所  謂、  東  京  散  歩。 -3ページ目

所  謂、  東  京  散  歩。



世 間 に 遍 く 知 れ 渡 っ た 名 所 や、

少 し 胡 散 臭 い 好 事 家 向 き の 数 多 の 珍 ス ポ ッ ト。

倦 む こ と の な い 東 京 散 歩 の 備 忘 録 で す。

shinbun

 
 彫刻家・朝倉響子(朝倉文夫の次女)の作品で
 56年前(昭和33年)に建てられた“新聞少年の像”
  
 ここは初めて名前を聞いた人の殆どが、
「不思議の国のアリス」のテーマパークみたいなところを
 想像してしまう(?)「有栖川公園(ありすがわこうえん・正式名称:有栖川宮記念公園)」。
 しかしその園内に立っているのは夢見る“少女”ではなく

 大人顔負けに働く
“少年”です。

 
 “働く少年”を保護育成する活動の一環として
 同じような像が各所に作られたみたい。

 ※新聞販売店従業員の中で【新聞少年(18歳未満の青少年)】が占める比率は1970年には約6割(現在は2%以下)だったとか(^-^)/ 
 今は皆いい歳になっている
当時の新聞少年たちの、
 苦労の時代を伝えるモニュメントです。
  

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man

 
 “グリコ”は一粒で300m走れ、
 ドラゴンボールの“仙頭(せんず)”は一粒で10日の飢えをしのぎ、
 この“泉”には10,000倍の凄いパワーがあるそうです。
 
「品川神社」の境内にある「阿那稲荷神社」の“霊泉”。
 一つの【種】から万倍の【穂】を実らせる“天・地・水の恵み”にあやかり、
 ここでお金を洗うと“一攫千金”よりも強力な
 “一粒萬倍(いちりゅうまんばい)”の御利益があるとか。
 
【銭洗い】の名所によくありがちな
 何倍にもなって返ってくるという
曖昧な表現よりも
 強く心引かれる具体的な、
 それも10,000倍という破格の数値。
 どうせ“夢”を見るなら
 でかい方がイイということでしょうネ~。
 ※昔の暦には「一粒萬倍日」という“ラッキーデー”があって、本日3/8は大吉日「天赦日」と「一粒萬倍日」が重なる“超ラッキーデー”
(年4回)なのです(^_^)v  
 

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HARAJYUKU

 
 “若者文化発祥の地”なんて呼ばれる「原宿」ですが、
 街の住所は「神宮前」で「原宿」という地名は存在しません。
 これは度々行われた住居表示の変更によるもので、
 昔は「渋谷区原宿」があったようですが・・・。

 
 昭和40年に「原宿」の地名が
 完全に消えることを惜しんだ地元住民が建てたのが
 この『原宿発祥之地』の碑。
 静かなお寺の境内なので
 なんだか「原宿」の墓標にも見えますが・・・。
 ※別にピンポイントの“発祥の場所”ではなく、このあたりが「原宿一丁目」だったようです(^_^;) 
 
 でも「神宮前」の街を歩くと
 いたるところで出会う【原宿】【Harajyuku】の文字。
 お寺に記念碑を建てて懐かしむほどのこともなく、
 地名が無くなったことなんか他人事のように
「原宿」の“ネームバリュー”は全く衰えを知りませんネ~。
 

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DMC

 
 絞った明かりの下で鈍く光る銀色の車体。
 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで
「タイムマシーン」として有名になったアメ車、
 直線基調のボディデザインが特徴の【デロリアン】です。
 
※翼のように上に開く「ガルウイングドア」も特徴なのですが・・・。お台場パレットタウン「MEGA WEB」にありました('-^*)/
 フロントエンブレム【DMC】は、
 唯一この車種だけを2年間(’81・’82)のみ製造販売し
 その後倒産した会社【デロリアン・モーター・カンパニー】の略。
  
 この車の
ボディは
 時代を先取りしたといわれた“ステンレス”製
 近年では塗装の手間が省ける理由から
 電車の車両には多く導入されるようになった“ステンレスボディ”ですが、
 自動車では曲面の成形が難しく凹みなどの修理も大変、
 電車の車両の寿命が40年以上と長いのに対して車は10年位
 などの理由から結局実用的では無かったようです。
 

 
しかしこの錆びないボディのおかげもあって、
 作られてから33年が経った今でも全く古さは感じず
 逆に“未来的”な魅力を放ち続ける【デロリアン】。
 時をかける「タイムマシン」は、
 この車にとって天性の“はまり役”だったんだな~と
 改めて思いました。

 ※当初の「冷蔵庫型タイムマシン」の計画が、子供が真似て事故ることが危惧され取りやめに。その後、監督自らが「デロリアン型」を考案したそうです(^-^)/
 

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GOUKAKU

  
 元々「上野大仏」は全身像(建立1631年)
 地震
(1647年)・火災(1841年)・地震(1855年)
 首や顔が破損してもその都度
 修復がされてきたのだとか。
 しかし関東大震災
(1923年・大正12年)による4回目の崩壊では
 直されないまま「寛永寺」に保管され、
 その後“軍需金属資源”として顔以外が供出。
 残った
顔が元のこの場所へと 
 
戻されたのは
1972年だそうです。

 災難を何度も乗り越えて今は頑丈な社に祀られる様から
「これ以上落ちない!」のうたい文句で、
 “合格大仏”として信仰を集めているみたい。
 
 でも正確に言うと
「4度は落ちたけど、もうこれ以上は落ちません!」。
 “5浪回避”の御利益は確かにありそうですが・・・。
 
※軽口を叩きましたが、受験生や家族には切実。最後はやっぱり「信じる者は救われる~!」ですネ~(^_^;)/
  


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nikkei

 
 大手町「東京サンケイビル」前の広場に
 そびえ立っていたドデカイオブジェ。
 それは鮮やかな朱色に塗られた
 “マカロニ型”の円柱と
 少し薄く短い“竹槍型”の2種類の超巨大な管が、
 不規則に組み上げられたもの。
 このビルには産経新聞本社をはじめ
 各種メディア企業が入居しているから、
 “見通しの良さ”とか
 “切り口の鋭さ”みたいなイメージなの?
 
