かとうとしろうのブログ -104ページ目

「うんこが出そう」

88日  

原爆が落ちた日が6日、今日は8日、3日間連続で皇居1周です。平和ボケから抜け出すために自分に負荷をかけてます。右ひざに爆弾を抱えてますが原爆のことを考えると、膝の爆弾なんか気になりませんね。こうして元気で生きておれることに感謝します。同時に、気持ちを引き締めて地球の平和に少しでも役に立つ行為をするために、自分に負荷をかけました。

ここからは、退屈な人、暇な人、ちょっとおかしい人が読んでください。

忙しい人、まともな人は読んではいけません。後でがっくりきますから。いいでしょうか。心の準備ができたら進んでください。

今日は話が長くなります。うんこの話です。

もう一度確認します。心の準備はできましたか、・・・。


皇居の入口祝田橋交差点を渡って右に10メートルくらい先が僕の皇居スタート地点です。新橋から走っていくとちょうどここになるのです。今日も家からここまで走ってきました、さー今から皇居1周です。7時45分スタート。ゆっくりと時計周りと反対で走ってます。いきなり外人2人に抜かれました。首にタオルを巻きつけたおっさんに抜かれました。また一人、ひとり、ひとりと抜かれていきます。腰にペットボトルを入れたお兄さんが、ぼっちゃ、ぼっちゃ、とペットボトルの水の音をさせながら僕を抜いていきました。一人、一人、5人と僕を抜いていきます。


前からイカシタ女の人がウオーキングでこちらに近づいてきます遠目ではとても素敵です。黒の帽子(フランスの貴族がかぶるような)、黒の上下(上も下も黒です)まるでどこかの貴婦人みたい。落ち着きのある女性(中年のおばさんと言ってはいけません)落ち着きのある女性です。すれ違いました、顔は見えませんでした。黒の大きな帽子のふちで顔がちょうど隠れるように意図的にしてるんです。なかなかやりますね。からだのつくりからいって落ち着きのある女性です。無駄なお肉がついてると言ってはいけません。丁寧な言葉を使わなくてはいけないのです。


二人、三人、二人の外人。一人、五人組、、みんなに簡単に抜かれます。抜きやすいように道を開けてあげます。どうぞ、どうぞ、がんばってね、と声をかけてあげます。(独り言です)そばに行って肩をぽんぽんと叩いてがんばってねと言ってはいけません。竹橋の交差点を左に折れると坂道です。心臓やぶりの丘と僕は呼んでます。ここで、また一人、一人、二人と抜かれる。坂を登りきりますと、千鳥が淵です。

ここを左です。曲がったところで「うんこが出そうな気分になる」。まだゴール(家まで)までは30分はある。半蔵門を過ぎるところでは、うんこが出口から5センチくらいのところまで来てる感じ。スピードを上げる。桜田門皇居のゴールまであと100メートル。やっとゴールしたと思ったら、うんこが出口まで4センチ、ちょっとやばくなったぞ、と左脳が信号を出す。家まで15分。

祝田橋を抜けて一直線に家に向かう。うんこが出口まで3センチ。スピードを落とす、跳ねると出そうになるのでゆっくりやさしく走る。日比谷の交差点で一気に出口までうんこが進む。1センチ。内幸町を抜けるとき、お腹の力を抜いたら、ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっぷっぶぐーっとオナラの7連発。

不思議です。オナラが排便効果を鈍くしました。あと10分。一安心したら、急にうんこが出そうになった。ハラの緊張がオナラでほぐれた分うんこの塊が出口にしっかりと近づいた感じ。ここが勝負のどこです。

“道路にうんこを落としてはいけない”、理性が働きます。

走りながら、うんこをパンツの中で出してはいけない、うんこを出しては新橋で生きていけない、犬や猫と違うんだと、俺は人間なんだ、人間なんだと、左脳が一生懸命からだに言い聞かせてます。でも生理現象はどうすることもできません。あと3分。けつの穴の締めどころです。

