母28歳言葉がありません。こういう人を前にしてどうしたらよいのでしょう?広島小5女児虐待死の28才鬼母容疑者 米を洗剤で洗っていた 10月1日、広島県府中町の自宅で無職の堀内亜里(あさと)容疑者(28才、傷害致死容疑)が小学5年生..........≪続きを読む≫[アメーバニュース]
放棄階級世の中にはいろんな人がいます。UNCに通ってる学生たちはいわゆる青春期を謳歌しているようですが、親のお金でBMWを乗り回しラクシュミーの存在を真剣に考えない。そのうち結婚して子供を育てる時期は、子育て、仕事で忙しくてとても神様の事など考えられない。子供たちが巣立って住宅ローンの返済も終わってほっとする頃には自分の体が老化して25メートル泳ぐだけでもかなり堪えるしチェーンソーを使えば30分で息が切れてしまう。そのうちぎっくり腰にもなるだろうし、目もかすんで本が読めなくなる。最後には病死か過労死、事故死?そんな人々ばかりだろうと思いきや、世の中にはサフロン色の布をまとった「放棄階級」を持つ人々がいます。家族の団欒を捨て、お金を稼ぐ意識も持たず、食欲、情欲など洗い流してひたすら自分の人生を神様に捧げる人達、その一人が僕の師、カヴィチャンドラ・スワミであり、家内のグル、ビルクリシュナ・ゴースワミです。「グル」という言葉、「オウム」という神聖な言葉を汚してしまった麻原の功罪は計り知れないものがあります、これは、、、今後ああいう人が現れない事を祈るしかないかな。それはさておきその家内のスピリチュアル・マスターの誕生祝、ヴィヤーサ・プージャが先日行われました。彼の弟子たちを含めここニューゴーローカ寺院の献身者たちが集まってのお祝いです。三男のナーラダもインド舞踊を披露してくれました。
末期プラブパーダの等身大像を造っていたローチャンさんの娘さん、ラサプリヤーさんがヒルスボローに戻ってきました。先生をしてたのですが、癌の末期症状でお父さんの所に引っ越してきたそうです。前に会った時はここのお寺でキルタンにも参加してたけど、薬のせいで髪の毛もほぼ無くなって帽子をかぶってましたが、今回はかつらを使ってるようです。僕は今まで身近に癌にかかった人がいなくて最近、リンパ腫が見つかった父を見舞いに行けず、というか「行かない」という選択をしたわけで、心理的に下降気味な状態だったわけですが、彼女の存在はあらためて「死」について考えさせられます。信仰のある彼女と信仰のない父親。一番問題なのは、「死」を考えずにひたすら働いている人々なわけですが、最後のテストにみんなが合格できると良いなあと、ひたすら祈るしかないのでしょうか。
ヴィアーサ・プージャトピワラさんのお話1982年、サツバルーパ・マハラージにトピワラさんが「ノースカロライナにどなたかサンニャーシはいますか」「ああ、ビル・クリシュナ・ゴースワミがヒルスボローにお寺を建ててる最中だから訪ねてみるといいでしょう」辿り着いた所は、単なる平地でシングルワイド(トラック一台で運ばれてくるアメリカのプレハブホーム)がぽつんと立っていたそうです。迎えに来た汚れた白いティーシャツにジーンズ姿のおっさんに「ビルクリシュナ・マハラージに会いたいのですが」「私です」「???」あれから30年、コミュニティーを育てるのは、非常に大変ですが、ここニューゴーローカはとてもうまくいっているように見受けられます。
