いつも読んでくださりありがとうございます(^^)/

ゴンザガ大、八村塁のコラムを読んでみました。

日本人の八村が英語のインタビューを受けて英語の記事がアップされて、それを日本語に訳すのもどうかとは思ったのですが、(日本のスポーツ記事でたくさん情報は上がると思う)、いつも感動的なコラムを出してくれるスピアーズさんの記事なので...。

以前読んだ記事にはなかった彼の思いを深く読ませていただきました。

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『トップNBAドラフト有望選手、八村塁は日本のハーフ・アスリートを刺激したい』

”Top NBA prospect Rui Hachimura wants to inspire biracial athletes in Japan”

(現地2019/3/8)

【カリフォルニア州サンタクララ発ー

ゴンザガ大の八村塁は、子供たちからの声援が大好きだ。

日本の自宅に居ることを思い出させるからだ。

 

八村は、日本人とベナン人のハーフだが、1月末のサンタクララでのゴンザガ大のゲーム中、自分のように見えるファンがいることに気が付いた。

サンタクララ郡は、カリフォルニアの郡の中では日本人の割合が最も多い。

 

このゲームに訪れている人の中に、

黒人と日本人のハーフの子供たちがいるのが分かったんだ。

彼らが僕を見ているのがわかった。

日本には僕のことを本当によく見ている子供たちがいるんだ。”
と八村は言った。

彼は、サンタクララを98-39で圧勝したゲームで18分16ポイントをスコアした。

”僕は日本人だ。

彼らの反応が僕は本当に嬉しい。

彼らは僕をフォローしている。

彼らはインターネットで僕を観ているんだ。”

 

カレッジ・バスケットボール・ファンは、八村が1位のゴンザガ大・ブルドッグズのスター・プレイヤーであることを知っている。
ゴンザガ大のファンは、八村が全米タイトルへ望みのキープレイヤーであることを知っている。

一方、NBAのスカウトは、2019ウェスト・コースト・カンファレンス・オブ・ザ・イヤー(2019 West Coast Conference Player of the Year:八村)が、2019NBAドラフトでトップ10の候補だとわかっている。

 

しかし日本において、八村はもはや、インスピレーションだ。
 

八村は、テニス・チャンピオンの大坂なおみ、スプリンターのアブデル・ハキーム・サニブラウン、オリンピックのハンマー投げの金メダリストの室伏広治などのような日本のスポーツ界のスター達の仲間入りをしているのだ。

そして彼は、若いバスケットボールセンスだけではなく、人種差別問題(racism)、差別とアイデンティティの問題に苦しむ混血の子供たちをも元気づけることが出来ると確信している。

photo via Rui Hachimura Instagram

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”彼らはバスケットボールだけでなく他のスポーツにおいても、スポーツに多くの試練を抱えている。”

と八村は異人種間の子供たちについて言った。

”多くの差別がある。

それはクレイジーではないが、僕は彼らのために嫌な気持ちになって欲しくない。

彼らに日本でのスポーツを楽しんで欲しいと思う。...”

 

”日本には、多くの優れたアスリートがいる。

素晴らしいことだ。

僕はバスケットボール次の人になる必要があるんだ。”

 

八村塁は、1998年2月8日、富山県で、日本人の母とベナン人の父との間に生まれた。

彼の褐色の肌は、日本人が98.5%の国では目立った。

少し誇張して彼が言うには、彼の父は”日本で唯一の黒人”だった、

そして、”お前は黒人だ。出て行け。”と周囲から彼が言われて育った人種的な事件を両親が思い出させた。

八村は、青年バスケットボールでプレイしている間も、自身の肌の色へのコメントに我慢した。

 

”彼らは僕が違う人のように僕を見たんだ。”

と八村は言った。

”僕はそれに慣れたよ。

しかたがない、日本にはそれほど黒人が多くないから、彼らは慣れていないんだ。

...中学校や高校で、僕に対する彼らはとても良かったよ。”

