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マレットの囁き

ご訪問ありがとうございます。

政権与党内での意見の相違が鮮明に。

 

特に目立つのは、現実に即した意見として

 

野党の意見に近い提言をする公明党に対して、

 

より独善的な意見が目立つ自民党。

 

ウクライナ戦争下での対ロシアという現況を考えれば、

 

今後何がどう変化するのかといった予測を立てる際に、

 

各分野の専門家を集めても容易に結論が出ない中で、

 

予算の予備費だけで対応しようという自民党案では

 

余りにもリスクが極めて高すぎ、

 

万が一何か不測の事態が起きた場合の対応に

 

十分に備えているとはいえず、

 

公明党の補正予算を組むべきとの意見は

 

まことに傾聴する価値がある。

 

今までも、自民党の独断独走を抑えてきたのは

 

同じ与党としての公明党だったが、

 

公明党を盟友とする安倍前首相退任後は、

 

事あるごとに公明党に主張を阻まれてきた岸田首相になって、

 

その軋轢が目に見えてきたような感じさえする。

 

自民党内には安倍一強政権当時のままに、

 

何事も強引に押し切れるという思いがあるようだ。

 

よく思い返せば、安倍前首相の幅広い

 

根回しがあっての一強体制が続いていたのであり、

 

安倍体制下の根回しを頼りにした菅政権が

 

安倍体制消滅と共に消え去ったことを

 

岸田政権を支えようとする自民党議員は

 

しっかり認識すべきであろう。

 

憲法審査会での自民党議員の意見は

 

常識では考えられないものが多くみられる。

 

初めに憲法改正ありきで臨んでいることは明らかだ。

 

憲法は、このような自分たちに都合よく

 

法律を捻じ曲げるものを防ぐための法律です。

 

国民投票は憲法改正の鍵を握る重要なことです。

 

中途半端な議論で済ませることは断じてなりません。

 

自民党が憲法第9条を改正して

 

自衛隊を国軍として、

 

「日本を軍隊の持てる国にする」、ということを

 

至高の目的として結党された党であることを、

 

すべての国民に、今一度認識を新たにして頂きたいと願います。

 

 

個人的には、日蓮仏法の理想とする社会体制は共産主義です。

 

人々が私欲にとらわれず、利他に徹するからこそ、

 

すべての人々の利益が自らに還元される。

 

そういう社会の実現が、共産主義の理想とする社会だからです。

 

多くの人は単なる「夢想」と言うでしょうが

 

マルクスは、まさに「我が意を得たり」と言うでしょう。

 

今の共産主義者は日蓮仏法を無視するが故に、

 

自らが理想とする共産主義の実像すら描けずにいます。

 

共産党が信頼されない理由も、実はここにあるのです。

 

こう言っても恐らく、日本共産党幹部は聞く耳を持たないので、

 

自らの過ちに気付くまで放置するしかありません。

 

日本共産党などはどうでも良いことなのですが、

 

共産主義に共鳴する人たちは少なくないはずです。

 

ユートピア(桃源郷)は徹した「利他」の哲学を根源とした、

 

真に平等な共産主義社会にある。

 

このような世界の実現は数千年後の話なので、

 

今は単なる「夢想」に過ぎないでしょう。

 

このブログが数千年後に残っていたならば、

 

先見の明を持つ偉人とされるかもですが…。

 

ここで一応お断りしておきますが、

 

個人的には、共産党に投票したことはありませんが、

 

自民党候補(当選しています)に投票したことはあります。

 

あくまでも人物本位で国民の権利を行使しているつもりです。

 

ただここ数年は、強権体質になった自民党に反省を促そうと、

 

死に票になると分かっていて

 

立憲民主党候補に投票したこともありますが。

 

 

さて、今ここで、国民として考えなければならないことは、

 

与党の枠組みを変えていいかどうかということです。

 

維新の会と国民民主は与党入りを目指しています。

 

これは言うまでもなく、自民党との共通の課題である

 

『憲法第9条』の改正。

 

極論すれば、明治体制の復活です。

 

それに異を唱え、政府と意見を異にしても、

 

なお政権内にとどまり続ける公明党の存在。

 

こう考えると、政権の枠組みは

 

憲法第9条の改正の可否に関する、

 

日本と世界の平和に関わることと言えます。

 

どの政党を支持するかは、

 

あくまでも主権者たる国民の意思に拠ります。

 

ただ、その選択の基準だけは、

 

過つことの無いように願いたいものです。

 

 

