私自身、自閉症スペクトラムとADHDの診断済みで、9歳の自閉症+ADHD+学習障害(LD ディスグラフィア)の息子と、
7歳の息子を育てるワーママです![]()
学習支援業の事業主をやっています
※ASD/ADHDの診断/育児ノイローゼ/アルコール依存の描写を含みます。読むタイミングは、
ご自身の心の調子を最優先してくださいね
⸻
こんにちは、koutonです☺️
ここまで読んでくださっている皆さん、
本当にありがとうございます![]()
もうすぐこの連載も終わるので
もう少しだけお付き合いくださいね…
前回の【第11話】では、
婦人科の病気と治療、副作用のしんどさ、
そして“あの彼”との決別のあとも、
なかなか消えなかった「執着」と
「実家への違和感」の話を書きました。
今回はそこから数年進みます。
私は結婚して出産をし、
「ようやく普通の幸せが掴めたのかも」と
思っていたんでした。
でも、その先に待っていたのは、
朝からお酒を飲まなきゃ、
子どもに優しくできなかった理想とは
程遠い私だった。
昔から、男性や薬物に依存していた私が
辿り着いていたのは
アルコール依存。
そして、
【発達障害】の診断を受けることに
なるまでの話です。
出産できたことは、奇跡だったのに
2015年と2017年に、
私は男の子を2人出産しました。
卵巣嚢腫、子宮内膜症、胸膜腫瘍…
何度も「子どもを持てないかも」と
考えていた私にとって、
実は出産は、
奇跡のようなできごとだったんですね。
そして、
左胸には手術痕があり、
開胸手術後の肋間神経痛にも
悩まされていたので、
母乳育児もできないと思ってました。
でも、母乳もたくさん出たんです![]()
「こんなふうになれるんだな…」
そう思っていました。
だけど、育児は想像以上に過酷で…
出産がゴールじゃなかったと
思い知らされていきました。
産後の私を、誰も知らなかった
夫には、
私の過去の病気や過去の出来事をほとんど
話していませんでした。
過去の私には、後ろめたさが満載だったから、
余計なことは言わないようにしていたし、
年下の夫に対して、
「私がちゃんとしなきゃ」と思っていた分、
自分の弱さを見せたくなかったのかも
しれません。
夫も夫で、私と結婚するために
それまで信仰していた宗教と実家と断絶。
宗教二世の独特なしんどさを抱えていて、
そのダメージから来る“私への裏切り”もあり…
私には耐えがたかった。
だけど、結婚は恋愛とは違うから、
簡単にはやめられない。
私は、
「母になったんだから」と
さらに自分を奮い立たせていたんですね。
女友達ゼロの自分を隠して、
いじめられた過去を絶対に悟られないように
ママ友付き合いを頑張って…
でも…自分がすり減っていく感覚が
いつもあった。
心が壊れていった
生まれた長男は、
自閉スペクトラム症(ASD)で、
よく泣くし、寝ないし、食べないし、
感覚過敏だし、
言葉も3歳になるまでほとんど出なくて。
“普通の子育て”なんて、
一瞬も無かったと思う。
外出すれば暴れて転げ回り、
癇癪で叫ぶ、急に脱走する。
周りの視線もつらい。
私には、その声や視線が刃物で
刺されるように響いていました。
感覚過敏の私は、寝不足で耐性ゼロの状態で、
音とにおいとスケジュールの
崩れにずっとパニック状態だったような…
徐々に友だちも減っていき、
誰とも遊べないし、
誰もいない場所ばかり連れて行ってた。
自分もどうにかなりそうだった。
たった一度
そんな日々を過ごしていて、
長男の発達障害児育児と
次男の育児でつらかったとき、
私は、人生で初めて、
母に助けを求めました。
「お母さん、育児がつらいの…来てくれない?」
でも返ってきた言葉は、
「お父さんの病院の付き添いがあるから無理」
私はもう、
親については深く考えないように
しました。
私が母親を頼ったことなんか
一度もなかったのに…
