いちろうさんへの返信
いちろうさん
外国語をまなぶ、私なりのコツをいうものがあるなら、公開せよという仰せなので、いちおう、試みてみます。まず外国語の習得程度ですが、この場では、新聞がよめる、そしてその記事の内容に付いて簡単な議論が出来る位と規定します。そして、普通の日本人と言う想定です。まず大事なのは、語彙です。これが最低3-4千なければ、お話になりませんので、これは、頭から覚えます。この段階では簡単な方法はありません。カードをつくるとか、辞書を暗記しながら食べるとか、やり方はいろいろあるでしょうが、どれもそれなりの努力が必要です。ここでつまずくと、もういけません。
後は、文法という事になりますが、これについては、私はこうしたらいいと言うことは言う資格がありません。私は高校で文法は英語で習いました。このような定義とか、規則というものは、多分英語のほうが理解しやすいと思います。しかし、皆さんに英語で
文法を勉強せよとは言いかねます。
その次には、熟語、慣用的ないいまわし、と言うものも習得となるのではないかと思います。I'm gonna get back to the world. Where are you heading at?というようなスラング的な言い回しが分かるようになるには、もう一段階上の努力が必要です。ただここから始めてはいけません。あくまでもEXTRAということです。
そのほかは、練習、練習、また練習ですね。英語で夢をみるようになるまで、がんばればいいのではないでしょうか。私は高校の2年生の夏休みには、英語で寝言を言っていたそうです。普通の日本の環境のように、書く、読むという機会はあるが、直に
英語を母国語としている人との日常的な接触がすくないと難しいかもしれませんね。語学留学の実体が良く分からないので、私にはどうすれば良いのか良いアイデアはないのですが、外国語のなかにどっぷり使った生活というのも意味があると思います。
面と向かっての対話と電話での対話の間に少し段差もありますから、ここも訓練と経験とで、乗り切るということですね。また
日本語から翻訳しながら話すと言う時期から、あるとき突然、頭のなかに、それぞれ完結したWindow日本語版とWindow英語版がはいっていて、これの切り替えで話す言語も切り替えると言うような構造ができてくると思います。この場合には2カ国語間の翻訳はありません。どちらの言語環境で話をするかという選択だけです。
2つ目の外国語は同系統の言葉であれば、最初の外国語の半分くらいの努力でモノに出来るのではないでしょうか。私はスペイン語が少しできますが、新聞の理解度は70%程度でしょうか。まだ、スペイン語特有の語彙がたりません。英語の中のラテン系の語彙は35-40%と言われていますから、スペルがまるで同じjではなくても、推量できる事が多いと思います。
話は少し外れますが、私は日本において英語を学ぶということと、英会話を学ぶと言う事は違う事だと思っています。ギリシャ語の場合にはギリシャ会話を学ぶ特別の場はありませんから、、この英語特別の英会話というものには、なにか存在そのものに胡散臭いものがあるような気がします。したがって、私は会話もふくめた、英語全体のの実力をつける勉強をするのが、肝要と考えています。
こんな事を言うと叱られそうですが、語学に向いた人とそうでない人もいます。新聞程度なら、努力しだいで多くの人たちがゴールにたどり着けるのではないかと思います。ただこのレベルでは、大学の授業にも及びません。問題はその先で、通訳とか翻訳、そしてまた英語の国で専門職に着くということになると、またちがうレベルの語学の才能が必要になるのではないかと思います。音感の良い人は語学に向いているといわれていますが、これは生まれながらの才能で、努力で補えるものではありません。ここでも人間の才能の不公平があります。
なにも、目新しいもののない、常識的なお話ばかりで、お恥ずかしいのですが、以上が私の外国語習得に関するの感想です。
なにか一つでも参考になるものがあればいいのですが、いちろうさん。
子供が行きたい大学、親が入れたい大学
Princeton Reviewsが受験生と親との意識調査をして、その結果を発表しました。この結果によると
子供が行きたいDeam Schoolは
1. NYU
2. Harvard
3. Stanford
4. Princeton
5. Columbia
6. Yale
7. Stanford
8. Browon
9. Georgetown
10. U Penn
親が行かせたい大学は
1.Stanford
2.Priceton
3.Harvard
4.Brown
5.Notre Dame
6.Boston College
7.MIT
8.Northwestern
9.Yale
10 Georgetown
この調査で明らかになった、親と受験生の答を総合した、その他の項目の結果は
1。65%が入学申請について、高いレベルのストレスを感じている
2.70%が大学の経費が$75000を超えるだろうと予測している
3.51%が大学の財政援助が不可欠であるのべ、。また27%は、この援助が非常に
必要であるjと答えた。
4.32%が一番の関心は子供が一番行きたい大学に合格できたとして、その時に家庭からと、大学の援助をふくめて十分な資金的能力があるかどうかだとこたえた。去年の場合には、一番の関心は子供が一番の志望校に合格できるかどうであった。
