マレットの囁き -10ページ目

マレットの囁き

ご訪問ありがとうございます。

昭和初期、軍部によるプロパガンダにより

 

国民は軍国主義容認へと動かされました。

 

その結果、「鬼畜米英」などと叩き込まれて、

 

泥沼の戦争に追い込まれてしまいました。

 

今だからこそ、それが明確にされていますが、

 

その当時は、そんな事にはまったく気付く事もなく、

 

軍事一色へと塗りつぶされていきました。

 

令和の今、同じ状況下になっていますよと言って、

 

国民の何割が信じるでしょうか。

 

もしかするとそうかもしれない、と思う国民すら

 

年々減少していき、

 

今では、まさかそんなことはないと思う国民が、

 

大多数になっていないでしょうか。

 

これこそが、プロパガンダの効果なのです。

 

冷静に、よく考えてみれば明らかですが、

 

例えば、北朝鮮のミサイル発射の件。

 

そのほとんどは北朝鮮の領海内付近に落下していますが、

 

日本の報道では、日本の排他的経済水域の外側といって、

 

あたかも日本の排他的経済水域のぎりぎりのところに

 

着弾したかの印象を与える報道をしています。

 

北朝鮮の領海内であっても、

 

日本の排他的経済水域の外側であることに間違いありません。

 

しかし、もし北朝鮮の領海内付近に落下と報道した場合と、

 

日本の排他的経済水域の外側に落下と報道した場合とでは、

 

国民の受け取り方は全く違ってくることは明白でしょう。

 

北朝鮮の領海内にミサイルが着弾したのであれば、

 

北朝鮮が単に米韓に対抗してのミサイル発射と受け止めるかもしれませんが、

 

日本の領海ぎりぎりのところまでミサイルを発射してきているとなれば、

 

北朝鮮が、日本をミサイル攻撃するかもしれないという

 

いわれなき恐怖感を国民が覚えることは明らかです。

 

このような形で、国民には決して知られないように

 

国民感情を誘導するのが、プロパガンダの目的です。

 

では、なぜそのようなプロパガンダが、

 

何を目的に、いったい誰が行っているのか。

 

それを、ぜひ皆さんに、いま考えてほしいのです。

 

なぜなら、いまや国の存亡をかけた分岐点にきており、

 

皆さんが考え抜いた末に出した結論こそが、

 

国民の意思となり、国の存亡を決するのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北朝鮮が、弾頭部分に計測機器を搭載した

 

自称「ミサイル」を頻繁に発射しています。

 

多くは北朝鮮の領海内に着下していますが、

 

日本では「排他的経済水域外」と表現します。

 

稀に日本政府の要請により

 

日本列島を横断させる発射実験も行われますが、

 

北朝鮮では、米の軍事衛星からの情報をもとに

 

絶対に被害が出ない日時と飛行ルートを設定して

 

極めて慎重にミサイル(ロケット)発射実験を行っています。

 

これが、マスコミが必要以上に過敏な報道をしている

 

北朝鮮の「ミサイル発射」の真実です。

 

では、なぜマスコミがそこまで過敏な報道をするのでしょうか。

 

そこまで考えた時に浮かび上がるのは

 

昭和の初期から行われ続けた、

 

マスコミによるプロパガンダ報道です。

 

プロパガンダとは民衆に気付かれないことを目的とします。

 

それ故に、昭和初期からのプロパガンダ報道により

 

「鬼畜米英」が合言葉のように囁かれ、

 

遂に太平洋戦争に突入して亡国となりました。

 

今令和の時代に、ありもしない軍事的脅威を

 

あたかも明日にも実現するかのごとき報道を繰り返す。

 

防衛費という軍事費の増大は、必要悪かもしれません。

 

しかしそれと、日本が正規軍を持つということとは

 

全く意味が違うということだけは、明確に認識していただきたいのです。

 

今論議されている中で、「敵基地攻撃能力」があります。

 

その「敵基地」とは一体どこにあるのでしょうか。

 

日本国内にあるのであれば、「内国の問題」なので

 

そのための兵器の装備は全く問題にならないでしょう。

 

しかしその「敵基地」が外国にあったとしたら、

 

明らかに「専守防衛」の枠から逸脱します。

 

「専守防衛の逸脱」が憲法第9条に違反することは明らかです。

 

つまり、「敵基地攻撃能力」とは

 

「専守防衛」という憲法第9条の

 

ぎりぎりの範囲さえ超えてしまうということに他なりません。

 

今の長距離ミサイルの導入の議論は

 

「専守防衛」の根拠たる憲法第9条を無効化しようとするものなのです。

 

憲法第9条を事実上空文化したうえで

 

憲法第9条を改定して自衛隊を正規の国軍とし、

 

更には核武装もするというのが

 

自由民主党の結成目的でもあります。

 

先の参議院選挙の開票速報の際に、

 

憲法改正賛成派として、

 

自民、公明の与党と、維新、国民の野党が挙げられていましたが、

 

これこそがマスコミのプロパガンダを象徴するものです。

 

この4党の中で憲法第9条改正に反対しているのは

 

公明党だけですが、

 

報道では公明党も含めて憲法改正に賛成としました。

 

これはマスコミが、国民に対して憲法改正とは、

 

憲法第9条の改正を目的としたものではない、

 

と印象付けるため以外にないということなのです。

 

憲法は現状との乖離が生じている個所もあり、

 

改正は必要です。

 