 

八村は、アフリカの血を引くことにも誇りを持っていて、自身が7歳の時に、西アフリカのベナンに訪れたと言った。

photo via Rui Hachimura Instagram

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”僕は、アフリカ人と日本人のハーフであることを本当に誇りに思っている。”

と八村は言った。

”珍しいよね、僕はこのようであることが嬉しい。”


八村は、2014年ドバイで開催されたFIBA U-17世界選手権で、日本代表として、そのトーナメント最高の試合平均22.6ポイントを獲得したとき、バスケットボール界で自身の名前を知らしめ始めた。

ニューヨークのブルックリンで開催された2015ジョーダン・ブランド・クラッシック・インターナショナルでは、彼は9ポイントを記録した。

ゴンザガ大学とサインしたとき、八村は男子大学バスケットボールのNCAAデビジョンIでプレイした5人目の日本人プレイヤーになった。

 

その島からやって来る高レベルのマクドナルド・オール・アメリカンの道は、平坦な広い道ではない。

しかし、彼は違う種類の猫のようなものだ。”

とゴンザガ大男子バスケットボールのコーチ、マーク・フューが八村について言った。

フューは、何年間も外国人選手を指導してきた。

しかし八村のように英語を知らずにワシントン州スポーケンへやって来る人は誰もいなかった。


”それは試練だった。”

とフューは言った。

”我々は、自分達が言っていることを本当に考える必要があった。

我々は、彼のことを頻繁に話していた。

我々が言っていることの10%を彼はわかっているのだと私はスタッフに言い続けた。

ゆっくり話して、要点だけを説明しよう、という感じだった。

翌年、それは50-60%に上がった。

現在の彼は、我々が言っていること全てを正確にわかっている。”

 

八村は、一年生で日本から4800マイル離れて住むことを踏まえ、ゴンザガに来る決心をしたことについて、2度考えたと認めた。

しかし、彼はNBAで成功し、お手本になるというを諦めるつもりはなかった。

 

”コミュニケーション、言語。非常に大変だった。”

と八村は言った。

”大きく違う。ここと日本は、真逆だ。

家にいることを考えていたかもしれないが、やめることは出来なかった。

もっと大きな目標があったんだ。

僕は国の代表チームのためにもプレーしている。

だからそれは出来なかった。”

 

ゴンザガのガード、ジョシュ・パーキンスは、チームが八村を助ける最善のことをしたと言った。

パーキンスは、八村とルームメイトで、当時のゴンザガのフォワード、ジョナサン・ウィリアムズ、現ロサンゼルス・レイカーズのツーウェー契約プレイヤーも一緒だった。

八村は、ゴンザガで英語の授業を受けたが、パーキンスは、八村はラップソングやNetflix 、ビデオゲームで言語を学んだと言った。

 

”僕たちは、彼のそばにずっといたし、ありがたいことに、彼がラップを聞いていたんだ。”

とパーキンスは言った。

”僕たちが彼とコミュニケーションをとった方法だ。

それがお互いの言語になった。...彼は21 Savageドレイクを聴いたよ。

彼らが言っていることを彼はわかっていた。

僕たちは、「塁、これは実際こういう意味だよ」と言う必要があったけどね。

今の彼は、僕よりも英語を話すのが上手いよ。”

 

八村は、アメリカに移転して以来、他の分化について学ぶことを楽しんでいたと言った。自分のように多くの異人種間の人々を見ることがリフレッシュしていると感じたという。

彼は、アフリカ系アメリカ人の分化やそれに付随する誇りについて知ることも楽しんだ。

 

”音楽が好きだ。食べ物も。僕たちには自信がある。

僕にとってそれが最も大きい部分だね。”

と八村は言った。

 

2017年のファイナル・フォーでゴンザガのベンチでゲームを観ていた八村は、今や初めての全米チャンピオンシップに勝利し歴史を築くことを望んでいるブルドッグズ・チームのスターとなった。