マスコミ報道により誤った政権を選択すれば、

 

戦時中の日本の再来、そして、

 

今のロシアそのものになってしまうことを、

 

決して他人事と思わないように。

 

NHKの番組「数学者は宇宙をつなげるか?」を見ていて、

 

面白いのは、

 

異なるものを同じとみるか、

 

同じものを異なるとみるか。

 

仏法は両者を矛盾なく説いています。

 

異なるものを同じものとみるとは

 

すべてに仏性が具わる

 

同じものを異なるとみなすとは

 

桜梅桃李、過去の宿業に拠ると。

 

仏法で説く『久遠』とは

 

仏のみが存在する世界(宇宙)。

 

『久遠元初』から宇宙が動き出し今に至ります。

 

『久遠元初』とは一瞬のうちにバランスが崩れた時で、

 

今の宇宙はこの時から動き始めています。

 

元の姿(久遠)をすべて『仏』とするので

 

仏法ではすべてに仏性があるとします。

 

数学で「異なるものでも同じものとみなす」も

 

仏法から見れば、正しいのです。

 

根源的には、皆まったく同じ『仏』なのですから。

 

ここで、『久遠』を科学的に言えば、

 

素粒子が完全にバランスの取れた安定した状態。

 

宇宙のすべてのものは、最小の素粒子が

 

組成の素(もと)になっています。

 

素粒子自体はエネルギーを持っていて、

 

あらゆるエネルギーや物に変化します。

 

光や引力、放射線や電波。

 

素粒子同士が衝突して元素が出来、

 

あらゆる物質を創り出します。

 

宇宙の始まりとされるビッグバンも

 

極限まで圧縮された素粒子が

 

爆発的に膨張拡散したものです。

 

その直前までが前の宇宙で

 

その時、素粒子はすべての素粒子を

 

引き寄せる引力となっています。

 

すべての素粒子が完全に等しく極限まで圧縮されると、

 

引き寄せるものが無くなった瞬間

 

引力は逆方向に働くため

 

爆発的な拡散となるのがビッグバンです。

 

宇宙の終わりと始まりは、一瞬の時に重なっています。

 

ビッグバンの時に高温だったという説は

 

素粒子が熱エネルギーに変化していたことになるので、

 

この考えは科学者の盲点を突いた誤りです。

 

なぜこのような過ちを犯すのかと言えば、

 

極限まで圧縮された素粒子は

 

物質的には完全に同じなので、

 

爆発的に拡散すれば決して衝突することはない。

 

しかし実際には3億年に満たないうちに衝突しているので、

 

ビッグバンは以前から考えられているように

 

光さえも閉じ込めてしまうほど高温だったとしてしまったのです。

 

仏法では宇宙は『成住壊空』を繰り返すと説きます。

 

つまり過去遠々劫(かこおんのんごう)に積もり積もった宿業が

 

個々の素粒子に刻まれているということです。

 

この宿業は素粒子ごとに完全に異なります。

 

この素粒子の宿業の相違により

 

素粒子間にわずかな速度の違いが生じ

 

素粒子が衝突して今のような宇宙が創られたのです。

 

仏教で説く『願兼於業』とは、

 

新たな宇宙を創るにあたって、

 

それぞれが相応の違った役割を果たすため、

 

それぞれが違った宿業を刻むということです。

 

この事により、どのような宿業も

 

あらゆるものを育む『仏の慈悲』とします。

 

さて、すべてのものは、本をただせば素粒子の結合です。

 

その素粒子自体が、物質的には同じでも、

 

個々の素粒子の持つ宿業はすべて異なる。

 

本(もと)は等しく『仏』であっても

 

『願兼於業』によりすべてが異なった宿業を持つ。

 

数学で「同じものでも異なったものとみなす」もまた

 

仏法から見れば、正しいと言えるのです。

 

仏法ではこのことを『桜梅桃李』と言い表しています。

 

根源の法則を解き明かしたものが仏法なので、

 

数学という側面からのアプローチであっても、

 

根源の法則の一端をうかがうことはできるのです。

 

あらゆる道を究めるほど仏法の説く根源の法則に近付く。

 

数学もまた例外ではありません。

 

 

さてここからは表題からは外れた余談です。

 

お時間のある方はお読みいただけると幸いです。

 

仏教界は仏法を理解できないため迷走していますが、

 

真の仏法は科学より科学的です。

 

科学が至らないことを良いことにして

 

何か人知の及ばぬものがあるように人々に思わせ、

 