 
 
 作者は彫刻家「アレクサンダー・リーバーマン」、
 タイトルは『イリアッド・ジャパン』。
 “イリアッド”とは
 吟遊詩人「ホメロス」の作といわれる、
「トロイ戦争」をうたった古代ギリシャの
 叙事詩だそうですがよく知りません・・・。

 ※「トロイ戦争」といえば「木馬」! もしかしたらこの彫刻は「木馬」がモチーフなの・・・? しかし“イリアッド”には「木馬」は出てこないみたいで・・・(^_^;) 
 
 とにかく故・山本直純さんの名言と同じ
「大きいことはいいことだ~♪」が
 メインテーマの作品であることは間違いないかと・・・。
 


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WA

 
 ドラマチックなライティングが
 なんだかピッチ上みたいですが、
 ここは【日本サッカーミュージアム】の
 “ピッチ”と呼ばれる展示スペース。

 置かれていたのは、
「2002年 日韓W杯・ロシア戦」で
 記念すべきワールドカップ初勝利を
収めた時の
 
日本代表イレブン(先発)のオブジェです。
 

 左上のフェイスガードを付けた“宮本恒靖”〔17〕から反時計回りに、
 キーパーの“楢崎正剛”〔12〕 “中田浩二”〔16〕 坊主頭の“小野伸二”〔18〕
 “柳沢敦”〔13〕 “中田英寿”〔7〕 “鈴木隆行”〔11〕 “明神智和”〔20〕
 今は亡き“松田直樹”〔3〕 “戸田和幸”〔21〕
 最後はこの試合でゴールを決めた“稲本潤一”〔5〕
 
※正面のヒデが一番似ているかな~(^ε^)♪
 
 手前の“宮本”と“稲本”の間には一人分のスペースが空いていて、
 来場者がその“輪”に加わり一緒に肩を組んで
「円陣」が完成するという憎い演出。
 やっぱり応援が勝利の【原動力】!?
 


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ema

 
 “凝った絵”が小さいと見えないかな~
 と思ってこのトリミング。
 でも周りにももっとたくさん(その数ざっと200枚)力作“絵馬”が
 溢れていた「神田明神」(正式名称「神田神社」)の境内です。
 
日本の今の文化を象徴する絵柄から
 それは『痛車』(アニメキャラで飾った車)ならぬ
『痛絵馬』と呼ばれているとか。
 ※「アニメ文化」の中心地「秋葉原」に近いため!? 中にはマニア垂涎の有名なプロの作品もあるとか(^-^)/   
    
 神社に奉納していた“馬”にかわり
 板に描いた“馬の絵”を奉納したことから、
 平安時代に始まったという「絵馬」の風習。
 安土桃山時代には
 著名な絵師による本格的な絵馬が人気となり、
 それが展示された“絵馬堂”は
 絵師たちが技を競い合う
「美術館」のような場所だったとか。

  
   
 
現代のアニメ絵師たちが腕をふるう『痛絵馬』も、
 そんな歴史を考えると
なんだか“温故知新”?
 “歴史は繰り返す”的な感じもします。
 ※でもこんな厳かな場所では、ちょっと場違いで不謹慎な感じは否めませんが・・・(T▽T;)  
 


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uzumaki

 
 なんだか怪しい空模様
 東京の週末はまた雪みたい・・・

 と見つけたこのマンションも

 そうとう怪しい雲行きで・・・。 
 
 究めた“コテ捌き”で
 壁を真っ平らに仕上げる職人仕事には
 ちょっと飽きてきちゃった左官屋さんが、
 次はその腕を活かして
 個性溢れる作品を創ろうと
 取り組んだ「意欲作」?
 
 きっとできたばかりは
 光の加減で見え隠れする“渦巻き”が
 斬新だったのかも。
 でも今は面した「首都高」と「新目白通り」の排ガスで汚れ、
 それはまるで“おどろおどろしさ”を表現する
 少女漫画のバックみたいで・・・。
 


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katsu

  
 諱(いみな:他人は普通呼ばない)は「義邦」、
 位だった“安房守”を維新後「安芳(やすよし)」と変えて字(あざな:呼び名)に、
 幼名及び通称は「麟太郎」、
 現在一番有名な名は号(ごう:別名)の「海舟」。
 ※昔の人は名前がたくさんあってめんどくさ~いヽ(;´Д`)ノ
 
 墨田区両国に生まれ育った縁で、
 墨田区役所の広場に建てられた「勝海舟」の像です。
 “江戸城明け渡し”が行われる前(40歳頃)の姿だとか。
 ということはこの頃はまだ「勝安芳」ではなかったようですが・・・。
 
 “自信満々”の性格だったと伝えられる「勝海舟」ですが、
 彼にも一つだけ弱点があったようで・・・。
 まだ「勝」が幼い9歳の頃
(麟太郎の時代)
 犬に“睾丸”を噛まれ生死の境を
 さまよったことがあるのだとか。
 大人になってもそれがトラウマとなり
 犬に出会うと恐怖心で体がガタガタと
 震え出すほどだったそうです。
 
 
 見上げる首が辛いほど高い場所に置かれたこの像は
「勝海舟」の偉大さを表現すると共に、
 近くを散歩していたたくさんのワンちゃん
 彼がビビらないようにする配慮も
 少しはあるのかも・・・?!  
 


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