2023晩秋の会津漫遊記事を始めます。

 

会津若松は6年振り4度目。

(2009年・2011年・2017年)

 

<旅の行程>

1日目:会津若松→東山温泉

2日目:会津若松→会津田島

3日目:南会津→檜枝岐→会津田島

4日目:大内宿→会津若松

 

新幹線で郡山まで向かい、そこから高速バスで1時間半、鶴ヶ城の手前で下車。

 

時刻は9時前。

 

ひと気もまだ無い名城へ。

 

◆鶴ヶ城(若松城)◆

(国指定史跡・日本100名城)

 

11月中旬でしたが、所々で紅葉が見られました。

 

 

霧模様の会津の朝。

 

 

苔越しの紅葉。

 

 

桜並木の先に天守が見えてきました。

 

天守

 

これは裏側。

 

鶴ヶ城稲荷神社

(御祭神:宇迦魂命)

 

築城時に創建された城の守護です。

 

天守の表へ回ります。

 

 

南北朝時代の14世紀末、蘆名氏が建てた東黒川館をその起源とし、戦国時代に黒川城が築かれました。

 

 

天正17年(1589)に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼすと、豊臣秀吉の命で入場した蒲生氏郷が城下町を形成、町名も黒川から蒲生氏郷の故郷・近江の"若松の森"に因んで、若松としました。

 

そして、文禄2年(1593)に天守が完成し、鶴ヶ城となります。

 

鉄門

 

ちょっとホワイトベースを想起させるw

 

 

門の先、天守裏側と長屋。

 

名城は石垣も美しい。

 

天守内は趣向を凝らした資料館となっていて、歴代城主やその激動の歴史を学べます。

*入場料(茶室麟閣含む)¥520

 

 

戊辰戦争における会津戦争では、新政府軍に猛攻され、1ヶ月の籠城の末に降伏。

 

そして、明治時代に建造物は解体されます。

 

現在の天守は昭和40年(1965)に外観復元で再建されたもの。

 

 

天守からの眺望。

 

左下の石垣に赤べこイラスト発見。

(武者走りのある石垣左端)

 

 

天守から続く長屋と鉄門、その端の干飯櫓。

 

南走長屋

 

天守から長屋を抜けて干飯櫓から出ます。

 

干飯櫓

 

櫓から石垣を進みます。

 

高石垣・廊下橋

 

築城当時はここが追手口でした。

 

石垣から下りて、本丸跡にある茶室へ。

 

茶室 麟閣

(福島県指定重要文化財)

 

豊臣秀吉により命を奪われた千利休。

 

その子・少庵を蒲生氏郷が匿い、その時に建てられたと伝わる茶室です。

 

 

戊辰戦争の際、茶人・森川善兵衛(指月庵宗久)が自宅に移築保管しましたが、平成2年(1990)、市制90年記念に鶴ヶ城趾に戻されました。

 

 

侘び寂びの世界観。

 

千家再興の礎になったとも言える茶室。

 

 

いつの間にか朝霧も晴れ、空は雲ひとつない晴天。

 

石垣に映える秋の名残り。

 

 

幕末という激動の時代に翻弄され、多くの悲しみを負った会津。

 

そんな会津のシンボル、会津若松城。

 

その勇姿に会津人の誇りと強さを感じるのは私だけだろうか。

 

 

時刻は10時半。

 

城址を後にして、町巡りです。

 

 

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