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マレットの囁き

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簡単に言えば、

 

政治献金は見返りを求めず、

 

見返りを求めればわいろとなる。

 

という事です。

 

現首相は国会答弁で、

 

企業は営利を追求するものなので、

 

献金が見返りを求めているのは当然(主旨)

 

と言っています。

 

つまり現行の「企業団体献金」は

 

見返りを求める「わいろ」という事です。

 

「わいろ」を公然と認めろと言っている。

 

いや、今まで認めさせてきた。

 

何で、今更やめろと言うの。

 

と言っているように聞こえますよね。

 

もともとこのような「わいろ」に該当する行為を

 

禁止することを目的として

 

「政党交付金」支給となりました。

 

ただ、時の政治権力により、

 

いきなり変えると支障が起きるから、

 

話し合って変えていこうという事になったのですが、

 

その話し合いが無いまま現在に至っているようです。

 

つまりは、問題となった「企業団体献金」は残ったままで、

 

「政党交付金」を支給されるようになった。

 

つまりは「二重取り成功」

 

ぜい肉をそぎ落としてあからさまに言うとこうなります。

 

そもそも政策実現に金がかかってはいけないとしたもの。

 

与党の公明党は企業団体献金は受けていませんが、

 

同党の得意とする福祉政策が実現されていることは、

 

多くの国民の知るところです。

 

何故、企業に対しての政策実現に金がかかるのか。

 

しかも、何に使ったのかさえ明確にしないというのであれば、

 

それはまさしく「わいろ」と分かっていて受け取っている

 

と言われても仕方ないでしょう。

 

その「わいろ」が、当選するための資金に使われていないと

 

当の代議士は証明できるのでしょうか。

 

できるはずもありません。

 

なぜなら、支持者も一緒に酒を酌み交わした人を選ぼうとする

 

そうした風習が定着してしまっているからです。

 

日本の政治を変えるためには、

 

この辺りから変える必要がある

 

とは、多くの有識者の指摘するところです。

 

つまりは、国民一人ひとりの意識を変えない限り、

 

政治家を職業とする「政治屋」はなくならない。

 

与野党問わず政治屋は耳当たりの良い質問、主張はしますが、

 

実現のための努力はほとんどしません。

 

就中、福祉目的税である消費税の減税や廃止を求めるのは、

 

代替財源を提示しなければ、

 

福祉を後退させよと言っていることになる

 

という事もわからない、愚かな姿を示しています。

 

本来ならば、増大する一方の福祉に対して、

 

その財源としての消費税は、

 

定期的にでも引き上げなければ足りません。

 

ヨーロッパの高福祉国家は、みな消費税は20%以上です。

 

しかも国民はみな喜んで消費をして消費税を払っています。

 

なぜなら、そのすべてが福祉として戻ってくるからです。

 

日本では消費税が本当に福祉にのみ使われているのか、

 

国民の信用が得られていないところに問題があります。

 

消費税の増税分が、間違いなく福祉に使われるのであれば、

 

多くの国民が消費税増税にも納得するでしょう。

 

その「信」が得られないのも

 

国政が「政治家」ではなく「政治屋」が行っているから。

 

これが今の政治の現実です。

 

意識ある国民が、「政治屋」ではなく「政治家」を選べる

 

そうした意識変革によってこそ時代も変革できる。

 

そのためには身近な人の意識変革こそ大事。

 

こうした意識を持った方々こそが、

 

時代を作る主体者と言えるのではないでしょうか。

 

仏法では、人は死ぬと

 

生きていた時に重ねた罪により、

 

必ず地獄に堕ちると説かれています。

 

宇宙学的に言えば、地獄に堕ちるとは、

 

例えば「焦熱地獄」は、

 

太陽に生じて熱となって地上の生物を潤す働きをするもの。

 

等になります。

 

罪が滅するにしたがって、

 

熱の働きから光等の働きに変化をし、

 

最終的には、その罪をすべて滅し終わるまで、

 

さまざまな宇宙の働きを担う、という事になります。

 

