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始めた頃はうれしかった練習も、

課題の動画を撮るうちに苦しくなった。

 

ダンスに対する憧れがひっくり返って、

そのまま強い劣等感になり、

覆い被さってくる。

動画を確認するたび、

お手本と全然違い過ぎる自分の動きに、

布団をかぶって泣きたくなった。

 

 

 

 

 

日が経つにつれ、泣いているわけにもいかなくなった。

演者の仲間たちとともに、日々練習を積み重ねた。

だんだんと、出来るようになるのが

目に見えてわかって、とてもうれしかった。 

そしてだんだんと、心から笑って踊れるようになった。

 

私は私のために、笑顔で踊った。

笑顔になると楽しくなった。

その動画を見て、うれしくなった。

できない私もいつだってそこにいたけど、

少しずつ見える成長が愛おしかった。

 

 

 

 

 

11月の本番撮影初日。

演者が全員集まるのは初めてだった。

 

「舞」の後半部分の撮影。

全員がスタジオに入ると、

想像していたよりも空間が狭くて、

「舞」で使う羽を思い切り広げると、

隣の人の羽とぶつかってしまいそうだった。

ぶつからないように、という意識が強く出たけれど、

重ねてきた練習の通り、必死で動いた。

 

 

 

 

 

撮影の最後に一度だけ、

「舞」を前半後半通しで踊らせてもらえることになった。

通しで踊れることがうれしくて仕方なかった。

みんな同じ思いだったのだろう、

喜びがスタジオに溢れた。

大好きな「舞」の音楽と振付に

胸がいっぱいになった。

名残惜しさに切なくなった。

 

これが最後だ。楽しもう。

練習で何度も何度も繰り返した振付は、

身体が覚えている。

それをもう一度踊れる喜びと、感謝が溢れた。

くるくると照らすライトの下で、

誰も何も話さなくても、

空間にそれが満ちている。

ひとつになって私たちは女神になり、

舞った。

 

 

 

 

 

2024年1月10日

公開された動画を見た時に、

その光景がよみがえってきた。

 

動画は細かくカット割りされていて、

映っていない部分がたくさんあった。

切り取られた画角の外側で、

踊っている人がたくさんいる。

 

でもそれは、その人たちの想いは、

画面に映っていなくても

映像の中にちゃんと含まれている。

見ている人に、それが届く。

それは映像の中の奥行きとなって、

私の心を震わせた。

 

目に見えないものがそこにある。

なんてすごいんだろうと思った。

どきどきと胸が高鳴って、

心の奥底に刺さっていた棘の様な何かが

ぐらぐらと揺れた。

 

ああ、ここにあった。

私の大好きなもの。

 

私の中の大切な想いは、

いつだってその場所で

見つけられるのを待っていた。

 

 

 

 

 

2024年1月12日

病室で父と二人になった時に、

意識があるのか、見えているのか、

私がここに居ることがわかっているのか、

いないのか、わからない。

だけど、そんなことは今、

関係ないように思えた。

見えなくても、届くものがある。

そのことを、私は知っているから。

 

私が今、父にしてあげられることは何だろう。

 

私の身体が自然に動いて、

練習を積み重ねた「舞」を舞った。

 

本番最後の舞の感覚。

あの感覚につながっていた。

名残惜しさ。感謝。喜び。切なさ。愛おしさ。

言葉にならないたくさんの想いが

病室を満たした。

 

 

 

 

 

そのあとに起きたのは、

奇跡みたいなことだった。

それを伝えたくて、私は小枝監督に

こんなメッセージを送った。

 

 

 

『監督、長いけど良かったら読んで。

 

 

年末年始に肺炎で容態が危なかった

お父さんが一度持ち直したんだけど

1/11にすい炎 を併発して血圧がすごく下がり、

肺炎で血中酸素も下がり大変危険な状態、

遠方の家 族を呼んでくださいになったのね。

 

点滴で入れている薬で血圧を保っている状態で

心筋梗塞もあって

これ以上強い治療が出来ない、

とても悪い状態、

回復の可能性ゼロとは言わないけど

あとは本人の免疫力次第としか言いようがない、

でもとにかくとても厳しいと。

 

あまりに悪いからなんの制限もなく

会えてたのね。

 

翌日 1/12 にね、病室に付き添いが

私だけの時間があって、

私がしてあげられることなんだろうって思って、、

ベッドの横で舞をこっそり踊ったの。

あの時の気持ちになって、

感謝とか、大丈夫だよとかいう気持ちが

見えてなくてもお父さんを包めればいいなと思って。

 

そうしたら、その後ね、

それまでは薄目だったのが

割とはっきり目を開けたから

 

『分かるー?えみだよー?

 頑張ってくれててありがとうねー?』

って言ったら

目を合わせてはっきり分かってる感じで、

『ありがとうー』って。

 

『会えて嬉しいよー』

って私言ったら

『うれしいー』って。

 

でその後

『あいしてますー』

とかも言ってくれたの!

(今まで全くそんなこと言う人

ではなかったのによ?)

(更に『かわいい』とか

『こころがびじんー』とかも言ってくれたの)

 

全部ゆっくりはっきり、

幸せそうに言ってくれて。

 

そんなに言ってくれてありがとう!

嬉しいよ、私達もお父さん愛してるよー。

っていっぱい私からも目を合わせて

伝えられた。

 

ああ、魔法みたいなこと起きた・・。

良い時間だったなあ…と思ってたら

その後数値が少しずつ良くなってきて。

酸素も供給量どんどん減らしても

大丈夫になって、

血圧上げる薬も減らして

血圧保て るようになって

今日両方ゼロに出来て、

今回の生命の危機的な状況は脱しました

って言われたの!

 

何が起きたんだろう、

不思議なような自然なような…

目に見えない何かが伝わったり循環したり

ってやっぱりあるのかなって。

 

監督にこの話伝えたかったの!』

 

 

 

 

 

 

奇跡みたいな時を過ごして、

父はまだ生きている。

大きな川みたいに、

私をずっと大切に、

守って生きてきてくれた人。

 

私はそれに応えたかった。

応えようとして、自分の気持ちが

見えなくなった時もあった。

でも、見えなくたってそこにあるもの。

見ようとすれば、見えるもの。

それはいつも息子が教えてくれた。

 

あのね、私にも、あったよ。

意味なんかなくたって。

今、上手に踊れなくても。 

私の身体で踊れることが、

うれしくて、楽しいんだよ。

 

 

小枝舞踊研究所が開設されると聞いて、

私は二つ返事で申し込んだ。

そんな場所ができるのに、

私が参加しないでいることなんて

考えられなかった。

狂疑乱舞の申し込みの時に泣いていた私は、

もういないみたいだ。

 

 

 

 

 

世界は奇跡に満ちていて、

いつだって扉は開いている。

 

目に見えないけど。そこにあるんだ。

 

 

 

 

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『私が狂疑乱舞と繋がるまで』

 

 

 

文:高井ゆりえ


 


 

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