いつも練習してる、肛門で呼吸する。しっかりと肛門を意識して、締めてます。あと1分、家が見えてきました。「うんこが出そう」。

家の玄関のドアをあけ、4階まで一気に上がりたいのを我慢して(跳ねると出そうになるんです)ゆっくり上がりドアを開けてトイレに入ろうと思ったら子供がさっとトイレに入っちゃいました。僕はあー、あー・・・・言葉になりません。トイレの前で小さく小刻みに足踏みです、肛門をしっかり閉めたままで足踏みです、子供が出てくるのをじっと待ってるんです。今、やっと子供が出ました。スーとトイレに入ってパンツをおろし便器に座りました。自然に目がふさがり、小さな涙が一つこぼれました。道路にうんこを落とさなかったことに感謝です。肛門を締める呼吸が役に立ちました。人生のいたるところで呼吸は役に立ちますね。特に肛門のしまり具合で人生は決まるようです。

だって、もしですよ、もしうんこを近所で落としたら、大変です。加藤さんの旦那、走っててうんこを道路に落したんですって・・・これでは新橋に住めません。でしょ。


今朝、朝のお勤めのあと、ブッダの呼吸をしました。いつもの倍の長さやりました。

息を止めて、お腹の中を右まわり、左回り、右まわり、左回りとやりました。このとき、おトイレに行きたくなって、便器にわたがったのですが、うんこは出ませんでした。まーいいかと、と判断して、すぐ走りに出かけたんです。このときに、ゆっくり、便器にまたがっていれば、うんこは出たのだと思います。お腹を刺激しすぎたのが少し時間が経過して、自然現象が発生したんだと思います。だって腸の調子はすこぶるいいんですもん。

トイレがないところで排便が起こっただけです。もう一つ欠かせないのは、今日の走る姿がいつもと違うんです。下のパンツは、20年前にホノルルマラソンを走ったときの、本格的なトレーニングパンツなんです。モモがばっちりはみ出した選手用のパンツなもんで、うんこが出たら、かなりの確率で道に落ちるんです。パンツの中にとどまりにくいパンツを履いてたために左脳が緊張したんだと思います。朝のジョギングで「うんこが出そうで出さなかった」話です。最後まで読んでくださった方は、お疲れさまでした。ありがとう。

「壁抜き」

87日  

昨日夜、谷川俊太郎さんと大塚いちおさんのトークショーを見に行きました。

僕の生徒・畑川さんのご招待です。畑川さんが務める会社「コヨーテ」のサロンで行われました。とてもおしゃれなところです。西麻布だと思います。仕事が入ってたのですが、ご先祖様から重要書類が届けられました。宇宙郵便局の特派員が速達ですといって持ってきたんです。封を切ると、谷川修太郎のトークショーにいきなさい。と書かれました。急きょスケジュール変更していったのです。

まず、驚いたのは、若い女性ばっかりです。20代後半から、30代です。

何で、なんで・・・?

78歳のおじいちゃんと中年のおっさんのトークショーですよ。

(ぼくもおっさんなんですが、それは横に置いて)

おじいちゃんとおっさんのはなしを聞いて、若い子がきゃっきゃ笑ってるんです。(わかりませんねー)

なにがおかしいのか? 僕がおかしいのかもね。

大塚さん嬉しそうでした、最初から最後まで嬉しそうでした。

こんなタイプの人初めてです。もちろんイラストなんか興味ないから初めてでいいんですけどね。人間っていろんなタイプの人がいるなとつくづく思います。

ご先祖様は僕に何を伝えたいのか? 僕に何を学ばせたいのか?

その日はわかりません。今日もまだわかりません。

ひとつ言えることは、「壁抜き」をさせようとしてることは感じてます。壁抜きとは、自分のカラを破ることです。新しく脱皮することです。言い方を変えると意識を拡大することです。まあー、ゆっくり考えます。

新横浜駅の三省堂に行ってきました。9月に「ミニ呼吸レッスン」をやる下見です。「呼吸の本」の作者みずからの営業活動です。村上春樹さんはこんなことしません。彼は、テレビやラジオに出ないし、朗読もツアーとしてやらない人なんです。僕はやりたくなくてもしなくてはいけない状況に、流れになっちゃったみたいです。やったことないことにチャレンジするときがきたんです。

