所  謂、  東  京  散  歩。 -49ページ目

所  謂、  東  京  散  歩。



世 間 に 遍 く 知 れ 渡 っ た 名 所 や、

少 し 胡 散 臭 い 好 事 家 向 き の 数 多 の 珍 ス ポ ッ ト。

倦 む こ と の な い 東 京 散 歩 の 備 忘 録 で す。

ANA


赤い鳥居」といえば
 まずは「お稲荷さん」を想像します。
 奉納された鳥居が整然と連なる
 京都「伏見稲荷大社」にある「千本鳥居」のトンネルは超有名。

 そしてこちらは羽田空港の拡張工事により
 この地に強制移動させられた「穴守稲荷神社」です。
 小さな赤い鳥居が“ぐしゃっ”と積み上げられていました。

 これらは参拝者が奉納したのでしょうが、
 その“ぐしゃっと感”から不謹慎にも「ゴミ屋敷」が頭に浮かび
 もしかして「下にある邪悪なモノが出てくる穴を、コレで隠しているの?」といった
 怖い想像までしてしまいました。
 因みに『穴守』とは「多摩川の堤防に穴が空かないように守って~」の
 気持ちを込めての命名だそうです。


 手前の二匹の狐の間にある〈蓋付きの四角い箱〉には
「神砂」(あなもりの砂)が入っています。※サイドに紙袋も設置されています。
 床下や玄関口や新築予定の土地などに撒くと
 なにかと御利益があるそうで、
 私も少々持ち帰りましたが、どこに使うかは只今思案中??


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fuji


鉄砲州稲荷神社」です。
 境内の奥まった場所に富士山の溶岩を使って作った
 “富士塚”がありました。

 “富士塚”とは
「富士山信仰」が盛んだった江戸時代、
 長旅が困難な人や女性(当時の富士山は女人禁制※その反動で今は山ガールが・・・)でも
 気軽に参拝できる“模倣富士”として作られたようです。
 その基本は頂上から本物の富士山を望めること。
 大きなものは高さ約30m、小さなものは1mと規模も様々みたい。
 この神社の“富士塚”は5.4mありますが、
 都会の家屋の高層化により富士山を拝めないばかりか
 マンションに見下ろされています。

 都内にはこんな「富士山」が
 60カ所以上現存するみたい。※ブラタモリ情報
 これを聞いたとき一瞬、
 調べて全てを回って見ようかと思いましたが、
 それって本物の「富士山」に登るより
 絶対に大変そうなのでやっぱりやめておきます。
 物の富士山に登った経験は2回ありま~す(^_^)v  でも、登頂は1回(T▽T;)


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TOBU


 東大先端科学技術研究センター(先端研)の正門を入って
 すぐ左手にこの像はあります。
 
 何かを叫びながら
 前にある目標を勢いよく指さす右手。
 力を入れてピンと伸ばされた左手も
 気になります。
 
 小惑星“イトカワ”の探査機「はやぶさ」の
 7年ぶりの地球帰還で話題になった
 JAXA(宇宙航空研究開発機構)。
 このJAXAの“父”と言われるのが
 彫刻の下のレリーフで紹介されている
「斯波(しば)忠三郎」。
 
この地にあった“JAXAの前身”東京帝国大学航空研究所」の
 所長を務めた(1923~1932年)人物です。

 で、銅像のタイトルはストレートに
『航空』(彫刻家 吉田三郎作・1935年)。
 しかし“空”はもう少し上のような気がしますが・・・・

 でも当時の飛行機が離陸するときは
 丁度このくらいの角度なのかも?


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TAMA


 遠く「羽村市」の多摩川取水堰から「新宿区四谷」まで、
 “露天掘り”でつくられた45kmにも及ぶ【玉川上水】。
 二つの地点の標高差は100m位しかなく、
 究めて難しい工事だったことが想像できます。
 この事業は【玉川兄弟】が請け負ったことでも有名。

 永らく【玉川兄弟】が造ったから【玉川上水】なのネ!と
 短絡的に理解していましたが、
 実は「玉川」の姓は工事の功績によって
 兄弟が名乗ることを許されたもので
 意外にも【玉川上水】が先にあったのでした。
 ※江戸時代には「玉川」と「多摩川」は同音のため両方が使われたようです。

 今の【玉川上水】は
 23区に入るとすぐに暗渠化され
 遊歩道や公園になっています。
 ここ京王線「代田橋」駅から「笹塚」駅付近にかけての
 僅かな区間のみが蓋をされず
 今でも昔の流れを見ることができます。
 ※水量は少なく、太宰が入水自殺した頃のような流れはもうありませんが・・・。(「稲荷橋」の上から撮影)


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M


 ブログのプロフィール欄にある
『Sですか? Mですか?』という設問。
 初めての人に発表しなければならない項目?とも思いますが、
 そんなこと書かなくても「見れば分かるでしょ~」というお方の登場です。
 
 丸ノ内線「茗荷谷」駅裏にある
 林泉寺の“しばられ地蔵尊”。

 願掛けで結んだ縄は成就の際には切るのが慣わし。
 自分の縄がどれだか分かるように
 五円玉を通して結んだり、
 赤い目印を入れたりと
 工夫をしているものが多数ありました。
 ※東京にはこのほかにも、沢山の“M”なお地蔵さんがいるみたい。


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fudo


 “耳無し芳一”は
 その『琵琶』の腕前を悪霊に惚れられ、
 冥界に連れて行かれそうになります。※この時はまだ耳があるので、ただの“芳一”でした・・・。
 寺の和尚が芳一を守るため
 全身にくまなくお経を書きますが
 耳の部分に書き漏れがあり
 両耳を悪霊にもぎ取られてしまったという、
 “小泉八雲”の有名な「怪談話」です。
 
 ここは「深川不動尊」の
 できたてほやほやの“新本堂”。
 この建物には書き漏れは無いでしょうネ~!

