いの原子」のあり方を瞬時にして数値化でき るという優れた機械の発明

によって可能となった。 それによって、研究室に用意した特殊な試験管の中で

「笑いの原子」を観察できるようになった。

「笑いの原子」は、気のせいか笑っているように見える。周囲には陽子や中性子が

小惑星のように飛び回っており、何となく土星のように見えなくもない。

研究を進めるうちに明らかになったことは

「笑いの原子」には寿命があるということだった。

特殊な試験管の中に入れておくと、だいたいのところ、7万秒ほどで変質してしまうのだ。

その変質の仕方は、極端な酸化のようなのだ。

つまり、鉄がサビついてしまうように「笑いの原子」がサビついてしまうのだ。

サビついた「笑いの原子」の周りからは陽子や中性子は消滅。すなわち「笑いの原子」は

死んだも同然になってしまうのだ。

サビついた「笑いの原子」は、心なしか、ひきつった笑顔に見えなくもない。

「笑いの原子」の存在だけでもミステリアスなのに

「錆びる」とは一体どういったことなのだろうか?

その疑問は、さらに研究を進めることで明らかになった。

これは、実に不思議なことなのだが、ある時、私は、「笑いの原子」観察用の試験管の

側に書物があると、外光を遮断した環境でも

「笑いの原子」が様々な動きを見せることを発見したのだ。

私は、ありとあらゆる本を側に近づけてみて2万例を超える データを採集した。

すると、驚いたことに、「笑いの原子」には「概念」との相性のようなものがあって

その動きのパターンは複雑であるが、精緻な体系に整理可能なものであったのだ。

それに関しては別紙の資料にまとめたのだが、ここで簡単にまとめてみると

「笑いの原子」は「欲望」に関係のある「概念」に触れると、サビつく。

その一方で、「風刺精神」に関係のある「概念」に触れると活性化。サビついてしまった

「笑いの原子」も復活してしまうのだ。

ここまで研究が進んで、閃いたことがあった。それは、文明開始以前の石器時代人たちが

昇る朝日を眺めて笑っていた理由だ。

彼らは本能的に「笑いの原子」のバランスを取っていたのではないか?つまり、太陽は

あらゆるエネルギーの源泉であり、その恵みは世界に「欲望」を撒き散らし


「笑いの原子」をサビつかせる。



太陽の恵みは生きるために必要不可欠だが、それではバランスが悪くなることを本能的に

察知していた石器時代人たちは、みなで腹を抱えて笑う、つま り風刺精神を撒き散らすことで

サビのまわった数え切れないほどの「笑いの原子」を活性化させ、世界のバランスを取ろうと

していたのではないか?



それを非常に乱暴な例えで言うならば、「酸性」「アルカリ性」のようなものかも知れない。


世界は常にバランスが保たれなければならないのだ。

ここで私は、「笑いの原子」にポジティブとネガティブの性質の違いに分けてみることにした。

もちろん、正常な「笑いの原子」はポジティブ、サビついた「笑いの原子」は

ネガティブである。


そこまで研究が進むと、私には思い至ることがあった。それは、突拍子もないことのように

聞こえるかも知れないが、「人類誕生」の理由についてだ。

私は、恐竜が地球に君臨していた1億年以上前から先ほどの石器時代に至る時代別の

「笑いの原子」のサンプルを世界中から集めて、観察してみた。


すると、約1億年以上前から猿人が登場する約8百万年前までは、実は、サビついて死滅する

「笑いの原子」の割合が増え続けているのだが、東アフリ カに生まれた猿人の子孫が

進化とともに地球上に広がるにつれて、サビついていない正常な「笑いの原子」の割合が

増えている、という事実が明らかになった のであった。

このことをどう考えれば良いのだろうか?というよりも実は、私には、確信があった。



つまり、人類という比類のない笑いの感性を持った生物が進化の途上で生まれてきた理由は

放っておけば、ネガティブ化した「笑いの原子」で覆い尽 くされてしまい地球を救うためなの

だ。人類が発揮する笑いでもって、「笑いの原子」が再びポジティブ化して、バランスのある

世界を取り戻す。人類は、その 笑いの能力を期待されて生まれてきたものなのだ。



そう考えると、前述したように、私が「昇る朝日を浴びながら大笑いしている人々」の絵を

見て、究極のハーモニーを感じたのにも納得がいく。

物理学者としての本能が機能していたのだから。




しかし。私の研究が本格化したのは、ここからだった。私は、石器時代以降、特に

文明発生以降の「笑いの原子」サンプルを世界中から採取して分析した。


すると、私が恐る恐る予想していたことが適中してしまった。

つまりそれは、文明発生後の世界は、「笑いの原子」ネガティブが癌のように

増殖したような状況で、時代が下るに連れて「笑いの原子」ネガティブが氾濫しているというのだ。

幾つかの例外はある。例えば、古代アテネのある時期や江戸時代の日本、ロシア革命後

2~3年の旧レニングラード、私のバックグラウンドでもある イーディッシュ文化圏などである。

しかし、その他の地域では、着実に「笑いの原子」ネガティブ化が進行する一方なのだ。

つまり、文明発生後の人類は、十分 な量の笑いを発生させてこなかった、ということが

言えるのではないか?

