まず、御断りです。
最近、公私とも多忙になってきました。特に今後、勉強会関連でのネットワーク強化に力を入れて行かなければならず、ブログ記事を、これまでのような更新頻度で書いていくことは難しくなってきました。書きたいことは、まだまだありますし、今後もますます増えていくと思うのですが、記事の質を維持するためには更新頻度を落とさざるを得ないと判断いたしました。
つきましては、原則として今回から更新日を週2回の月曜日、木曜日に固定することにしました。ご了承お願いいたします。
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さて、今回は大山祇神(オオヤマツミノカミ)と大山咋神(オオヤマクイノカミ)の話題になります。
この二神、私は同じ神様だと思っていましたが、時代が全く違っていました。皆さんはご存知でしたか?
オオヤマツミは、イザナギ、イザナミから誕生した山を司る神です(一説には海も司るらしい)。カヤノヒメとの間に国土を司る神、四対八神を産んでいます。
また、オオヤマツミは、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの父親としても有名で、富士山を誕生させたのもオオヤマツミではないかと考えられます。全国の大山祇神社や三島大社の祭神となっています。
一方、オオヤマクイは、大歳(オオクニヌシの別名)とアカルチズメの子とされていますが、信憑性は定かではありません。
古事記にも記載されていますが、いつの時代に存在したのか、はっきりしていません。全国の日吉神社、日枝神社系の主祭神となっており、オオヤマツミとは差別化されています。
この二神ですが、結論から言うと、別の神ですが、魂は同一です。時代はオオヤマツミが神代の始まりの時代、オオヤマクイが約2000年前に存在していたようです。
何故、このことが分かったのかと言いますと、私には魂が同じ存在にしか思えなかったからです。
吉野ヶ里遺跡のそばにあるオオヤマクイを祀る日吉神社(主祭神はオオヤマクイ)に出てきたエネルギー体はオオヤマツミのものでした。
また、少し離れた佐賀県神埼町にある仁比山神社(にいやまじんじゃ)は、主祭神はオオヤマクイとヤマトタケル。山王様とはオオヤマクイのことを指しているようです。
なんと奥にはツクヨミの碑までありました。ツクヨミはどうもこの地に降臨したようですね。
そして、一番おどろいたのは三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が祀られていたことです。
(クリック拡大)
本殿裏にもたくさんの猿の石像が祀られていて、物凄い邪気でした。
猿については、金星系の遣いという記事を以前書きました。
コメント数が100を超えたインパクトのある記事でした。実際に猿田彦神を初め、猿は金星の象徴の扱いを受けていて、私自身も猿には良い印象は全くありませんでした。
しかし、この三猿の案内板を読んで、考え方が変わりました。猿は山王様(オオヤマクイ)の遣いだったのです。
ところが、そのオオヤマクイが前掲の日吉神社やこちらの仁比山神社に封印されていたのです。その結果、主がいなくなった猿は、金星系の手先にならざるを得なかったようです。
猿田彦神というのも、金星系がウオークインした象徴を神としたものです。猿は本来はオオヤマクイの眷属だったのです。今回、その封印を解き、「猿は金星系の象徴」というレッテルを外すことができます。
また、仁比山神社の「にいやま」とは、もともとは新山(にいやま)だったようです。
これが何を意味すると言いますと、「新しいヤマ」ということです。さらに深堀りすると、「古いヤマ」がオオヤマツミ。「新しいヤマ」がオオヤマクイなのです。
天地開闢後、イザナギ、イザナミからオオヤマツミが誕生し、陸地に山を造ったようです。とても信じることができないと思いますが、実際に造ったようです。
その千数百年後に登場した同じ魂を持つオオヤマクイは、生態系をつくるために小山を造ったようなのです。人力ではありませんよ。倭人はアトランティス時代にピラミッドを造った技術を持っていましたが、それと同じような能力をオオヤマクイは持っていて、小山を造ったのです。日本に多い小山はオオヤマクイが二千年くらい前に造ったようです。
日吉神社がある山はそういう場所だと思います。逆に大山祇神社がある場所は、先代のオオヤマツミがそこに山を造ったのかも知れません。日本のピラミッドと言われる山にも、この二神が関係しているのかもしれませんね。
この二柱の神が造った山をベースに、これまでの日本の生態系は歴史を重ねてきたのです。昨今は山林が破壊され、生態系が壊れかけています。オオヤマツミ、オオヤマクイの再来が必要になるかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。