「壁抜き」です。まず、関東です。東京をねらいます。自分自身へのチャレンジです。一歩踏み出しました。

呼吸やってたら原爆なんか落とさない

8月6日   

今日は原爆が広島に落ちた日でした。忘れてました。

今日のジョギングはちょっと自分に負荷をかけました。御成門から日比谷通りを東京方面に向けて進み、日比谷の交差点を左折して皇居に。皇居1周して、きた道を帰ってきました。1時間20分。しっかり走りきりました。おかげで凛、凛です、颯爽はつらつ、気持ちがグーとひきしまりました。

朝のお仕事です、熊本、岡山、名古屋。仕事のスケジュール調整です。10月までいっぱいでしたが、11月もいっぱいになりそうです。需要が増えすぎて

調整が非常に難しくなってきました。今までのやり方ではおっつかなくなってきました。“切りかえ“が必要です。意識を切りかえて仕事に対する考え方を物質的から霊的な考え方に変えてます。時代に合ったやり方で、社会の要望に応えられて、お客さまの期待に沿えられるように、自分の意識をどんどん変えてます。

実践者ですが、文章化することによって、より分かりやすくする、視覚化することによってより理解を深められるようにする。精進してるんです。自分なりにです。

あせらず、あわてず、落ち着いて、おおらかな気持ちで仕事にとりくむことも毎日の作業の中で意識的に取り組んでやってます。

60年間生きてきて、一番真剣に仕事に取り組んでるんじゃないのかなー。

だからと言って仕事をやってるという感覚はないんです。きっと今やってることが好きなんでしょう。呼吸っていいですね。呼吸やってたら原爆なんか落とさないのに。だって呼吸は心をきれいにするんですから、それに心の使い方を正しくしてくれるんですもんね。広島に向けて、平和がおとづれますようお祈りをさせていただきます。

谷川俊太郎さんのレッスンです。7月が変則的なスケジュールだったので、今日は久しぶりです。間隔があいてもあかなくても二人息の感覚はいつも同じです。素晴らしい雰囲気です。楽ですね。

旧友

8月5日  

昨日、大崎上島を後にするちょっと前のことです。新しい情報が入りました。僕の旧友(小学生の同級生、中学から広島のいい学校に転校)が隣の町の副町長をしてるという話です。唐突に出てきました。お昼にお好み焼を食べてる時にお好み焼屋のお姉さんが何かの拍子に副町長さんのお嬢さんの話をしたのがきっかけです。話してるうちに副町長が同級生の谷本だと知ったのです。谷本には借りがあるんです。母が具合が悪くなった時、海の見える高台にある施設に入れてもらったのです。旧友が役場で働いてるときのことです。僕に気をかけてくれたのです。これはなにものにも代えられないことです。ずっと心の底に残ってました。田舎には年に2,3度しか返らないのですっかり疎遠になってたんです。僕がお墓参りに来たので、ご先祖様が雲の上から知らせてくれたのだと思います(信じてます)。


東京に帰る前に一言お礼が言いたくて、手土産を地元の和菓子やで買って谷本が務めてる隣の役場にいきました。谷本は、九州に主張でした。行き違いですが、全然残念に思いません。今度、来た時に挨拶すればいいのですから。手土産は職員の皆様に食べてくださいと言ってさわやかに役場を後にしました。

自分が苦境に立った時に助けてくれた人はわすれることができませんね、このときのタイミングは絶妙でした。僕は東京、母は広島、距離はありますし、やりとりがたいへんでしたが、谷本の指示に従ったおかげですべてがスムースに運びました。母が安心して生活できる施設に入れてあげることができたのです。もちろん、母に相談したらいいよと言ったので話を進めました。当然のことですが、この一連のことをわすれることはできません。今やっとお返しが

できる年齢になっったのです。先祖の力は想像がつかないこと、思いもよらないことがいとも簡単にやってくれます。こうして藤原家と村上家の先祖の償いをさせていただいてるのが今の僕の状況です。この体験は霊的体験の一部です。

