今回も伊勢神宮に関する記事になります。<天照大御神の真実①>
<天照大御神の真実②>
伊勢神宮内宮が、倭姫命によって現在の場所に鎮座したのは垂仁天皇25年。西暦に換算すると紀元前4、5年くらいのこと、約2000年前の出来事になります。
それ以前、天照大御神は、豊鍬入姫命、および倭姫命によって、現在、元伊勢と呼ばれる神社に祀られながら、転々と移動していました。その間、90年です。
記紀では、豊鍬入姫命、倭姫命は、天照大御神を祀るのにふさわしい場所をさがすため、90年かけて現在の伊勢神宮にたどりついた、旨の内容が書かれています。
本当にそうなのでしょうか?
元伊勢については、ちょうど一年前に次のような記事を書きました。
<元伊勢の真実>
今回、元伊勢について、さらにその存在理由が分かってきましたのでご紹介します。
天照大御神は、これまで書いてきましたように、天国の統括神「大日霊貴」と霊国の統括神「倭大国魂神(大国主神)」の二対の神のことです。
特定の神のことをさしているのではなく、太陽系トップの神の称号であり、時代時代で交替してきました。天照大御神は歴代の複数の神が存在するのです。
地上が、現代のような完全に人類中心の文明になったのは、日本では約3400年前です。二年以上前にご紹介した佐賀大和朝廷が出来た時代。
この時に人類のトップとして初代天皇が置かれたのです。初代天皇は、神武天皇ではなく饒速日尊(にぎはやひのみこと、正式名:ウガヤフキアエズ朝第71代天皇 天照国照彦百日臼杵天皇天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊です。饒速日尊は、正式名のとおり3つの神の魂が合体した三位一体です。ちなみに初代皇后が天鈿女尊(あめのうずめのみこと)となります。
このようにして神の時代から、人間の時代に移ったのです。
この時から、天照大御神、大日霊貴と倭大国魂神の二神は宮中に祀られるようになりました。
ところが、時代を下ること1400年後の第10代崇神天皇の時代(約2100年前)、この慣例が破られるのです。前掲の元伊勢の記事に書いていますが、崇神天皇とは、明治天皇と同じように増上慢がすり替わった偽天皇でした。第9代開化天皇を暗殺し、皇太子、御間城入彦五十瓊殖命(みまきいりひこいにえのみこと)にすり替わり、侵略したのです。
崇神天皇は、増上慢(阿修羅王)ですから低い波動を好みます。宮中に祀られている大日霊貴と倭大国魂神の二神は、とてつもなく波動の高い神威を放っていました。その神威に増上慢、崇神天皇が耐えられるはずもありません。そこで、崇神天皇は宮中から二神を放り出したのです。
その後、崇神天皇が倒され、正当な血筋の垂仁天皇が即位します。垂仁天皇は、二神を祀るふさわしい場所を探すよう豊鍬入姫命(イスキリ)に命じます。それが、笠縫邑から始まる元伊勢なのです。
<WIKI:元伊勢>
ここで皆さんには疑問が生じると思います。
何故、垂仁天皇は、二神を宮廷に戻さず、宮廷外に祀る場所を探させたのでしょうか?
これが、元伊勢が存在する重要な理由なのです。
その答は、元伊勢とは正の結界だったということです。
天照大御神の二神を宮中に戻したところで、増上慢の魂はこの世から消えていません。また、再び肉体をコピーした人間に入り込み、人間界に現れ、天皇にすり替わることをたくらむかもしれません。そこで、垂仁天皇は、天照大御神を、日本の重要な地点に祀らせることで、正の結界を張り、波動を高くして阿修羅が活躍できないようにしよう、と考えたのです。これが元伊勢の神社ラインなのです。
その垂仁天皇の命を受けたのが豊鍬入姫命であり、それを引継いだのが倭姫命なのです。
こうして、歴代の天照大御神を順に祀っていたのが、元伊勢ということになるのです。従って、各地の元伊勢の祭神は天照大御神であっても、その神はそれぞれ別だと考えられます。
最初の天照大御神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)という呼び名で、造化三神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)の二柱です。
この二柱が、天照皇大神として祀られているのが、岐阜県瑞穂市の天神神社です。
この天神神社を出発点として、豊鍬入姫命は笠縫邑、丹波、紀伊、吉備と巡り、古い順に歴代の天照大御神を祀っていったのです。
丹波の元伊勢、皇大神宮
こちらは、紀伊の元伊勢の一つ浜宮
ところが、豊鍬入姫命は、意志半ばで亡くなります。この後を継いだのが垂仁天皇の皇女倭姫命です。
倭姫命は、大和、伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢と巡り、30年以上かけて、残りの元伊勢、歴代の天照大御神を鎮座させていきます。そして、最後に現在の内宮の地にたどり着いたのです。この時が垂仁天皇25年。今から約2000年前のことなのです。
天神神社をスタートとして、豊鍬入姫命から倭姫命に引き継がれ、十数の国・地域に100を超える元伊勢に関係した神社があります。これらは、歴代の天照大御神を祀ったもので、それによって歴代の天照大御神の力を借り、日本に正神の結界を張ったものだったのです。
そして、最後の伊勢神宮には、現役の天照大御神がご鎮座する仕組みだったのです。奥が深いでしょう!
しかし、これら元伊勢にも、その後、長い時間をかけ増上慢によって結界が張られていたのです。現在は、その結界の多くは解かれました。
前回記事で、現在の天照大御神は、大己貴命と木花咲耶姫神であるとご紹介しました。大己貴命と木花咲耶姫神を祀る元伊勢が、伊勢神宮の近くに存在しています。それは磯神社です。
元伊勢と呼ばれる神社は、伊勢神宮に近づくほど、より新しい天照大御神が祀られているのだと思います。
ところが、前回記事を書いた後、新たなインスピレーションが湧いてきたのです。
元伊勢と呼ばれる神社に、伊勢神宮内宮の別宮(わかれみや)である瀧原宮(たきはらのみや)が含まれていたのです。
<WIKI:瀧原宮>
私は一昨年10月、初めて伊勢神宮を参拝した際、瀧原宮にも訪れていました。当時、私は内宮正殿には全く神気は感じませんでした。その理由は、今思えば、当時は、内宮正殿で天照大御神の引継が行われていなかったので、正殿には天照大御神は存在していなかったからでしょう。
一方で、別宮である瀧原宮は、素晴らしい神気・波動でした。
数日前に瀧原宮も元伊勢であることに気づき、私は以前書いた豊城入彦命(イエス)と豊鍬入姫命(イスキリ)の記事のことを思い出しました。
一昨年10月に伊勢神宮を参拝した際、豊城入彦命と豊鍬入姫命も伊勢神宮に祀られていると結論づけていました。
<伊勢神宮-驚愕の真実>
今回、天照大御神が太陽系トップ神の称号と分かり、以前の記事の内容と繋がったのです。
実は、豊城入彦命(イエス)と豊鍬入姫命(イスキリ)は、天照大御神として祀られていたのです。
大己貴命、木花咲耶姫神の後、二人(神)に引き継がれていたということなのです。倭姫命は、磯神社の後に瀧原宮を元伊勢としていたのです。
おそらく、現在の天照大御神は、豊城入彦命と豊鍬入姫命、イエスとイスキリなのでしょう。驚くべき事実です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。