 全面に梵字の切り抜き文字が施されています。
 これを「のーまく さんまんだー・・・」から始まる
 “不動明王のご真言”というようですが、
 それが分かっても
 どこから始まってどこで終わるのか、
 縦に読むのか横に読むのかすら分かりません。

「芳一の耳」というより「の耳」でしたと言うお話。


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hantai


 反対運動が盛り上がっています!
 でも「巨大マンションの日照権問題」「ワンルームマンション反対」
「ゴミ焼却場建設反対」「築地市場移転反対」なんかより
 少しDEEPな『遺体保管所、絶対反対』。

 病院から葬儀までの間や通夜の晩に
 自宅に引き取れない遺体を預かる場所を『遺体保管所』というようです。
 遺体を安置するというよりも冷蔵庫に保管する感覚で、
 都会では“住宅事情”もあり一般的なことみたい。知らなかった~

 地元の住民は建前として、
「事前説明の無さ」と「倫理的な問題」を
 反対の根拠としているようです。
 しかし言葉の内には『気味が悪い・不快だ』といった
 理性的ではない感情もハッキリと滲み出ています。
《生活圏に遺体を置くな!》の発想は、
 まるで遺体をゴミ扱いしているみたいだし・・・。
 見えなきゃ良いんじゃないの? 見えるわけ無いし・・・

 あとはネーミングかな~?
『遺体保管所』じゃなくて、『最期のお宿 おくりびと』とか『Last Hotel Departures』とか・・・。
 ※私個人は葬式もしないですぐに火葬にして、東京湾のお魚の餌になれたらと・・・。しかし、どうされても別に文句は言いません。だって話せないもん(^_^;)v


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myouhou


 明治政府が“殖産興業”などを目的に
 欧米の先進技術や学問・制度を輸入するため
 外国から招いた『お雇い外国人』。
 その約半分がイギリス人で
 建築家「ジョサイア・コンドル」もその一人です。
 
「コンドル」は明治10年(1877年)25歳の若さで来日し、
 日本に初めて本格的な西洋建築をもたらした人物として有名。 
 主な作品は、鹿鳴館(現存せず)・ニコライ堂・三菱一号館(レプリカで再建)・
 旧岩崎邸・旧島津侯爵邸(現清泉女子大内)・旧古河邸など。
 
 来日後「コンドル」は日が経つにつれ日本文化に傾倒し、
 67歳でその生涯を閉じるまで
 殆どを日本で過ごしたそうです。
 写真は“コンドル設計”として伝えられる
 扉の上に“鳳凰”を乗せた「妙法寺」の鉄門。
 和洋折衷を強く意識して作られた
 当時のお寺としてはとても斬新なデザインは
 彼の日本に対する愛情がよく表れているような気がします。


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kodomo


 弁天橋を渡ってすぐに見えるのが
 この『羽田の赤鳥居』です。
 神社もない多摩川の河口に単体で立ち、
 本日は「こどもの日」の“鯉のぼり”と
 コラボっていました。
(祝日の「日の丸」も一緒!)

 この鳥居はもともと、
 今は空港になってしまった場所にあった
 “穴守稲荷神社”(移転)のモノで、
 色々あってこの地に立てられたそうです。
(実は移動させようとすると工事関係者が怪我をしたり、不幸が起きたりなど色々と曰わく付きの鳥居みたい・・・)
 
 それにしても強い海風
(竿はしなり、子供の鯉は絡まってしまって・・・)
 力強くはためく“のぼり”の姿は
 水を得た魚の如く活き活きとして
 なんか元気をもらいました。


 耳元で喋らないと
 聞こえないほどの東京湾の強風は
 道草の上で語らう“若い二人”にとっても
 ベストのコンディションだったみたい!


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kachikame


 背中に【勝】の文字を背負い
 頭に「ヘルメット」手に「グローブ」足に「地下足袋」姿で
 黄色いビルをよじ登る“巨大な赤い亀”。

 ここは新宿中央公園の角にある
「角筈(つのはず)」(新宿駅回り&西新宿の旧地名)の交差点。

「角筈」の地名の由来には諸説有り、
 江戸の時代にこの地を開拓した男の髪の束ね方が異様で
 “角”にも“矢筈”(弓矢を弦につがえる部分)にも見えた
 というのが[新宿区教育委員会]の有力説とか。
 どんだけエキセントリックなヘアースタイルだったのか?
 江戸時代のヤンキーリーゼントヘアーか・
・・・・・??

 そしてこのビルにあるのが、
『亀は萬年』の語呂合わせから
 “かちかめ”をシンボルキャラクターとする、
 作業服・安全具・ユニフォームなどを扱うお店「萬年屋」。
 ヤンキーのワードローブに欠かせない“つなぎ服”が
 この店の主力商品であることに
「角筈」との時代を超えた奇縁を
 感じずにはいられません。〔大袈裟(^_^;)〕



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