瀬戸内の神に感謝です、厳島神社の神に感謝です。ありがとう。

朝早くから仕事です。三鷹で一汗かいて、夜は都心でふた汗かきました。仕事、仕事、仕事です。エネルギーに満ち溢れてます。調子はすこぶるいいです。

リハーサル「エーゲ海・瀬戸内」

8月4日   

瀬戸内では、窓を開けて網戸(虫よけのために網を張った戸)で寝るんです。昔は蚊帳でした。朝早くから、町の人は起きて行動します。今朝は、島のおっさん5人が海辺の脇にある台に腰をおろして朝早くからだべってます。暑いのや、暇やで、毎日の日常性が基本的に退屈です。昔も今もかわっていません。

この習慣が瀬戸内の朝です。

2時半頃目が覚め、ウトウトしてたら、「おおらか」という言葉が浮かんできたのですぐメモしました。

・おおらかな気持ちで生きる

・おおらかな心で考え、思い、空想する

・おおらかな気分で呼吸のレッスンをする

「おおらか」「おっとり」「ゆっくり」という言葉が続けて出てきました。

ゆっくり、のんびり生きていきなさいということだと思いました。

これも瀬戸内なんです。島の習性なんです。島で生きるための業です。

4時半からお勤めをして、5時30分に散歩に出ました。海岸(歩いて1分)に出たら朝日がビックリするくらい大きく目の前に浮かんでるんです。太陽に向かって瞑想をしました。金色の光が頭の中に一つの塊となってはっきりと浮かんできました。素晴らしい色です。どのくらい金色のエネルギーと一緒にいたでしょうか。ゆっくり目を開けて太陽をみたらうんと上にあがってました。太陽の色は白っぽくなってます。太陽を見た瞬間、あたまの中の金色の光は消えました。

ゆっくりと防波堤のそばを北に向けて歩き出しました。防波堤の真下には海の水がいっぱい来てるんです。すこし歩くと、防波堤がとれて瀬戸内の海がいっぱいみえます。海の上でさざ波が立ってます。時々銀色にぴかっとひかります、魚がぴょん、ぴょん、ぴょんととび跳ねて勢いよく群れになってはしゃいでるのんです。これが瀬戸内です。僕の島です。

歩いてたら同級生、峰律也にばったり出会いました。峰はカブ(バイク)に乗って、くわえたばこ。犬の運動に出かけるとこでした。

立ち話、峰「帰ってたんか」僕「おー、お墓まいりよ」。

別れて僕は北に向けて歩き始める。ラジオ体操をやってたので50年ぶりに参加した。「ラジオ体操の深呼吸は大きく吸って、吐いて」でした。

また、歩きはじめたら、犬の運動にいった峰がバイクに乗って帰ってきました。タバコはくわえたままでした。

立ち話。峰「修とこ泊ってたんか」僕「おー、大下(島)に連れてってもらったんよ」 峰「まだいるんか」僕「今日帰るんよ、また来るけん」

ただこれだけの会話です。が、温もりがあります。瀬戸内の同級生感覚です。

昔、悪だった島の悪感覚です。言葉は少ないほうがいいんです。顔を見ただけでお互いが分かち合えるんです。これが瀬戸内なんです。

何で峰と会ったんだろうか?と思いながら歩いてたら、瀬戸内のツバメが前から飛んできてさーっと僕の左側へとんだと思ったら、宙返りしてまた僕に向かって飛んできてぶっつかる手前でツバメ返しで身をかわして去って行きました



僕が北に向かって歩いたのは、父が働いてた場所(会社)に向けて歩いてたようです。、山の神様に挨拶に行くように雲の上にいる父からの導きのようです。場所とは、父が、山でハッパ(ダイナマイト)を仕掛けて石灰のもとをとってたとこです。山の神様にお礼を言って、困ってることがありましたら言ってくださいね、僕が協力しますから。山の神に勇気を与えてきました。

木江町の真ん中にある厳島神社で帰省の挨拶と、島の安全と平和をお祈りしてから、14時22分の高速艇で島を静かに立ち去りました。

JAL1616便広島発17:40分で東京へ。

瀬戸内での体験はエーゲ海につながりませんでした。リハーサルは失敗です。

大崎上島・大下島

8月3日   

JAL1601便、朝6時55分羽田発で広島に出発。空港からタクシーで竹原港に到着。フェリーで大崎上島へ上陸。タクシーで僕の生まれた町、木江町に移動。やっとつきました。