人々を惑わせる仏教は、既に仏法ではありません。

 

仏の智慧でしか本質が分からないことは事実です。

 

正しい仏教とは、

 

その「仏の智慧」を出す方法を教えることを使命とします。

 

釈尊の教えを天台大師が完全な形で集大成し、

 

妙楽大師、伝教大師が正しく受け継ぎました。

 

受け継いだ内容は、

 

末法に釈尊の解くことが出来なかった法を説く本仏が現れ、

 

釈尊が説きたくとも説けなかった法を説く。

 

釈尊の説けなかった法とは『妙法蓮華経』です。

 

『妙法蓮華経』は釈尊当時の

 

古代インドのサンスクリット語では顕わせなかったのです。

 

釈尊は、このことも含めて悟ったので、

 

そのことを『法華経』で説き現しました。

 

この事は本来正しく釈尊の一代聖教を学べば

 

誰でも解るはずなのですが、

 

中国に伝えられた経典の前後により

 

天台大師の明確な指標があっても、

 

名聞名利の輩が、伝えた経典を

 

勝手な解釈で自己に都合よく誤って伝えたため、

 

迷誤に惑うものが多いという現実になっています。

 

その最たるものは弘法大師の真言密教ですが、

 

伝教大師亡き後にはその理論を論破できる者はいませんでした。

 

伝教大師(最澄)は弘法大師(空海)が帰朝してすぐに、

 

空海が密教の教えに執着していることを知り、

 

高野山の空海のもとを訪れ、

 

空海に密教を捨てて法華経を修行するように諭します。

 

この時、空海は最澄の諫言を執拗に拒み、

 

最澄、空海両者の激烈な法論となりました。

 

この法論は実に21日に及んだと言われます。

 

最後には空海は最澄に返す言葉が無くなり

 

密教を修行しないと約束します。

 

最澄にとっては空海は優れた僧であり

 

惜しむ気持ちから諫めたので、

 

空海が密教を修行しないと約束したことで

 

目的は果たしたと考えました。

 

ただ恐らくは、思いもよらず長く比叡山を離れてしまったので、

 

留守を預けた弟子の義真にだけは

 

事の顛末くらいは告げたと考えられます。

 

一方で高野山では大変な騒ぎとなっていたようです。

 

空海が最澄に大法論の末に敗れてしまった。

 

これを師の空海の恥辱と思った弟子たちも多かったでしょう。

 

これを糊塗するために、法論の時の

 

都合の良い部分を切り取って

 

秘かに朝廷の公家たちに触れ回ったのです。

 

「最澄が密教を知らなくて、空海に教えを乞うた」と。

 

最澄は空海が恵果から授かった教えを尋ねましたが、

 

それは授かった教えが分からなければ

 

その過ちをただすことができないからです。

 

授かった教えを聞いた後に、その誤りを教え諭しましたが、

 

そのことはあえて省略して、

 

「最澄が空海に密教の教えを聞いた」と触れ回ったのです。

 

最澄の弟子の義真が亡くなり円澄の代になると、

 

比叡山の中にも慈覚(円仁)や智証(円珍)のような

 

密教も修行に取り入れるべきと考えるものが出て、

 

伝教大師の教義は失われていきます。

 

このような流れの中で、それまでの根回しも功を奏して、

 

空海の真言密教が法華経より優れているとする説は、

 

広く公家たち貴族や朝廷に広まりました。

 

空海の真言密教は、最澄の天台法華の上に置かれ、

 

空海は日本の仏教界の支配に成功します。

 

釈尊の教えが人々を救う力が亡くなる末法まで、

 

あと百数十年の事でした。

 

平安時代以降、天皇や公家たちの朝廷では

 

真言密教に敵調伏を祈らせ、ことごとく敗れる結果を招きました。

 

鎌倉時代に日蓮大聖人によりこのことが明らかになります。

 

しかしすでに400年近くも経っており、

 

歴史の重みにより容易には受け入れられませんでした。

 

しかし鎌倉時代の高僧たちは、法論をする知識、知恵では、

 

日蓮大聖人に遠く及ばないことを知っていたのです。

 

また日蓮門下も、日興上人以外の弟子たちは

 

師の存在を正しく受け止めることができませんでした。

 

中には日朗のように、日蓮大聖人を誰よりも慕い、

 

自身にとっての『主師親の三徳』を備えた仏としてみていながら、

 

釈迦如来を本仏としてしまう者もいました。

 

まして他の弟子たちは、師と仰いではいましたが、

 