問題はその期間で、それは恐ろしく長遠な時になります。


今の宇宙の寿命は約400億年と仏法では説かれています。

 

現代宇宙科学で、宇宙の誕生から約138億年とすると、

 

仏法では約384億年が宇宙の寿命となります。

 

そのうち生命体が生存できる期間は

 

全体の4分の一に過ぎません。

 

そしてそのわずかな期間に犯した罪の贖罪には、

 

宇宙が4300万回以上も生まれ変わる時間が必要となります。

 

それ故、今世で罪を犯さない生き方が求められるわけですが、

 

そのような生き方が絶対にできない仕組みになっているのです。

 

例えば「殺生」ですが、

 

一度なら生き物を殺したことを懺悔すれば罪は消えますが、

 

二度以上はいくら懺悔しても、その罪は消えません。

 

自分が気付かないうちに生き物を殺してしまうこともあるので、

 

この罪は絶対に免れないとされています。

 

もちろん魚鳥等を食しても、「殺生」の罪となります。

 

より罪の重い「邪見」に至っては、

 

凡夫には「正見」が分からないのですから、

 

やはりすべての人が侵す罪と言えます。

 

今生きているすべての人は、

 

このような過去に犯した罪を、

 

すべて滅罪消滅させたからこそ、

 

人として生きているのです。

 

それは、とてつもなく素晴らしいことですが、

 

人びとはそのことに気付くことなく、

 

「殺生」や「邪見」の日々を送ってしまっています。

 

そして命を終えると、再び長遠な

 

地獄の日々を送ることになります。

 

そのようなことを防ぐために「仏」という存在があります。

 

仏の説く方を「不思議の法」と呼びますが、

 

これは一般人(凡夫)が思いもよらないこと、

 

これを「不思議」と言います。

 

では、いかにして地獄に堕ちないようにするのか。

 

基本的には『南無妙法蓮華経』と唱えることですが、

 

その際に自身の「仏」の姿が現れる必要があります。

 

そのために最も重要なのが「本尊」になります。

 

「本尊」とは自身の「仏の姿」を写し出すものです。

 

これを専門的な難しい言葉でいうと、

 

「具謄本種(ぐとうほんしゅ=つぶさに本種をあらわす)」

 

と言います。

 

このことは「信」がないと理解されがたいものなので、

 

日蓮仏法でも秘伝とされてしまって、

 

それこそ「知る人ぞ知る」の世界になってしまっています。

 

つまりは「知らなくて当然」という事ですね。

 

しかし、自身の「仏」の姿が映し出されない限り、

 

死んだ後の地獄は免れません。

 

正しく自身の「仏」の姿が映し出される本尊に対して、

 

真剣な祈りを込めて題目を唱えれば、

 

自身の「仏」の姿が映し出されて、

 

今までに犯した罪がすべて消滅します。

 

このような事は、正に「信」無くしては信じられないことです。

 

それほどの力があるので、そのことを知悉した仏は

 

正しい法を説き広めようとするのです。

 

これが仏が出現する本当の意味です。

 

時代によって「仏」が変わってしまうので、

 

余計に理解しがたい存在になっているのが仏法です。

 

釈迦仏法と天台仏法、そして日蓮仏法と、

 

その差は時代の違いによって歴然としていますが、

 

そこが見極められないところに

 

今の仏教界の限界があります。

 

分かりもしないのに謙虚に学ぼうとしない。

 

これが今の仏教界の現実です。

 

本来仏道を極め地獄の門を閉ざすべき僧たちが

 

本来の責務である人々を救う使命を

 

まっとうしようとしないのですから、

 

そのような僧の巣窟たる宗教に心を寄せれば、

 

今が良ければ良しとする刹那的な思いになるのも当然です。

 

生きている間が楽しければ死後はずっと苦しみに満ちても良い。

 

それも一つの考え方で、

 

宇宙全般とした場合には、

 

そのような働きをしていただける、

 

つまり辛く苦しいことを率先して引き受けてくれるのですから、

 

