ウクライナ戦争の最大の過ちは
戦争を回避する対話の欠如です。
戦争とは『非人道的な殺戮』に他なりません。
「武器の供与」とは『人殺しの道具の供与』です。
戦争は現場の兵士や将軍が始めるものではありません。
戦場とは無関係の政治家が始めるのです。
戦争を始めた政治家に煽られた国民が
戦争という殺戮を支持する結果となるのです。
これは何もロシアやウクライナに限ったことではありません。
どの地域でも起きうることなのです。
若い世代に、戦争もやむなしとの意見が多くなってきている現状には、
深刻な危機感を覚えます。
何故なら、いざ戦争になった時に戦場に行くのは、
戦争もやむを得ないとした若者たちだからです。
戦場に行って戦争の悲惨さを身を持って体験した時には
既に遅いのです。
『生命の尊厳』、『世界に一つしかない命』
それが通用しないのが戦争に他なりません。
ウクライナ戦争等でその現実を目の前に突き付けられても、
実際に現場に行ってみないとその惨状は分からない。
いくら国際条約で「人道主義」を掲げても、
実際の戦場ではそんなことに構っていられません。
何故なら、自分の命がかかっているからです。
それがいかに非人道的行為でも、
自分の命以上の事ではないのが戦場なのです。
「殺さなければ殺される」
これが戦場での原理原則です。
これが戦争を『悪』とする根拠です。
「最も大切な命を奪うことが必要とされる」
まさに戦争こそが「生命の尊厳」の対極にあるのです。
「命が何より大事」と考える人々は
最も大事な命を奪う戦争こそ
『人類最大の悪』と声を大にして訴えるべきでしょう。
戦争につながる『軍事同盟』も
自らの命を脅かす存在であることを
世界の人々が明確に認識すべき時に来ています。
日本でも、北朝鮮のミサイル発射実験を脅威というのであれば、
何故早急に日朝平和友好条約を締結しようとしないのか。
また、日本が日中平和条約違反を起こした尖閣諸島についても
平和友好条約締結国を仮想敵国とみなして脅威とするのは
全くおかしなことだと思う日本国民は
いったいどれほどいるのでしょうか。
まともな判断を、マスコミを使って狂わされているのは
何もロシアや中国だけではありません。
物事の本質を見極めることは、確かに難しいですが、
情報化社会となった現代では、
本質を見極める目を持つことが求められているのです。
何が当たり前なのかを基準として見れば、
意外と本質が見えてきたりします。
『当たり前』とは何かを
今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。