『本仏』と考えるものはいませんでした。

 

さらに、日興上人の流れを汲む『興門流』でさえ、

 

日蓮大聖人を『本仏』と立てる者は

 

ほんの一部にすぎませんでした。

 

これ故、現在に於いても

 

何が『本仏』なのか惑ってしまう現状となっています。

 

正しい道筋に沿って研究すれば、

 

誰でも比較的容易にたどり着ける結論ですが、

 

800年の歴史の重みが迷路となって、

 

なかなかたどり着けない人が多いようです。

 

仏法を学ぶ際に大事なことは

 

根幹と枝葉末節を明確にして、

 

枝葉末節にこだわらないことです。

 

仏法の根幹が分からないから枝葉末節にこだわる。

 

謙虚に探究することは常に求められます。

 

ただ、仏法は科学より科学的なので、

 

現実生活の中で実践した方が分かりが早い。

 

科学とは実験証明なので、

 

所詮は「やってみなければ分からない」

 

最終的には、そういう結論になりそうですね。

 

 

 

ウクライナ戦争の関連で

 

ロシア国内の情報統制が、よく問題にされます。

 

今のロシアは、戦時中の日本に酷似しています。

 

その第一として、徹底した検閲があります。

 

反政府的な報道は徹底して排除する姿勢は

 

まさにうり二つです。

 

言論統制だけでなく、反政府的な言動に対しても、

 

徹底的な弾圧をする点でも全く同じです。

 

戦時下の日本では「治安維持法」を改正し、

 

反政府とみなせば逮捕できるようにしましたが、

 

今のプーチン政権も同様の大統領令を出しています。

 

奇しくもアメリカを敵視し、すべてはアメリカのせいだとして、

 

反米感情を高めたことも一致しています。

 

一旦戦争が始まると、

 

都合の良い事だけを国民に知らせるという点でも

 

驚くべきほど似ています。

 

そのような情報に惑わされた結果、

 

当時の日本国民は家を焼かれ肉親を失い、

 

塗炭の苦しみを味わった末に、

 

占領地民としての辛酸をなめることになりました。

 

一方でロシア国民の事を考えると、

 

ロシア人の6割以上がプーチン政権に批判的です。

 

しかし弾圧を恐れて声を上げることができません。

 

約4割の国民は、政権の宣伝放送に騙されて、

 

事実を知らされないまま、政権を支持しています。

 

戦時中の日本と今のロシアが酷似していることを考えると、

 

騙されたままのロシア国民の行く末が案じられます。

 

さらに言えば、日本にいる我々もまた、

 

政府に拠る情報操作下にあるということを

 

知っておくべきだと考えます。

 

よく考えてみてください。

 

確かにウクライナに侵略殺戮行為をした

 

プーチン政権は、まさに「極悪」です。

 

では、ウクライナのゼレンスキー政権はどうでしょうか。

 

ロシアが自国を包囲して恫喝する中で、

 

あえてNATO加盟を表明することで、

 

ロシアの侵略攻撃を促したと言えないでしょうか。

 

しかも許せないのは、

 

戦争を回避することなく、

 

一旦戦端が開かれると、自国民に

 

国を守るために武器を取って戦えと言った。

 

プーチンも人殺しを指示した極悪人ですが、

 

では、自国民を殺人鬼に変えようとするゼレンスキーは

 

プーチンとどこが違うのでしょうか。

 

図らずも、ゼレンスキー大統領はアメリカ議会での演説で、

 

日本の真珠湾攻撃と2001年9月11日の同時多発テロを上げました。

 

この両者に共通する点は

 

どちらも当時の大統領は事が起こることを事前に知っていながら、

 

それを防ぐことなく、あえてやらせたという点です。

 

ゼレンスキー大統領としては

 

そんなことは意に止めることなく引用したのでしょうが、

 

この引用によって、ロシアの攻撃を分かっていながら、

 

敢えて戦争を仕掛けさせたとも受けとめられるのです。

 

なぜロシアのプーチン政権だけでなく

 

ウクライナ政権をも非難するようなことを言うのか。

 

それは今現在飛び交っているマスコミによる情報を

 

決してうのみにするな、ということです。

 

NATOがなぜロシアと戦争しないのか。

 

それはNATOの言うような世界大戦や

 

核戦争の勃発を招くからではありません。

 

NATOがロシアを攻撃すれば、

 

1か月程度で戦争は終結するでしょう。

 

しかしその間に、間違いなくプーチンは

 

