小さな頃からずっと

子供番組の
うたのおねえさんに
なりたかった。


アイドルでもなく
芸能人でもない。

『うたのおねえさん』

わたしの暗い心の中を
明るく照らしてくれたひと。






7つ年上の主人とは
この人と結婚するんだなと
出会ったときに
何故かすぐにわかった。


今年で結婚10年目。


結婚当初。

彼はきっと
妻に家に居てほしい
だろうと思って
私は仕事を辞めた。

彼の仕事は
朝が早く帰りが遅い。

先にひとりで
食事をとるのは
気が引けて。
家で帰りを待っていた。


すぐに子供が出来て、
お母さんになった。

私はいつでも、
いい母親でもあり続けた。


ごはんはちゃんと
作らないといけない。

子供には母親が
付いていてあげないと
いけない。

家をきれいに
保たなければならない。

家にいなければならない。

食事は家族と一緒に
とらなければならない。


家族を置いてひとりで
外出するのは年に一度。

大切な友人が集まる
年末の飲み会だけは
許しを請うて参加した。


誰に言われたわけでもない。
世の中はそういうものだ。

そう思っていた。

 

 

 



それでも10年。
気付けば
あっという間だった。


1番下の子も、今年
幼稚園に入園して
ほっとしたけど
まだまだ目は離せない。


忙しなく
過ぎていく日々。


何か証みたいなものが
ほしいような気もする。


世の中には
スイートテンというものが
あるらしい。


指輪が欲しいなぁ。と、
なんとなく口に出してみる。


主人はきっと
聞き耳を立てている。


 

 

 


なにかと危なっかしい
子供の様な私のことを
歳上の主人は
いつも心配している。

知り合いから
ミスコンに出てみないかと
誘いを受けたときも

お金を取られて
騙されるだけじゃないのかと
反対された。


でもなんだか
そう言われてほっとする
私もいた。

きっと主人は
反対するだろう。
そんな前提で
話をする私がそこにいた。



 