まず、ご先祖(藤原家)のお墓参りです。大きなお墓が5墓です。お水でお墓をきれいにお掃除をしてから、島のお花を1墓づつに供えます。お線香も1墓づつにあげます。おごそかに「南無阿弥陀仏」と唱えてからご先祖様に感謝です。父と母に「呼吸の本」の報告をしました。隆にもご報告です。

青山ブックセンター(2月11日)のトークショーの前、2月8日にお墓参りしてから約6か月経過しました。今回は父の命日(8月15日)の供養を兼ねてます。

お寺(浄泉寺)にお供え物を届けてから母のご先祖様のお墓に向かいました。

母のご先祖様のお墓は隣の大下(おおげ)島です。大崎上島から大下島まで30分。同級生の修さんの“釣り天満”でひとっ走りです。上陸して親戚のうちにお土産を持って挨拶してから、お墓に行きました。お墓にお水を差してる時、僕の携帯がなりました。東京の女性雑誌から取材の電話です。ご先祖様からのご褒美と思って快く受けました。

ご先祖様のお墓参りをすると何故か心が和みきれいになります。両親の愛情を一杯受けてるように思えるのです。お父ちゃんとお母ちゃんが生きてるときには感じなかったのに、今は素直に感謝できるんです。1年に2,3度のお墓まいりですがそのたびに気づかされます。

それにしても暑いです。この島、異常ですね。汗びっしょりです。日射病にかかりそうです。やっとご先祖様へのお勤めが終わりました。

帰りは釣り天満の縁に左足をのせて、ポカリスエットをグゥイ、グゥイ、グゥイの勢いよく飲んで、一息つきました。風がいいんですよ。風です。釣り天満の走る速度に合った風が僕の顔をなでてます。瀬戸内の真昼間の風は、ちょっと気を抜くとないでだらっとします、怠け者の風です。速度を落とさないで木江まで心地よい風を受けながら帰ってきました。

夜は、お好み焼を食べて、修さんの家に泊まりました。

宇宙銀行

8月3日 

さあ、仕事です。朝早くから活動してます。お勤め、ジョギングを済ませて

7時から動き始めました。明日の広島帰省準備です。御墓参りに明日、明後日と僕の生まれた島に帰る準備です。お線香、数珠、マッチ、飛行機の切符、お金、パソコン、ワイマックス、USB、下着上と下、Tシャツを出張用のバックにつめこみました。銀座の松坂屋にいって東京のお土産を買ってきました。お寺、親戚,泊まるところ(浜田修、同級生です)です。


銀行に行ってお金をおろしました。僕の銀行は宇宙銀行がメインバンクです。宇宙銀行にはもう5億円はたまってると思います。記帳したら5億8千万円ありました。宇宙では使うところがないのでたまるいっぽうです。遊びのつもりで、宇宙に1億ばらまきました。すると宇宙の銀行マンが飛んできて、k-とうさん、そんなことしてはいけません。すぐ集めてください。としかられました。別れ際に冗談半分で、宇宙に何か言い物件ありませんか?と聞いたら、驚いたことにありますよ、掘り出し物です。

びっくりしましたね、冗談が通じたんです。言ってみるもんです。1億です。だれも住んでない星を一つ買いました。死んでから使うつもりです。

今日は預金の少ない近所のみずほ銀行から5万円おろしました。宇宙にはいくらでもたまるのに、みずほではたまるのがとても緩やかです。

宇宙に預金する方法を教えます。

銀行で預金を下ろしたらですね、すぐ宇宙に預金するんです。現金が出てくるまでに預金しないといけないんです。おろした金額に0(ゼロ)を三つか四つ加えてです。5万円だったら、5千万、か、5億です。

どうやって預金するのかですって、ただ思うだけです。

宇宙銀行に5千万入金した。5億入金した。と思うだけです。簡単です。お金たまりますよ。興味にある方はやってみてください。

内緒ですよ、ここだけの話ですが、このような発想、意識の使い方が重要なんです。3次元の地球で生きるには4次元の感覚、4次元の意識を身につければ、楽に3次元で生きられるんですよ。呼吸を身につければさらに簡単にできます。くだらないことを書いてるばあいではありません。