5.9%だけが子供がどの大学に入学するかの選択の要点は最高の学問レベルと答え、また8%のみが一番学費の安い大学を選ぶのに比べて、30%が将来の就職進路によっていらび、そして、53%が子供と大学の総体的な相性によって選ぶとの結果だった。
このPriceton Reviewsのランキングはサンプルのプールがちいさずぎるのではないか、と思うこともありますが、学生の生の声が大学の性格の一部を浮き彫りしにしてくれると言う意味では、一見の価値のあるものだと思います。ご参考までに。
Dr. Lのこと
私は多分少し変わり者ですから、私の主治医も標準から少し外れた人です。この人とはもう20年と付き合いになります。この人の経歴もかわっていて、若い頃には落下傘部隊の82空挺師団に属しベトナムの戦場にいきましした。彼が言うには、"私はまず、人をどう殺すかを教えられた後に、人の命を救うと言う学問が学んだんだ。という具合です。”メキシコ系の2世です。この人は学生の頃に空手に凝っていて、わたしも少しだけ武術の心得があるので気が合い、定期健診のときなどは、診察室でふたりで宮本武蔵の話などをしてます。
彼は、ベトナム帰還兵の反戦派で、このイラク戦争がはじまったときには、"これは、ひょっとすると。徴兵になるかもしれないから、お前の息子がスペイン語ができるなら、南にうちの息子と一緒に避難させる事を考えたほうかいい" なんてことをいったりしたこともあり、まあそういう仲です。
彼はMDですが、T シャツとG パン派ですから。ちょっと長めの髪を短いポニーテールなどにすると、遅れてきたヒッピーというかんじです。彼が言うには、この格好で、買い物をすると、よくお釣りをごまかされると言います。数の数えれない、メキシコ人と間違えられjるということらしいのです。彼の経験では、よくあるそうです。
だいたい、医者の乗り物はBMW,、Cady,最近ではLEXUS, ACURAなのではないかと思いますが、この人はFordの4駆のPickupです。この人をみると、GI Billの効力というのがよく分かります。GI Billというのは、志願して軍隊に4年間、服務すてば、大学の奨学資金が支給されると言う制度です。おそらく、この制度がなければ、医者である彼の今の姿はなかったと思います。物事の
二面性の例でしょうか?
ところで、あなたのお医者さんは、どんな人でしょうか?
いちろうさん。いちろうさへの返信、いまだ、模索中です、もうしばらくののご猶予を。
2007、Harvard入学審査結果ーー速報
2007年度の結果
全体 ; 受験者総数 22955名、 合格者 2058名 合格率 8.97%。
Early Decision : 受験者 4008名 合格者 875名 合格率 21.83%
通常の受験の結果 受験者 18497名 合格者 1183名 合格率 6.24%
(Early Decisionを除いて)
この受験者のなかには、
SAT Math 満点 約3200名、
SAT Verbal 満点 約2500名、
高校の学年首席者 3000名
と言う事は、首席卒業でSAT満点でも、何百人もが不合格になったということのようです。通知は昨日行われたそうです。
これまでで、一番厳しい合格率であったそうです。
話の種にでもなりますでしょうか?
Legacy Admission
親や、祖父母が卒業生であるための、大学の入学優遇措置というのがあります。Legacy Admissionと呼ばれています。これに付いての記事がYale Dailyに載せられていますのでその要旨ご紹介します。
28の大学の調査によると1999年に時点に、Legacyの受験者は、SATの点数換算で47点の上乗せがあったそうです。また他の優遇措置である少数民族や運動選手には108点の上乗せがあったといいます。しかし、この調査によると、このように合格基準を下げて入学させた学生のうち、Legacyの分野からの学生の退学率が高かったと言う事が上げられるそうです。このLegacy 二引き換え、MinorityやSupot選手などの優遇措置で入学した学生達は大学の授業に付いていけないという事態も起こらず、問題がなかったと言います。
Ylaleでは2006年の新入生のなかでの、Legacy の占める割合は15%でしたが、この数字は2004年には30%でした。入学以後の成績と言う面でみると、Legacyの学生達は総じてほかの同様の学力で入学した学生より優れていると言います。やはり、入学有資格者でなければ、Legacyであるかどうかに関らずに大学は入学させないと言う方針のようですね。
もう一つは、大学が裕福な影響力のある卒業生に説明するのに、お宅のお子さんは、大変優秀なのですが、何しろ、受験者が17000人もいて競争が激しく、残念ながら合格できませんでした、と説明するほうが、大学に入学させてから、お宅のお子さんは出来が悪いので、今期で落第、退学で記録が一生残りますと通知するよりましと言う判断があるといいます。
この記事の締めくくりは今では、Legacy であるよりも、MinorityやSuportの選手であるほうが、入学に有利というものでした。
Go back to where you came from!
