アメリカ・ワーママ国際結婚物語

アメリカ・ワーママ国際結婚物語

母/会社員/妻と色々な帽子をかぶり奮闘する毎日を綴っています

アメリカに来て24年

あっという間の24年

これから24年となると80代

となると精々これからアクティブにいられるのは15年間くらい

 

15年なんてきっとすぐ経ってしまうだろうな

 

やりたい事が沢山あるには全然足りない

 

ピアノもまた再開したいし

絵も描きたい

家のレノべもしたいし

裁縫もやりたい

編み物もやりたい

読書もかなり読みたい本が溜まっているし

映画も観たいのが沢山ある

色んな国にもっと行きたいし

あと、書くのが好きなので

エッセイ本とか出してみたい

 

そして勿論

会計士の試験をパスしたいし

仕事で本当のプロフェショナルな仕事をしたい

もう誰でも替えのきく一般事務の仕事はごめんだ

というか、仕事はお金の為だけで

いい加減な最低限の仕事しかしない怠け者の人達と

同じ仕事をする環境にいるのはもうごめんだ

そういう人達がこの世に存在しててもいいけど

同じ環境に居たくない

 

話がずれてしまったが

 

とにかく、

 

やりた事があるには時間が足りない

 

それには

 

全てを同時進行して行くしかないと気づいた

 

マルチタスクである

 

一日24時間、一週間で168時間

そのうち仕事が40-50時間

睡眠が56時間

となると一週間62時間自由になる時間がある

その中には食事や家事育児勉強も入るわけで

残っている時間はそんなにない

 

同時進行

 

それしかないな

散々迷ったけど

CPA(会計士)になる勉強を始めようと思う

 

今更この歳で会計士目指してどうするよ

とか

 

子供との時間をセーブしてきたんだから

ママ業もっと力入れようよ

とか

 

大学卒業式後から色々考えたけど

 

受かるかどうか分かる前に諦めて

あとで後悔したくない

 

勉強してみて

あー、時間無くてちょっと仕事しながら勉強は無理だなあ

とか

 

勉強が忙しくて子供の事を考えてあげる気持ちの余裕無理

とかなってきたら諦めて、ってなってもいいと思う

 

やる前から諦めるのは、私の人生の哲学にない

 

そんなん言ったら、今、アメリカで仕事してない

 

私にアメリカ留学なんてお金も無いし、英語もまだまだだし無理

 

って諦めてたら、今、ここにいない

 

周りが海外旅行行って、ブランド物のバッグ買ってた時

仕事終わってからTOFELの夜間学校通って英語勉強して

コツコツお金貯めて10年掛かってやっと留学資金作って

 

ってやっての今がある

 

地道に頑張れば道は開けると信じる昭和生まれ

 

人生100年、定年退職が自分で決められるアメリカ

多分70過ぎまで働いているであろう昨今

 

これから会計士の資格を取るのも価値があるのではないだろうか

 

定年してからも、確定申告のお手伝いバイトをちょこちょこするのだって出来る

 

職業って、その人となり

 

その人の生き様

 

その人がどういう人なのかを表すもの

 

私にとって仕事って

ただ9時から5時までつまんねーって思いながらイヤイヤ働くのでは無く

自分の能力を使って、有意義な時間を過ごすもの

 

だって人生の大部分の時間は仕事に費やすわけだから

その大部分の時間をつまんねーと過ごすなんて勿体ないし

癌で50代の若さで亡くなってしまった兄に対して

そんな人生の使い方をしては申し訳ない

 

人生は短く、一度しかない

5年半(コミュニティカレッジを含めると合計7年半)かかり、ついに今日、大学を卒業した。コロナ禍、兄と母の死、実家の売却に伴う度重なる日本への往復など、本当にあ色々あった5年間だった。「女の子だから大学なんて行かなくていい」と父に言われてから学位を取得するまで、何十年もかかった。女の子は主婦になるべきだから教育は必要ない、と父は思っていた昭和一桁世代。父は2004年に亡くなった。父が今日ここにいて、私の成果を見てくれたらよかったのに。頑固で意志の強い娘に、微笑んでサムズアップしてくれたかな。

実家を売った。

ラッキーな事に

やり手の不動産屋さんのお陰で

マーケットに載せてから

直ぐに買い手がついた。

価格も

まあまあこちらの希望価格範囲内で

買い取ってもらう事が出来た。

実家は所謂ベッドタウンで

都心へのアクセスに良いエリアで

公立の小中学校やショッピングモール

駅などが、近くにある

家族を始めるにはもってこいの場所である。

 