文句など、あろうはずがありません。

 

しかし、たかが数十年の楽と、

 

数百億年×4千万回以上の地獄の苦しみと

 

どちらを取るかは、お一人お一人の選択にかかっています。

 

せめてこの宇宙の間だけは、人として楽しんでいただきたい。

 

人として生きられるのは、せいぜいあと50億年弱。

 

人生百年としても、残りあと5千万回あるかないかの人生です。

 

人としては長い時間に思えますが、

 

宇宙から見ればほんの一瞬。

 

よく「光陰矢の如し」と言われますが、

 

本当に人生の過ぎゆく日々は早い。

 

一日一日人生の終末に近づいていることは間違いありません。

 

人生の総決算は「臨終」にあります。

 

その「臨終」をどう迎えるか。

 

より良き来世を迎えるためにも、

 

今一度、死後の世界を考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

東京の横田基地所属のオスプレイが

 

左側エンジンから出火後、海上に墜落しました。

 

横田基地配属の隊員はみな優秀なので、

 

機体の操作ミスはないでしょう。

 

最後まで機体を維持しようと努力していたことも

 

今までの情報からうかがえます。

 

機体のトラブルが原因であることは間違いないでしょう。

 

墜落前にエンジンから出火していた情報もあり、

 

エンジントラブルによる墜落と考えられます。

 

2017年8月に大分空港に緊急着陸した際も、

 

着陸後エンジンから出火し、

 

両方のエンジンを交換後、

 

12日後に、やっと飛び立つ事故を起こしています。

 

航空機のエンジントラブルは重大インシデントとして

 

原因と対策が取られるまでは同型機種は運航停止ですが、

 

オスプレイにはその措置は取られていません。

 

またこの件に関しては、緊急着陸した際には

 

各局とも盛んに報道しましたが、

 

その後は7日後もまだ駐機中と12に目に離陸したという

 

たったこれだけの報道しかされませんでした。

 

どうやら報道の自主規制が敷かれた模様です。

 

エンジントラブルの原因などにはまったく触れられもしません。

 

もちろん軍事機密に関することもあるので、

 

すべてを公開することはできないとしても、

 

すでに自衛隊で導入が決まっていたのですから、

 

多少の説明はあってしかるべきで、

 

政府と自衛隊には、それなりの説明があったと思われます。

 

政府が公表せず、逆にかん口令を敷いたという事は、

 

それだけ重大なトラブルだったという事でしょう。

 

その後も米海兵隊所属のオスプレイはトラブルが続きますが、

 

自衛隊配備のオスプレイとは機種が違うという事で、

 

「問題はない」とされてきました。

 

しかし今回墜落したオスプレイは自衛隊と同型機種です。

 

今回の事故から今までトラブルを起こしていたオスプレイと

 

同じエンジン系統の不具合が原因と考えられます。

 

それが構造上の問題なのかシステム上の問題なのかは

 

それこそ軍事機密にかかわることなので

 

今後も明らかにされることはないでしょう。

 

しかし抜本的な改善がなされていないことだけは明らかです。

 

こうなると自衛隊配備のオスプレイも心配になります。

 

毎日上空を横田基地のオスプレイが飛行していましたが、

 

いつかは堕ちてくるのではと思っていましたが、

 

早くも現実のものとなってしまいました。

 

東京郊外とはいえ住宅密集地にある横田基地。

 

墜落する際には多摩川を目指すことになりそうですが、

 

水深の浅い多摩川に墜落すれば部品が広範囲に飛散し、

 

周辺に被害が出ることは明らかです。

 

日本の首都東京でさえ、このような危険があります。

 

米軍基地が集中する沖縄の危険性がいかに大きいか。

 

普天間基地所属のオスプレイもトラブル続き。

 

県内に移設しても危険性がなくなるわけではありません。

 

米軍基地縮小・廃止は安全性からも必要です。

 

国土防衛が大事だと言って住民を危険にさらしても良いものかどうか。

 

米軍基地の地元住民の一人として考えさせられる問題です。