しかし憲法とは、そもそも

 

国民の利益を権力者から守るという意義があります。

 

憲法第9条がある限り、

 

国家の命令によって自衛隊員が殺戮者になることはありません。

 

ここが最も大事な点です。

 

国を脅かす不法な犯罪者から国や国民を守ることを

 

自らの使命、責務として訓練に励む自衛隊員。

 

皆決して殺戮を望んで自衛隊員になったわけではありません。

 

しかし正規の国軍となれば、「自衛のための戦争」として

 

自ら望まぬ殺戮を行わなければならなくなる。

 

もしそんな事態になったとしたら、

 

それは一体だれの責任でしょうか。

 

我々は常にそのことを、

 

自分の責任として考えるべきではないでしょうか。

 

宇宙科学ではこれ以上分解できない物質を

 

素粒子と名付けます。

 

仏法では釈尊は、

 

この素粒子を当時の人々に分かる例えとして

 

「塵」としました。

 

五百塵点劫や三千塵点劫といった表記は

 

目に見える分かりやすい例えとして

 

「塵」と表現したものです。

 

釈尊はこの「塵」が素粒子であることは

 

解っていたと考えられます。

 

何故なら「久遠」の捉え方が

 

まさに原形の素粒子の集まりと捉えていたからです。

 

ここでいう「久遠」とは

 

いわゆる「久遠元初」以前を指します。

 

仏法では『久遠』とは

 

すべてが仏であり、すべての仏が一仏である

 

状態を示します。

 

このような状態は、宇宙科学から見ると、

 

七次元以上の空間で可能であり

 

それ自体がエネルギーを持った素粒子が、

 

物質的にも性質的にも完全に均一で

 

完全に安定した状態を保った宇宙空間と言えるのです。

 

現状の宇宙科学では、ここまで辿り着ける状況にはありません。

 

今後の宇宙科学の進展が望まれますが、

 

仏法を基底として考察すれば、

 

より早く宇宙科学の進展も望めるので、

 

宇宙科学を志す方は、仏法理論は必須とお考え願いたい。

 

反面、仏法者と自認する方々も、

 

仏法とはそもそも科学よりも科学的だという事を、

 

心に命じるべきと問うものである。

 

『久遠』を仏の集合体の一仏とするからこそ、

 

仏法では万物に仏性が有るとする。

 

これが「本来の仏」=「本仏」ということです。

 

ただしこれは、あくまでも『久遠』からの考察です。

 

我々の今いる宇宙は「久遠元初」の時とされます。

 

『久遠元初』の本仏は特定されます。

 

これが「文底下種仏法」とされるものです。

 

多くの方がご存じないですよね。

 

「文底」ってなに?

 

まずはこれから。

 

「文底」とは

 

法華経如来寿量品にある

 

「我本行菩薩道」の解釈にあります。

 

この前に釈尊は久遠の成道を説きます。

 

誰もが釈尊こそが元から仏だったのだと思った時に

 

我(釈尊)は本(もと)は菩薩道を修行していたと

 

解き明かしたのです。

 

これは釈尊が元から仏であったわけではなく、

 

仏(本仏)から教えを授かり修行をする菩薩だった

 

ということなのです。

 

では釈尊に教えを授けた仏とは?

 

ということになりますよね。

 

これが「文底」ということです。

 

次に「下種」ですが、

 

仏法では、下種益、熟益、脱益、をあげます。

 

釈尊は五百塵劫もの間

 

衆生を調機調養(じょうきじょうよう)し

 

機根を成熟(熟益)し得脱(脱益)させたと説きます。

 

釈尊の化導に漏れた衆生を

 

下種益の衆生とします。

 

下種益の衆生は釈尊では救えない衆生ということです。

 

この釈尊では救えない衆生を救うのが

 

「文底下種の仏」になります。

 

釈尊は大集経という経典で

 

自らの教えは二千歳までしか救う力が無いとしました。

 

釈尊の法が衆生を救う力が消滅する時を「末法」と呼びます。

 

五百塵点劫もの長遠な間

 

無量の衆生を説法教化してきた釈尊が

 

何故この地球では、わずか二千歳(2000年)しか

 

衆生を救う力が無いのか。

 

この点を疑問に思わない方が、

 

不自然ではないでしょうか。

 

現代仏教が単なる気休めの教えとなっている

 

本質的な問題点がここにあります。

 

「文底下種仏法」での教えとは何か。

 

「文底下種仏法」を広める人がありとすれば

 

それこそが『本仏』とすべきではないか。

 

『本仏』を明らかにすることは

 

「一念三千」を明らかにすることにも通じます。

 

結論から言えば

 

釈尊が説こうとして説けなかった法であり

 

本仏から授かった教え(法)とは

 

「南妙法蓮華経」ということになります。

 

つまり「南妙法蓮華経」は本仏にしか説けない法。

 

では「南妙法蓮華経」を初めて衆生に説いたのは。

 

という論理の帰結になります。

 

「南妙法蓮華経」とは宇宙の根本法則を顕したもの。

 

とは、受け入れがたく、納得できない。

 

大丈夫。それを「凡夫」と言い

 

ひとたび信受すれば「名字即」となり

 

正しい本尊に祈れば、それが仏因となり

 

「凡夫即極」つまり凡夫のままで仏と成る。

 

それが、日蓮仏法の教義です。

 

残念なことに、すべての日蓮宗各派は

 

この事に迷っていますが…。