この国には、色いろな人がいます、進歩的なひと、保守的なj人、偏見のあるひと、寛容な人、などなどです、これらの人は一票のと投票権があります。
さて、これは最近友人から聞いた話です。彼女は、毎日電車で通勤をしています。この数日前に通勤途中にあった出来事がありました。それは、インド人と思われる人が携帯で電車のなかで英語以外の言葉で声高に話をしていたそうです。その近くに座っていたおばさんが、もう少し静かに話してくれないと注意をしたところ、この電話の主は、意味不明に電車の中はうるさいから、聞こえない打、自分はそんなに大声を出していないよ、という返事、少しの言い合いのあと、このおばさんが、言ったことは
Go back to where you came from!(あんたなんか自分の国に帰ったらいいんだ)。その時に乗り合わせていた中年の男のひとが、Hey,Hey、Stop that!と仲裁にはいり、この喧嘩は沙汰闇になったそうです。これ以後は電話のこえも低くなり、車内に平和が訪れたと言います。
そして、ある駅に着いたとき、この中年の人は下車したしたが、このおばさんのそばを通りしな、You didn't have to be a racist.
と告げたそうです。この中年のおじさんは、身長2メートルをこす巨漢、白人でした。
こういう出来事にふれると、この国もすてたものではないと思います。
患者と確率
病気ついでに、もう一つお話を。どうもガンの話は言っている本人が一番気楽で、聞いているほうが気が重くなるという、特徴があるようです。 私にとってはガンも風邪も今となっては同じです。要は体が機能できるかどうかが大事なことなのです。一度、私が治療中にたまたま友人の一人が日本から近くにきていて、私の病気を聞き、取るものもとりあえずに我が家に駆けつけてくれたことがあります。彼の来た時に私ははしごに登って木の剪定をしていました、瀕死の病人を見舞うつもりの彼は肩透かし。こういう行き違いがあります。皆さんも気を楽にして聞いてください。
ガンになると、色いろな数字に出会います。完治率、5年間の生存率、再発率というようなものです。この確率の数字は第3者的な物で、どうも患者本人にななじまないなあというのが、私の感想でした。完治率80%というのは、10人に8人はよくなるという事ですが、自分は8人の側か、2人のほうかが分かりません。8人の側だと、完治率100%で2人のほうだと、0%です。結論的にいうと患者にとっての確率は常に50%、直るか、直らないか、死ぬか、死なないか、再発するか、しないではないかと思います。この確率の数字のギャップが未知への不安となって患者や家族を苦しめる要素の一つでないかと思います。
人の命の長さというのは、誰にも分からないといいます。しかし、生命の解析が進み、遺伝要素の解明が進んでくると、将来は
患者であるあなた個人にとっての完治率、生存率、再発率の確率がもう少しはっきりしてくると期待しています。これが、わかれば、患者の気持ちがどんなに楽になることでしょうか。
あゆむさんへの返信 NO2
あゆむさん、随分昔のはなしなので、あゆむさんの年代の人たちがこの70年をどのように理解しているのか、分かりません。
私の説明で不十分のところもあるでしょうが、お許しください。
まず、最初にNO 1の付いての補足の説明をします。この時期にわたしは、大学のいわゆる学園闘争と市民の反戦運動の2足のわらじを履いて運動をしていました。大学で私たちは、ノンセクトラジカルとよばれていました。党派に属しない急進主義者とでもいいますか。これで説明の辻褄が合うのではないかと思います。
すこし大学を出てからのことをはしょって触れますと、、まずアメリカにわたり、サンフランシスコで一年すごし、ここでも懲りずに
ある運動の助っ人をしていました。帰国して故郷のある製造会社に潜り込み、、地元に帰れるか希望したのもつかのま、東京転勤に、ここでは、貿易関係の仕事をしました。こ間にサンフランシスコ滞在時に知り合った女性と結婚、永住権取得とともに、こちらに引っ越しました。
NO 2の件は私が不惑の年をこえたころに起きました。子供がまだ保育園ののときでした。、仕事場に医者から電話がかかり、"検査の結果が確定していないので、スタンフォードで検体を再度確認してもらいますが、どうもガンのようです”と言う話でした。おおい、こんな大事な事を電話で通知なんてあり?という疑問と同時に、頭の中は、真っ白でしたね。 最初の反応はガン=死という数式で、何で私がという繰言でした。