『デモ』として核ミサイルを1発発射します。

 

もちろんウクライナの主要都市が標的になるでしょう。

 

その結果、核保有国が主張する

 

『核の傘の下の平和』が幻影であることが

 

全世界の人々にあまねく知れ渡ってしまいます。

 

核保有国の国民も、事の重大性に気付き、

 

核廃絶に国論が一気に傾くことを

 

核保有国は何より恐れているのです。

 

これが核保有国の所属するNATOが

 

ロシアとの戦争を避ける最大の理由です。

 

核保有国にとっては、自国民に

 

『核の傘の下の脅威』にさらされていることは

 

絶対に知られたくないのです。

 

もちろんそこには作りすぎてしまった核兵器の処分が

 

決して容易でない事情があります。

 

核保有国一同が一斉に核廃絶を行うことには

 

すべての核保有国が賛同するかもしれません。

 

しかしだからと言って、その処分に係る年月を考えれば、

 

そう簡単には合意できないでしょう。

 

大量の核を保有する国は処分にも時間がかかるので、

 

同時に核兵器の廃棄終了とはならないでしょうから。

 

処分が遅くなった国の核兵器が最後に残ることになり、

 

その国が唯一の核保有国となって

 

核兵器で世界を脅すことが無いとは言えないからです。

 

核廃絶の道のりは、このような国家間の不信を取り除かなければ、

 

実現は難しいのです。

 

国という枠組みの見直しが必要になってきている。

 

そのことも含めて「核廃絶」を進めていかなくてはなりません。

 

少し話がそれましたので、話を戻しましょう。

 

今マスコミによって流されている情報の背景には

 

それぞれの都合による実に身勝手な事情があるのです。

 

更にはそれらを動かしている『軍産複合体』の存在があります。

 

ウクライナへの軍事支援により一番潤うのが

 

『軍産複合体』になるからです。

 

この『軍産複合体』は各国の大統領以上の力を持っています。

 

ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領でさえ、

 

この力に抗しきれず、従うほかはなかったほどです。

 

しかし根本的には、それらを許してしまったのは、

 

経済先進諸国の国民にほかなりません。

 

『軍産複合体』を拡大させた大きな原動力は、

 

各国の政府だからです。

 

各国の政府を指示した国民にこそ

 

責任があると言わざるを得ません。

 

そんな政府を指示した覚えはなく、

 

常に反対してきたと言ってみても、

 

啓蒙努力が足りなかった結果は受け入れるべきでしょう。

 

多くの国民が納得できるように粘り強く対話を重ねる。

 

そこにしか、『軍産複合体』を衰退させる力は生じないのです。

 

『軍産複合体』は、兵器という殺人道具によって

 

自らを潤す悪魔の存在です。

 

ウクライナ戦争でも、民間人を殺すことを

 

「非人道的な犯罪行為」としていますが、

 

そもそも『戦争』それ自体が『非人道的』なのです。

 

民間人を殺せば非人道的で、

 

兵士を殺せば英雄となるのが戦争です。

 

民間人も兵士も同じ人間です。

 

兵士という殺人鬼を殺しても罪にならない。

 

そうでしょうか。

 

確かに兵士となって狂気に陥るものもいます。

 

そういう輩は平然と殺人を繰り返します。

 

そんな人間でも人間である以上、

 

自分の行ったことを冷静に見つめれば

 

取り返しのつかない残虐な行為をしたことに

 

深い慚愧の念に堪えなくなるでしょう。

 

その様に導くことこそが、殺された人への

 

せめてもの償いになるのです。

 

歪められた考えが過ちを引き起こす。

 

罪を償わせるということは

 

狂気から正気へと引き戻すことを

 

第一の目的としなければなりません。

 

そうでなければ真の贖罪にならないからです。

 

人は正気に返れば、

 

『生命の尊厳』こそが最優先されるべきだと

 

誰もが等しく思うように、必ずなるのです。

 

現在そうなっていないのは、

 

正気に戻す術を用いていないからです。

 

プーチン政権のように、嘘を嘘で塗り固めた

 

救いがたい集団の存在が明らかになった今、

 

全世界の人々に、この点を深く考えてもらいたいと願います。

 


 

ここまで読んでくださった方々に、御礼申し上げます。

 

もっと読みやすいように書かねばと思うのですが、

 

悲しむべきは文才の乏しさ。

 

より精進して、より分かりやすく、

 

皆様に納得いただけるように努めますので、

 

今後ともぜひ、ご愛読のほどを、お願い致します。