小さい頃は
目立ちたがりで
なんでも一人でやりたがる
やんちゃな子供だった。


誰とでも
すぐに仲良くなって、
どこへでも勝手に行った。

三輪車で遠くに行って
一人で買い物をしてきたり

屋根に上って
飛び降りようとしてみたり。


家族や友達からは
変わってるねと
言われることが多かったけど

どこが変わってるのか
自分ではよくわからない。

自由な子供だった。



「ごめんね。」
お母さんの声がする。


専業主婦で、
家事が完璧だった。

いつもおうちにいて、
お父さんの帰りを待って、

私たち兄弟の面倒を
見てくれていた。


ああ、今までの私は、
お母さんと同じように。

お母さんみたいに
なりたかっただけ
なのかもしれない。

そっくりだ。



「ごめんね。あなたを
そんな風に生んでしまった。」
悲しくふるえる声。


私が、大好きなお母さんを
悲しませている。






入院している
病院のベットに
ぐるぐると
腕と身体を固定された。

手指が顔の皮膚を
掻き破らないように。


幼い頃の記憶。


赤ちゃんの頃から、
私には
重度のアトピーがあって
ヘルペスも併発しやすく

症状はなぜか
首から上に
集中するのだった。


食物アレルギーも酷くて
小さい頃は
お米も食べられなかった。

お蕎麦屋さんの
店脇の換気扇から
出てくる湯気を浴びただけで

私の顔は真っ赤に腫れて
ぱんぱんになった。


3人兄弟の姉と弟には
同じような症状は出ない。

私に食べられないものは、
隠れてそっと食べてくれる。
ふたりとも
私に気を遣ってくれていた。


どうして私ばかり
こんな目に合うのだろう。


ひどい怒りと


私が居るせいで
家族がこんなに
大変な思いをする。

居るだけで
こんなに迷惑をかける。

私が居なければ。

私がいなければ、
この家族の生活は、
どんなに穏やかで
しあわせになるだろう。


罪悪感。


追い打ちをかけるように。
衣服で隠せない
赤黒く腫れた顔は
人の目に留まる。

すれ違いざまに
あからさまに
振り向く人がいる。



「ごめんなさい。」
私の声がする。


「こんな醜い見た目で
ごめんなさい。」



一緒に歩くのも
恥ずかしい。

人前に出るなんて
もってのほかだ。


うたのおねえさんに
なりたいなんて
口に出せるわけがない。

誰にも言えなかった。



小学校で書いた
将来の夢の作文には

『幼稚園の先生か、
花嫁さんになりたい』
そう書いた。





本当はずっと
うたのおねえさんに
なりたかった。

お母さんを悲しませた。
お姉ちゃんや弟に
しんどい思いをさせる。

ここにいることが
幼いながらも苦しかった。


うたのおねえさんを
見ている時は

そんなことを忘れて
夢中になった。


くるくる変わる表情に
いつも楽しそうな姿。

見ていると、
なんだか私も楽しくなった。


雲の隙間から
差し込んでくるみたいに

私の心に届く光があった。


井戸の底で
光を待つ住人みたいに

それは私の
ささやかでかけがえのない
救いだった。





 


友人の誘いで入った
オンラインサロンで

ある日、
演者募集の告知が
行われた。


演者を募集する予定です。
という、
題名だけが書かれた
何をやるのかも
よくわからない告知に


強烈に胸が震えた。


やりたいと思った。


今までだったら、
出来ない理由を数えて

冗談交じりに
夫に相談して

予想通り
ダメだと止められて

すこしだけ残念に
思いながら
やらないことを
選択してきた。



できない理由は
いくらでも出てくる。


主人はきっと反対する。

子供がまだ小さくて
練習の時間が取れない。

お金だってかかる。

そもそもいつも人に
迷惑ばかりかけている。

ストレスがかかると
アトピーの症状が出る。

顔と首。
重なり続けた炎症で
醜くなった肌。

見た目に対する
コンプレックスがあった。



それでも不思議と
あきらめようとは
思わなかった。

思えなかった。


ダンスの作品に
演者として出演すること。

実は撮影は
大阪で行われる。

撮影の日、北九州から
日帰りするのは難しいこと。

詳細はふわっと伏せて


なんだか作品っぽいものに
参加すると決めたことを
夫に事後報告した。

驚いたことに、
ああ、そう。と
言われただけで

特に反対はされなかった。


子供のことは
練習は一緒にすれば
なんとかなった。


お金もなんとかなった。


ただ、
練習動画の提出だけは
いつまで経っても
慣れなかった。

自分を見たくなくて

普段から
鏡もろくに見れないのだ。

自分が映っている動画を
見るのは苦痛だった。

まわりのみんなのように
素敵に踊れない。

みっともない自分しか
そこには映っていなかった。

 



小枝純子監督の
作品からは

モノクロで深く
光がとどかない。
深い闇。

陰陽で言えば陰。
そんな印象を受ける。


狂疑乱舞の作品は
『狂』『疑』『乱』『舞』
4つのパートに分かれた
構成になっていた。

狂い、疑い、
乱れた先で舞う。

赤い服を着た
女性の物語。

私は女性の中にある
感情の役で、
『乱』と『舞』の
パートの振付を
もらうことになっていた。


『乱』以外の曲は
監督が選んだものを
演者に公開されていた。

『乱』だけは
オンラインサロンの
石山さんが
作曲をするという話で

でもそれは
難航しているようだった。


その人の苦しみの中から
生まれてきた。


期限を少し超えて
ようやく完成した
『乱』の曲は


深い底から
響いてくるような
恐ろしい音がする。

聴いた途端に
涙が止まらなくなった。


私が踊る『乱』の曲だ。
練習の時に嫌でも耳に入る。

怖い。音が怖い。

夢にまで出てくる。

音が怖くて
身体をどう動かせばいいのか
わからなくなった。


課題も進まない。
動画を上げることが
少しも出来なくなった私に


少し話そうかと、
監督が話しかけてくれた。

 

 

 

 


音が怖くて踊れない。
監督にそう訴えた。


監督はなぜか
うれしそうに笑った。

「それでいい。大丈夫‼😆」

そう言って、
狂疑乱舞という作品の
イメージを伝えてくれた。

この恐ろしさは
私個人の感情じゃなくて
作品の中のイメージ
なのかもしれない。


乱の世界観。
赤い服を着た女性の感情。
私はそれを、表現する。


なんだか少しほっとして
それからは乱の曲が
それほど怖くなくなった。


「乱まできたら、
あとは、舞うだけやなー✨」


けろりと笑う監督に
舞の曲も実は怖いですとは
言えなかった。。





 