買い手が付いてからは

あっという間に更地になり

あれよあれよと言う間に

売却となった。

売却決済の翌日

家を見に行ったが

更地になり、ブルドーザーがあり

次の家の建設が始まろうとしていた。

私の実家の跡形もなかった。

 

私が4歳から育った家。

家族四人で住んだ家。

 

父が2004年病気で亡くなり

兄がコロナ期真っ最中癌で亡くなり

母が兄の死後6日後に心不全で亡くなり

 

私が最後に残り、売った家。

 

どうやら努力は皆が出来るものではないらしい

努力遺伝子なるものがあり

それは自頭が良いとか

楽器を弾く才能があるとか

元々持って生まれた才能(能力)なのらしい

 

私は何に対しても努力をすることが比較的苦ではないので

それは皆が持っているデフォルトの要素だと思っていた

しかし、人に寄っては

そもそもそれを持って生まれてこない(低い)人がいるというのには驚いた

 

いわゆる頭がいいというのは

残念な事に遺伝が大きく影響しているようだ

それと同じで

努力をする能力も

遺伝で多く持っている人と、あまり多く持っていない人がいるらしい

それは有無というのではなくて

どちらの割合が多いかということらしい

 

そう言われると、辻褄が合う人達が周りにいる

夫は比較的努力遺伝子が低い方だし、夫の家族全体的にそうだ

そして娘も比較的低い

努力するのが得意でない

 

私は頭脳は普通レベルだが

努力遺伝子が半端なく多いと思う

もっというと、努力して達成したときのあの

達成感がたまらなく好きだ

 

だから努力遺伝子が低い人の気持ちが分からず

子育てに関しては、頑張れ、頑張れとイライラしてしまう

 

エジソンが、彼が成功した秘訣として

自分は天才ではなく、努力家だったからという

 

Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration

 

彼には努力遺伝子が多くあったのだ

 

世の人の多くは、頭脳は普通レベルだと想像する

となると、そういった人達の努力遺伝子の高低は

どんな人生を送るのかというの事に

大きな影響を与えるのではないだろうか

でも、周りを見るに

努力をしない人達は、要領が良い人が多い

きっとそれもある意味「才能」で

そうやって上手く人生を渡っているのだろう

 

これは私が日本語を家で話さなかったからだ。

子供には何の落ち度もない。

全部私のせいだ。

六年間毎週通った補習校。

子供はそれでも日本が話せないし、分からない。

漢字だけは、一文字で意味が分かるのが良いらしく

漢字検定10級見事合格。

 

しかし

 

半分日本人なのに日本語が分からない。

 

私は日本が好きではなかった。

日本の何とも女性の地位の低さと

個性は悪いこと、主体性のない、皆と同じが良しとされる文化

が、たまらなく嫌いだった。

 

そんなんだから、そりゃ日本語も話さないわな。

それに加え、仕事も英語、夫にも英語

24時間英語でいないと生きていけない環境で

日本語脳になるはずがない。

 

子供が日本語を話せないのは

 

皆私の責任です。

 

実家を空にした。

家財道具も全てだ。

住みだした51年前から有ったものも全てだ。

空になった家を見るのはかなり強烈だった。

それまで、母と兄が住んでいたそのままの状態で残っていて

まだ、彼らが生きていて、住んでいるような気持ちがしていた

でも、空にする事で

本当に逝ってしまったと認めざる負えなくなった気がした。

空にするに当たって

私は立ち会って一緒に片付ける事は出来なかった

そんな事辛くて見ていられない

全てのものに想いがある

そんな中にいたら感情が壊れて

心臓発作で死んでしまう気がした

だからもう第三者にお願いして

バリッとバンドエイドを一気に剥がすように

やるしかないなと

なんか、自分の子供時代が

なくなってしまった感覚

 

