所  謂、  東  京  散  歩。 -2ページ目

所  謂、  東  京  散  歩。



世 間 に 遍 く 知 れ 渡 っ た 名 所 や、

少 し 胡 散 臭 い 好 事 家 向 き の 数 多 の 珍 ス ポ ッ ト。

倦 む こ と の な い 東 京 散 歩 の 備 忘 録 で す。

tamako

 
 都営地下鉄大江戸線「築地市場」駅
の閑散とした構内で
 突然出会った大迫力の壁画。
  
 
描かれている人物は葛飾北斎の師匠・浮世絵師「勝川春章」で、
 
作者は明治・大正・昭和・平成を
絵画一筋に生き抜き
 2008年に
103歳で没した女性日本画家の巨匠「片岡珠子(かたおかたまこ)」。
 その鮮やかな色彩と明快なフォルムは、
 ポップアートの様でもあります。

 ※壁画は彼女の絵を【美術陶板】で拡大複製したもの('-^* )/ 
 
 因みに【ドラえもん】に登場する
 主人公「野火のび太」のママの旧姓も「片岡玉子」。
 パパ=「野火のび助」は若い頃“画家志望”だったから、
 ママが有名な画家と同じ名前だった
のも心ひかれた理由の一つ?!
 そんな解説は何処にもないようですが・・・。
 
※隣にはもう一つ、珠子の「国貞改め三代豊国」の壁画もあります(^_^)v
 

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sakura

 
 桜が咲いていつもの公園の景色が一変し、
 遊んでいる子供たちも
 いつもよりハイテンションです。
 
 
ブランコを思いっきり漕いで
 足で花を蹴飛ばすという、
 新しく発見したばかりのワイルドな遊びに
 男の子たちが熱中
していました。

 限界ギリギリの
 90度以上まで上がって“キック”に成功すると、
 花びらがパッと空に舞い散って
なんとも優雅。
 
※「ブランコでこれ以上高く上がるのは無理なのでは・・・!」という高さo(TωT ) 

 
 今日の「花散らしの雨」で
 週末にはもう無理かな~?

  

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SAKURA

   
 普通イメージする“桜”の色は
 桃色よりも少し淡いピンク色。

 でもの代名詞【ソメイヨシノ】の
 花びらには思ったほど色味が無くて

「こんなに白かったんだな~!?」と
 この時期に毎年のごとく思います。
 “ほんのり桜色にホホ染めて・・・”の
 えもいわれぬ可愛らしさも、
 これでは“顔面蒼白”な感じで・・・。
 
  
 イメージ通りの“桜色”だと
 前から思っていたのがこの【
ヒガンザクラ】。
 目黒不動尊「瀧泉寺」の本堂脇の大木が、
【ソメイヨシノ】よりも少し早い満開を迎えていました。
 


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KAGAMI

 

 人間は“自然”からの恩恵と試練を受け

 文明を築き上げてきました。

 しかしいつの間にかその尊さを忘れ、
 仕組みの複雑さを軽んじて浪費を続け・・・。

 このままでは取り返しがつかない状態にまで“自然”は悪化し、
 人間の存在すら危ぶまれています。 

 
 

 今こそ“自然との共生”を真剣に
 考えなければいけない「曲がり角」にあることを
 暗示している【カーブミラー】(笑)

 住宅の庭から張り出した緑と、
 とってもいい感じに共生していました。

 ※綺麗にお手入れされていました。緑がもっと茂る「夏」が楽しみ~ヽ(゜▽、゜)ノ

 

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HASHI

 
 隅田川に架かる「新大橋」の
 オレンジ色の大きな柱(2本)の根元にあった

『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』。
 印象派の巨匠「ゴッホ」が模写した事でも有名な、
「歌川広重」の浮世絵をモチーフにしたレリーフです。
 ※その頃「隅田川」に架けられた橋の呼び名は全て「大橋」。この辺りは昔「安宅(あたけ)」と呼ばれていたようです(^_^)v

 ここで気になる人はとっても気になる「歌川広重」の名前。
 私が『東海道五十三次』などの作者として習った名前は「安藤広重」。
 それが知らないうちに「結婚して姓が変わりました~♪」みたいに
 急に「歌川」なんて呼ばれるようになってとっても違和感が・・・。

 “歌川派”に入門した「広重」
 絵師として「安藤広重」を名乗ったことは一度もなかったそうで、
 ここ30年位の間に表記が徐々に「歌川広重」へと変化してきたようで・・・。
 こんな修正は実は他にもたくさんあって、
『南総里見八犬伝』の作者は「滝沢馬琴」ではなく「曲亭馬琴」を採用し、
 社会科の教科書に載っていた「源頼朝」の肖像画は冠の特徴などから別人、
 黒い馬に跨った「足利尊氏」も家紋などからこちらも別人が今の常識みたい。
 ※「いい国造ろう、鎌倉幕府」は「1185年」に、「仁徳天皇陵」は「大仙古墳」、「聖徳太子」名の人物はフィクション、なども今の常識(°д°;)
  