ネイスミス賞(Naismith Player of the Year)のセミファイナリストに選ばれた6.8フィート、230ポンドのフォワードは、ゴンザガでの平均20.6ポイント、6.7リバウンドで、デュークに対する勝利を含む29勝2敗を記録している。


そして、ゴンザガのバスケットボール・ビデオスタッフの助けを借りて、日本に戻って来た八村の両親と祖母は彼の出場するゲームの全てを観ている


”彼らはインターネットを備えていてどういうわけか観ているんだ。”

八村は言った。

”ビデオコーディネーターがゲーム後に送るので、彼らは全てのゲームを観る。

僕がプレーを始めてから、彼らは僕のバスケットボールを観てきた。

彼らは確実にそれを楽しんでいるね。”

 

ゴンザガは、ロスターに4人のドラフト候補がいる、と数人のスカウトが言った:

八村、フォワードのブランドン・クラーク(Brandon Clarke)、ガードのザック・ノーベル(Zach Norvell)、センターのフィリップ・ペトルセブ(Filip Petrusev)だ。

最も話題になっているのは八村で、2019NBAドラフトでトップ10に選出される可能性があるという。ESPNは現在、八村は14位で今シーズン後のドラフトで入団すると予想している。

photo via Rui Hachimura Instagram

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3月2日、ゴンザガとセントメアリーとの対戦に訪れたスカウトの中には、ニューヨーク・ニックスの代表、スティーブ・ミルズ(Steve Mills)とゼネラルマネージャーのスコット・ペリー(Scott Perry)、インディアナ・ペイサーズのゼネラルマネージャーのチャド・ブキャナン(Chad Buchanan)、ニューオリンズ・ペリカンズの代行ゼネラルマネージャーのダニー・フェリー(Danny Ferry)がいた。

八村は、最初の6試投をすべて成功させ、最終的にFG=8/10で17ポイント、8リバウンドを記録した。

”塁は、年々改善しているが、まだ彼の上限に達してはいない。”

と、あるNBAのアシスタント・ゼネラルマネージャーがThe Undefeatedに話した。

”彼はゲームに対する感性が優れていて、両エンドで多才性を見せている。

彼のプレイメイクボールハンドリングはNBAで通用する。

私はまだ彼のショットを完全に信頼しているわけではないが、繰り返すことと、適切な選手育成コーチとトレーニングすることで改善するだろう。

彼は最終的にNBAの先発選手になる可能性がある。”

 

NBAでプレーするアジア系の最初のバスケットボールプレイヤーは、1947-48基のニューヨーク・ニックスで3試合をプレーした日系アメリカ人のガード、ワット・ミサカ(Wat Misaka)だった。

 

↓2018/12/18 95歳のミサカ氏がウォリアーズのユタでの練習に訪れました。

NBA史上、最初の日本人プレイヤーは田伏勇太で、2004年フェニックス・サンズで4ゲームをプレーした。

今シーズン、メンフィス・グリズリーズのルーキー・フォワードになった渡邊雄太が2番目だ。

しかし、八村は、最高で、最も影響力のある日本人バスケットボール・プレイヤーになる可能性を秘めている。


”特に東京では、日本人と黒人のハーフの子供たちが多い。”

と八村は言った。

”彼らが「僕は彼のようになりたい」と言ってくれるような立場に僕はなりたいんだ。”

 

】(情報元:Top NBA prospect Rui Hachimura wants to inspire biracial athletes in Japan)

 

★八村塁、関連記事:

2018-11-22 :

[ゴンザガ大、八村塁、(1)英語が話せなければNBAプレイヤーにはなれない]

2018-11-23 :

[ゴンザガ大、八村塁、(2)英語が話せなければNBAプレイヤーにはなれない]

2018-12-06 :

[ゴンザガ大、八村塁、(3)英語が話せなければNBAプレイヤーにはなれない]

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