いいお母さんでいるために
その日あたりから、
私は朝から飲んで育児をするように
なっちゃいました。
飲むのは決まって、
ストロングゼロのロング缶ばかり。
だって、
お酒を飲めば、周りの目も感じづらくなる。
私は優しいママでいられた気がした。
酔ってれば、泣き声が少しマシに聞こえるから
やめられなかった。
出かける場所も限られていた私には、
お酒を買いに行くのも楽しくて、
そうやって自分をだましながら、
昼間から酔っ払った状態で
育児していたんですね。
私は生まれつき派手な顔立ちで
背も高い為、
あまり弱って見られないのが
実はコンプレックスなのですが、
この頃、
内側では完全に壊れていたんだと思います。
ようやく名前がついた
ある日、息子の通っていた精神科の先生へ
私にも検査をしてもらえないか
と頼んだんです。
そして私は、
WAIS検査と診察を経て「ASD+ADHD」と
診断されます。
「ああ…やっと“今までの
生きづらさ”に名前がついた」
そう思って、嬉しくて仕方がなかった。
人の表情を読むのが苦手、
曖昧な言葉が理解しづらく、
直接的な言葉にばかり惑わされる、
音やにおいに過敏で体調を悪くしやすい、
スケジュール変更でパニックになる、
なにより、
生きているだけでストレスが多く、
感情の波が激しくて、
自分でも制御不能になるときを感じる…
他にも、
こんな感じの生きづらさがたくさん
私にはあったけど、
これって
私が“ダメな人間”なんじゃなくて、
脳の仕組みだったんだ、と
思えれば、報われる気持ちになった。
だけど…
息子も同じ特性なら、私と同じ人生を歩むの?
診断名がついた喜びと同時に、
私はさらなる苦しみに気づきます。
「じゃあ、息子も…私みたいに生きにくくなるんじゃない?」
裏切られて、
搾取されて、
誰にも理解されず、
やりたくないこともたくさんして、
誰かの“慰め”にされながら、傷ついて、
だけど、人にはいつのまにか嫌われていく…
そんな人生、息子には歩んでほしくない。
でも、私にはその未来が見えてしまったような
気がしていたんですよね…
診断がついたことで
逆に希死念慮も高まってしまった。
PTSD
こんな胸の内や、
私に起きた、過去の出来事を
精神科で打ち明けていくうち、
私は発達障害のほかに、
「複雑性PTSD」の診断を受けることになります。
そして、トラウマ治療を勧められるんです。
だけど、最初はすごく嫌だった。
嫌だったというか、
漠然とした不安が渦巻いていた。
なにか、
これ以上、こっちに来たらダメだよ…と
言われているような気がしていたというか。
次回予告
次回は、トラウマ治療の中で向き合うことになった「過去の傷」についてお話しします。
私自身は「なんでもない日常」とか、
「トラウマではない」と思っていた出来事。
けれど心理士は、
それを最優先でケアすべき“トラウマ的体験”だと
判断しました。
“性の記憶”が、じわじわと再構成されていく中で、
私はようやく、 “あの時、
本当は何が起きていたのか” に気づいていきます。
💬 読者のみなさんへ
“子どもに優しくしたい”と願ってるだけなのに、
できない。
そんな時期、ありませんでしたか?
私は、「いい母親」になろうとすればするほど、
自分が消えていく気がしていました。
朝から飲まなきゃやってられない。
でも、それでも育児を放棄しなかった自分を、
少しでも誇りに思ってあげたい気持ちも
あったりして、
この話を書きました。
あなたの声も、聞かせてもらえたら嬉しいです。
次回も、どうかよろしくお願いします🌿
読んでくださって、本当にありがとうございます。
※ 私は今、安心して本音を話せる場として、
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少しずつ載せていってます。
いつもありがとうございます![]()