私は本当は、
陰陽で言うなら陽。

明るく人を照らすような
そんな表現が好きなのだ。



深い底にいるその人の声は
もう聞きたくなかったから。


だってほら

こんなにも醜くて
身体も動かない。

人前に立つなんて
とんでもない。

私ひとり居なくても
何の影響もない。



相変わらず、
自分の動画は
見たくなかった。

見れなかった。


とりあえず、
何も出さないわけには
いかない。

とりあえず動画を撮って
提出する。


監督にはすぐにバレた。


出さないといけないからと
無理矢理に撮って
とりあえず出す動画は
いらない。


そう言われた。



私にはそもそも
無理なのかもしれない。


あんなにやりたくて
やろうと思って始めたのに。





 


そんな時に衣装が届いた。

上下とも真っ白な衣装。

美しかった。


幼い頃からアトピーで
皮膚が爛れて
出血しやすかった私は

真っ白な服なんて
着ることができなかった。
汚れが付いてしまうから。


着たくても
着ることが出来なかった。

憧れていた。

白くて美しい服。

私の衣装。

着てみたら、
なんと美しい事。


身体の奥底から
ものすごい喜びが
湧き上がってやまない。


見てほしい。

真っ白で
きれいな衣装を
着ている私を。

 


悦びの中でただ踊った。


頭の中には
何の声もしなかった。


その時に
録画して提出した動画は

今までの練習の動画とは
まるで違っていて、

なつきが
小さな子供みたいだった。

ただ悦びの中で
踊る姿が
とても素晴らしくて。

あの時とても
びっくりしたんだよ。と

あとから助監督が
教えてくれた。





家族に迷惑ばかりかける。

私なんかが
ここにいるためには

何か人のために役立つことを
しなければならない。

それをし続けなければならない。


醜い私が人前に出ることは
誰も望まない。

私なんかが
目立ってはいけない。



頭の中のたくさんの声が

かき消されると



そこには
悦びだけがあった。



私は私のままでいい。

狂疑乱舞の
表現の世界の中では。


誰に何を言われてもいい。

狂疑乱舞の世界を
表現できるなら。


自分が信じたいものを
信じていいんだ。


そう思えることが増えた。


監督が。
助監督が。

私を信じてくれたから
なのかもしれない。





9月大阪のリハを前にして

全てをうやむやにして
ここまできてしまった私に
難関が待っていた。


練習は子連れでもできた。

でも、さすがに大阪まで
子供を連れては行けない。


子供を預かって
もらうためには、

親と姉と主人の了承が
どうしても必要だった。


結婚して10年。

飲み会だって
年に1度しか行かなかった。

結婚して10年。
そうか。


もう指輪なんか
いらなかった。

欲しくなかった。

大阪の撮影に
参加できるなら。


許可も必要なかった。

私の中で
行くことは
もう決まっていたから。


「スイートテンだから。

スイートテンだけど、
指輪はいらない。

私はそのお金で
大阪に行ってくるね。」


主人は思っていたより
あっさりと認めてくれた。

それ、3日間で大丈夫なの?と
拍子抜けするくらいの
あっさり具合だった。


親と姉は
少し戸惑っていた。

「なんであなたは
今更そんなことしてるの?
そんな歳になって。」

ここには援護が入った。

私とずっと一緒に
練習を続けてきてくれた
子供たちが

作品をとても楽しみに
してくれていたのだ。


ママ、がんばって!!と
快く送り出そうとしてくれる
子供たちの姿に

親と姉が折れた。

 

 



手の震えは
本番の時に止まった。


突然、
アップの撮影を
行うことになった。


カメラとの距離が近い。
びっくりするほどの
アップだ。


脳が別のパズルを
組み立て始める。


爪の角度。目の動き。
両手の位置。


モニターに映る自分を
演出するように動く身体。


不思議な感覚だった。

 

 

 



本番の撮影が終わって

日常が帰ってきた。


少しだけ。
私は変わった。


鏡を見れるようになった。
目を逸らさないで。

私を見る練習。


よくあるやつ。

鏡を見て、
自分にかわいいねって
言うみたいなやつ。

あれはまだできない。
できる気がしない。


それでも何か
言いたくなって


「大丈夫だよ。」


鏡を見ながら
私は私にこう伝える。


大丈夫だよ。

私は、
ここにいてもいい。

 

 



次にまた
作品が作られるなら

迷いなく
出たいと思う。



その表現が

いつか誰かの暗闇を
照らす光になるのなら。


私はずっと
それをやりたかった。


うたのおねえさんに
ならなくても。




それはここでできる。




できない理由は
もう探さないから。

 

 

 

文:高井ゆりえ