2024年1月11日

狂疑乱舞の動画公開日の翌日に、

入院していた父の容態が急変した。

 

状態はとても厳しくて、

家族や親戚たちが病院に集まってくる中、

ふと、病室の中に私と父の二人だけ。

そんな時間があった。

 

意識があるのか、見えているのか、

私がここに居ることがわかっているのか、

いないのか、わからない。

私が今、父にしてあげられることは何だろう。

 

 

 

 

 

私の帰りが遅いといつも、

門の前まで出て私の帰りを待っている。

家族を大切にする心配性の父だった。

 

先日公開された、狂疑乱舞の動画が脳裏に浮かぶ。

画面に切り取られた世界の、

外側にある見えない世界。

私はそれを、知っている。

私は父に、それを届けたかった。

 

 

 

 

 

私の父は開業医で、自宅は病院の上にあった。

1階と2階が病院で、3階が自宅だ。

 

父は仕事ばかりしていて

あまり自宅には居なかったけど、

同居の祖母に、お手伝いさん、

病院の事務をやってくれている伯父、

診療を手伝いに来てくれている叔父。

いろんな人が出入りしていて、

家の中はいつも賑やかだった。

2学年離れた姉と私は

みんなに可愛がられて育った。

 

5歳の時に母を病気で亡くした時も、

すごく寂しいとか、悲しいとか、

そう感じた記憶があまりない。

 

ああ、私は大きくなっていてよかった。

私はもう赤ちゃんじゃない。

ごはんも一人で食べられるし、

トイレだってひとりで行ける。

これくらい大きくなっていてよかった。

そう思っていた。

 

自分の子育てを振り返ると、

5歳なんてまだ小さい子供だ。

あの頃の私がそう感じていたことを、

今となっては不思議に思う。

 

 

 

 

 

父が再婚を決めたのは、

私たち姉妹のこともあったのだと思う。

新しいお母さんは、綺麗で、教育熱心で、

一生懸命私たちに向き合ってくれた。

 

家にはたくさんの人が出入りしていて、

寂しいと思うことはあまりなかったけれど、

「おかあさん」という存在が出来たことに、

なんだかほっとしたのを覚えている。 

 

 

小学校2年生の頃、

運動があまり得意ではなかった私を、

母はバレエ教室に連れて行ってくれた。

友達が通っていたバレエ教室だった。

練習で着るレオタードがピンクで可愛い。

私はすぐにバレエが好きになった。

 

「手を、花のように表現するんだよ。」

その表現の繊細さに夢中になった。

発表会では色んな役を演じた。

メイドさんや、お姫様みたいなドレス、

ドナルドの恰好、

いろんな衣装を着た小さな私が

真剣に演じながらそこに居る。

発表会毎に撮った写真が一枚ずつ、

綺麗にアルバムに収まっている。

 

今ならわかる。

一つ一つの発表会に向けて、

準備が大変なのは本人だけではないこと。

母がたくさん準備をしてくれていた。

アルバムの中の私は

美しい衣装に胸を躍らせながら

バレエの演目に集中している。

とても幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

でも、

そんな幸せな時間は長くは続かなかった。

姉の受験モードに合わせて、

私も中学受験に向けた塾通いが始まったのだ。

バレエも、以前から習っていたエレクトーンも、

やめることになった。

私の意見は聞いてもらえなかった。

 

バレエは続けたかった。楽しかった。

やめてしまったら、

もうできなくなってしまうような気がした。

花のような形を作る手のひらと指先が、

身体から抜け落ちてしまうような気がしたから。

とても悲しかった。

でも、何も言えなかった。

 

今思えば、後妻に入った母は、

目に見える成果の様なものが

欲しかったのかもしれない。

中学受験の合格は、成果の一つで、

それは父の望みでもあったから。

何とか頑張って、言われたとおり、

大学まで進学した。

 

私の中にいた大切な想いは、

いつだって後回しにされていた。

そのことに気が付くのは、

もっとずっと後の話だ。

 

 

 

 

 

学生時代に知り合って結婚した夫は、

とても自由な人だった。

大阪出身でお笑いや芸能にも詳しい。

高校生になるまで「テレビ視聴は

1週間に30分まで」の制限がついていて、

当たり前にそれを守っていた私とは大違いだ。

 

そんな二人のもとに来てくれた息子は、

さらに輪をかけて自由だ。

やりたくないことは絶対にしない。

その頑なさにはじめは手を焼いた。

小学校に上がって、1年生が終わるころには

行き渋りが始まった。

 

学校に行かないという選択肢なんて

思い付きもしなかった。

 

行かないことが癖になってはいけない。

はじめは、玄関からなんとか外に

出られればどうにか学校へ行けていた。

私は無理やり息子の手を引いて、

玄関の外に引っ張り出し、送り出した。

 

そのうち息子は、通学路の途中で

うずくまるようになって、

学校へ行けなくなった。

力づくで学校に行かせようと、

どんなに強く手を引いても、

どうにもならなくて。 

私の身体が先に悲鳴を上げた。

腰や首に強い痛みが走るようになっていた。

 

 

 

 

 

駆け込んだ整体の先生が、

息子の話を聞いてくれた。

「お母さん、あなた、なんでそこまでしているの?」

優しく言われて、はっとした。

私は何でそこまでしてるんだろう。

どうしてそこまでして、無理やり手を引いて、

息子がやりたくないと言っていることを

やらせようとしているんだろう。

少しだけ、肩の力が抜けた気がした。

 

2年生の6月にトラブルがあって、

息子は小学校に行くのをきっぱりとやめた。

3歳の頃から習っている

バイオリンは続けていたから、

やりたくて、続けているものが一つでもあるなら

それでもいいのかなと、

迷いの中で自分に言い聞かせた。

 

親の言う通りに生きてきた私の元に、

この子が来てくれたこと。

はじめは理解できなくて、

どうしてなのかと思うこともあった。

自分を責めて、苦しいこともあった。 

それでもこの子は私に教えてくれているように思う。

私にもあった、もう一つの選択肢を。

 

 

 

 

ある日、入会していたオンラインサロンで

演者募集の告知があった。

 

私にそんなことできるわけない。

バカみたいだと思った。

だって何歳よ。

今更。

なんの役に立つ。

 

思考は動き続ける。

できるわけがないのに、やりたい自分を

どうすればいいのかわからなかった。

 

申し込みの期日が迫る。

目から涙がぼろぼろと溢れた。

こわかった。

ぎりぎりになって身体が動いて、

泣きながら申し込んだ。

 

そうして、私は狂疑乱舞の演者になった。

 

 

 

 

後半へ続く。


『私の舞が、病室の父に届いたんです』

 

文:高井ゆりえ

 

 

 

 

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