 
 現在の「新大橋」は昭和52年(1977年)に架け替えられたもの。
 それまでのアールヌーボー風デザインの凝った鉄橋(現在は愛知県の“明治村”に部分移築され保存)
 懐かしむ人も多くいらっしゃるようですが、
 今ではこの呆気ないほど単純な
 オレンジ色の柱が「新大橋」の常識で・・・。
 ※このレリーフの脇には、先代の「新大橋」が描かれたレリーフが掲げられていました(´∀`) 
 


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atama

    
 指を軽く開いた手を肩幅に突いて、
 顔を真っ直ぐ平行にその間にうずめる・・・。
 置かれているのが地面だったら確実に

『美しいゴメンナサイができる! 土下座ポーズの練習器』
なのですが・・・。

 こんな石板(大小2個)があったのは、
 前のブログで紹介した【みみのオアシス】と同じ
 “五感”をテーマにした公園の一つで、
 こちらは“触覚”を楽しむ【はだしのオアシス】。
 オデコと両手を“頭冷石”と名付けられたこの石板に押し当てて
 冷たい感触を楽しむ装置のようです。
 

 でも頭を冷やして冷静になるまでもなく、
 今までの体験者の脂が
オデコの部分に染み付いた
 石の“触感”を試すのはちょっとゴメンナサイで・・・。
 


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tamori

 
 個人のお家(未完成)だけど
『タモリ倶楽部』でも紹介してたからOKでしょ?!
 
 大きなマンションに挟まれた谷間の
 小さな敷地に建設中の鉄筋の建物は、
 一級建築士・岡啓輔さんがセルフビルダーとして
 一人でコツコツ(時にはお友だちの手を借りて・・・)と造っている
 地下1階地上3階の自宅ビル。
 ※鉄筋や木材・セメントなどの資材のほとんどは、“ホームセンター”で購入しているのだとか(@_@)
 
 “三田のガウディ
(笑)などと呼ばれる
 デザインへの執着もさることながら、
 同じぐらいこだわっているのはそのコンクリート。
 普通の建築用では50~60%の水セメント比(水÷セメント)ですが、
 ここで使用しているコンクリートは
 水の量が少なくセメントの濃度が高い37%。
 流動性が無く施工しにくくなる分
 強度は格段に上がるとそうで、
 専門家には「200年以上保つ!」とのお墨付きも貰っているとか。
 ※「タモリ倶楽部」ではタモリさんはじめ出演者が、記念の“コンクリート流し込み”をしてました(^O^)/
  
 
 でも2005年の着工から8年が経った現在でも
 3階がやっと建ち上がったこんな状態。
 ※その遅さはまるで着工から既に132年が経ち12年後の完成を目指す「サグラダ・ファミリア」(ガウディ作)みたい・・・(^_^;)
 実はこの敷地は「田町品川地区」の“再開発地域”に掛かっていて、
 未完成のこの建物は現在立ち退きを迫られているという
 悲しい現実があるそうで・・・。
 


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MIMI

 
 最近は「耳が遠い」なんて言うと
 ちょっと不審に思われそうですが、
 こちらは聴力が低下しているわけではなく
 本当にが遠くに行ったような体験ができる装置。
 
 杉並区の“五感”がテーマの施設の一つ
【みみのオアシス】に置かれていて、
 パイプの下の内側を向いた部分に両耳をあてると
 上空の風で擦れる竹林の心地よい葉音や、
 運が良ければ小鳥のさえずりが聞こえるみたい。

 ※この装置の名前は“遠い耳”ではなくて“のぼるみみ”(^_^;) 
  
 でもいい大人がこの装置に
 頭を挟まれる姿は相当に不審で・・・。
 この時もひと気が無くなるのを
 じっくりと待ってからの素早い体感でした。
 

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kujira2

 
「目黒川」が東京湾に注ぐ場所にある「天王洲」。
 その南端の「東品川海上公園」で見つけた【クジラ型すべり台】です。
 それはまさに“鯨塚”(昨日のブログで紹介)
 埋葬された鯨と同じサイズ感!
 約200年前に東京湾に迷い込んだ【クジラ】が
 動けなくなった“浅瀬”は丁度この「天王洲」あたりだったみたい。
 
 このすべり台を眺めながら、
 巨大生物を初めて目にした江戸の人々の驚きに
 共感してみるのも一興かと・・・。
  


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kujira1

 
 1798年(寛政十年)の5月、
 東京湾に迷い込み浅瀬で動けなくなった
 体長16.5mの“鯨”が品川の漁師によって捕らえられました。
 を見る機会など無かった
江戸の庶民が見物に多く集まり
(今でも実物には、なかなかお目にかかれませんネ~)

 噂を耳にした11代将軍 徳川家斉までが
「浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)」で上覧したとか。
 
 その骨が埋葬されたのがここ『鯨塚』。
 
 
 かわいいクジラの遊具が目立ちますが『鯨塚』はその後、
 鉄柵の向こうにある三角に尖った石碑です。
  

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