天照大御神の真実② | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

前回の続きです。
天照大御神の真実①

まず前回の補足です。

天照大御神の一柱である大国主神の正式名は、倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)です。奈良の大和神社(おおやまとじんじゃ)の主祭神でもあります。このようにして、大国主神は真実が消されていたのです。

<WIKI:大和神社>

さて、今回は、伊勢神宮(内宮)の真実に迫ります。

昨年、伊勢神宮(内宮)の参拝者は1400万人を超え、過去最高になったというニュースが流れていました。それまでの最高が、2010年の883万人ですから、昨年の参拝者数が如何に多かったが如実に分かります。これは、間違いなく日本の波動が高くなったことによる効果だと思います。

このように参拝客が激増した主要因は、何といっても昨年10月、20年に一度の式年遷宮が行われたことにあります。

特に式年遷宮後の秋以降は、大変な参拝客になったようです。私も12月終わりに参拝しました。真新しい社殿は清々しいものでした。神気(波動)も、一年前に参拝した時よりも全然上がっていました。

 

 

 

 

 

内宮①

 


しかし、現在の伊勢神宮より神気が強い神社は、この日本にはたくさんあります。私はここ二年で500カ所近い寺社仏閣を巡りましたが、伊勢神宮よりも波動の高い神社はごろごろあります。

何故、神社の最高峰である伊勢神宮よりも、波動が高い神社がたくさんあるのでしょうか?

その理由は、伊勢神宮の神気が、まだ本来のものに戻っていなかったからなのです。

伊勢神宮の波動が、本来の状態に戻っていないその原因は、実は式年遷宮に隠されていたのです。

伊勢神宮の式年遷宮(神宮式年遷宮)とは、20年毎に隣の敷地に新たな社殿を建て、ご神体を移す行事です。天武天皇が定め、690年持統天皇が第一回目を実施したとされています。

<WIKI:神宮式年遷宮>

式年遷宮の理由としては、社殿の老朽化が進むため定期的に建て替える、建築技術の伝承のため、常に清浄にしておくため等、いろいろな説がありますが、正確な理由は分かっていません。

内宮が建立されたのは垂仁天皇29年。約2000年前のことです。一方で、式年遷宮が開始されたのは約1300年前

700年も乖離していることから、上記の理由だけでは、式年遷宮を行う理由としては説得力を欠きます。式年遷宮の理由は、他にあるのです。

その理由をご紹介します。

実は、式年遷宮とは、新たな天照大御神を迎え入れるための儀式として、1300年間行われ続けてきたのです。

前々回の大国主神の真実の記事で、素戔嗚尊が先代の大国主神(倭大国魂神)だったが、宇宙の法則を破った責任を取って辞任し、大己貴命に
大国主の座を譲った、ことを書きました。
<大国主神の真実>

さらに、前回記事では、天照大御神とは、男女二神が対であり、天国トップ神の大日霊貴と霊国トップの大国主神のことである、と書きました。

とすると、三段論法により、大国主神、つまり大己貴命が新たな天照大御神の一柱であるとなります。言い換えるならば、大己貴命の先代の大国主神である素戔嗚尊が、先代の天照大御神の一柱(男神)だった、ということでもあるのです。

一方で、天国の
大日霊貴どうなのかというと、素戔嗚尊が大己貴命に大国主神を引き継いだ直後に、こちらも交替しているのです。

後任の
大日霊貴は、何と木花咲耶姫神です。

実は
木花咲耶姫と三穂津姫は同一神のことで、記紀では二神を別の神のように扱って改竄されているのです。記紀では、木花咲耶姫は大山積神の娘で、三穂津姫は高皇霊産神の娘となっています。
<WIKI:三穂津姫>

木花咲耶姫は天津神ということになるのでしょう。もちろん瓊瓊杵尊の妻でもありません。瓊瓊杵尊は存在しませんから。大己貴命の妻神が木花咲耶姫なのです。
<WIKI:コノハナサクヤビメ>

整理すると、現在の天照大御神は、大己貴命と木花咲耶姫神の二神なのです。これが引き継がれたのが約4000年前(正確ではありません。前後500年くらいの誤差があると思います)と仮定しておきましょう。記紀に登場する女神の天照大御神は、先代の大日霊貴であり、素戔嗚尊の姉神です。その後、木花咲耶姫神に引き継がれているのです。

天の世界では、天照大御神の交替・引継は約4000年前に終わっていたのですが、地上では増上慢の邪魔によって、ずっと引継ぎが終わっていなかったようなのです。

ということは、これまで天照大御神は伊勢神宮にいなかった、といっても過言ではないのです。驚きの事実でしょう?

神宮式年遷宮というのは、新たな社殿を用意して、天照大御神の引継ぎ、大己貴命と木花咲耶神の両魂を、社殿に勧請するための儀式だったのです。それを発案したのが天武天皇であり、実施したのが1300年以上前の持統天皇の時代だったのです。

しかし、増上慢の邪魔によって、伊勢神宮に結界が張られ続け、両神の魂は鎮座することができなかったため、古くなった社殿を建替えていた、それが20年毎に行われ、引継がないまま1300年間経過したのです。その間、61回の遷宮が行われ、真の天照大御神を迎え入れる準備をしていたのです。

そして、昨年10月、62回目の式年遷宮が行われました。

日本の土台の波動は本来の姿に戻りつつあります。従って、遷宮後の12月終わりに伊勢神宮の結界が解かれ、地上でも4000年ぶりに、新しい天照大御神が誕生したようなのです。

冒頭、伊勢神宮の参拝者数が断トツの過去最高を記録したことをご紹介しましたが、その理由には、参拝客は気が付いていませんが、天照大御神への引継というビッグイベントを祝う、霊的な潜在意識があったのだと思われます。

やっと、地上も本来の姿に戻っていくのです。2014年から本格的に社会が変わって行くだろう、と私が主張している理由はこのビッグイベントが終了したことにあるのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。