千葉森林インストラクター会の「緑を楽しむ講座」のあとは、一人で古墳巡り。7基行く予定です。
旧村川別荘の南門
西洋古代史学者である村川堅固・堅太郎親子の別荘跡。一時、我孫子の周辺が文化人の別荘地として人気でした。
この南門の前の道は”ハケの道”と言います。
関東から東北にかけて台地斜面下の地下水がしみだす辺りを「捌け(ハケ)」と呼びます。この先には湧き水があるそうですよ。
我孫子のハケの道は、古くは手賀沼に沿ってあったそうです。右に台地・左に手賀沼を見ながら(想像しながら)、”ハケの道”を歩くのもいいなあと思いましたが、ここの階段を上っていきます。
子之神大黒天
階段を上り切って北門を出ると、大黒天があります。
子の神古墳群
東西に長い我孫子の台地のほぼ中央部に位置し、南に手賀沼を望む台地上にあります。
現在の緑2丁目付近にあたります。
もとは13基の円墳と1基の前方後円墳で構成されていました。
現在は4基の円墳と前方後円墳1基が残っています。
6世紀に築造されたようです。
子の神14号墳
前方後円墳
今残っている墳丘の全景を撮ったら、こんな感じになってしまいました この石碑や植栽の間から、後ろに墳丘が見えるんですけどね。
くびれ部から後円部(たぶん)
くびれ部から前方部(たぶん)
東側から墳裾(たぶん)
東から後円部(たぶん)
次は、大黒天を出て、子の神9号墳へ。
すぐ隣には、子の神8号墳。
ここは、日本橋にあった薬種問屋島久の別荘跡だそうです。
9号墳の南側は崖になっています。この階段を下りると”ハケの道”に出ます。
この階段は下りずに大地の上を西へ向かいます。
子の神4号墳は、民家のお庭にあるようですね。
子の神4号墳
子の神5号墳
子の神4号墳と5号墳は、寿古墳公園となって保存されています。
子の神5号墳
あびこ電脳考古博物館によると、数字は書かれていませんが5号墳の測量図が載っていました。だいたい径が15~18mくらい、周濠が北から西にかけてあったようです。
子の神5号墳
また、5号墳からは人物埴輪の顔面部の破片(高さ22cm)が出土しています。
墳丘には円筒埴輪は飾られていましたが、人物埴輪はありませんでした。
また、ここは瀧井孝作仮寓跡でもあります。
こふんの隣に家を建てるのがはやりだった?わけないですね(笑)
子の神5号墳
この先は崖。階段を下りると”ハケの道、そして”湧き水があるそうです。
見に行こうか迷ったのですが、次の古墳も台地の上なのでやめました。この日はもう15.000歩くらい歩いていたんです。もう2基行きたいですからね。体力温存です!