私自身、自閉症スペクトラムとADHDの診断済みで、9歳の自閉症+ADHD+学習障害(LD ディスグラフィア)の息子と、
7歳の息子を育てるワーママです![]()
学習支援業の事業主をやっています
※大学進学後の孤立感/親との断絶/自分を守るための“壁”の描写を含みます。読むタイミングは、ご自身の心の調子を最優先してくださいね![]()
こんにちは、koutonです☺️
今回も読んでくださって、
本当にありがとうございます。
日に日にメッセージやサロン内で、
感想やご自身のご経験を
教えてくださる方も増え、
「書いてみてよかったな…」と思っています。
この話の結末までもう少し、
書かせてくださいね…
さて、
前回の第9話では、
「私はもう、誰の慰めにもなりたくない」と
決めて、
受験勉強に打ち込み、
ギリギリ合格をつかみ取った話を書きました。
だけど、人生って「頑張ったらハッピーエンド」ってわけにはいかないんですね…
今回は、やっと掴んだ【大学生活のはじまり】で私を待っていた
“新しい孤独”と、“変われたはずなのに、
変わらなかった現実”について書いてみます…
もうため息が出てしまいますよ…
私の報われなさに。
「合格したら、全部報われると思ってた」
高校のときの私は、ずっとこう思ってた。
「大学に合格できれば、
やっとバカにされなくなるんじゃないか」
とか、
「普通の家庭みたいに、
祝ってもらえて、家の中の雰囲気も
変わるんじゃ無いか」
とか…
だけど実際は──違いました。
合格発表はひとりで見に行って。
ひとりでお好み焼きを食べて帰り、
家に帰ったら、
両親はとても機嫌が悪くて。
喜びの言葉どころか、
「これからどうするの
」と
怒られる始末。
その日からしばらく、
父は私に口もきかなくなり、
私は「なにか間違ってたのかな」
「祝ってほしいと思う私が悪いのかな」
と、自分を責めてしまっていました…
合格してからの方が
家の中の雰囲気悪くなるってどういうこと…![]()
ずっと家にいると、何がおかしくて何が正しいのか、本当にわからなくなるんですよね。
あの時抱えていた、
私の【後ろめたさ】は
18才の私に必要なものだったんだろうか。
入学式でも「記念写真は1枚もなかった」
母はしぶしぶ入学式に来てくれたんですが、
スタスタ前に行くものだから、
私はずっと、
母の5メートル後ろを歩いていました。
並んで歩かない。話しかけてもこない。
ただただ、黙って先に歩く母の背中を見ながら、
私は泣いてしまって。
「お母さん、なんで近くを歩いてくれないの?」と
言ったことを今でも覚えてます。
だって、
周りは両親や祖父母と一緒に、
ニコニコ記念写真を撮ったり
とにかく幸せでいっぱいな感じ。
なのにうちは違うの。
だから私には、入学式の写真が1枚も
残っていないんです。
そのことが、
なんとなく…
ずっと胸のどこかに引っかかっていました。
私は理系の学部だったので、
授業数も多くてパンパン。
「女の一人暮らしなんてとんでもない」と
いう家だったため、通学は片道2時間。
往復4時間の長距離通学していました。
しかも、お金を自分で用意しなければならず、
3月から塾講師バイトも開始。
朝早く出て、夜遅く帰って、
課題と塾の授業準備に追われる毎日でした。
一方で、私の周りの学生たちは…
・一人暮らしで自由に暮らし、親の仕送りで
ワイワイ楽しそう。
・サークルに入り、旅行に行き
・親に合格祝いで車を買ってもらったり
・大学で出会った恋人と“普通の青春”を
楽しんでいたり…
まるで、異世界の人間みたいで、
私は自分がみじめに思えて、
なるべく周りと関わらないようにしていました。
しかもその上、
高校時代には性的な経験がめちゃくちゃだった
自分が汚れてみえていて。
そしてその“汚さ”を
共有していた【彼】といるほうが、
一番楽だとどこかで
思ってたのかもしれません。
彼はと言うと、
私とは別の大学だったけど
同じエリアの大学に進学していました。
当然会う機会は減ったし、
連絡もお互いにまめにするタイプではないから
自然と恋愛感情も薄れていっていたのですが、
きちんと別れてもいなかったし、
かといってちゃんと続けているわけでもなく。
なんとなく、ダラダラとたまに
会うような関係が続いていた気がします。
そんな大学生活が始まって、
すぐに気づいてしまった。
誰といても、私は心を開けないと…
「どうせまた傷つく」「どうせ嫌われる」
そう思って、最初からツンツンしてしまうんです。
いじめられるより先に、心を閉じる。
裏切られるより先に、信じないようにする。
壊されるより先に、自分で壁を作っておく。
それがきっと、
私の“生き延びるための自衛”でもあり、
【いじめの後遺症】だったんですね。
でもその壁は、
私を守ると同時に、孤立させてもいたんです。
その上、
周りの学生たちが“恵まれすぎて”見えて…
その羨ましさが、だんだんイライラに
変わっていった。
なんで私はバイトばっかり!