結局はガンと診断がくだされ、一番軽いN1の段階の進行度であると言う診断、この種のガンでの標準的な治療は放射線治療でこれをする事になりました。体に放射線の照準をきめる刺青の点を打たれて、治療開始。私の疑問に答えて、医者はこの時の治療失敗,死亡の確率は5%と告げました。一連の治療を終えてガン退治は終わりました。この後も定期健診は欠かさずにおこない、スタンフォードに毎月通いました。そのなかで、新薬の人体実験の試験者にならないかという話があり、他のガン患者の役に立てればと同意、3年間実験に付き合いました。残念ながら、この新薬の試験結果は芳しくはなかったようです。
この治療から5年間たった頃に、このガンが再発しました。検体をちょん切って取って、検査をしたら、ガンで2回目には体の同じ部位で放射線が使えないために、手術が必要となりました。この用意のためのMRI、CAT SCAN,、レントゲン、をもって大学病院を訪ねました。この時点での診断もN1でした。ここの専門医が名人で今の私の存在があるわけですが、手術をすることになって、開けてみたらこれはダメだということになり、閉じてまた2週間後にもっと設備の整った手術室で治療をするということになりました。MRIでも見れないガンの進行がありました。。この時点での診断はN4ほかの器官までガンが転移をしていると言う診断です。私はまな板の鯉ですから、何も覚えていませんが、9時間半にわたる手術で、手術中に開かれた患部に放射線治療もするというこの時期では最先端の治療をうけました。
実はこの時は成否の可能性は分からない部分あり、、ちょっと危ない状態でした。こうなると、人間は謙虚になるものです。欲望というものは、未来に向けられていますが、この未来がないかも知れないと思うと、欲望を持つ意味がありません。今自分の周りにいる人々がとても愛しいと感じます。物質的な欲望はほどんどなくjなりますね。自分が死ぬ事には、あまり恐怖心もなくなっていたのですが、子供がいるので、この子のことを考えるとつらい事がありました。彼は小学校の低学年でしたので、まだ私の病気に付いての理解も危うく、このまま、逝ってしまったらこの子のなかに私の記憶が残るのかどうかが心配でした。この時はちょっとした”書きおき”を息子のために書きました。
この大学病院には大変世話になったこともあり、私が定期健診にこの大学を訪問する時には、ボランティアで私と同じ症状をもつ患者をたずねたり、話をしたりしています。またこの大学でこの分野での医療関係者の研修があるときには、これもボランティアのClinical Instructorをしています。
このガンと言う経験がNO 2ですね。これで、より謙虚になり、自分にとって大事なことがはっきり見えてきたように思います。家族、友だち、ご近所さん、この人たちは自分にとって掛替えのない財産だと本当に思うようななりました。それまでは、さまざまな選択に迷いがあったのですが、いまは、ものを見る時の灰色度のトーンの真ん中というのが、大変少なくなったような気がします。選択の際に、どちらが自分にとって大事なのかということは、はっきり迷いなく判断が出来るようななったとも言えます。
たいへん出来事の説明の多い、長い返信になってしまいました。あまり退屈されなければ、良かったと思います。最初の件は私の人生の選択のベクトルをかえた出来事・時代ですし、NO 2は私の中の心のあり方を変えた出来事ともいえると思います。たぶん、私のこれまでの人生は、多くの日本人の人々に比べて、事件の多い人生ではなかったかと思います。これは、私のなかに、なんでもしてみたいと言う幼児的な願望があったから(今でもありますが)ではないかと考えています。もう一つは、私は大変幸せ者で、実に理解のある親を持ったと言うことです。
あゆむさんもこれから、さまざまな経験をし、色いろな事を学び、成長されていく事と思います。、目を開き、耳を開き、何事にも好奇心をもって、自由に考え、それを自分の言葉で表現できる大人になられることを期待しています。
あゆむさんへの返信状
あゆむさんがコメントのなかで、私の人生の中で一番印象に残っている事は何か。またその事を今振り返ってどう思うか・。
そして、その事が私の人生と私自身をどう変えたのか。という質問を発してくれました。この答えは、私という人間がどのように形成されたのかと言う意味でもあるわけです。難しい質問ですが、なんとか、正直に答えてみようと思います。
