鞆の浦から福山市街へ。
<旅の行程>
1日目:竹原→御手洗
2日目:尾道
3日目:鞆の浦→福山
4日目:福山
広島県の最東部、岡山県との県境の福山市。
県内では広島市に次ぐ人口45万を誇る、国内随一の工業都市で、地震が少なく出生率が高い優良都市。
井伏鱒二や宮沢喜一を輩出した都市です。
古代、ヤマト王権と吉備国の抗争の最前線だった地で、戦国時代には、毛利氏と尼子氏による勢力争いが、繰り広げられ、近世においても、岡山県から広島県への二転三転の編入と、翻弄され続けてきた福山。
そんな福山の名城へ。
◆福山城◆
(国指定史跡・日本100名城)
駅前にそびえる城壁と櫓。
このロケーションが福山城の魅力のひとつ。
石垣脇の石段を上がり、いざ入城です。
迫力の櫓と城門に挟まれて。
筋鉄御門
(国指定重要文化財)
江戸前期の築造と伝わります。
振り返れば、福山駅。
伏見櫓
(国指定重要文化財)
慶長初期(1600頃)築造の京都伏見城の櫓を元和6年(1620)に移築したもので、現存する国内最古級の櫓です。
広がる本丸跡。
その先にそびえる天守。
かつて、ここに御殿が建っていました。
天守
*入館料¥500(月曜休)
元和5年(1619)、徳川家康の従兄弟、水野勝成が10万石で入封し、福山藩が成立。
そして、毛利氏などの西国勢力からの守りとして、元和8年(1622)、福山城は竣工します。
10万石にしては、立派な五層天守。
明治の廃城令後も残った天守は旧国宝。
その天守も空襲で焼失し、昭和41年(1966)に再建されました。
現在の天守は令和4年(2022)、"令和の大普請"により、築城当時の姿に改修されたもの。
天守内は福山城博物館となっています。
(強風で最上階からの眺望は拝めずでした)
鐘櫓
(福山市指定重要文化財)
廃城令も空襲も免れた現存遺構。
現在も自動で鐘が鳴らされます。
月見櫓
昭和41年(1966)の再建。
御湯殿
同じく、昭和41年(1966)の再建。
石垣から舞台が迫り出した懸造です。
空襲による焼失前は旧国宝でした。
黄金水
かつて本丸の水源を支えた井戸。
現在も水が湧いているそうです。
八方よしの松
明治34年(1901)に植えられた松。
どの方向から見ても美しいというのが名の由来。
水野勝成銅像
福山藩初代藩主・水野勝成。
徳川家康の従兄弟で、戦国時代きっての猛将として名を馳せました。
石垣に沿って、天守の裏へ回ります。
"令和の大普請"で復元改修された、国内唯一の黒い鉄板張りの天守北面。
手前に広がる礎石は空襲で焼失した旧天守のもので、天守再建時に移築されました。
北側には、豪商が建てた旧別荘があります。
福寿館・洋館
(国登録有形文化財)
*入館無料(要事前確認)
"鰹節王"の異名も取った安倍数助が、昭和初期に建てたものです。
ルネサンス調の壁面装飾が目を惹きます。
松の庭園も見応えがあります。
ホームから望む。
広島県の玄関口で城が出迎える。
素晴らしい演出でもありますね。
ご当地マンホール
水野勝成スタイルのカープ坊や、福山城、市章にもなっている蝙蝠のデザイン。
中国では幸福の象徴とされる蝙蝠。
漢字に福の字が入っていることから、福に通じ、それが由来で"福山"の地名が生まれたのだとか。
(諸説あり)
蝙蝠繋がりで映画「バットマン」シリーズの舞台、ゴッサムシティと友好都市提携しているそうですw
次回、福山の八幡様の記事を送ります。
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