昔から

ほんとのほんとうの
ところの話は

あまり人に
通じなかった。


好きなものを
好きだというと

不思議そうな
顔をされた。


説明しても
通じなかった。⁡


ほんとうのところは
あまり人に
話さなくなって

人が求めている
ことを話した。


人が何を
求めているのか。

その場の
正解はなんなのか。

なんとなく
わかっていた。



正解を
追い続けて。


それでも焦がれる。

好きのかけらを
拾い集めることは
やめられずに

太陽にかざしては
ひとり

美しいその光を
眺めていた。



それでも
いつのまにか

日々の暮らしは
正解不正解に覆われて


集めたかけらは
石のように
ばらばらと散らばった。





正解不正解の世界は
まるで

ゲームみたいな
ポイント制だった。


正解をぐらぐらと
積み上げる。

不正解を出すと
ばらばらと崩れて
また積み直し。


賽の河原みたいだ。


できるだけ不正解を
出さないことが
優先事項になった。





放られて散らばった
かけら達は

足元に転がって
埃をかぶっている。


なんとはなしに
磨いてみると、

少しだけ
つるつるになった。


光を反射するそれは
とても美しかった。


その光は暖かく
満ちるようだった。


心惹かれて
ひとりで磨いて
磨いては眺めた。


誰かに伝えるのは
怖かった。
伝えられなかった。


この大切なものに
バツをつけられたら

生きていけないと
思ったから。



だからふたたび
埃まみれにして

捨て置き隠した。


バツがつくのを
もう見たくなかった。

はじめから
バツのふりをした。





その大切なものは
いつも外から
やってきた。


美しい光。


それをこの世界で
表してくれる。


表現は様々だ。
絵画、音楽、文章、踊り
どんな表現でもよかった。



私は、それを
表現してくれる人々に
感謝した。


それを表現するための
才能に恵まれた人は
素晴らしい。

存分に
発揮していただきたい。



それを表現するような
才能なんてない私は

それを味わい
心からの賞賛を贈る。


好きな言葉は
『餅は餅屋』だ。

人には向き
不向きがある。



大好きな
表現の中にある世界。


いつでも私は
味わう側で

それで良いのだと
思っていた。


灯台の守り人みたいに
じっとして

誰かがそれを
表現してくれるのを

いつも探しては
眺めていた。






小枝純子監督は

私の身近で
それを表現できる
稀な人だった。



彼女は無理矢理
私の手を引いた。


ぽんぽんぽんと
埃を払って

舞台の真ん中に
置いて

できるでしょと
言って笑う。


悪い顔だ。
できるわけない。

答えようとする脳に
身体が抗った。



どう考えても
不正解だ。


逆上がりも出来ない。
リズム感もない。

走るのも遅いし
立位体前屈は
大幅なマイナスだ。


私は餅屋じゃない。
餅は作れない。


正解の要素が
見つからない。


どうしてこの人は

私なんかを
『狂疑乱舞』の主役に
選ぶのだろう?


要素があるなら
その道だった。

その理由が
知りたかった。


埃まみれにして
捨て置いた

私の身体。
 

私はその悪路に
飛び込んだ。





案の定。

思うように
動かない身体は
ひどくみっともない
ものだった。


練習して動画を撮る。
その動画を見るのが
とてもしんどい。

何度撮っても
どんどん悪くなる。
終わりが見えない。

エンドレスとは
まさにこのことだ。



4月中旬

ダンサーチーム以外の
演者全員、参加必須の
課題がおりてきた。


監督お手本動画の
『8の字振付』の完コピ。
腕と肘の動きの
基礎ということらしい。

完コピできた人から
抜けていく
容赦ないシステムだった。


腕を8の字に
動かすだけだよと
言われても、
何か違う。

動画を見ても、
どうなっているのか
全然わからない。

見様見真似で動いても
似つかない。

これ、私なんかに
できるわけないのでは。


気が付けば
朝から晩まで
8の字を描いていて、

それでも出来ずに
身体は痛む。


家族には
「何やってるの??」
「もうやめなよ」と
呆れられる。

何をやっているのか
私にもわからない、、


わからないけど
動かさずには
いられなかった。

歩きながら
ご飯を作りながら
気付けばずっと
腕を動かしている。


力を抜くんだよーと
言われると力が入る。


みんなは至極簡単に

合格していくように
見える。


途方に暮れる。
動かない身体。

どうすればいいのか
わからなかった。

 




全体の半数以上が合格して、
ゴールデンウイークも潰れ、
自尊心的にも
しんどさは限界だった。


月の半分以上
右と左の腕のことしか
考えられなかった。


なんで思うように
動かないんだろう。
動いてくれないんだろう。


動かないのは当然だ。
今まで何も
やってこなかった。

何も積み上がって
いないのだ。


バツをつけたり
外したり。
脳みその中は忙しい。



いつものように
8の字の練習を
延々とやっていた
ある日。


ふと、
腕がそこにあることに
気が付いた。


肩から肘、手首、
指先に至るまで。

ああそこに、ずっと
腕があったのかと。

腕は、ずっとそこに
いてくれたのだった。


思うように
動いてくれない腕は

思うように
動こうと懸命だった。

意地悪をしている
わけではなくて

ただ懸命に
そこにいた。


うまく出来なくて
ごめんね🙏と
謝りすらした。


私がそれに
気が付いた。

ただ
それだけのことが

ものすごく
嬉しい様だった。


優しく健気な
私の腕は

よく見てみれば
とても美しい形を
していた。


そうでしょうと、
腕は誇らしげで。

美しく動かすと
喜んだ。


動きたい。動かしたい。
こう伸ばすと
気持ちがいいよ。


私は腕の声をきく。


8の字の課題は、
正解は結局
よくわからないまま

いつのまにか
合格していた。

 