仕事です、しごと。青山です。帰るのがきっと遅くなるだろうな、明日は早いのに、まーいいか。

夏休みの終わりは銀座で軽い食事

8月1日  

昨日、夕方7時過ぎに自転車で銀座にいきました。家から銀座まで5分です。上はタンクトップ、下はハンパン、その下はビーチサンダルです。目的のない暇つぶしです。パフォーマンスセンターの「アディダス」男子の運動靴売り場でなにげなく靴を見てたら、ひとりの男性が靴の試食、ではなく試靴をしてるんです。店員がお上手を言って何とかかわせようとしてます。ぐるっと店内を回って戻ってきたら、話がついてて男性は靴を買ったようです。男性の表情がとてもいい顔だったので真似して店員に声をかけました。試靴を何度かして1足買っちゃいました。自転車乗って帰る時、何で買ったんだろうと思いました、きっと暇だったから衝動買いしたんだと気づきました。暇はよくないね、夏休みだから、許してあげる。

8月1日、3時半に目が覚めて(暑くて)、4時からお勤めです。5時から伝票の整理を6時45分までして、ウォーキングを軽くしてきました。右ひざの裏に違和感が出たのでジョグはお休みです。早い時間にプールでひと泳ぎしてから、電車に乗って池上の銭湯に水シャワーです。滝に打たれてきました。15時から18時まで昼寝です。寝すぎちゃいました。昨日に続き、また銀座です、今日は日曜日の夕方やけに人が多いです、あーそうか、みんなも夏休みだ。

ユニクロで黒のリュクサックを買ってパソコンを紙袋から移してから軽い夕食です。ピザ、トマトにチーズをのせたものに細長いクツキーが2本つきます、ジンジャエール。パソコンを開いてブログをかいてます。今、気がついたのですがこのお店はイタリア風みたいです、ちょっぴりエーゲ海が浮かび、エーゲと書いたところで海が転げ落ちちゃいました。エーゲ海ではありませんでした。隣の人が生ビールを飲んでるのを見て、やっぱ、“生”だよなーと思い生ビールとキャラメル(つまみのお菓子)を注文しました。今、ピザを全部食べました。ビールがきました。守護霊さんにごあいさつしてから、一口グッといきました。ジンジャエールをストローですー、すーとふたくち吸った後、またビールです。まだいっぱい残ってるので、グィ、グィ、グィと思いきっていきました。

だって夏休みなんだもん。と一人ごとを言いながら時々パソコンをたたいてます。BGMはちょっぴり乗りのいい曲が流れ続けてます。

キャラメルを食べ、ビール、ビール、ジンジャエールと口と手を休みなく動かしてます。気がついたのですが食べながらブログを書くって難しいです。(当たり前ですね)すみません。初めてわかりました。

飲み物も食べ物もなくなりました。4日間の夏休みも終わりです。

僕にとって、久しぶりの夏休みでした。なんだかよくわからない夏休みでしたが、元気に生きてるってことは、両親に感謝ですね。

夏休みの終わりを銀座でしめた。なかなかおしゃれじゃない、そう思いません。(関係ありませんね)ごめんなさい。

リハーサル「雨のエーゲ海・カフカ」

7月31日  

夏休み3日目。朝から家の主(妻)に触れました。肩が凝ってるというのでもんであげました。気を入れながら愛をもって肩を癒してあげました。

右の肩にあった小さなしこり(硬血)を親指の腹で丁寧にほぐしてあげました。7月の最後の日、役に立つことができました。とてもすがすがしい朝です。

「雨のエーゲ海」続きです。

民宿「白いハウス」608号室に帰る。裸になってシャワー室に飛び込み冷たいシャワーを浴びました。(ギリシャは経済破綻でお湯が時々出なくなるんです)水色の綿の長シャツと麻のズボンに着替えて海の見えるテラスでジンジャエールを飲みながら、「海辺のカフカ」を手にとりゆっくりと読み始めました。日本時間13時30分。

