敢えて出雲を外した島根県漫遊。

 

これが最終話となります。

 

旅の終着地は大田市駅から30分程、県西部の都市、浜田。

 

<旅の行程>

1日目:津和野

2日目:津和野→温泉津

3日目:大森・石見銀山

4日目:大田→浜田

 

かつて、浜田藩が納めた地で、近代においては山陰有数の水産都市です。

 

駅からタクシーで数分、丘陵にある城址に向かいます。

 

◆浜田城◆

(島根県指定史跡・続日本100名城)

 

元和2年(1619)、この地に吉田重治が入り、5万4千石の浜田藩が成立、築城と城下町の整備をします。

 

その後、松平氏や本多氏が統治する事となりますが、慶応2年(1866)の石州口の戦いで長州軍に敗北、明治3年(1870)迄、長州藩の支配下に置かれました。

 

旧浜田県庁の門

 

明治5年(1872)築造の旧県庁の門。

 

昭和42年(1967)に移築されました。

 

ニノ門跡

 

ニノ門跡を抜けると、石垣で囲まれた枡形虎口が現れます。

 

 

ここで侵入者を四方から討つ構造。

 

本丸跡

 

本丸は標高67mに位置し、かつて、三重櫓と呼ばれた天守が建っていました。

 

 

本丸跡からの眺望。

 

日本海に面した松原湾です。

 

湾には外ノ浦という港が設けられました。

 

往時、北前船が寄港した藩内最大の港で、21軒の廻船問屋が連なっていたそうです。

 

本丸跡から門まで戻ります。

 

門に隣接して護国神社が鎮座しています。

(右手奥が浜田県庁の門)

 

濱田護國神社

(御祭神:英霊 二万三千柱)

 

昭和13年(1938)、浜田招魂社として創建。

 

 

平和ボケで混迷した今の時代だからこそ、今一度、日本が辿ってきた歴史や、その歴史の中で身を捧げた誇り高く尊き命について、しっかりと教えて考える教育をして欲しい。

 

 

英霊に恥ずかしくない日本であれ。

 

御朱印

 

境内にいたガイドの方に指南され、護國神社の参道を少し下ります。

 

 

その途中から、門跡を望めます。

 

中ノ門跡

 

右手奥の駐車場手前に見える石垣は裏門跡。

 

城址の西側に下ります。

 

浜田城資料館(御便殿)

 

明治40年(1907)、東宮殿下(後の大正天皇)が山陰行啓をした際にご宿泊した建物です。

 

その後、藩主別邸や公会堂として使用され、平成18年(2006)に市に寄贈されて、資料館となりました。

 

 

館内には北前船の歴史や、竹島事件についての資料が展示されています。

 

 

竹島事件とは、私的貿易が禁止されていた江戸時代、廻船問屋の今津屋(會津屋)八右衛門が竹島に渡り、李氏朝鮮と密交易を行い、幕府に斬首された事件。

(密告したのは間宮林蔵)

 

藩の財政再建の為だったそうで、地元では英雄視されているそうです。

 

領土問題とはまた異なる竹島問題。

 

松の間

 

上段の間の様に一段高い広間。

 

東宮殿下がご宿泊された際は、物産陳列所として使用されたそうです。

 

ところで、

 

この日のランチは駅近の人気店にて。

 

ケンボロー

 

自社養豚場を持ち、自社ブランド"芙蓉ポーク"を使った料理を提供する洋食屋です。

 

 

超特製ロースカツ

 

肉質が良くて、脂ではなく肉の旨味がグッとくる逸品。

 

塩は3種(ボリビア・マルドン・ヒマラヤ)あり、味の楽しみが広がります。

 

浜田駅

 

水産都市、浜田のウリは"どんちっち三魚"という地元ブランドのどぐろ。

 

"どんちっち"とは、石見神楽の事。

 

 

三魚とは、浜田港で水揚げされるカレイ・ノドグロ・アジを指します。

 

最近お気に入りのお店が中目黒にあるのですが、そこで扱っているのが"どんちっち"ブランド。

 

浜田でも頂いてみたかったのですが、駅近にそれ系のお店が無く断念。

 

代わりに、美味しいトンカツに出会えましたというオチです。

 

時刻は16時過ぎ。

 

山陰本線で浜田から益田へ、そして、バスで空港へ。

 

18時台のフライトで帰郷。

 

島根県の奥深さを堪能した4日間でした。

 

以上、旅のお終いです。

 

 

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