 



首が、背骨が、
背中が、胸が、

身体のパーツを
見つけるたびに
それぞれが喜んだ。


腰から下は
なかなか繋がれない。
意識が抜ける。


監督に
そんなことを言うと、

「身体はひとつだよ❗️」
と言われる。


確かに。
足だってきっと
ずっとそこにいて、

本当は
つながっているのに

見つけてくれない私に
やきもきしながら

健気に待ってくれて
いることだろう。





監督は振り渡しの際
お手本に自らが踊る。

とても美しくて
私はそれが
好物だった。


監督のお手本の中に
私の好きなかけらが
すでに含まれていた。


分解したパーツでこれだ。

この人の頭の中は
どうなっているんだろう。

パーツが全て合わさって
作品になったら
どうなるんだろう。


わくわくした。

できるだけ
そのままの姿の
それを観たかった。


完璧なパーツに
なりたかった。



振りに身体を
添わせると
勝手に心が動いた。

狂疑乱舞の主役の女性
『赤いひと』が
振りの中にいた。


その人が
私の中に住み着いて
私を動かした。

抵抗はしなかった。
パーツになるなら
きっとその方がいい。


私じゃない
誰かになるのは
むしろ楽しかった。





季節が変わった
夏頃に

ニワトリが先か
卵が先か。

みたいな事象が
起きた。


答えには
なぜか確信があった。


それは
ダンスが上手だから
表現できる
わけじゃない。

ダンスが上手なら、
より上手に表現できる。
それはそうに
違いないのだけど。


それは、
それを表現しようと、

表現したいと恋う
想いの先にある。

先にないと現れない。



私はダンスなんか
出来ない。

出来ないけど。



私だってそれを
表現したいんだ。


私の中の
想いを知った。


監督はそれを
知っていたのだ。


たぶんいちばん
はじめから。


 




それは
とても繊細で

些細なことで
壊れてしまう。


他の人には
見えないのかも
しれない。


そのことに
気がついたら
恐ろしくなった。



狂疑乱舞の
演者の中で

それを
表現したい人は

どれくらい
いるんだろう。



私はそれについて
演者チーム全員に
話してみることにした。


ほんとのほんとうの
ところの話。
の手前くらいの話。


伝わったり
伝わらなかったりした。


寂しくなったり。
嬉しくなったり。

やっぱり
孤独になったりした。


それでも
監督と助監督が
そこにいてくれた。


ほんの少しでも
届く誰かがいるのなら

黙っているより
伝えてみるのも
良いのかもしれない。

そう感じた。





だから
9月の本番では
驚いた。


撮影スタッフ含め

むしろそれを
みていない人が
いなかったから。


誰も言葉を
発しないのに
それをみている。

それを追っている。
それが作られてゆく。


それを作るための
有機的な仕組の中に
その場の
全ての人がいて

人の形を越えて
溶け合い
機能する様は

なんとも美しく


静寂の中
静かに衝撃を受けた。


空気の一粒まで
そこにあっていい。


私の孤独は
その場で溶けて

狂疑乱舞の赤いひと

その形を作った。

 




「なあ」

負荷のあるポーズで
静止を強いられている

私の手汗の量が
尋常ではないことを
笑いながら

監督は問うた。


「また主役
やりたいと思う?」


それ今ですか?
知らんがな。
とは言わなかったけれど。


後に、なんであの時に
あんなことを聞いたのか
聞いてみると

「純粋な興味。」
だったらしい。


ゼロというより
マイナスから
身体づくりを始めて

映像作品の
基礎も何も知らずに
真ん中に立って

1年近い間ずっと
大変な思いをし続けた人は

果たして
次も主役をやりたいと
思うのか。ということを
知りたくなった。

そう言われた。


後悔してないと
いいなぁ

なんだか監督の
そんな声が
聞こえた気がした。


ほんとのほんとの
ほんとうのところの話。


また主役を
やってもいいの?


そう思った。
うれしかった。


それが
私の身体を通して
形作られていくのは

他では味わえない
体感だった。


私の中にある
たくさんのかけらが
ひとつひとつ
意味をなした。


なんと
愛おしい世界。


苦労を苦労と
感じたことは
あまりなかった。



またやりたいなんて。
もの好きよね。

そう言うと


もの好きだわ。
あなたも私も。

前回に引き続いて
今回の作品に参加した
門番役のエリーが

一緒に笑う。



「またやりたいよ。」
監督にそう伝えると


「そうかぁー。」と
ふくふくとして
うれしそうだった。



正解や不正解は
そこにはなかった。







何も考えず
大切なものを
大切にできるのは
なんとも心地よかった。


誰かに
否定されたとしても
別にかまわなかった。


大切なものは
人によって
違っていい。


自分の大切なものを
大切にしていいんだ。

そう思えるように
なった。



見通しは
良くなくなった。

一手先すら
よくわからない。


でもきっと
それで良い。

あのひとも
そうだったから。

 

 

 


それを選んだ

強くて美しい
あの赤いひとは


私の中の
かけらとなって


ずっと一緒に
生きていく。

 

 

 

文:高井ゆりえ