両親は他界し、兄弟も癌にて他界。

一人残された私は実家を売ることになった。

自分が幼少期を過ごした家

考え深いものがある。

日本を離れる20数年前は

まさか自分が実家の処分をするとは思っていなかった。

しかも自分が日本に住んでいた時はまだ若かったので

今、自分が実家の処分をする年代になったのが不思議な感覚

なんか浦島太郎の様で

家はそのままなのに、でも

確実に年月は経っていた。

そう感じるのも

日本はずっと経済の低迷が続いており

物価が全くと言っていいほど

20数年前と変わっていない。

物価というのは、年2~3%は上昇しているのが

健康的な経済成長をしてるとみなされる。

人は物が高くなったと嘆くかもしれないが

物価はある程度年々上がっていかないと

経済が成長してないし、今後も成長出来ない。

分かりやすく説明すると

例えば昭和を描いたドラマで

コーヒーが喫茶店で50円だったり

サラリーマンの月給が2万円だったりと今より安い。

それは経済成長と共に物価が上昇し、それと共に賃金も上昇してきたからである。

でも、20数年経った今でも

スーパーでお寿司のパックを買っても

コンビニでお弁当を買っても

私が日本に住んでいた時とさほど変わらない。

 

実家を空っぽにする

色んな物が出てきて

精神的に辛と思うが

もうここは仕事で日本に帰るんだと自分に言い聞かせ

淡々と処理をしていくしかない。

 

人生誰でも通らなければならない道

ただ私の場合兄が亡くなってしまったので

一人でやらなければならないだけ。

 

毎日は選択の連続で

それが生活で

生活が人生になる

 

その選択は今日のランチは何を食べようかな

という小さなものから

この人と結婚しようかな

という人生を大きく決める選択もある訳で

 

そういった過去の選択の積み重ねが

この毎日の生活になっている

その選択をした時は

それが将来どうなるかなんか分からない

だから今になって不満が出て

あーだ、こーだと考える

 

でも全ては自分で決めた事なのだ

誰かに脅されて他の選択の余地なく決めた訳ではなく

自分の意思で決めたんだ

 

そこであー間違っていたなと思ったら

修正するか

覚悟を決めて自分が過去に選択した事を

貫くしかない 

色んな人がアナライズしている様に

日本人の結婚しない人が増えたのは

お見合い結婚が減ったから。

昔は、年頃になると

ご近所さんや、親戚が

お見合い話を持ってくるので

自力で相手を見つけられない人でも

周りの人に助けられてお見合いで結婚出来た。

でも、1980代頃から

トレンディドラマの煽りで

恋愛で結婚しない、見合いなんて見っともない

という流れになってしまったので

自力で相手を見つけられない人達が見合いをしないので

結果的に結婚出来なくなった。

それが今、50代で一度も結婚したことのない人が沢山いる理由。

恐らく、その独身の50代の親達は見合い結婚。

そもそも恋愛が苦手な性格を親から受け継いでしまっているのだ。

 

昔から日本では、恋愛する人達は、適齢期男女の1/3だった。

で、残りの2/3はお見合いで結婚していた。

そもそも日本では

アメリカの様にカフェや、スーパー、駅などで他人と話をする人種ではない。

となると、出会いの場はとても限られてくる。

職場、学校など他人と日常的に顔をあわせる以外

どこで出会いがあるというのだ。

昔のトレンディドラマの出会いと言えば

エレベーターの中で偶然一緒になったとか、

婚約破棄された相手のルームメイトの家に転がり込むとか

他人とはそもそも滅多に話さない日本人にはあり得ない設定ばかり。

そんな現実離れした出会いのトレンディードラマを見させられたとて

見た目普通、恋愛偏差値やや低めのごく一般市民が

どうやって、相手を見つけて彼氏彼女まで持っていけばいいのか。

それが今、50代で独身の人達が通って来た結果だ。

 

でも、最近の若い人達は、婚活と割り切って

結婚相談所、マッチングアプリを使って相手を見つけているらしい。

それは基本的にランダムに他人と話さない日本人が相手を見つけるには

賢明なやり方なんだと思う。

 

筆者はというと、同僚に合コンクイーンがいたので

とにかくよく合コンに駆り出され

そこで異性とのコミュニケーション力を付けて行き

恋愛筋肉を鍛えて行った。

とにかく毎週の様に合コンしていたので

初めて会う異性と、どうコミュニケーションを取るかとか

異性に対してもそうだが、人間一般に対しての

コミュ力が上がった様な気がする。

要は場数でコミュニケーション力は上がるのである。

そして一番大事なのは、相手に興味を持つ事。

イケメンじゃないとか、タイプじゃないとか

食わず嫌いをしない事。

人は話してみなければ分からないものだ。