あゆむさんが生まれたころ、私は地方のカトリック系の進学校の生徒でした。その時の私の夢は文化人類学者になることでした。東大の日本の文化人類学の草分けの教授に相談し進路を決め、東京のある私立の大学に入学しました。この頃日本はエンタープライズ佐世保寄港事件や、三里塚空港建設反対運動、大学の授業料値上げ問題、ベトナム戦争反対運動、そして
70年安保の時期でもありました。1960年の全学連から1970年の全共闘に変転した時代です。私は民主主義者ですから、社会主義者の学生運動ではなく、市民運動の中に飛び込んでいきました。また、大学も私たち学生が封鎖、いわゆるバリストが大多数の大学で行われました。私は、70年の時点でこの闘争が勝てるとは思っていませんでした。ただ、勝てないからといって、何も言わないという自分を許す事ができないと言うのが正直な心情ではなかったかと思います。
こうしているなかで、各大学のバリケードが機動隊の手でつぎつぎと撤去されてくる事態になり、私の大学にもその手がのびようとしていました。このような状態の中で、立てこもり組みと、外部で戦う組とがわかれ、私は後者で立てこもり組みの手伝いに校舎にはいっていき、私にたまたま割り当てられたのが、文化人類学の研究室でした。ここで、私の学者になる夢は絶たれました。マア、私としても日本のその頃のアカデミアの浪花節的な文化とは、相容れなくなっていたと思います。一つの事件ではないのですが、この頃の時代というか出来事、環境がわたしに与えた影響は計り知れません。まるでLACの授業のようなものでした。討論ベースのの生活でその頃の進歩的知識人と言われた人たちが先生の役でした。哲学者、数学者、物理学者、ロシア歴史学者、仏文学者、社会学者英文学者、工学者、医学者、政治学者これらの人たちが暇を惜しまずに教育をしてくれました。こちらは、若気の至りで、怖いものなしでこの分野で日本一と言う先生に議論をふっかけると、先生もまともに相手をしてくれたものです。この頃の仲間がよくいいますが、’私たちは日本の大インテリたちの産物です。
このころ、学生運動を2年でやめるバカ、4年までやるバカという言葉がありました。私は4年までの口で就職をどうするかという問題がおきてきました。今の若者も就職状況が閉塞的といわれますが、私のころも学生運動の経験者には閉塞状況でした。
お上に逆らうと、とことん苛められるというのが、良く分かりました。でも懲りませんが。というわけで、この色いろな物を含めたこの頃の"時代’というものが私の人生の転機でもあるし印象深い事象であったと思います。これが印象NO 1.です。
この経験を今から考えてみると、またやりたいというのが正直な気持ちです。でも時代の力ですから無理でしょうね。残念
NO 2については次回に、
100回目です。
もうというか、やっとというか、これで100回目の記事です。こんなブログでも結構な時間がかかります。とくにご覧のように、日本語のタイプに慣れていない私には、毎回が修行そのものでした。記事を掲載してから、読み直して誤字、ミスタイプの訂正はは当たり前、なかなか一発でOKがでません。真偽の程は分かりませんが、こんな私の記事でも、毎日100人の読者がいるそうです。これらの"声なき読者の方々”にこの場を借りて、お礼を申します。
いちいち名前を挙げませんが、ここにコメントを下さる"常連"の方々にも随分励まされています。この方々はこのブログファミリーのメンバーですので特にお礼をいたしません。ただ皆さんがこのファミリーの仲間である事を、私は大変嬉しく、また幸運だと思っています。
今回、100回目をうむかえることになって、二つの特別企画を考えました。ひとつめは、声なき読者の方々にお願いです。
無記名のアンケートです。簡単ですから、お時間が許す限り参加をしていただきたいと思います。
質問
1.日本からですか、それともアメリカ合州国から、またはその他からーー日本からは、に、アメリカからは、あ その他は、そ、と
記入してください、
2、あなたは高校生、大学生、大人、家族持ち?ーこの答は、こ、だ、お、か
3.右手ノブログテーマのなかで一番興味のあるのは?このこたえも最初の文字で、たとえば、大学教育は、だ
これだけです。たとえば、コメント欄に、にこり、と記入するだけです。他には何もいりません。もし記名が必要なら"声”というのはいかがでしょう。私の場合には、あか、みんな となりますね。
もう一つは、全ての読者の方々にむけて、Calperchに”これが聞きたい”という事がもしあれば、そのリクエストをお寄せ願いたいということです。ただ、”それに付いては答えません”という反応も可という条件付で。
読者の皆さんにもう一度、深くお辞儀を
Calperch