旅行飛行機が嫌いでいつも新幹線を使うとか、車に酔うのでどこも行かないとか言う人もいますけど、個人的には旅は楽しい。もちろん海外旅行となると時差ぼけがきついし、お金はかかる上、長時間の飛行機は、空気は悪いし、お尻が痛くなるし、食事はまずい。(ビジネスクラスとかファーストクラスだとたぶんこういう問題は解消されるでしょうが、一生使うことはないと思う)月へ旅行とか火星や木星に行ってみたいとか反対に海底探索をしたいとか望みは尽きることがないでしょうが、ちょっと視点を変えてみると、この体をもって日本人に生まれること自体、一つの旅とも言えます。ある人は苦行を一生続けて来世に天界に生まれようと努力している方々もインドのどこかに存在します。徳を積むことでも天界に行けるだろうし、真剣に頑張れば梵天ブラフマーの世界に行くことも出来ます。何もしない、考えない人は楽に地獄に行くことが出来るでしょう。でもそれが旅の終末ではない。地獄にしろ、天界にせよ、一定の時期がくればそこから離れることになります。「無限地獄」というのはこの物質界にはないわけで、誰がそんなことを言ったのか知らないけど大間違い。この世は一度きり、地獄にいったらもうおしまいなんて、そういうのを無神論と言うのでしょう。それとは別に精神界、無限の世界があることをインド聖典では説いてます。せっかく自分の時間とお金をかけて、ハワイに行こうとか日本に行こうと計画するのであれば、そのエネルギーを精神界に行くことに費やすのが一番効果的。いつ脳梗塞でたおれるかわかりません。交通事故に絶対遭わないという保証はどこにもないのです。いきなり二輪免許のテストを受けても受からない。
請求約2ヶ月前かな、家内が指を切ってUNCの救急室へ駆け込んだのは。約○万円の請求書が届いてビビりながらもなんとか完済してほぼ忘れ去られた今日、ポストに一通の手紙がUNCから届きました。家内いわく「なんか嫌な予感」中身は前回より上回る約○万円の請求書、、、、。最初のは緊急室利用の請求で、今回がドクターの診察料?!と2回に分けて送られてきたようです。一瞬で起こる怪我を治すのに2~3週間かかるうえに、それを支払うためには1か月分以上の労働を強いられる。へたをすると一年かかっても支払いきれない怪我に遭うかもしれない。そういう世の中に僕らは住んでいます。
対峙「死と向き合う」ことは、誰にでも起こりえます。そこで信仰がないと、ただ恐怖に怯えるか、何も考えないか(そういう事が可能かどうかわからないけど)。共通一次を受ける前にはかなりの下準備(勉強)が必要で、前日まで全く何もせずにテレビを見てる高校生、もしくは予備校生はまずいません。体を離れる準備がないまま、その日を迎える人には言葉がない。聞く耳がないだろうし、お坊さんのお経で成仏できるなんてみんな信じてるんでしょうか?癌と宣告されて死を迎える人、植物人間と化し医者の延命治療で何年?もベッドで横になってる人、事故でいきなり他界する人、さあこれから生まれるぞという時に流産させられる赤子、その他いろいろな状況が考えられるでしょうが、あらゆる状況で唯一の救いは、「神様を信じていられるか」脳梗塞で倒れた母親、膝の手術でリンパ腫が発見された父親、たぶん死に立ち会えない長男。
悪夢父の膝の手術はうまくいったようですが、果たして歩けるようになるかは未知数。その治療の準備段階でリンパ腫が見つかって、、、ようするに癌です。どれだけあってどのくらい進行してるのかまだはっきりわからないのですが、、、。そのうち人は死を迎えるわけですが、送る側?が海の向こうにいる場合の問題は「すぐに行けない」という事に今頃、気づいた次第です。
あと三ヶ月今年も残すところ3ヶ月。毎日「ああしよう」「こうしよう」と思ってることを毎日、先延ばしにしていつのまにか一年が過ぎ去ろうとしている、事がよくあります。今年は家の玄関と裏口のドアを取り替えようか、ベランダを作ろうかなと思ったり、家の裏に牧場を作ろうかなあと思ったり。ただの夢で終わらないと良いのですが。
病院家の母は戸塚でリハビリ中、父親は明日、長崎で両足の膝を手術。見舞いに行くに行けないもどかしさ。有給休暇があるわけでもなく、一人で行ったら10万、20万円が軽く飛んでしまう。孫に会いたいだろうけど、さてどうしたものか。