今朝の朝日新聞の記事「養老孟司さんと訪ねる理研」を読んで、昨年騒がれた
小保方さんの問題が大分解けた気がしました。 日本人に合わない制度を輸入した
ことが、どうやら根底の問題です。
“再生医療“という全世界が注目する分野で成功者になるには、大量のデータ、
最新鋭の検査機器、有能なサポートスタッフ等が不可欠なはずです。 理研に
限らずどんなところでも、「予算を取れる」テーマを持った人材を取りに行った
のは自然な話です。
小保方さんの研究はたまたま理研の目に止まって、国から予算を確保する上でも
有難いタマだったはずです。 しかしそれは同時に結果を出すことが至上命題に
なってくる。 内容は世界中で激しい競争を繰り広げているテーマ。
こうして彼女もグローバルな開発競争に巻き込まれていったとことが想像出来ます。
多額の予算を得た以上成果を求められるのは当然だし、元々信念のある彼女は、
必ず証明できる、との確信を持ってフライングしていったのでしょう。
記事で養老さんが、“生物科学とは歩留まりの世界”と言っていました。
うまくいくときはいく、ダメな時はダメ。 科学でも客観でもない。 だから
何かちょっとしたきっかけで、出来る時は必ず出来る、そう考えるのは理解可能です。
現場でやっている人たちには、その意識は当たり前のものなのだと思いました。
31歳の小保方さんは重すぎる予算を背負いながら「科学者の道義的責任」と、
本来ならば戦わなければいけなかったはずです。 しかし、真理を巡っての
誠実さを自らに問うような訓練は、私たち日本人は受けたこともないし、
現実の社会も本気で求めてはいません。
普通なら上司が出てきてストップをかけるのでしょうが、リーダーになって
いる彼女をストップできる人もいなかったのでしょう。
共通の“夢”がチラついている状況下で、小保方さんも“場”の雰囲気の中に、
自らの「重すぎる」立場を“厳しく“見ることは出来なかったんだと思います。
養老さんも指摘している如く、昨今この国でも流行りだしてきた“一部の優秀な“
リーダーに大きな権限を委ねる仕組みは、日本人には向いていないと私も思います。
組織の仕組みや人間のつながり方を考慮せずに、欧米の方式を輸入することは、
社会を疲弊させ様々な代償を強いることになると、今朝のこの記事を読んで改めて
思いました。
小保方さんが研究者として一度出直し、また活躍される事を願っています。