「15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになる」と村上さんは書いてるんです。読み進んでいくにつれ、僕の記憶がだんだんとよみがえってきます。


少年(ブログの中の自分)と、カラスと呼ばれる少年(カフカ)とが自分の中でかさなってくるのをおぼえた、48年前のこと。中学を卒業して家出同然で、父から離れていった・・・。忘れかけてた昔の心の傷を。瀬戸内の小さな島から東京へ出て行った時のことです。

本を閉じ、目を閉じて静かに瞑想をしました。息を整えて心を落ち着かせると天国にいるお父さんが下りてきて僕を強く抱きしめてくれました。

お父さんが僕にとしろうや悪かったね、ごめんなって。僕は「うん」、許してあげる。とにっこり笑っていいました。僕も父に「すみませんでした」とお詫びをいいました。天国にいるお父さんと夢の中で会って和解するんです。心の汚れを雨で流し魂の浄化をしました。

どのくらいの時間が経過したのだろうか、ゆっくりと目を開けると目の前に、澄み切った青い空が・・・、海は青くどこまでも透き通ってるんです。こういうことができるのがエーゲ海です。雨上がりのエーゲ海です。

この後は、夕食の時4人の女性と出合い霊的な体験をする予定でしたが、

この縁でやめておきます。調子乗ってくるとどんどん長くなって、皆さんが読みづらくなります。できるだけ短くするつもりですが長くなった時はごめんなさいね。

近いうちリハーサル「日本のエーゲ海・瀬戸内」なんてのを書くかも。

今日も、朝のお勤め、ジョギング、プールで膝のリハビリ、銭湯で滝の修行、7月のふりかえり、8月の準備。いろいろしっかりやりました。これじゃ夏休みじゃないんじゃないかい、まーあ、いいか。

リハーサル「雨のエーゲ海」

7月30日  

夏休み2日目、ゆっくりと2階、玄関のとびらを開けたらそこに家の主(妻)がごみ袋を一つ持って階段を下りていくところでした。早くごみを捨ててください、と叱られました。あわてて4階にゴミをとりに行き捨ててきました。4階から1階までぞうきん掛けです。気持ちをこめ、気を出しながらきれいに掃除してたら、3階、テナントのオジサンがきれいにしてくれてありがとう。と言ってくれました。「えーえー」ってわけのわからない返事をしました。僕の夏休み2日目の朝です。

雨のエーゲ海、リハーサルいってみたいと思います。ここは近所のコーヒのお店「Veloce」です。僕の前には大きな地球儀がゆっくりゆっくり回っています。ちょうど地中海が目の前に来ました。ここでは日本から1分でエーゲ海にひと飛びです。

エーゲ海でも雨は降ります。でもちょっと違うんです。エーゲ海の小さな小島では、雨は降るのではなく、降らせるんです。この島では人が恋しくなってくると雨が自然に降るんです。地中海の北に位置する小さな島エーゲ島です。

誰もいない朝のレストラン。窓際の海が見える席に一人でうすいコーヒーを飲みながらパソコンをたたいてる少年(実はおっさんです)。

テーブルの上には、村上春樹の「海辺のカフカ」が無造作に置かれてます。

パソコンから離れて今にもテーブルから落ちそうで落ちない1冊の本が・・

ブログなんか書かないで早く本を読んで下さいと言ってるんですが、少年は、気がつかなくてブログを夢中で書いてます。これが北の島、雨のエーゲ海です。

パソコンをわきに置いて、クッキーを一つかじりながら、エーゲ海、雨の海を見つめるんです。一隻のちいさな船がこちらに近づいてきます。

真黒に日焼けしたおじいさんが舵を握って、そばに孫がひとりおじいさんにぴたりと寄り添ってる姿がだんだん大きくなってきます。静かに港に帰ってくるとこです。漁を終えて帰ってきたんです。昨日の夜は晴れてて絶好の釣り日よりだったんです、雨は朝5時26分から降り出しました。

少年は冷めたコーヒーを飲みほしてから、雨の中を濡れながら民宿「白いハウス」に帰るんです。日本時間12時26分。

「雨のエーゲ海」リハーサルとしては上々です。明日に続きます。