なんで私は親に怒られてばっかり!
もうこんな人生嫌だ!って…
「親から殴られて怖いよ」なんて、大学生が言える?
そんなある日、
台風か何かで早く帰宅したときのこと…
私の自転車の片付けが悪かったと、父が激怒。
家の中で追いかけてきて、
髪を掴み、私は頭を叩かれました。
母も家にいたけど、みているだけで、
止めてくれなかった。
私は裸足で窓から逃げたけど、
また捕まって頭を叩かれて、
頭が痛い!!
父は怒鳴りながら、
当時私がバイトしていた学習塾の名前を出し、
「そんなとこも大学もやめろ!!」と。
…意味がわからなかった![]()
「お父さん、私もう大学生だよ。
きちんと話し合おうよ。
怒鳴ったり、叩いたり、もうやめてよ!」
初めて私が父に言い返した言葉でした。
今でも覚えています。
でも父は、それに答えず、
不貞腐れて、また無視が始まって。
なんで頭を叩かれるまで
父が怒っていたのか、
全く私にはわからなかった。
そんな家にいるのが怖くなって、
私はまた…
結局高校時代の彼のところに戻ってしまいました。
大学に入ってからは
疎遠になっていたのに…
きちんと別れ話をしたわけではなかったけど、
連絡もこなくなったから
私は私で、他の子と遊んだりもしていたし、
本当なら、
散々嫌な思いもしてきている
この彼に戻りたくはなかったんですが、
環境って残酷です。
というのも、その時、
彼だけが「私の家庭の話」を
知っていたからなんですよね…![]()
「親から殴られて怖い」とか、
「この家にいたくない」
そんな話をできる人は、
当時は彼しかいなかったんです。
高校時代、
金銭的にも、
体も心もたくさん傷つけてきた相手だったけど、
それでも彼に話を聞いてもらえることで、
私はすごく救われていたのは事実でした。
その後は
なるべく父に会わないようにやり過ごしていて
実家があるのに、漫画喫茶に泊まったり、
友達の家に泊めてもらったら。
時間をずらして帰ったり──
私は、思うように
家に帰れなくなっていました。
そんなある日、
急にお腹が捻じれるように
痛くなって動けなくなり、
救急病院へ行った日がありました。
初診では診断がつかず、後日精査の結果──
卵巣嚢腫と子宮内膜症がわかりました。
しかもこのとき、たまたま一緒にいたのが、
また“あの彼”だったんです。
救急病院へ送ってくれて、
付き添ってくれたり、
手続きをしてくれたのも彼。
父は仕事で忙しく、
母親は、一人暮らしを始めた妹のところに
行っていました。
だから私は、結局またこの人に「恩」を感じて
しまうんですね
「助けてくれた人を、私は見捨てていいの?」
「この人だけは、そばにいてくれるかもしれない…」
そう思ってしまって、
私はまた、関係を切ることが
できなくなったんです。
▶︎ 次回予告
子宮内膜症と卵巣嚢腫の治療で、
私は中容量ピルを飲み始めます。
副作用は強く、ホルモンに振り回される日々。
それでも、学校もバイトもやめられない。
休みたいができる状況じゃない。
私は「誰にも言えない苦しさ」を抱えながら、
また孤独と向き合っていくんですが
時は過ぎて、
私は社会人になります。
⸻
📮ここまで読んでくださったあなたへ
「幸せを手に入れたと思ったら、
結局幸せじゃなかった。」
そんな経験、あなたにもありますか?
私は、ようやく自分の人生を
始められると思ったのに、
そこに待っていたのは誰も祝ってくれない現実と、
自分らしくいられない孤独がありました。
でも、あの孤独の中で私は、
“誰かのため”じゃなく、
“自分のため”に人生を選び直す感覚を育てていたのかもしれません。
読んでくれて、ありがとうございます!
あなたの言葉も、よかったら教えてくださいね🌿
※ 私は今、安心して本音を話せる場として、
【お申し込みはこちら】
コメント欄といいねをしばらく
封鎖することにしました![]()
その理由についてはこちらにまとめています↓
ご感想などのやり取りは、
現在、
私のオンラインサロンか、
公式ラインでのみ、
限定的にお受けしております。
あたたかく見守っていただけたら
嬉しいです。
楽天ルームやっています![]()
購入履歴から
良かったものだけ、
少しずつ載せていってます。
いつもありがとうございます![]()