私の人生最大の悔いであるところの、原子爆弾が落ちた広島・長崎の爆心地に関しては、

「笑いの原子」ネガティブ度は100%に近かった。



私は思う。人類は、いまこそ、「笑いの原子」ポジティブを活性化させるという進化論的な

本分を思い出した方が良い。



人類に必要なのは「笑い」なのだ。



私は、残り少ない人生を「笑いの原子」ポジティブの活発化に賭けたいと思う。

世界の最小単位が「笑いの原子」だとわかった現在、大真面目な顔をした抗議活動は

無駄以外の何ものでもない。 ひたすら「笑いの原子」マイナスを活発化させるのだ。



私は、最近、バカな顔をして舌をベロリと出した写真をワザと撮られてみせた。

あれは「笑いの原子」ポジティブを増やしたいと願うあまりの行動だった。

あのイメージが、私の死後も、あらゆるメディアに露出することを望む。

最後に、この「笑いの原子」ポジティブを活発化するプロジェクトをコメディ・クラブ・キング

と呼ぶことにしたい。

特に意味はない。その方が運動に広がりを見せるだろうからだ。

私は、老体だが、何人かの若者に、「笑いの原子」 ポジティブを活性化する行動を

するように要請した。

スタンリー・キューブリックという名の青年は、水爆をテーマにしたコメディをお願いした。

岡本太郎という日本人青年には、万国博覧会という「笑いの原子」ネガティブの温床のような

政治イベントを一気に冷ますバカなアートができるようにお願いし、根回しもしておいた。



この文章を読んで賛同してくださる方がおられたら、声を大にしてお願いしたい。


コメディ・クラブ・キングの運動を実践して欲しい。



そして、「笑いの原子」ネガティブとポジティブのバランスが取れるくらいに

ポジティブを活性化させて欲しい。

そうすれば、核の脅威などなくなって、再び人類が昇る朝日を眺めて

おおらかに笑える時代が来るだろうから。


都築響一さん

この人大好き


誰も目に付けてないおもしろさを

見つける天才です


もしかしたら

おもしろくないものを

都築さんがおもしろくしてるのかもしれない


そんな天才が毎週水曜日に発行されてる

ROADSIDERS' weeklyというものがあります

これ
http://www.roadsiders.com


ここに私の書いたものが載ってるので

よかったらお金を払って読んでみてください



以前書かせてもらい

2度目の依頼を受けたのが

去年の9月


都築さんの懐の深さに感謝しております



危険な日本人と判を押されたので

もうなにも心配はいりません



次の日会場に行き

何人かの人を集め

「いいアイディアを思いついた」

と話しました




チケットを間違えお金が全く無い

この状況をおもしろくしたいので

持ってきた作品の後ろに

私の下着や服などを売りたい!



意外にも

みんなが面白がってくれて

展示することになりました



洗濯を干してる感じで写真を吊るして







うしろにフリーマーケットを設置






説明と間違えたチケットも





会場はこんな感じ
















みんなまじめに展示をしてます



帰国の前日

展覧会のオープニングがあり

偉い人達の内覧会があったのですが

なんかすごーく偉い方が買ってくれるという話になりました




でもどうやって

お金の受け渡しをするのかしら


とりあえず26日までなので

静かに日本で待つことにします





デジオでもまったく同じ内容の話をしてます
http://gallery3.seesaa.net








4月14日韓国で作品を発表する為

早朝空港に向かいました


AM9:00 

チェックインカウンターで

スーツケースと作品を預け

パスポートとチケットを渡しました



係りの方が上司を呼んでザワザワ


「あのー 予約が13日になってますよ」


こんなおもしろいことがあるんですね

日にちを間違えて予約をしてしまったそうです



「とりあえず旅行会社に電話したほうがいいですよ。
 
 ここで購入すると片道21000円 往復31000円です。」


私は所持金30000円

1000円足りない

ここで泣いたら涙割り適用されるかしら




旅行会社は10時からなので

落ち着く為にも

一度コーヒーを飲みに行きました




チケットを間違えたせいで

私は釜山行きで合ってるのか

14日に出発で合ってるのか
(空港に迎えの約束をしていた)

本当に招待されているのか

いろんなことがわからなくなり

私の精神安定剤クリハラさんに電話をしました


状況を説明したら

即答で新しいチケットを買うしかないと言われ

もう残るは旅行会社の心意気しかないと思いました


待ちに待った10時

あーじゃこーじゃ言いながら

今のチケットをキャンセルし新しいチケットを買うことを

勧められました

4000円ぐらい返ってくるそうです

ふーん



カウンターで21000円払い

空港で変圧機とたばこを買って一文無し



あとは空港で待ち人がいるかどうか



ドキドキしながら

空港に到着




神はいました





やさしい女性がベンツのスポーツカーで微笑んでいます

絶対この人にはお金がないって言えない





一応招待なので

航空券のお金をもらえるのと

宿泊も食事代も相手が払ってくれるんですが

いつくれるんだろう

コーヒーを買って飲んだりする

細やかな楽しみが味わえないのがなにより辛い





いろいろな問題はあるけど

この後招待作家達と食事会があるというので

笑顔で参加することにしました




作家はベトナム、台湾、中国、韓国から50名程いて

日本人は私だけ




どうしても笑いがほしい



今日の出来事をみんなの前で

カタコトすぎる英語で話しました




あの空気をどう説明したらいいんだろう

みんなざわついてる


私を危険人物と思っているのかしら


深刻な顔で展覧会のディレクターが

「なにも心配いらない 全部払うから大丈夫」



本当に?

いつ?



とゆうことで

この食事会の2日後

お金をもらえたわけですが


この出来事を表現したい!

と思ってしまいました


次の日

いろいろ抱えて会場へ





つづく