<本物の大阪城>
現在の大阪城は、江戸時代初期の1615年の大坂夏の陣で崩壊し、その後、徳川二代将軍秀忠によって、1629年に同じ場所に改修・改築されたものとされています。
<WIKI:大坂城の歴史>
しかし、秀忠は、大坂城と同じ場所に大阪城を改築したのではないのです。
その前に存在した本物の大坂城は、現在の大阪城よりも5キロ程北東にずれた現在の門真市中心部から守口市にかけての、パナソニック本社辺りに存在した、という驚きの記事内容でした。
さらにその記事の三か月後、大阪城に関係して、次のような記事を書きました。
<大坂城の真実>
この記事は、徳川秀忠が何故、大阪城を別の場所に建て直す必要があったのか、その理由を模索する内容になっています。
大阪市の中心部は、古代は広大な河内湾でした。時代が進むにつれ、だんだん埋め立てられ現在の大阪市になっています。
現在の門真市・守口市は、かつては淀川が河内湾に流れ込む三角州地帯であったようで、動物・植物の魂を浄化する重要地点でした。
前掲の<大坂城の真実>の記事では、熊襲系である徳川秀忠が、浄化システムに結界を張り、畜生界・餓鬼界に落ちた魂を浄化させないようにして地球の波動を下げてきた、という観点で記事をまとめたつもりです。
ただし、その後分かったのですが、徳川秀忠自身が熊襲ではなく、徳川幕府成立後の徳川家康、徳川秀忠は善人(それ以前の徳川家康は、何度か熊襲の成済ましにあっていたが、関ヶ原の戦い時点では善人に戻っていた)だったのですが、途中で熊襲の策略に嵌り、立場を奪われ、熊襲の成済ましにあったようです。熊襲が大阪の陣を起こしたのです。本当の歴史は複雑なのです。
<家康の真実①> <家康の真実②>
<大坂城の真実>から3年半が経過し、さらに新たな事実が分かってきました。
今年に入って、NHK大河ドラマ『真田丸』が始まりました。まさしく、大坂城を舞台とした大河ドラマです。
真田丸とは、大坂冬の陣の際に真田幸村が大坂城を守るために築いた大規模な土塁のようなものです。大坂城を攻めて来た徳川幕府軍を蹴散らし、徳川軍と和議に持ち込む要因となり、真田幸村の名を高めました。
<WIKI:真田丸>
真田丸の場所は、現在の大阪城の南側、真田丸公園辺りとされていますが、実は確固たる証拠はありません。歴史学者が推定しているだけです。
<ヤフー地図:真田丸公園>
私が主張しているように、本物の大坂城が守口のパナソニック本社周辺にあったとしたら、真田丸も別の場所になるはずです。その場所はどこだろうと考え、調べてみました。
私が注目したのは、大阪市にある鶴見緑地公園です。1990年に花博が行われた公園です。パナソニック本社から南に2キロ近く離れた場所です。
<ヤフー地図:鶴見緑地公園>
先日、鶴見緑地公園を訪れてみました。
花博が行われた場所だけあって、広大でした。
ところが、敷地に入るなり、強烈な邪気を感じました。
北東にある駐車場から中央にある大きな池まで歩いてみましたが、ずっと邪気を感じました。
当地は、昔は淀川河口付近の砂地です。低地には池や水路が広がっています。ところどころ盛り上がった土塁のような場所があり、単なる低地ではなかったことが伺えました。
花博の名残りである各国の展示館跡が残されていましたが、25年間も放置されているようで、荒れて邪気を放っていました。
公園の高台から見える大阪市街地
鶴見緑地公園を散策した結果、ここが重要な場所であることを確信しました。
鶴見緑地公園が真田丸かも知れないと考え、帰った後、大阪市の地図を見ながら検証しました。
そして、閃いたのは少し異なる結果でした。
鶴見緑地公園の北側1キロのところには、広大なパナソニックの工場(門真市)があります。
さらにそ北西500メートルのところにパナソニックの別の工場(門真市)と本社事務所(守口市)があります。門真市と守口市は、パナソニックの企業城下町になっています。
私は、当初、パナソニックの本社・工場がある門真市、守口市が本物の大坂城があった場所だと考えていました。
ところが、「守口」という漢字が妙に引っ掛かったのです。
守口とは「守り口」の意です。
真田丸は、大坂城の守り口です。ということは、守口のパナソニック本社がある場所が真田丸があった場所ではないのか、これが私の閃きでした。
守口市をウィキペディアで検索すると、次のように書かれています。
<WIKI:守口市>
地名の由来として、豊臣秀吉による大坂城築城に伴う「まもり口」が転じて「守口」となったとするのは俗言である。
私が感じっとったことをわざわざ否定していました。驚きました。
これは本来正しく伝わっていたものを、熊襲が改竄するため俗言として流布したのではないでしょうか。
パナソニック本社がある守口市が真田丸の中心だとすれば、大坂城の本丸があった場所が鶴見緑地になるはずです。
また、門真とは「真の門」という意味です。これは大坂城の正門があった場所を意味しているはずです。
守口市のパナソニック本社が真田丸、門真市のパナソニック工場が大坂城の正門、そこから鶴見緑地までは広大な大坂城の敷地で、鶴見緑地に大坂城の本丸、天守閣が存在していたのです。
しかし、大坂冬の陣後の和議の条件によって真田丸は取り壊され、翌年の大坂夏の陣によって大坂城は崩壊したのです。
その後、徳川秀忠は、豊臣家を偲ぶためなのか、もしくは浄化システムを隠す結界の目的なのか判然とはしませんが、現在の場所にレプリカの大阪城を建築したのです。
「大坂」から「大阪」に漢字の名称が変更になったのは、現在の大阪城につながるレプリカを建築して以降のことだと考えています。
真実の歴史は奥が深いのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。